第221話 羊飼いの副業
「おぉい」
店を出てすぐ、声をかけられた。振り返ると、ジェダイみたいなフードをかぶった男がこちらに手を振っている。
「あれ、この声」
同じく振り返ったクシナダが顎に手を当てている。
「呼び止めてすまないな」
立ち止まった僕たちに男が近づいてきた。
「いやあ、見事に言い負かしたな。見ていてスカッとしたぞ」
「あんたもあの店に?」
「ああ。いた。隅っこでちまちま一番安いのを食っていた」
「やっぱり」
何かに気づいたクシナダが男を指差した。
「あなた、あの言い合いの時、最初に差別だ、自分もタダにしろって怒鳴った人でしょう?」
彼女の指摘に、男が照れくさそうに頭を掻いた。あの声のおかげで、大勢が決したようなものだ。あの後雪崩のように好き勝手に声が散乱したから気にもしなかったが、彼女はその声を覚えていたらしい。
「もしかしてだけど、あなた、あの店がああいうのだって気づいてたの?」
「うむ、その通りだ。俺はあの店を調べていた。・・・ふむ」
男は言葉を切り、目を左右に動かして周囲を探った。
「どこかで、落ち着いて話さないか? どうも、ここは良くないな」
男の言い分は理解できた。店を出てから、遠巻きに見張られている。その数が少しずつ増えている。視線に含まれる感情は、あまり好ましいものではなさそうだ。
「これは、あれかな。僕が店で金目の物を見せびらかしたからかな?」
「かもな。人が集まるところは欲の集まるところでもある。欲には限りがない。際限ないものを埋めんともがくは哀れだが、巻き込まれる方はたまったものではない。・・・少し走るが」
男の問いかけに僕たちは小さく頷く。次の瞬間には、男はフードの裾を翻して駆けていた。僕たちも後に続く。遠くで怒声が飛び交い、人同士がぶつかる鈍い音が数箇所で上がる。おそらくは人混みを突き飛ばし、押しのけながら追って来ている連中が立てている騒音だろうが、僕らの前を行く男は対照的に人混みをするり、するりと無音ですり抜けていく。見事なものだ。スキーのモーグルみたいだ。
見失わないように男の背中を追い、人をかき分け、細い路地を何度も左右に折れ曲がり、時に塀をよじ登り、窓から勝手に屋内に入って反対から飛び出した。
「どうやら、撒けたようだ」
満足そうに男は言った。
「しかし、良かったのか?」
男が続けて、妙な事を言った。
「何が?」
「俺についてきてしまって。いや、もちろんそんなつもりはサラサラないのだが、もし俺があいつらと同じようにお前たちの金を狙っている悪党だったらどうする? 逃げたと思ったこの場所が、俺の仲間の集合場所だったら?」
「その時は、その時考えるよ」
クシナダに頼んで空に逃げても良いし、返り討ちにしても良い。
「良いのかそれで」
「良いんだ。だって、さらさらそんな気はないんだろう?」
その気があるとも思えない。僕たちが彼と出会ったのはついさっきだ。ここに仲間を集める時間はなかった。逃げ道だってそうだ。僕たちは何とか後を追えたものの、下手したらはぐれていてもおかしくない逃走ルートだった。おびき寄せることを考えていたら、追えないルートは選択しない。
「面白い奴だなぁ」
小さく笑い、男がフードを取った。
「改めて、名乗らせてもらう。俺はルゴス。本職は羊飼いだ」
フードの下からは、黒く日焼けした愛嬌のある笑顔が出てきた。鼻の下と顎には髭が蓄えられ、そのせいで老けている印象を持つが、肌つやの加減やかなり長い時間を走り回っても切れない息から、まだ若いのではないかと推測する。
「僕はタケル。彼女は」
「クシナダです。助けてくれてありがとう」
「礼を言われるような事はしてないよ。それにどうも、お前たちはあの程度の連中をいなすことくらい問題なかったようだしな。狩猟者と言っていたな、中々の腕前とみるがどうか」
「中々かどうかはわからないけどね。で、そっちは本職ほったらかして何してたの?」
本職は、と言うくらいだから、副職もあるのだろう。何らかの目的があってあの店を調査していたのだとしたら、それが副職に環形あるのは間違いない。
「その件の話の途中だったな。説明しよう。・・・あ、ちなみにお前たちは、もう宿は取ったのか?」
「いや、まだだ。だけど、取りに戻ったらさっきの連中に見つかりそうで面倒だな」
「では、我が家に来るか? 狭いし汚いが、邪魔な追っ手は来ないし金はいらんぞ」
断る理由もないので、厚意に甘える。
「ではついて来てくれ。道中、先ほどの話を続けよう」
「実は、相談を受けたのだ」
ルゴスが先頭を歩く。僕たちは彼が道々に置いていく言葉を拾う。
「以前より、あの店が何も知らない出稼ぎ移住者に対して、悪質な方法で無理やり雇用している噂があった。特に、文化の違う相手に対してだ。何故かわかるか?」
「・・・文字か?」
少し悩んで出した答えに、ルゴスは頷いた。
「そう。バシリアは多くの国を従属し、支配化に置く複合国家だ。法が敷かれ、住む者全てが法に従う。そして法は、全て文章化されている。誰にでも平等であるために、人を介して解釈が変わらないようにだ。が、法は平等でも、法を用いる者が全て平等とは限らない。そもそも、バシリアで使用されている文字が読めない相手に『ここにいる限りはこの文字で書かれている法に従え』というのも無理な話だ」
