第213話 生き甲斐
悲鳴が階下から聞こえたが、無視した。今の坂元に、他の件でかかずらわっている余裕はない。彼女たちなら大丈夫。きっと。絶対。
トースターが焼きあがったような軽い音を立てて、エレベーターが最上階に到達した。長い廊下の先に、目的の部屋がある。
「さて」
これから長い距離を走るランナーが如く、首や肩、足首を回しながら坂元は一歩ずつ部屋に近づく。
真正面に在る木製のドア、そのドアノブを回した。ガチャリと音を立て、吸い込まれるように内側へ開く。
室内は薄暗かった。二十畳ほどの広さがあるのに、電灯が照らしているのは一箇所っきり。スポットライトかと坂元は苦笑した。大金持ちの癖に、必要無い電気は消す。ある意味彼女の性格を現している。
「解任したはずだが?」
スポットライトの下、うず高く積まれた書類を処理していた彼女が、こちらをちらと見もせずに言った。突き放した物言いに意を介さず、坂元は明かりに近づく。
「不服申し立て、ってやつだ」
書類からようやく目を離し、十六夜は机の前に立った男を見た。
「一方的な解任反対について、僕の他三名ほどの署名が集まったんでね。提出させてもらおう」
「それはそれは。ずいぶんと集まったものだ」
「受理は?」
「するか。馬鹿」
彼女は手に持っていた書類を机に放り出した。
「お前の妹にも言ったが、撤回するつもりはない」
「知ってる。だけど、勝手にクビにしていいってもんでもないだろ?」
「人類側の人員雇用は、私が一任されている。つまり、私の一存でお前の一人や二人、勝手にクビにして良いんだ。一任とはそれだけの権限を有しているということだ」
「何の落ち度が無くても?」
「何の落ち度が無くても」
「とんだ暴君だ」
「だろう?」
見つめあい、互いに小さく笑う。
「お前こそ、何故だ?」
反対に、十六夜が問うた。
「何故、不服申し立てを。何故・・・戻ってきた」
坂元は凧と同じだ。風が吹けば舞い上がり、どこまでも空高く上っていく。どこまでも上る凧を、糸で繋ぎとめていたのが私であり、相談員という役職だった。それらがなくなった今、坂元は自由だ。今度こそ、どこまでも飛んで行けるはずだった。
「何故?」
坂元は十六夜の問いを鼻で笑った。
「決まってる。僕が、現時点で最も優秀だからだ」
「自惚れるな」
「自惚れもあるが、事実でもあるはずだ。現時点で、案件処理数は僕がトップだ。それによって繋いできた人脈の広さは、お前すら上回る」
「ふん、そうか?」
椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、つかつかと坂元の前に立つ。
「じゃあ聞くが。最優秀の相談員殿、お前は報告書一つまともに作れないのか?」
「おっと、そっちをつつく?」
「当然だ。私は管理者だ。成績も当然加味するが、きちんと最後まで仕上げる相談員が好ましい。雑な性格そのままに、詳細の『し』の字もないような報告書を上げてくるような者を、私は認めない」
ましてや、と十六夜は続けた。
「自分の怪我の報告もしないような奴は、報・連・相の基礎を叩きこまれた新人以下だ」
ぼす、と彼の胸板を指先で突く。
「わかってるのか。病院にかかる規模の怪我の回数は二十八回。自然治癒やその場での治癒で治る程度の傷は数え切れない。しかもその全てが報告に上がってない。私が調べて、巧妙に隠されていた情報を引っ張り出してカウントした結果だ」
「やれやれ。一体誰だ? 僕との約束を破ったのは」
「関係各所に口止めとは念のいった事だな。言っておくが、彼らに咎はないぞ。通常は報告すべき件だからな。お前が間違っているんだ。だからコレに関しては彼らの誓約に違反しない。大体だな、証拠や情報を隠匿するために執拗なまでの情報操作技術を、そのエネルギーを、どうして書類作成に活かせない」
だから私は認めない。認めてはならない。なぜなら
「このまま任務を続けたら、いつかお前は死んでしまう。それだけは許されない」
これが、蔑ろにしてきたツケか。坂元は、一階でスセリが言っていた事を思い出す。
「死なないよ」
「いいや。死ぬ。今までは運が良かった。運の良い所だけを見て、また、『優秀な相談員』の成果だけを見て、その裏を、そこで出た犠牲を・・・お前を、見ていなかった。私のミスだ」
「ミスじゃない」
「ミスさ。私に関わらせたことこそが最大のミスだった。私と関わらなければ、お前は自由だった。能力は顕現したかもしれないが、それでも普通に暮らせたのだ。苦痛の無い世界で人生を謳歌出来た。この十数年を無駄にせずに済んだ」
「無駄じゃないってば。僕がいなけりゃお前死んでたんだぞ」
「だからっ、それがっ」
「お前の命を守れたことが、無駄になるわけないだろ」
