第220話 等価交換の原則
城壁の中は活気に満ち溢れていた。通りに店が立ち並び、そこを大勢の人々が利用している。店の立ち並ぶ通りもかなり広く、車道の二車線くらいは取られているはずだが、それでも人と人との間は五十センチもない。パーソナルスペースに土足で入られている。行きかう人も様々だ。肌の色に目の色、服装もばらばらで、多種多様な人種が混在している。時折角があったり耳が尖がっていたり翼を持ってたりする人種までいる。しかも彼らは周囲の反応を見る限り、珍しいことは珍しいが、特段不思議というわけではないようだ。当たり前の存在として受け入れられている。むしろ他の客よりも売り子は熱心に彼らに売り込んでいる。どうやら彼らは遠方からの商人ということらしい。彼らに大量に売り込んで、版図を広げようという魂胆なのだろう。自分と違うものを排斥するよりも、受け入れ、市場を広げるメリットを取った。人柄なのか土地柄なのかはわからないが、その度量の大きさがバシリアは交易都市としても栄えている要因みたいだ。川が二本もあるから、渡船で物資を渡しやすいのも関係しているのか。
人混みをかき分け進み、途中から通りの中央を境に進行方向が二車線道路の様に別れているのに気づいて、人の流れに乗りながら鼻を聞かせる。
「良い匂いがする」
クシナダが呟く。彼女の進む方向についていく。人と人の隙間から、湯気がたち昇っているのが見えた。彼女の進路も迷いなくその方向だ。
人の流れから脱した僕たちの前に、他の店舗よりも二回りくらい大きな店があった。出入り口前にも屋台を置き、鳥や豚を一匹丸ごと焼いている。香ばしい匂いに誘われて、僕たち以外にも何人かが店内に誘われ、屋台では切り身を受け取っている。
「ここにするか」
頷き返すクシナダ。何か肝心なことを忘れているような気がするが、空腹が勝った。疑問が行きつく前に店内に入ってしまう。厨房からの威勢の良い挨拶で迎えられ、すぐさま女性の店員が駆けつけてくる。二名席に案内される。
「ご注文は何にします?」
笑顔の張り付いた店員が注文を伺ってくる。
「ここは、何が美味しいの?」
「何でも美味しいですよ」
何があるのか聞きたかったのだが、欲しい答えとは違う答えが返ってきた。
「・・・じゃあ、おすすめは何?」
「おすすめ、は、そうですね。うちの看板、店前でも焼いてた香草焼きですね。後、最近人気の果実酒、うちにもありますよ!」
衛兵が言っていた酒のことだろうか。店でも取り扱っているくらいなら、かなり広く出回ってるってことなのかな。ただ、今は酒を飲む気分じゃない。
「じゃあそれを二人前。酒はいらないや」
他にも何品か注文し、待つこと数分。
「お待ちどうさま!」
木皿の上にどんと効果音のつくような大量の盛り付け肉が現れた。
「これで二人前?」
「いえいえ! 一人前です!」
さらにどん。クシナダの前にも皿が置かれた。当然のことながら同じ量の肉が乗っている。他の品も同じように大盛りだ。
「ごゆっくりどうぞ!」
最後に大ジョッキのようなでかいコップに並々と水を注ぎ、笑顔で店員が去っていく。
「・・・頂きましょうか?」
クシナダの声に、小さく頷く。
結論から言うと、完食出来た。数日間の山越えで飢えた体は、肉も野菜も穀類も、水を飲むかのように胃袋に流れ込んでいった。香辛料がふんだんに使われていたのも大きい。匂いや濃い目の味付けは、これまでシンプルな味付けばかりだった僕たちの舌と胃袋を大いに刺激した。
「満足満腹」
クシナダが合掌した。少し休んでから、店員に声をかける。
「ご馳走様」
「ありがとうございます。全部でバシリア銀貨三枚です」
あっ、と思わず口を押さえた。何を忘れていたか唐突に思い出したからだ。
金だ。金目のものはある。だが、換金してない。ここで使用できる
「悪いんだけど、換金し忘れたんだ。他の街の貨幣は使える?」
「ああっと、それは、ちょっと困ります・・・」
本当に困った顔で店員が俯いてしまう。
「じゃあ、少し待っていてもらえるか。換金してくる」
「え、ちょっと、出て行かれるおつもりですか?」
「大丈夫、荷物は置いていくから、必ず戻ってくるよ」
「そ、それも勘弁して頂けませんか。実は、以前そういう食い逃げがあって・・・」
ここで「僕たちはそんなことしない」と訴えても無駄だろう。仕方ない、では僕が残ってクシナダに換金しに行ってもらうか。
「それも止めてください。同じ手口でお仲間を置き去りにしていった人がいるんです」
ダメらしい。というか、この店無銭飲食者出すぎじゃないか? しかも見捨てられた仲間が逃げた奴を追いかけて刃傷沙汰になったらしい。金と食べ物の恨みは恐ろしい。ならどうする。
