第212話 リスクマネジメント

 彩那が坂元から指定された合流場所は、T-Corp本社ビルの前だった。当日、全く連絡が無いため坂元の部屋に尋ねてみたら不在、どこに行ったのか、まさか挨拶回りに言ってしまったのかとやきもきしながら捜索すること数時間。「手伝ってくれ」と連絡があった。どうやら、一人で話を付けに行くつもりだったようだ。莉緒、瀬織に連絡し、合流場所に向かった彩那は、顔をしかめざるを得なかった。

「なんつうカッコしてんのよ」

 普通、社会人ならこういうときスーツとか、誠意を見せるための格好をするものではないのか。なぜいまだに南国気分なのか。

「仕方ないだろう。全部引越し先に送ったんだから。残ってんのは旅行先の着替えくらいだ」

「それにしたって挨拶回りがあるんだから」

「人間の服装の習慣なんぞ知ったこっちゃない連中ばっかりだったんだよ」

「相手が知らないからってこっちが礼儀を失するのは違うでしょうが」

「は? 礼儀をお前に説かれたく・・・」

「何だとこの野郎・・・」

 喧嘩に発展しかけたので、莉緒と瀬織が割って入る。

「で? 実際私たちを呼んだ理由は? 一人で行くのが怖いからついてきて、なんてタマじゃないでしょ?」

「いや、そんなとこだ」

「え? 嘘でしょ?」

「嘘なんかついたってしょうがないだろ。怖いもんは怖い」

「はっ、いい大人が謝るのが怖いっての? 今更恥の一つや二つ」

「いや、恥なんぞ幾らかいたって構わないよ。失うモノも無いし。ただ、ちょっと物理的というか心理的というか、僕にとって恐怖の象徴がいるもんで」

 くいっと坂元は親指である方向を示した。三人はそのライン上に視線を向ける。


 スーツ姿の鷹ヶ峰の秘書が、エントランス中央に陣取り、笑顔で手を振っていた。


「・・・どういうこと?」

 彩那よりも、秘書の妹が頬を引き攣らせながら坂元に詰め寄った。

「ああ、うん。流石にアポイントも取らずに行くのはまずいかな、と思ったんだ。行き違いになっても困るし。そしたらあいつ、スセリが出て」

 

『社長は六時以降なら社におります。が・・・来ると言うなら、私はあんたを殺す』


「・・・そこで電話が一方的に切れた」

 それを聞いた瀬織が、天を仰いだ。

「何で?! 何で姉さんが辰真さんの敵になってんの?!」

「あいつは僕の事を嫌っている」

「なんでここいらで敵に回したら一番厄介な人に嫌われてんの! 高校からの知り合いでしょ!」

 瀬織が頭を抱えた。そんな時、彼女の苦悩をあざ笑うかのような、軽快な電子音が鳴り響いた。彼女のスマートフォンだ。取り出すと、発信者はスセリだった。四人はエントランスにいる彼女を見やる。耳元にスマートフォンを当てる様すら出来る秘書っぽいが、電話をかけられた相手としては不安しかない。瀬織は恐る恐る画面を操作し、スピーカーに切り替える。

『早く来なさい』

 ブツッ ツー ツー

 端的な指示のみ。それがさらに恐怖を煽る。

「・・・というわけで、行こうか」

 わかりやすいくらい明るい声で、坂元は言った。

「もともとそのために来たんだし、君らも協力してくれる、だろ?」

「やだぁーっ! 話と違うぅーっ! 姉さんが敵なんて聞いてないぃーっ!」

 瀬織がダダを捏ね始めた。

「いや、瀬織ちゃん。いくらお姉さんが怖いからって、ここで引き返したらマスターが待ってるよ?」

 莉緒が彼女の背中を押し、入り口に近づける。

「それにほら、家族なんだから。手心を加えてくれるって」

「姉さんにそんな優しさがあったら、今頃幸せに結婚して子どもが二、三人いるわよ!」

 本人に聞かれたらまずい事を口走った。パニックのあまり抑えてきた本音が駄々漏れている。

「なんでそんなに怖がるのよ」

 前から、彩那が瀬織の腕を掴んで引き摺る。

「幾らあなたと同じ格闘技? の使い手だからって。マスターみたいな人外じゃあるまいし」

「その人外と互角以上に戦うのがうちの姉さんなのよぅ!」

「いやでも、あなただって同じ業使うでしょう?」

「私と姉さんの実力じゃ天と地の差があるの! 三蔵の当代って伊達じゃないの!」

 まだ駄々を捏ねる瀬織を、二人がかりで連れて行く。自動ドアをくぐり、社屋に入る。エントランスは昨日の喧騒とは裏腹に静まり返っていた。誰もいないのだ。

「いらっしゃい」

 穏やかな声が、吹雪と共に三人に降りかかる。いや、吹雪は錯覚だ。屋内で吹雪くなどありえない。けれど、三人は極寒の雪山に放り出されたような感覚を味わった。間違いなく、目の前の相手から発せられるプレッシャーだ。