マシンガンのように言葉を続けて黙らせる。相手に、言葉に変換されそうになった吐息を飲み込ませる。
「勘違いしないでもらいたいんだけど。僕にとって、相談員は極めて都合の良い職だったんだ。任務が無ければ休みで、丸々一ヶ月休みだった時もある。なのに月三十万以上の給料が入り、プラス成功報酬が支払われる。学歴が不問なのも良い。僕は大学に、というよりも受験勉強が大嫌いだったからね。大学は学歴を得るところで、なぜ学歴が必要なのかといえば会社に就職するために必要な手形だから大学に行く。高額な資金と数年の勉強が続く苦痛よりも合理的で、昨今の新入社員より高給取り。十六夜と知り合って無かったとしても、僕はこの仕事を選んだ」
そっちこそ自惚れるな。坂元の指が、十六夜の額を弾く。
「自分のために僕が犠牲になっているなんて、思いあがりもいいところだ。僕は、極めて自己中心的な人間で、僕のために任務を請け負っていた。わざわざ僕の行動と心の裏を読んで一喜一憂するな。馬鹿」
「ば、馬鹿とは何だ! 私がどれだけ心配したと」
「馬鹿じゃなきゃアホだな。僕が無理をしてるのは自分のせいだ、とか、あの事件のせいで僕が後悔しているから自分の近くにいてくれる、とか、そんな悲劇のヒロインっぽいこと考えてたんだろ?」
「じゃあ何だ! 何故戻ってきた。何故近くに居た。私が近づけば『顔を逢わせ辛い』だのなんだの理由を付けて逃げるくせに、どうして開放してやろうといったら嫌がる! お前のことがさっぱり理解できない!」
「は?! 顔を逢わせ辛くしたのは・・・、まあ、良い。あれは覚えて無くても」
一瞬激昂しかかった坂元だが、言葉尻と共に冷静になる。
「なんで戻ったか。決まってる。さっきも言っただろう? 都合の良い職場なんだよ」
「目的は金か? あれでは足りんか? なら倍、三倍出す。それで満足か?」
「わかってねえな。金が全てじゃないの。生き甲斐ってやつだよ。適度な張り合いが無きゃつまらないだろ」
「じゃあ復帰は認める。別部署の、別地域」
「あのな、母国語以外喋れないっての。海外に放り出すって鬼かお前は」
「じゃあ何なら良いんだ!」
ここだよ。と坂元は指を下に向けた。
「ここが良いんだ。お前の近くが、一番丁度良いんだ」
「・・・答えに、なってない。意味がわからない」
生き甲斐だよ、ともう一度答えた。
「僕にあったのは後悔じゃない。生き甲斐だ。良い女を守って、これからも守り続けてるっていう自己満足だ。だから、頼むから、頼むから僕から生き甲斐を奪わないでくれよ」
な? 坂元の手が、十六夜の頭を撫でる。過去に一度だけ、こうして泣いている彼女を撫でた事がある。泣いたのを見たのは、あの時以来二度目になるだろうか。病室で、怪我だらけの自分を見舞いに来た、病院服の彼女。ごめんなさいと泣きじゃくる彼女に精一杯手を伸ばし、涙をぬぐい、頭を撫でた。
「子ども扱いするな。私はもう、アラサーだぞ」
俯いたままの十六夜に、ぴしっと手を撥ね退けられた。
「悪い」
「さっぱりわからん。お前の言うことは。言葉が少なすぎて支離滅裂だ。理路整然じゃない。理屈に合わない」
「言葉が少ないのはスセリにも怒られたよ」
「理解してほしいのなら、もっと話せ。いつもそうだ。私ばかり喋って、お前は何も話さん」
「それは僕のせいかな? そっちが喋る暇を与えてくれなかったからだろ?」
「そこは察せ。久しぶりに逢ったら積もる話は全部話したいのが乙女の性だ」
だから、今日はお前の番だ。
「話せ。もっと話せ。お前は言葉が足りない」
「さっきも言ったな」
「甲斐性もない」
「うるさいな」
「すぐ口答えだ。昔はもっと可愛かったのに」
「お互い様だろ」
「馬鹿言うな。十五年前と変わらぬ姿の私に」
「中身は立派なおばさんだ」
「私がおばさんならお前はおっさんだ」
「地味に傷つくな」
「おっさんおっさんおっさん」
「やめろっつの。話してほしいんじゃないのかよ」
「そうだ。話せ。話しながらいままで積もり積もった私の不平不満を聞け」
「無茶言うなよ」
「並列処理くらいこなせおっさん」
「努力するよ」
「そうだ。努力しろ。後これからは無茶をするな。全部話せ。相談しろ。社会人の基本だ」
「一応、努力する」
「絶対だ」
ちょっと良い雰囲気になった。まさに今抱き合うか、と思われた瞬間、ビルがちょっと揺れた。
「地震か?」
十六夜がパソコンに駆け寄って調べる。だが地震速報はでていない。なんだったんだろうと首を傾げる十六夜を余所に、坂元は気づいた。
「まずい。忘れてた」
「何をだ」
「下で、スセリと愚妹たちが戦ってた」
「・・・なんでそんな重要なことを忘れてるんだ。ビルが倒壊したらどうしてくれる!」
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