「ならこういうのはどうだろう。僕らはここに、換金できる物品を持っている。それをあんたに渡す。あんたはそれを持って換金屋に行き換金し、戻ってくる。僕がそれで払う」
机の上に、これまでの旅で得た貴金属や、他の街の金貨や銀貨を広げる。周囲が一瞬ざわつき、静まりかえる。
「え、お、お客さん・・・これは・・・」
「ん? 足りない?」
「いえ、そういうわけではないです。足りま」
「残念だが、足りないよ」
店員の声を押しのけて、エプロン姿の親父が歩み出た。
「どこの田舎からこのバシリアに来られたか知りませんが、ちょいと物を知らな過ぎる。バシリアは最大の国家であり最先端を行く国家でもある。他の国では一流の物でも、この国じゃ二流三流なんだ」
「つまり、価値が違うから、僕の持っている分では不足していると?」
その通り、と親父は神妙な顔で深く頷いた。これは、あれか。発展途上国の通貨が安いのと同じか。国毎に通貨を初め物価が違うのは、信用度とか色々理由があるみたいだが、極端な話、受容と供給で決まる。皆が欲しい物は当然高くなるし、必要としなければ価値は下がる。バシリアは交易でも栄えているからあらゆる国でバシリアの通貨は価値があり、ゆえに他の通貨よりも価値があるわけか。それでも、金とか、どの国でも不変の価値を持つ物もあるんだけど。後ろで店員が「店長・・・?」と不安げな顔で親父の顔を見上げているし、吹っかけられているのかな?
「そうか、足りないか」
「ええ、足りませんね」
「足りない場合、僕らはどうなる?」
「そうですな・・・このまま、治安部隊に突き出すことになりますな。そして、この国で罪を犯した者は強制労働が決まりだ。地下深い採掘現場か、遥か東の未開の地か、いずれも過酷なことに変わりはないがね」
「そりゃ参ったね」
「そうでしょう? ですが、私にも慈悲はある。ここに署名すれば、突き出すのは勘弁してやる」
親父が一枚の紙を取り出した。白紙、と言うわけではなく、なにやら文字がつらつらと書き連ねられている。
「これは?」
「契約書だ。うちで働くという内容が記されている」
優しい顔で親父が微笑む。
「食った分をうちで働いて返すんだ。そうすれば治安部隊に突き出さずに置いてやる」
「なるほど、働かざるもの食うべからず、というわけだね?」
「そういうわけだ。一番下にあいている箇所があるだろう? そこに名前を書いて、血を一滴垂らせ」
血判、見たいな物かな。となると、これは雇用契約書のようなもんか。・・・さて、ここで数少ないが僕のバイト経験が生きてくるわけだ。
「ちなみに、だけど。これ、食った分を働いて返します、というようなことが書かれているんだよね?」
「そうだ。・・・あ、悪い悪い。田舎者のあんたらには、バシリアの文字は読めんか」
あからさまに馬鹿にしたような顔で親父が言う。
「だが、お前さんの言う通りだ。働いて返します、ってな事を誓う書類だ。名前を書いたら、約束をたがえる事は許されない。それこそ無銭飲食よりも重い罪に問われるぞ」
「翻訳してくれてありがとね。あと、幾つか質問良いかな?」
「どうぞ」
勝利を確信し、しかし後一歩の所で小ざかしい邪魔が入ったと言わんばかりの面倒くさそうな顔で促してきた。では遠慮なく。
「これ、働いて返せ以外にも、他にも色々書いてあるよな。なんて書いてあるの?」
「それは、あれだ。色々だ」
「色々って?」
「働くにあたっての注意事項とか、そういうのだよ」
「何日働いたら返せますとか?」
「そう、そういうのだ」
「ちなみに何日?」
「五年だ」
年単位か。ここまで吹っかけられると、一周回って違和感がないな。それとも、田舎者はそんなことも計算できないと思われているのだろうか。
「長くない?」
「美味かっただろう? それくらい価値のある物を食ったんだよ」
「それにしたって五年はないよ」
「なら、こっちは構わん」
ひょいと親父は紙を取り上げ、大声で叫んだ。
「誰か! 兵隊さんを呼んでくれ! ここに罪人がいますとな!」
叫ぶが、誰も急には動かない。親父もそれが分かっているのだろう。パフォーマンスだ。
「さあ、どうするね? 誰かが呼びに言ったかもしれんぞ? バシリアの兵は迅速だ。異変があればすぐに駆けつける。そしたら、お前さんがたはおしまいだ。強制労働に励むかね? あそこと比べれば、ここはまだ天国だぞ。なあ?」
親父は隣の店員の肩に気安く腕を回した。店員は困ったような、泣き出しそうな、そんな顔で愛想笑いを浮かべた。ふむ、もしかして、この店員も同じ手でここで強制労働させられている身か?
