第224話 かざした手

「結局、どうなの?」

 「何かわかった?」クシナダがこちらの顔を覗きこんだ。

「正直、さっぱりわからん」

 ルゴスに手伝いを申し出てから数日が経った。ティアマットに関係する何かがあるかと思ったが、全くわからなかった。ただただ慣れない労働により疲労感が蓄積されただけだった。

「そっちはどう?」

 僕の問いかけに対して、彼女は肩をすくめる。僕だけでなくクシナダまで何も掴めなかったとなると、これは問題だ。方針転換を検討する必要がある。最初にバシリアに来た時、教えを広げている首魁こそ、ティアマットの関係者ではないかと重要参考人として第一目標にした。思いのほか簡単に出会えて幸先良いと思っていたが、彼のここ数日の行動を観察していると、ティアマットの関係者とは思えなくなってきた。

「本当に彼は、ティアマットの関係者なのかな?」

 クシナダも疑問を抱き始めた。

「関係者なのは、間違いない、と思うんだけどな」

「天の声が聞こえた、って話よね?」

 頷く。この天の声という通常ではありえないような現象が、僕らにルゴスとティアマットの関係を疑わせ、そして同時に、本当にティアマットと関係があるのかという反対の疑問を抱かせている要因だ。これまでの悪魔の欠片保持者である化け物どもは、人を助けろなんて、かわいらしい事を言わなかった。

 奴らは負の感情や、その感情を抱いた人の血肉、総称して『穢れ』を栄養素としている。人助けなんて、奴らにとっては無意味でしかない。

 その無意味な事をルゴスは淡々とこなしている。今日も今日とて、自分の羊飼いの本業をこなしてから、東に西に、バルバの手伝いや、他にも人の相談に乗る、作業を手伝うなどの業務を続けていた。手伝っている分には寝床に困らないが、依然として姿を見せない敵に焦れてきていた。

「確かに行き詰ってる」

 このままここにいても、事態は変わらないのではないか、そう思えてきた。となるとどうするか。ルゴスの元から離れて、別の取っ掛かりを探すか。とはいえ、今は彼以外にヒントなど皆無でもある。

 ティアマットの反応と思しき地図の赤印は、このバシリア全域に達している。全くないよりもよほど厄介だ。無ければ移動すればいいんだから。中途半端に存在すると、思い切った行動が取れない。

 方針を決めあぐねていた僕たちは、惰性のままルゴスやバルバの手伝いをして過ごした。ただ、仕事も忙しいのはずっと続かないようで、休みの日や、昼以降暇な時間が出来た日は街中を散策して回った。その頃には、僕たちの顔も少しずつ広まってきており、声をかけられることも、直接手伝いを頼まれることも発生し始めた。情報を集めるのなら人に顔が知られるのも悪いことじゃない。地道に人から情報を集めて精査するしかないか。腰を据えての長期戦を覚悟することにした。

 ルゴスの家で世話になって二、三週間ほど経った頃。かなり大きな嵐がバシリアを襲っていた。流石にこんな天気の日は出かける方が危険だということで家の中で嵐が過ぎるのを待っていた。

「大変だ!」

 とうとう強風でドアが吹き飛んだかと思った。だが、吹き込んできたのは風と雨に加えて、悲壮感含めた声のバルバだった。何がと聞く前に「助けてくれ」と言われ、言った本人はこちらの返答も聞かずに再び嵐の中に突入した。こっちが断ることなど頭の片隅にもないようだ。ルゴスはその期待に応えるように飛び出した。こうなると僕もクシナダも行かざるをえないような空気になったので、彼らの後を追う。

「この嵐で、修復中だった城壁が再び崩れた」

 走りながらバルバが事の次第を説明する。城壁とは、この前修復を手伝ったアレのことだろう。積み重ねて乾燥中の所を、嵐の雨が泥の接着剤を流して、風が弱い箇所から徐々に崩していった。被害はそれだけに留まらず、崩れ落ちた巨石は民家に直撃し、家屋を崩壊させた。

