第225話 城の中の王侯貴族より、会いに行ける救世主

 面白い展開になってきた。傷を癒した相手やその家族から傅かれ、困惑しているルゴスを遠目で見ながら顎を撫でる。

 ルゴスが癒しの力を持とうとは。しかも、アレは前に会った、鬼の巫女や魔女が用いたような魔術とは毛色が違う気がする。呪文も無かったし。

「タケル、気づいた?」

 隣のクシナダが耳打ちしてきた。

「気づくって?」

「ルゴスよ。人を治療した光。なんとなくだけど、私たちが力を使うときに様子が似てない?」

 言われて、そうか、と納得した。巫女や魔女が癒しの術を使うとき、呪文のような媒介、というか、変換機能を使って力を生み出していた。僕らの場合、自分の手足を動かすように力を使う。元からある機能をそのまま使う、といった具合に。ルゴスが癒していたときも同じに見えた。息を吸うように、手で掴み、足で駆けるように人を癒したように見受けられた。

「なんとお礼を言ったらいいのか」

 そのルゴスは、治療した老人に縋り付かれている。

「あなた様は、命の恩人です。わずかですが、どうぞこれをお納めください」

 老人の手には銀貨や銅貨が数枚乗っていた。本当にわずかだが、ここ一週間ほど働いた僕には、あれだけの額を稼ぐのにどれほど働かなければならないかを知っている。どれだけ働いても、手元に来るのはわずかなのだ。しかも、日々の暮らしで貯蓄などする余裕はほとんどない。その日その日の食べ物を手に入れたら、手元には残らない。わずかと老人は言うが、そのわずかを貯めるのにどれほど苦労したかは理解できた。

「いや、それは受け取れない」

 僕以上に理解しているルゴスは、老人の手に自分の手を添えて、下げさせた。

「しかし、恩人に対して何も報いぬわけには・・・」

 老人の言うことも尤もだ。成果には、見合った報酬が支払われるべきだ。なぜなら、その成果の価値を決めるのが報酬だからだ。命を救った価値は、救われた当人が良くわかっている。

「老人。あなたは漁師であったな」

「はい」

「ではこれから、漁で取れた魚を一尾、俺にご馳走してくれ」

「そんな、たったそんなことで良いんですか?」

「そんなこと、ではないぞ。仮に、その金を受け取ったとしよう。俺は一時の金で飯が食えるかもしれない。けれど、あなた方は飢えてしまう。怪我は治ったが、飢えで死んでは元も子もない。俺も罪悪の念に囚われる。それならば、今の条件の方が得だ。あなたが漁に出た日は魚が必ず食えるのだから」

 一時のあぶく銭よりも、長期保障。保険の雛形のようだ。ルゴスの言葉に納得した老人と娘はさらに平伏した。必ず毎日魚を捧げると誓った。居心地の悪くなったルゴスは「では、他の怪我人も見てしまうか」とそそくさと出ていった。僕らもここには用が無くなったので、彼の後を追う。

「バルバ」

 同時に出て行こうとしたバルバに声をかける。

「ルゴスのあの力、あんたは知ってた?」

 先を行く彼の背中を顎で指しながら尋ねる。

「いや、初めて見た。まさかルゴスにあんな力があるとは」

 未だ衝撃から抜け切れていない彼は、うわ言の様に声を漏らした。長い付き合いに見える彼すらも知らなかった。隠していたのか、はたまた出来るようになったのか。


 ルゴスは、怪我人たちを治して回った。反応は皆同じで、老人の時のようにしきりに感謝し通しだった。各個人が出来る範囲の、最大限の謝礼をしようとした。助かった命を削ってしまうようにも思える過剰な謝礼を、ルゴスは丁寧に押し留めて、それでも退かない相手には老人の時のように小さな謝礼を長く続けてもらうように頼んだ。ここの医者はよほど傲慢だったのだろう、ルゴスの低姿勢に治療してもらった者たち及び今日の関係者たちから、ルゴスの評価は上がりに上がった。うなぎ上りだ。そんな彼らの熱視線から逃れたい一心で、用が済んだルゴスはさっさと帰路についた。