「電話で忠告はしたわよね」

 三人の後に続いて入ってきた人物に、スセリが言う。

「聞いたよ」

「でも来たって事は、死ぬ覚悟が出来たって事ね?」

「出来るかそんなもん」

「あら、じゃあ私が冗談を言っていると?」

「いや、あんたはこういう冗談は言わないのは良くわかってる。わかんないのは、何でそんなにキレてんのってこと」

「・・・は?」

「あんたが僕の事を嫌いなのは知ってる。だが、嫌いな理由が未だによくわからん。生理的に受け付けないってんなら諦めもつくが、ごく稀に飯に誘ったりしてもらえるからそこまでじゃないんだろう。じゃあ何だと考えても、さっぱりわからん。良い機会だから聞いとこう。あんた、何で僕が嫌いなんだ?」


 ピシ


 ガラスが軋んだ。空気が張り詰めていく。

「なんで嫌いか、ですって?」

 スセリが笑う。

「あんたが、十六夜を傷つけるからでしょう!」

 びりびりと、彼女の怒声が坂元たちの鼓膜を振るわせる。

「あんたたちの事は聞いたわ。あんた、死ぬ思いしてあの子を守ったんでしょう。でも、だからこそ気づいてあげてよ。あんたが命がけで任務についてる間、あの子がどれだけ怖かったか。あの子の頭の中は、その度に過去に戻される。あんたが死にかけた映像がフラッシュバックするのよ。あの子が怖いのは、あんたが傷つくことなの」

「・・・嘘だろ。あいつが?」

 初めて、坂元が動揺した。

「嘘なんかつかないわ。あんたには見せないようにしてたみたいだけど。あんたの任務の報告や詳細は、しつこく後追い調査いれてたわよ。で、その報告が上がってくるたびに一喜一憂してた。無茶してやしないか、怪我隠してやしないか。あんたは親切で任務内容とかはぐらかして報告してたつもりみたいだけど、全部逆効果よ。あの子を心配させる種にしかならなかった」

 気遣いが完全に裏目にでる。悪意よりも、善意からくる害のほうが厄介なパターンだった。

「あんたはあの子と向き合わなかった。互いの思いの行き違いが積み重なって、今に至るの。逃げずに、あの子ときちんと話し会えば、こんな話にまでいかなかった。あんたのせいよ。間違いなく。私の親友を蔑ろにするような男を、嫌わないわけないでしょうが!」

「・・・蔑ろにしたつもりは、ないんだけどね」

「自覚が無いからなおの事腹立たしいわこのダメ男!」

 坂元は苦笑して肩をすくめるが、近くの女子高生三人組にも蔑んだ目を向けられているので、ああ、これが世論かと自分の非を認める。

「僕が悪かったのは、良くわかった」

 だから、と坂元は怒りに燃えるスセリの目を見返した。

「これから謝りに行くよ。平身低頭、誠意を持って。だから、そこを通してもらう」

 彼の目を見て、スセリも何かを感じ入ったのだろう、怒りの熱を収める。

「さっきも言ったわ。通さない、って。それでも来るなら殺す、とも言ったわよね?」

「ああ、聞いた。その上で、言うぞ。そこを通してもらう。・・・違うな。死んでも通るぞ。十六夜に会わせてもらう」

「その意気や、よし」

 にい、と彼女の顔に三日月形の亀裂が走る。

 熱の代わりに、氷の刃のような、殺意が前面に押し出される。相対するだけで、体力や精神力を根こそぎ持っていくかのようだ。坂元の額から汗が流れ落ちる。エントランスが無人な理由が判明した。ここで戦う気なのだ。だから全社員を定時前に帰らせて無人にした。