それでも、普通に暮らす分には法を知らなくても破る事はまずない。複合国家ゆえに、細かいところまで詰め切れていないのだ。せいぜいが盗み、殺人、放火などのあからさまな悪事を犯すなというところだ。
「あの店屋は、まさに平等を用いて不平等な契約を結んでいたって訳か」
「そういうことだ。タケルが名前を書かされそうになっていたあの書面、推測通り無償に近い労働条件というタチの悪い雇用契約だけではなく、持っている家財一式を店主に譲るというようなことまで書かれていたはずだ」
ルゴスの元に相談に来たのは、そうやって全てを奪われた一人からだった。手口を理解したものの、それだけで悪事を裁けるわけではない。
「たちが悪いのは、あの店にいたほとんどの人間は、店主から賄賂を貰って小金を稼いでいる連中だ。店主がほしいのはタダ同然で働く労働力で、巻き上げた財産をそいつらに払っていた」
悪いWinWinの成立だ。店主はそうやって口封じを行い、連中は口裏を合わせて店主にとって都合の良い証言をする。あの書面にサインしてしまえば、後でそれが不当な取引だと主張しても、店主は書面を証拠にする。店主からの説明云々がなかったと訴えても、周りの連中がきちんと説明されていたと証言する。
「契約内容の酷さは罪にはならず、既に結ばれた契約は悪事とみなされない。ならば、どうにか契約を結ぶ前に対処するしかない。そう考えて店の中で張っていたら、そこにお前たちが現れた。助け舟を出す前に相手を追い詰めていたのだから、これは便乗するしかないと思ってね」
そこで、あの効果的な追撃か。店主の不利をみるやいなや見事なまでの手の平返し、恐れ入る。
「これで、あの店は遠からず潰れるだろう」
「? どうして?」
ルゴスの結論に、クシナダが疑問を呈した。
「あの店は、今日一日無料で飯を振舞うことになったのはわかるか?」
「まあ、そうでしょうね」
「だから、明日以降も無料で振舞わなければならなくなる」
「なんで?」
「今日無料だったからさ。人間ってのは不思議なもので、明日店がいつもと同じ値段に戻したとしても、高くなったと感じてしまうのさ。だから、高くなった店には行かない。それに、今日のお前たちのやり取りが噂で広まっている可能性も高い。また、噂が人の口と耳を通る間に、あの店はぼったくりだと内容が変化するかもしれないしな」
にや、とルゴスが口の端をゆがめた。
「あの店を潰すのが目的だったのか?」
調査していたのは、そういう理由があったからかと推測した。果たして、ルゴスは頷く。
「店を辞めたいという相談だった。だが、店主が契約を盾に辞めさせない。では、店がなくなれば働かなくて済むか、と考えを変えた」
ブラック企業を無くすための一番の方法みたいな考え方だ。仕事が無くならないなら会社が無くなればいい、というような。
そのための下準備は終わっていて、後はどうやって致命的な一撃を加えるかが問題だったとルゴスは言う。
「確かに悪い店だが、雇っていた従業員は路頭に迷うことになるんじゃないか?」
店にその致命傷を負わせた僕が言うのもなんだけど。
「潰れた後に、俺の伝手で人を雇ってもらえるよう手配はしておいた。今よりはマシな待遇になるとは思う」
勝手に潰して悪いとは思うがね、とルゴスは頭を掻いた。少し悪いと感じているのかも知れない。とりあえず、ルゴスが店にいた理由は分かった。だが、代わりに疑問が残る。
「ねえ。一つ気になってるんだけど」
「何だ?」
「あなたは、どうしてそんな相談を受けたの?」
「困っている相手がいた。だから手を差し伸べた。それだけの話で、人としては普通のことではないか?」
「ううん、そうじゃなくて」
首を振り、言葉を変え、クシナダは再度尋ねた。
「私が教えてほしいのは、どうして羊飼いであるあなたに、その人は相談したの?」
おっ、とルゴスが大きく目を開いた。クシナダも、同じ疑問を浮かべていたようだ。
「そういう相談って、普通なら友人や家族でしょ? でなきゃ偉い人とか、法に詳しい人。あなたはその人の知り合い? もしくは、本職以外の仕事がそういう関係なのかな?」
「そういうわけではないな。今回会ったのが初めてだし、俺は権力もなければ法に明るいわけでもない」
「初めて会った人にする相談じゃないと思うのよ。でもその人はあなたに相談した。ってことは、あなたはそういう困った事を相談したくなる人で、伝手で人を雇うようお願いできたり噂を流させたり出来るほど顔が広い羊飼いってことになる」
だよね? とクシナダは僕の顔を見た。まったくその通りだったので頷く。これがバシリアの羊飼いのスタンダードなら仕方ないが、それはないとも思う。では羊飼いというのは嘘なのか。
「本職は、羊飼いだ。これは嘘じゃない」
ただ、と彼は続けた。
「暇があるとき、少しだけ人に手を貸していた。それが、いつの間にか世間に知れ渡っていて、困っている人が人伝に頼るようになってしまった」
「無料で振舞った結果がこれだ」とルゴスは苦笑した。
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