第214話 雨が降らないと地面は固まらない
「エクスペンダブルズでも来た?」
一階に着いた坂元の一言目だ。もしくはランボー、と続けた。
エントランスは変わり果てていた。白を基調とした洗練されたデザインだったはずなのに、いまや見る影も無い。床は砕け、柱は削れ、観葉植物は折られ、火気を使用しているはずもないのに煤や焦げ臭い匂いが漂っている。高級調度品であるソファは革が裂け、有名なデザイナーのお洒落な椅子は二度と座ることが出来ないバランスを保っていた。
「なんでスタローン縛りなのよ」
缶コーヒーのプルトップを開けながら、苦々しい顔でスセリが言った。
「最近映画の再放送を見たからだよ。・・・僕の協力者たちはどうした?」
くい、とスセリが親指を向けた先。そこには女子高生たちが背中合わせになってへたり込んでいた。
「業とか経験とか、そういう問題じゃない。攻撃力、耐久力、体力、速さ、純粋に身体能力が桁違い」
「これが世界トップクラスか・・・」
「出来る出来ないじゃない。無理」
呆然とした顔つきで、何かをぶつぶつと呟いている。どうやら、よほど酷い目に遭った様だ。
「あの子らに何したの?」
「ん? ちょっと力試しと特訓を兼ねてみた」
「私情に走った、という事は?」
「あるわけ無いじゃない。一応私も指導員免許持ちよ?」
嘘だ。指導員の立場で振舞ったなら、こんな廃墟みたいになるわけが無い。
じっとスセリの顔を半眼で見つめる。彼女のすまし顔に、一筋の汗が流れた。
「はあ」
「なんでため息をつくのよ! というか・・・」
スセリも坂元の方をまじまじと見つめた。
「そっちこそ、何があったの」
「何がって?」
「いや、ツッコミどころ多すぎでしょう」
「おいおい、話をすり替えようってのか?」
「すり替えもするわよ。何してんの十六夜・・・」
「ん?」
問われた本人は至極真面目な顔で、坂元にしがみついていた。坂元の首もとに両手をかけ、両足で彼の胴体を挟みこんでいる。
「子泣き爺にでも転職したの?」
「はっはっは。笑えるジョークだ。女の私に爺とは」
「そこじゃない。そこじゃないのよ」
頭痛に悩まされるようにスセリが額に手を当てる。
「気にするな。これまでの反動だ。辰真成分を補充しているだけだ」
心が離れていた分を、密着することで取り返そうとしているらしい。
「天才と馬鹿は紙一重と言うけど、間違いね。天才は馬鹿なんだわ」
「こいつの奇行は今に始まった事じゃないだろう。無視しろ」
「無視できない気もするけど、まあいいわ。で、そっちはどうなったの?」
「とりあえず、解任は撤回だ。・・・で、いいよな?」
「ああ。いいだろう。明日より通常業務に戻れ」
「はいよ。しかし、どうすっかね。貸与品は全部返しちゃったし、賃貸は解約しちゃったし」
住む場所はホテルを取れば良いとして、問題は作業道具だ。自分の荷物は今頃実家に向かっている。貸与品に関しては、ポート側の技術も使われているため、再び貸し出すには認可と本人に対するチェックが行われる。両方、どうしても二、三日かかってしまう。
「それなら問題ない。この会社の会議室Cを使え。あそこには一通りの設備が整っているし、仮眠室は社員なら誰でも使っていい。ジムもシャワールームも完備だ。臨時で雇い入れたと話を通しておく」
「会社で寝泊りか。社畜の匂いがするね」
「人聞きの悪い事を言うな。労働環境の健全化にはかなり力を入れている。残業するくらいなら帰って酒を飲めが社訓だ」
鷹ヶ峰系列の会社は、残業を推奨しない。いかに勤務時間内に業務を終えられるかを常に社員に考えさせる。これは作業効率化に繋がり、また社員の負担軽減にも繋がり、結局は利益に繋がっている。空いた時間で他のことが出来るからだ。
「僕の方はこんな感じだが、こっちのスセリがストレス発散のはけ口にしたと思しきエントランスはどうする?」
「今からポート側に連絡を入れ、突貫で修繕してもらう。妖精に修復が得意な部族がいただろう」
「妖精に要請か。洒落がきいてるね」
「要求される修繕費は洒落にならんのだぞ? スセリ、君にも一部負担してもらう事になる。いいね?」
「・・・はい」
とりあえず、これにて全ては円満解決、明日からいつも通りの日常が始まる。坂元はしがみついていた十六夜をおろし、へばっていた女子高生たちを起こす。
