第218話 悪魔の腹の中へ

「そろそろ、起きて」

 体を揺さぶられる。意識は覚醒し、体と連動し始める。瞼を開く。

「・・・クシナダ?」

「はい、クシナダですよ」

 寝ぼけていると思ったのか、適当にあしらわれる。離れていく彼女の背中を眺めがなら、さっきまで見ていた過去を思う。

 遠くへ来たから、だろうか。ずいぶんと懐かしく感じた。時間にすれば一年経つか経たないかくらいなのに。

「どうしたの?」

 まだ起き上がらない僕に気づいた彼女が、肩越しに振り返る。

「いや、なんでもない」

 首を振り、起き上がる。寝床代わりにしていた落ち葉が尻に引っ付いてきた。引っ付いてくるのは過去だけで充分だ。ぽんぽんと払う。

 強い光が木々の隙間から差し込んでいる。同時に、湿気た空気が陽光で熱されて、じめじめねっとりとした密林の様相を見せ始めた。

 この世界では街と街を繋ぐ道など、整備されているのは本当にごくわずかで、地表のほとんどは植物に覆われている。しかも、赤道直下に良く生えてそうな葉っぱが広くてでかくて何枚も重なってるような奴が多い。こいつらが常に潤うために、湿気を逃さないようなシステムが構築されているようだ。ミストサウナが有効なのは人間だけではないってことか。ジュラ紀とか白亜紀とか、こんな感じだったのかもしれない。恐竜みたいなのも多いしね。

「今、どの辺りかな?」

 神様から貰った地図を操るクシナダに声をかける。いまや僕以上に地図を使いこなし、最短ルートの検出などお手の物、物資調達に泉や川をマーキングすることも、来た道順を保存することも可能としている。この機能は僕も知らなかった。多分彼女にタブレット端末を与えたら、最大限にその機能を活用するに違いない。僕はネットと動画を見るくらいだ。つくづく、彼女の学習能力の高さと知的好奇心の高さには舌を巻き感心する。誰だったか、本当の賢さは知識の量ではない、知識をいかに活かすかが本当の賢さだと言っていた。彼女はまさに本当に賢い人間なのだろう。

「もうすぐ森を抜けて、大きな川が二本見えてくるわ。目的地はその川と川の間」

 彼女の言う通り、遮るもののない直接的な日差しが照っている。茂みを越え、日差しの下に出る。

「・・・へえ」

 思わず感嘆の声が漏れた。僕の想像では中州の中にある街だった。九州にある屋台が有名な場所ほどの広さ。大体一キロほどの大きさの。だが、想像の上を行かれた。

 今までつき進んできた、うっそうとした森の緑から一新、見渡す限り赤茶色のレンガの家が広がっている。二本の川と川の間、なんてかわいらしい表現をよく使ったな。僕らが今いる場所は高台になっていて、見下ろせる位置にある。なのに手前にある大きな川は見えど、もう片方が見えない。僕と同じように呆けているクシナダの手元の地図を見る。位置的にはさらに奥になっているが、建築物の影になっている影響か全く見えない。地図の縮尺具合からざっと見積もるに、十キロは軽く離れている。その川の間にとどまらず、川の外側にも軒が連なっていた。今もまだ拡大中のようで、あちこちから建築関係の鈍く良く響く音が上がっている。森も伐採されてその礎となっているらしく、高台から少し下れば地面がむき出しになっていた。緑と赤茶の境がくっきりと分かれていて、陣取りゲームのように人の領域を主張している。

 上がっているといえば煙もだ。人の生活の匂いが煙と一緒に漂ってくる。無数に存在する全てに一家族がいると考えれば、人口は数万人規模か、それ以上だろう。街などという言葉の範疇を軽く飛び超えて、都市。文明の背景から考えれば一国、それも巨大国家だ。巨大ロボグレンデルと戦った『ロネスネス』や魔龍デュクテュスが封印されていた『セリフォス』、ここに来る前に立ち寄った『アケメネス』も大きかったが、ここはそれ以上だ。三つの都市国家を合わせてもまだこっちの方が広い。