「答えなんて決まりきってるだろう? さあ、ここに名前を書け。部屋も貸してやる。飯も食わしてやる。辺境の地で魔物に襲われて死ぬような目にも遭わないんだ」
「それは困る」
「そう困る・・・困る?」
僕の言葉に、親父は怪訝な顔をして見返してきた。
「言い忘れたんだけど、一応僕、狩猟者ってやつだ。魔物を狩って何ぼなんだよ。だから、僕としては魔物の出る辺境の方が良いかな。皿洗いなんてめんどくさい。手が荒れちゃうし」
「馬鹿言うんじゃないよ。命は大事にしな。ここの方が良いに決まってる」
「馬鹿言ってんのはそっちだろう。僕の意思を勝手に押さえ込むな」
「良いのか。呼ぶぞ。本当に兵隊さんを呼んでくるぞ」
「どうぞ」
親父の顔に、一瞬だけ焦りが見えた。すぐに押し隠したのは流石と言うべきか。
「本当に呼ぶぞ」
「だから、どうぞ? ああ、ちなみに、だけど。もしここに兵士が来たら、僕は今の話を全て伝える。そして、聞く。本当に僕の手持ちでは支払えないかどうか」
親父の口元が引き攣った。
「支払えなかったのなら、仕方ない。素直に罪を認めよう。でも、もし支払えていたのなら、僕は反対に、あんたを詐欺で兵士に突き出す」
「さ、詐欺だと?! お前、一体全体何をトチ狂った事抜かしてやがる!」
「極めて順当な話だと思うけどね。だって、嘘をついて無理やり店で働かせようとしたんだから。確かに換金しなかったのは僕に非がある。けど、換金してきちんと代金を支払うと言った。こっちは何一つ罪を犯してはいない。だろ?」
後、その紙だ。
「その契約書。証拠として提出してもらうよ。どんな内容が書いてあるのかぜひ聞きたいからね」
僕が指差すと、親父は紙を背中に隠した。
「さあ、呼べよ」
親父が黙りこくってしまった。ふむ、埒があかない。後ろを振り返り
「悪いんだけど、誰か代わりに呼んできてくれる?」
「ま、待て!」
親父がストップをかけた。
「何? さっきまで呼ぶ呼ぶ言ってたのに、どうして止める?」
「わかった。もういい。支払いはいらん」
「いらない? さっきまで支払いするしないで揉めてたんだぞ?」
「知らん。忘れた。お代は結構。二度と来るな」
「そうかい。この店は、支払いを必要としないんだね?」
「そうだ・・・あ、いや、違う。お前さんらの分だけ」
「おい、ふざけんな」
ここに来て第三者の怒鳴り声が飛んだ。
「どうしてそいつらだけ支払いしなくていいんだ。差別だろ! 俺たちも無料にしろ!」
この一言がきっかけとなった。あちこちから「じゃあ俺たちもタダだよな!」「私も」「支払いはいらないんだろ?」と声が上がり、店から次々と客が出て行く。出て行くと入れ替わりに次々と客が入り「おい、この店はどれだけ食ってもタダらしいな」「いやあ、良心的だね」「注文良いか? ありったけの酒と肉を持って来い!」「どうせ無料だからな」と好き勝手口にしながら席を埋めていく。
親父の顔が真っ青になっていたが、出て行けと言われたので手早く荷物をまとめ出て行くことにする。
「ご馳走様でした」
食べ物に罪はないので、きちんと手を合わせておく。
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