「大丈夫か?」
「私はまだ大丈夫。支援だけだったし。ただ」
彩那がぼろぼろの二人を振り返る。まだ立ち上がる気力も湧かないようだ。
「ふむ、大丈夫ではなさそうだな」
「まったく、割に合わないわ。どうして私たちがこんなに頑張らないといけないのよ。しかも唯の痴話ゲンカで、すぐ仲直りってどういうことよ。納得いかない。どうして大人の事情に振り回されないといけないの?」
「そう怒るな。君らの協力には感謝してる。今日は美味い物でも奢るよ。何が良い?」
現金なもので、この言葉は彼女らの耳に届いたようだ。
「私は寿司が良いでーす。回って無い奴で」
早速レスポンスがあった。莉緒は寿司に一票。
「待った、ここは肉でしょう。高級な肉。焼肉かステーキかしゃぶしゃぶ、すき焼きもあり」
瀬織が肉に一票。
「いっそのこと、両方連れてってよ」
まさかの彩那の答えに、二人とも「それが良い! それだけの働きをした!」と労働者の声を上げる。
「わかったよ。美味い寿司と、美味い肉が食えれば良いんだな? じゃあ、あそこか。いつものカフェ。あそこは何でもある」
三人の顔が強張る。いつものカフェとはつまり、あのマスターのカフェだ。
「心配するな。マスターは昔、銀座の寿司屋と赤坂の日本料理屋と三ツ星ホテルのレストランで修業していた人だ。その気になればいつでもミシュランで星を取れるような腕前だ」
坂元は続けたが、三人の顔は晴れない。味等について不安があるわけではないようだ。
「・・・そういや、妙な事を口走ってたな。マスターが何とか。君ら、マスターと何かあった?」
「え、いや」
三人は一様に口ごもる。自分では埒があかないなと判断した坂元は、スセリを手招きした。
「話しなさい」
「「「マスターに脅されてました」」」
一発だった。よほど彼女が怖いと見える。
「脅されてた? どういうこと?」
「実は」
彩那がこれまでの経緯を話す。喫茶店で坂元の解任についての話をしてたら、ポート側には十六夜が私情で解任したことが知らせれていなかった。このままでは彼女に不信感が募り、暴動が起きるかも、と。
「だから、私たちも引くに引けなくなって」
彩那が話し終えた時、大人たちは三者三様の顔をしていた。十六夜は笑いをこらえ、坂元は呆れ、スセリは顔をしかめていた。
「これは、あれだな。マスターにしてやられたかな」
坂元が肩をすくめた。
「だ、ね。やっぱあの人には勝てる気がしないわ」
スセリが苦笑する。彼らの反応を理解できない彩那たちは、自分たちが何かやらかしたのかとおどおどしている。そんな彼女らを安心させるように、十六夜が説明する。
「マスターが今回の件を知らなかったなんて、ありえないんだ」
「あり、えない?」
ああ、と十六夜は頷く。
「私がこいつの解任について真っ先に相談したのは、マスターだからな」
彩那は、足元がガラガラと崩れていくような錯覚に陥った。おそらく、他二人も同じ気分だろう。
「おせっかいを焼いてくれたんだろう。多分、あの人はここまでの結果を予測して君たちを関わらせたんだ」
「そんな・・・」
三人は言葉も無い。
「人が理解できないなんて、マスターには最も似つかわしくないセリフだ。あの人ほど、人への理解が深く、愛に溢れている人はいないというのに」
マスターの微笑が十六夜の脳裏によぎる。
「つまり、初めから全部、マスターの手のひらの上だったってこと?」
「私たちも含めてね」
そんなぁ。再び彼女たちは床に崩れ落ちる。嘆きが、廃墟に木霊した。
「気になることと言えば、辰真」
「なんだよ」
「お前もさっき、言いかけてたな。顔を会わせ辛かったのは、私のせいだと」
「ん、ああ。まあ、それはもういいだろう」
「いや、知っておきたい。私がお前に何をしたのか」
「だから、もういいだろ。今はこうやって顔会わせてるんだし」
「いや、ダメよ」
スセリが十六夜側についた。
「あんたが十六夜に会い辛いって口を割るまで、どれだけ高級酒が必要だったと思ってるの? それだけ出費したんだから、知る権利があるわ」
「なんだよ揃いも揃って。別段掘り下げるような話じゃないだろ?」
