第222話 世のため人のため自分のために

「あなたが噂の首魁?」

 有名人を見つけた一般人よろしく、クシナダが口元に手を当てて指差す。

「どんな噂が立っているのか聞くのが怖いな。そもそも、俺は一度も首魁だとか、大層に名乗った覚えはないのだが」

 ルゴスがお茶を淹れながら苦笑した。

 彼の案内で連れてこられたのは、中央の王城から見て北西部にある住宅街、その外れにある小さな家だった。見た目は赤茶色のティッシュ箱だ。箱を潰すための横穴が窓になっている。

 ほら、と手渡されたコップを受け取る。

「薬草を蒸して乾燥させたものだ。苦いが、腹から温まる」

 口に含むと想像以上の苦味が口内に広がり、薬草のなんとも言えない、臭いでもなく、ただ苦手としか表現の出来ない香りが鼻をついた。思わず顔をしかめた。そんな僕を見てルゴスが笑っている。僕よりも感覚の鋭敏なクシナダなら苦すぎて噴出すんじゃないかと思ったが、予想に反して平然とした顔でちびちび飲んでいた。

「苦いけど、ほのかに甘い味もあるわ」

 感覚が鋭敏だと、不快な感覚の中から好きな感覚を選りすぐることが出来るのか。

「味覚が鋭いな。俺がこれに慣れて甘みに気づくまで、かなりの日数が必要だったんだが」

 慣れるほど飲まなければ、甘みに気づかないらしい。慣れるほど飲みたくない、というのが正直なところだが、客として招かれて出されたものを残すのもどうかと思い、少しずつ挑戦する。苦い。くそ、本当に苦いなこれ。顔まで渋くなった気がする。

「どうして手助けなんて始めたの?」

 苦みばしった顔をした僕を置いて、クシナダは話を進めていた。

「どうして、か。そうだな」

 少し悩むそぶりを見せてから、実はな、とルゴスは語る。秘密を明かすように、声を潜めて。

「天の声が聞こえたのだ」

「天の声?」

 脳裏にかつてTVで見ていた、朝の情報番組の一コーナーがよぎった。多分、違うけど。優れたトーク力を持つ芸人によるナレーションを聞いてからバイトに出かけるのが日課だったから、ちょっと懐かしい。僕が最後に見た時から随分経つ。彼らは漫才大会優勝という悲願を叶えたのだろうか。

「俺とて、生まれながらに人助けしようなんていう考えを持っていたわけではない。むしろ、その声を聞かなければ他の羊飼い同様、今も日々の暮らしに追われ、その日その日を暮らすことしか頭に無かっただろう」

 そして、ルゴスは当時のことを思い出す。

「いつだったか、羊を柵の中へ追い込んでいたときだ。突如頭の中に声が響いた。『人の手は何故二本あるのか』と」

 幻聴を疑い、自分の頭を疑うルゴスに声は続けた。

『一本は自らのため、もう一本は他の誰かのためである』

『嘆き苦しむ者の声を聞け、救い求める者に手を差し伸べよ』

『手を伸ばし、手を繋ぎ、手を広げよ』

『全ての人が繋がった時、この世に理想郷が顕現する』

『王も奴隷も無く、病も貧しさも争いも無い楽園である』

「お前が、私の教えを広げるのだ。声はそう言い残して消えた」

 後に残るのは自分の顔を見返してくる羊の群れのみ。

「最初は頭がおかしくなったのだと思っていた。気が狂ったんだと。でも、ずっと残り続けているんだ。声が、頭の中で同じ言葉を繰り返すんだ。今となっては、男の声だったか女の声だったか、老人だったか子どもだったか、それすらわからないのに、言葉だけが頭に残っている」

 この話を人に話すことはあまりないのだろう。表情に少し不安が見える。理解されないというのは、人間にとって恐怖だ。

「信じられないのも無理はないと思うが、本当なんだ」

 黙っていると、言い訳するようにルゴスは言った。わずかな沈黙にすら耐えられなかったらしい。まだ何も言ってないのに。

「あんたの話を疑ってるわけじゃないよ。少し考えていただけだ」

「そ、そうか」

 少しホッとしたような顔のルゴスを余所に、僕たちは目を合わせた。クシナダも同じような事を考えているようだ。

 ルゴスが聞こえた声の主についてだ。それが、僕たちをここに呼び寄せたティアマットのものか否か。

 可か不可かで言えば、間違いなく可能。その程度の事は造作も無くやるだろう。

 引っかかっているのは、動機だ。そんなことをする意味がわからない。いがみ合わせるならわかる。だが、人を助けるように操る理由は何だ?

 では、この件はティアマットとは無関係なのかといえば、それも考えにくい。奴がここを支配して根城にしているのは間違いないだろう。自分以外の超常現象を起こせる相手の気配に気づかないとは思えないのだ。

 顔を上げ、質問を掘り下げようとした時、勢い良く木目のドアが開いた。

「ルゴス。いるか?」

 入ってきたのは大柄な男だった。僕らがいるとは思わなかったようで、少し戸惑ったような顔をする。

「すまん、来客中だったか」

 出直そうかと言う彼に、僕らのことなら気にしないでくれと声をかける。

「バルバ。どうした?」

 立ち上がったルゴスが彼を迎え入れる。

「人手が足りなくて困っているんだ。助けてくれないか」

「良いぞ。何をすればいいんだ?」

 ためらうそぶりも無くルゴスは言った。仕事の内容も聞かずに即答した。

「おお、助かる」

 バルバは心底安堵したように厳つい顔を綻ばせた。道すがら説明するとバルバは先に出た。よほど忙しいのだろう。気が急いて仕方ないらしい。

「招待しておいてすまない。少し出かけてくる」

「気にしないでくれ。寝床を借りれるだけで充分だから」

 といってから、待てよ、と思い直した。

「もし何だったら、僕も手伝おうか?」

「えっ、良いのか?」

 自分は人の頼み事を簡単に引き受けるのに、他人に手伝われるのを驚くなんて変な奴だ。僕が言うのもなんだけど。

「今日ここに着いたばかりなんじゃ無いのか? 疲れてるんじゃ」

「気にするな。宿代の代わりだ」

「じゃあ、私も」

 立ち上がったクシナダが、僕の方を見た。どうせ何か考えがあるんでしょ、と言いたげだ。その通りなのだが、見透かされているようで少し悔しいので涼しい顔を努めてしておく。

「ありがとう」

 素直なルゴスが、こちらに頭を下げた。

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