 嵐は、既に止んでいた。

「正直、ちょっと困るんだよな」

 土産にと色々持たされたルゴスが呟く。右手に絞めた鶏、左手に酒の入った壷とポットを合わせたような奇妙な形の入れ物を提げている。

「困るって何が?」

 尋ねる僕歯と言うと、同じような状態だ。野菜がピラミッドみたいに積み上げられて入れられた編み籠を、落とさないようにこぼれないように慎重に運んでいる。

「タケル達も、元々は噂で俺に会いに来たのだろう?」

 教えを広めている首魁から、何かティアマットの情報を得られるんじゃないか。そうして探して出会ったのがルゴスだ。

「俺は、大した男ではない。首魁とか、呼ばれるような器ではないのだ。あんなふうに崇められたりするほど、出来た人間ではない。自分が知らぬ間に偉そうな人間になっているようで、嫌なんだ」

「だったら、助けるのを止めておけばよかったんじゃない?」

「馬鹿な事を言うな。そんな事出来るわけがない。天の声の教えに背くことになる」

 一本の手は誰かを助ける為に、だったか。でも、もう一本の手は自分を助ける為に使ってもいいんじゃなかったか。首絞めてどうする。

「助けられるのだから、助けた。これは別に、俺だけの話ではないと思うのだ。力が俺より強ければ、俺よりも沢山の荷物を運べる。俺よりも漁が上手ければ、沢山の魚を取れる。俺はあの力で人を癒せる。たったそれだけのことではないのか?」

 大したことではない。きっと、ルゴスにとってはそうなのだろう。だが、その力を使える人間が、全体の人間の総数に比べて割合が少なければ少ないほど、その力は特殊というカテゴリに入ってくる。古来より特殊に対して、普通の人間が抱くのは大きく分けて二種。崇めるか、畏れるか、だ。

「いつから、そんな力を使えるようになったんだ?」

「いつから、か」

 ルゴスは首を天に向け、しばし無言で立ち止まった。

「いつからと言われたら、今、ついさっきだ」

「さっき? さっきって、老人を治したときか?」

「そうだ。理屈を聞かれても困るのだか、本当に、なんとなく、思ったのだ。あれ? もしかしてこうすればいいんじゃないか? と」

 その結果が、あれか。

「今回は、あの天の声とやらは聞こえなかったのか?」

「聞こえたかもしれんし、聞こえなかったかもしれん」

「なんだそりゃ」

「だから、深く問うてくれるな。自分でも、本当に良くわからないんだ。天の声についてはあれこれひたすら考え続けていて、今では考えてない時でも聞こえるような気もするくらいなのだ」

 何度も一つの事を考え続けたりすると、頭が勝手に幻を作り出すって本当だったんだ。

「だから、過去に聞いた天の声が、また勝手に頭で響いて、何とかせねばと思った。するとさっき言ったようにこうすれば良いと思いついた。その点で言えば、天の声の後押しがあったとも言えるが、実際に聞こえたのかと言われれば、わからんとしか言いようがない」

 面倒くさいな。

「そんな顔をされても困る。わからんものは、わからん」

 世の真理ではあるが、僕としては捨て置けない。その天の声こそティアマットだと考えている僕らにとっては唯一の手がかりなのだから。ちらとクシナダの方を見る。彼女は首を横に振った。もし当時、天の声が響いていたら、彼女なら何か尻尾を掴めるかと思ったが、無理だったらしい。材料が少ないと検証も推測も出来ないのが辛い。

「とりあえず、僕から言える事は、今の力は、あまり使わない方が良いってことくらいか」

 ため息を隠す為に、代わりに忠告してみる。おそらく、聞かないだろうけど。

「何故だ」

「結論から言えば、その力は、いつかあんたを殺す」

「・・・穏やかではないな。この力が、俺を蝕むとでもいうのか」

「そこはわからない。けど、外的要因を呼び込む可能性は充分にあり得る」

「外・・・的?」

「えっと、つまりだな。あんたがどう思おうと勝手だけど、特殊な力ってのは、あ、この場合あんたじゃなくて、他人にとって特殊ってことだけど。いらん恨みを買うことが多い」

「恨まれるのか? 人を救う力が」

「ああ。間違いない」

 人を救いたかった彼女は、世界を豊かにするための研究は、世界と人に殺された。僕は、よく知っている。誰かの救いは、誰かの呪いになる。最終的に、憎しみを生む。プラスとマイナスの掛け算は、結局マイナスにしかならない。

「例えば、今回人の怪我を治したことで、まずバシリアの医者全員を敵に回す。彼らは人を治して対価を貰う。けど、今回あんたは対価を要求せずに人を治した。どうなるかはわかるよな。あの悪徳な店を潰そうと考えていたあんたなら」