「生き埋めになっている人が何人かいる。何人かに声をかけたんだが、この嵐で中々救出作業が進まないんだ」

「人手は幾らあっても足りないってことか」

 駆り出された理由をルゴスは察した。それ以降はみんな現場まで無言だった。焦燥感からか、雨が口に入るのが嫌だからかはわからない。とにかく急いだ。

 現場は想像以上に混乱していた。暴風雨が地面を打ちつける、あの油が跳ねたような音に混じって、人の泣き声や悲鳴が交錯している。

「あれがいつ崩れるかわからねえんだ!」

 嵐に負けない大声を張って、バルバが指差した。城壁の最上段あたりにある石と石の隙間から水が沸き水みたいに噴出している。内部の石同士をひっつけていた泥が、乾ききる前に押し流されて空洞になったのだろう。今は積みあげたときのままのバランスを保っているが、この風の中いつまで保てるか。

「バルバ!」

 クシナダが叫んだ。救助活動に向かおうとしていたバルバは水溜まりを蹴立てながら止まる。

「何だ!」

「どうせ崩れるなら、今崩しても問題ないわよね!」

「何だと!? どういうことだ?!」

 何を使用としているのかいまいちつかめてないバルバが聞き返す。

「アレを崩すわ!」

「は?! どうやって!」

「良いから! あの城壁の向こう側は何?! 誰かの家?!」

「いや、川だ! 誰もいないが、それがどう・・・」

「川なら、問題ないわよね?」

 言うが早いか、クシナダは弓をつがえた。

「おい! 何する気だ! こんな風の中で矢なんか射たら危ないだろうが! そもそも何の意味が・・・」

「まあ、見てらっしゃい!」

 クシナダが矢に力を込め、射た。矢は風に流されるどころか、風を飲み込んでさらに勢いを増し、城壁に突き刺さった。途端、風船がはじけるように城壁が破裂し、石は粉微塵となって風に吹かれて消えた。わずかに残った大きめの欠片も、家屋のある内側ではなく川のある外側に落ちて、どぼんと音を立てて沈んでいく。

「凄いなおい!」

 バルバが喝采を上げた。

「これで憂いなく救助出来るでしょ」

「おう! 行くぞ!」

 バルバが今度こそ現場に戻り、先に来ていた仲間たちに指示を飛ばす。僕たちも加わり、柱や壁の撤去を手伝った。

 瓦礫の下から助け出されたのは十三人。全員が近くの知り合いの家に運び込まれた。困ったときはお互い様、助け合いの精神が根付いていた。打ち身やすり傷の人間は傷口に包帯を巻かれ、泣いていた子どもも徐々に落ち着きを取り戻していた。ただ一人、重傷者が出た。老年の男性だ。瓦礫が頭に当たったらしく、酷く出血している。血まみれの体に、娘らしい女性が縋りついて泣いている。

「医者は! 医者はまだか!」

 バルバが怒鳴る。怒鳴っても仕方ない事は分かっているが、声を張り上げていないと場の空気に押し潰されそうになる。そんな中、息を切らせてバルバの弟子が帰ってきた。医者を呼びにいったはずの彼は、一人だった。

「医者は?!」

「それが・・・」

 弟子は言い辛そうに、しかし経緯を話す。

「・・・来ない、だと?」

「この悪天候の中、移動するのは危険だから、と。自分が怪我をすれば、治す人間がいなくなるからって」

「くそ!」

 吐いた悪態は、壁にぶつかって砕け、空気に混ざり重さを増した。

「言い訳だけは一丁前だな! ようは、ずぶ濡れになってでもいくほどの旨味がないって事だろ! 金持ちの家には天変地異であっても駆けつけるくせに!」

 貧乏人には用はないってか。諦めと同義語の呟きを吐き出す。

「ねえ、タケル」

 クシナダが僕に耳打ちした。助けようというのだろう。一応実績もある。以前死にかけの魔女に血を分け与えたら、傷が塞がった。間に合うかどうかは運次第だが、試すなら早い方がいい。止める理由も別にない。

 が、僕らが行動を起こす前に、動いた人間がいた。ルゴスだ。彼は縋りついてなく女性を下がらせ、老人の傷ついた頭に手をかざした。

「え?」

 誰が呟いたかわからない。僕だったかも知れないし、クシナダかもしれないし、バルバや、泣いていたはずの女性かも知れない。

 ルゴスのかざした手が、薄暗い室内で淡く輝いた。柔らかい光を放つ手が老人の頭に触れ、離れる。

「傷が、無い・・・」

 手品のようだった。そこにあったはずのモノが、一瞬視界を遮られた後には嘘みたいに消えている。

 僕たちは驚いて声も出せず、バルバは膝をつき、女性は祈るように震える手を合わせて、奇跡を起こした男の背中を見つめていた。

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