頑として、坂元は口を割ろうとしない。しばらく睨み合いが続いた後、「あ」と十六夜が手を打った。
「もしかして、あれか? 中学一年生の時の」
坂元が反射的に十六夜の口を押さえようとした、が、その前にスセリに捕まった。
「離せ! スセリ!」
「嫌よ。珍しいあんたの弱みっぽいし」
いやらしい笑みを浮かべて、スセリは坂元を羽交い絞めにした。坂元の慌てぶりをみて、十六夜も確信を持ったようだ。
「やっぱり、あれか。私が、お前の寝込みを襲ったからか」
真っ青になって坂元は崩れ落ちた。反対に、女子高生たちは興味津々で立ち直り、食いついた。
「その話、詳しく」
特に文芸部員が食いついた。彼女は幅広いジャンルを網羅していた。
「事件の後のことだ。辰真は一年近く入院することになった。怪我が治るのに数ヶ月、そこから失った体力と筋力を取り戻すためのリハビリに数ヶ月かかった。私の方は傷が完全に塞がるまで無理をしなければ、通常の生活に戻ることが出来た。退院し、しばらく休んだ後に、登校を再開した」
十六夜が登校すると、同じクラスの生徒たちに囲まれた。これまで遠巻きにして、少しも近づかなかった連中の心変わりに戸惑ったと言う。
「どうやら、私が誘拐された事が噂で広まったらしい。そのことで色々と聞かれた。まあ適当にあしらっていたんだが、騒ぎ立てる彼らの話はちょっと無視出来ないものを含んでいた」
彼らは、坂元が身を挺して十六夜を守ったことまで知っていた。年頃の生徒たちは、この話に沸いた。特に女子は、傷つきながらも彼女を守った坂元をナイトだなんだと誉めそやした。
「今でこそこんな引きこもりの無愛想なおっさんだが、当時は愛嬌があり、可愛い顔をしていたから人気者だった。女子人気も高かった。それがこの事件でさらに株を上げた。私の知らない間に、何人もの女子が見舞いに行っていたのだ」
十六夜は危機感を募らせた。実際彼女は他の女子が「食事のお世話してあげたい」だの「お風呂に入れてあげたい」だの「添い寝してあげたい」だのきゃあきゃあ騒いでいたのを聞いている。またその話の内容だけで済むとも思えなかった。女子だけに限らず、この年頃は性に興味を持ち始めるからだ。
「辰真を奪われる、私はそう思った。なので、私はあらゆる伝手を頼り、男を自分のものにする方法を模索した。そして行き着いた結論が『既成事実』だ」
当時のメイド長には世話になった、と遠い目で十六夜は語る。色々と教わったらしい。
「ある夜、私は病院に向かい、辰真の病室に忍び込んだ。そして、眠っている辰真の体に覆いかぶさり」
「もう止めてェえええええええええええええ!」
衣を裂くような悲鳴が坂元の喉から迸った。魂の慟哭だった。
「じゃあ、顔を会わせ辛い理由は、欲望のままに一夜を過ごしたから? 気まずくて会えず、それをこじらせて今まで続いてたっての?」
崩れ落ちたまま動かない坂元を、軽蔑のまなざしで見おろしながら彩那が言った。
「少年と少女、嫌だ嫌だと言いながら、最終的に快楽に負けて一晩中頑張るなんて、良いわぁ、そのシチュエーション、凄く良い。薄い本が厚くなるわぁ」
莉緒は恍惚の表情を浮かべながらも、ネタ帳に凄まじい勢いで何かを描き付けている。
「それで治りかけた傷口が開くとか再骨折とか、どんなよ」
欲望って怖いわぁ、と呆れたように瀬織が呟く。一年も長く入院した原因の半分は、多分欲望のせいだ。
「若気の至りだ。今思えばとんでもないな」
十六夜が両頬に手を当てていた。顔が赤い。話していて当時の光景を思い出したのだろう。その紅潮の原因は恥ずかしさのためか照れのためか、はたまた興奮か。
「だが、今の私に、あの頃のような純粋な真っ直ぐさがあれば良かった。そうすればこんな面倒なことにならずに済んだかもしれないな」
「同感よ。振り回されるこっちの身にもなってほしいわ」
「悪かったよ、スセリ。だが仕方ないではないか。年月は人を成長させるが、かつて当たり前のように抱いていた、そういう純粋さを翳らせる。埃がかぶっていくように、少しずつ見えなくなる」
「これからは、その埃を定期的に払うことね」
「そうするよ」
大切な物を、見失わないように。
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