「・・・ああ。きっと、誰も医者に行かなくなる。そうだろう? だが! 俺は、医者にかかれない相手だけのつもりだったんだ。今回みたいに!」

「それを、医者の方が信じてくれると、本気で思うか? 病人怪我人が信じると?」

「それは・・・」

「それだけじゃない。きっと、これからあんたの元にはこういう依頼が増える。怪我を治してくれ、病気を治してくれ。きっと、あんたは断れない。だろう?」

 無言がしかし、雄弁に語る。

「死にたくないなら、バシリアから出る事を勧めるけどね」

「それは、できない」

 目の前に苦難しか待っていないというのに、ルゴスは首を振った。

「まだ終わってない作業が、残ってるからな」

 好きにすればいい。そうかい、と言い残して、僕は立ち止まったままの彼を追い抜く。クシナダが小走りにやってきて、僕に並んだ。

「珍しい。あなたが人に忠告するなんて。どういう風の吹き回し?」

「さあね」

 懐かしい笑顔が、一瞬頭をよぎっただけだ。暮らしを豊かにしたいと夢を語っていた、あの人の。


 僕の想像を超えて、人々の間で二つの感情が加速度的に高まっていった。

 庶民や下級層の間では、ルゴスは崇められていた。特に怪我を治してもらった連中は彼のことを救世主のように尊崇し、頼まれてもいないのに熱心に布教していた。

 噂と共に、彼の教えもまた広まっていった。何故庶民の間で簡単に教えが広まったのか。考えてみれば、教えと呼ぶから天、神仏からのお告げ、どこかファンタジーに聞こえるが、内容は至って合理的だからだ。困ったときは助けてもらい、相手が困っていたら協力する。これにより業務の効率も上がれば、相手から心ばかりのお礼も期待できる。つまり、貨幣以外での物品の移譲が発生する。お金以外でも物が貰えるのだ。もちろん、協力者はそんな事考えてはいないだろう。けれど、助けられた側は既に感謝という数値化しにくい感情と、被害を最小限に食い止められたというメリットが生まれている。その分を支払うことに、何一つ抵抗はない。また、相手が困っていたら自分も助けようという思考がこの時点で植えつけられる。教えが広がった瞬間だ。

 一方で、王侯貴族たち、上流階級にとっては、畏れしかない。なぜなら、自分たちの地位や、この国で敷かれている制度が失われる危険性があるからだ。

 王侯貴族がなぜ崇められているのか。それは、戦い等で人々を命がけで守ったからだ。だから敬われる存在である。しかし、人々の敬うという感情は持続性がない。戦乱時期であれば、人々はまだ彼ら貴族に対して守られているという感謝を忘れなかっただろう。しかし、平和な暮らしが続くに連れて、心のどこか、自分でも意識しないほどの隅で、必ず思う。どうして彼らは、自分たちを踏んづけてのうのうと生きているのだろう、と。自分たちが汗水たらして働いたものを平然と奪いとって、毎日遊び、食い散らかしている。代わりに何も与えない。どうしてこんな理不尽がまかり通っているのか。人心は簡単に離れていく。

 そして今、自分たちに代わって敬われる存在が対等してきている。しかもその者が広げる教えは、誰かが王にならなくても良いという。地位など必要ないという。人は、共に手を取り合い、助け合えば、生きていけるという。

 なんという愚かで、恐ろしい教えだろうか。誤った考えであろうか。権謀術数に長けた貴族だからこそ、人の醜い部分をよく知っているからこそ、その教えの危うさを理解する。人間は、美しくない生き物だ。誰かが必ず裏切るし、誰かが必ず騙している。自らが可愛いからだ。愚か者共は、そこを理解していない。だからこそ導く王が必要だというのに。


 かくして、貴族たちはさらに力を入れてルゴスを探し始めた。草の根をかき分けてでも探し出す、という執念が、捜索に来る兵士たちから間接的に感じ取れた。反対に、庶民たちはなんとしてでもルゴスを守り通すと固く誓いあった。何もしてくれない貴族よりも、身近にいて手を差し伸べてくれたルゴスの方が、このとき、既に重要だったからだ。戦争でもないのに、バシリアはぴりぴりとした緊張感が張り巡らされていた。地底にマグマが溜まりつつあるような、いつ爆発してもおかしくないような空気だ。きっと、爆発すれば終わる。全てが一瞬で灰になる。

 僕としては、これこそがティアマットの狙いだったのかと、疑っている。

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