「すっ、ごいわね」

 ようやく、クシナダが口を開いた。山間の百人にも満たない村出身の彼女からすれば、大都市も大都市だ。これだけの人間が一箇所に固まっていることも信じられないだろう。

「とりあえず、着いたのは良いんだけど。新しい問題が出てきたわね」

「新しい問題?」

 クシナダの呟きに、僕は思わず聞き返す。

「広すぎて、どこから探りを入れたらいいのか見当もつかないってこと」

「ん? それって、この地図を使えば良いのでは?」

 地図には、敵の居場所を示す赤印が表示される。情報がなければ、とりあえずその近くまで行けば良いのでは? と思ったのだ。そう言うと、クシナダは少し地図を操作して、僕に手渡してきた。見た方が早い、ってことらしい。受け取り、地図を眺める。

「・・・どういうこと?」

 地図には、赤印が確かにあった。だが縮尺がおかしい。地図は、かなり拡大されて表示されている。丁度、目の前の都市が画面一杯に映る様に。そして、赤印は画面一杯に表示されている。こうなると表示、というより、画面全体が赤いと言った方が正しい。

「今回の敵はそれだけでかいってこと?」

 そんな馬鹿な。クシナダの直接的過ぎる推測を僕は否定した。一つの都市を覆い隠すほどの大きさって。都市の端から端まで何キロあると思ってる。

「でも、前に戦った水の巨人、触手伸ばしたらそれくらいなかった?」

「まあ、確かに」

 言われて見ればそうだ。

「でも、もしそれだけでかいとするなら、別の疑問が出てくる」

「別の疑問って?」

「ここから見えないってこと」

 水の巨人クトゥルーは、十キロ先からでも確認できるほど巨大だった。もしこの赤印が正しいとするなら、すでに数百メートル先にはその一端が見えていることになる。でも、普通の家々が連なるのみで、化け物の『ば』の字も見えやしない。地下か? いや、それほどの巨大生物が地下にいたら身じろぎ一つであちこちが陥没する。

「仕方ない。行くか」

 考えていても分からない物はわからない。なら、調べに行くだけだ。

「でた。タケルの出たとこ勝負」

 茶化すようにクシナダが後から続く。

「何だよ。出たとこ勝負って」

「そのまんまの意味よ。あなた、わかんない時はいつも適当に突っ走るじゃない」

「わからないから調べに行くんじゃないか」

「何が潜んでいるかもわからないところに、わからないからって考える事を放棄して無策で行くのを出たとこ勝負って言うんじゃないの?」

 よもや、クシナダに言い負かされる時が来ようとは・・・。

「・・・考える事は、放棄してないよ」

 顔を背けながら、苦し紛れの言い訳をする。

「そりゃ良かったわぁ」

 ジト目でニヤニヤこちらの顔を伺ってくる。

「それに、これは出たとこ勝負じゃない。対症療法って言うんだ。僕が向かうことで、何らかのレスポンスがあるのを期待してるんだよ。初めての獲物を狩る時だって、相手の動きを見てから動くだろ?」

「それはあらゆる手、罠とか逃げ道を塞ぐとか、そういう手を尽くしてから行動に移すものよ?」

 僕の反論の逃げ道を塞いで、後は『れすぽんす』だっけ、と彼女は続ける。

「ちょっと言い合いで不利になってきたからって、私が知らない言葉を使って黙らせようってのは卑怯じゃない?」

 攻める口調とは裏腹に、彼女は楽しそうだ。くそ、最近Sっ気まで出て来やがった。

「確かそういうの、人間の心の防衛、機制? って言うんだっけ。それが働いてるの?」

 ぐうの音も出ない。青は藍より出でて藍より青し、我が身を持って知ることになるとはね。降参の意味を込めて両手を軽く上げる。

「ま、私もこのまま向かうことに否はないわよ?」

「ないのかよ」

 何で絡んできたんだよ。

「だって、多分あっちは私たちのことくらい既に気づいてるだろうし。気づかれてる中で罠なんかはれないし。まずは隠れてる相手を引きずり出さなければならないなら、行くしかないっていうか、行かざるを得ないというか」

「まあ、そうだね。せっかく招待頂いたんだしね」

 二人揃って、再び都市を一望する。このどこかに、奴がいる。僕らを招待した張本人。レヴィアタンの頭を喰らいし者『ティアマット』。

 奴の腹の中に、僕らは飛び込む。

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