「・・・よし」

 覚悟が決まった坂元は、額から汗を流しながら言った。

「頼んだぞ」

 ポンッと気軽に。

「「「・・・は?」」」

 責任を女子高生たちに押し付けた。

「は? じゃないよ。君らの出番だ。あの獰猛な女を死ぬ気で押さえ込め」

 マジかこいつ、という目で三人は坂元を見た。すがすがしい笑顔を、坂元は返してくる。マジだ、と三人は確信した。初めて彼女たちは、大人の汚さを見た。

「辰真」

 スセリが坂元に向かって何かを滑らせた。パスケースだ。

「私のカードキーが入ってる。それで十六夜のいる部屋まで上がれるわ」

「・・・良いのか?」

「流石に、鍵が無いから会えません、ってのは卑怯かなと思ってね。RPGでも魔王城には入れるものでしょう?」

 彼女なりのルールがあるようだった。十六夜に会うための障害は自分だけ、ということだろうか。怪訝に思いながらも、坂元は足元のパスケースを拾う。

 屈んだ坂元を影が覆う。視線だけを上げると、目の前にスセリが覆いかぶさるようにして存在した。坂元が意識を外したその一瞬で、彼女は一足飛びに間合いを詰めていたのだ。拳は既に振り上げられ、振り下ろされるのを待っている。


 死んだ。


 逃れようの無い運命が目の前に存在した。特殊能力を有しているとはいえ、坂元は身体的には通常の人間とほぼ変わらない。むしろ、引きこもり生活の方が長いので劣っている。避けようがない。

 だが、坂元とスセリの間に、影が割って入った。莉緒だ。腕を変化させ、盾のように前面に掲げている。

「良い反応ね」

 スセリが笑い、拳を振り下ろした。

「ぎっ」

 隕石が降って来たのかと錯覚するような衝撃だった。受けた腕だけじゃない。体を伝って、踏ん張っていた足の方向につき抜けた。ピシ、とリノリウムの床に、かかとを中心として放射状の細かいヒビが入る。しかも、スセリはそこから押し込もうとする。

 ―嘘でしょ!

 声も出せずに莉緒が焦る。スセリの打撃は、一番効果がでるのは坂元に当たる瞬間に設定されていた。そこでインパクトが出せるよう、腕の長さ、移動距離、踏み込みの深さが計算されていた。莉緒はその手前で彼女の打撃を受けた。最大威力の前、腕がまだ伸び切る前だ。なのにこの威力で、ここから莉緒と坂元、二人まとめて押し潰そうとしている。圧力に押され、踏ん張っていたはずの体が仰け反る。押し切られる、そう歯噛みした時

 スセリの斜め後方から、瀬織が突っ込んできた。死角からの、最大、最速の一撃に瀬織は賭けた。全ての型の基礎。筋肉や骨格のつき方を理解し、可動域を理解し、全身の動きとエネルギーの伝達経路を理解して、動きの無駄を省き、エネルギーの無駄を出さず、全てを打撃点に集約させる。物理法則を掌握して、物理法則を超える。極めれば龍を屠り宇宙船に風穴開ける一撃。それが須佐の型その一、崩穿華。

 真正面から挑んでもまず勝てない。苦手意識や身内贔屓を取っ払って客観的に、冷静に考えてもまだ自分は姉の領域には届かない。ならば奇襲。相手の意表を突き、想像の範囲外からの一撃。想像していないという事は、頭の中で対策を練るまでにわずかながら時間がかかるという事。雲耀ほどの時間であっても、崩穿華が相手に届くまでには充分な時間だ。

 当たる、瀬織は確信した。いかに姉とはいえ、攻撃の最中は無防備、防御はおろそかになる。不可避、そう思われた。

 体勢を崩したのは瀬織の方だった。打ち込む寸前、嫌な気配を感じて体を仰け反らせた。気配は果たして、スセリの長い足だ。それこそ瀬織の視覚外からの奇襲。ボクシングのフックのように、曲線を描いて下から弧を描き迫っていた。

 ―予測してたっての!?

 舌打ちしながら瀬織は体勢を立て直す。

 円軌道の蹴りと直線軌道の突きで、速さで突きが負けるわけが無い。彼女が収めた業の中でも最速の打撃業ならなおさら。ならば答えは一つ、このタイミングを逃さずに瀬織が攻めるであろう事を『予測』し、意識レベルから先手を打っていた。そう動くようにスセリに操られていたのだ。

 見透かされていたとはいえ、隙が生まれたのもまた事実。隙は、防戦一方だった莉緒を動かす。彼女はすぐさま腕を動かし、坂元を掴み上げ

「行って!」

 サブマリンも驚きのアンダースローで投げた。オーバースローでは坂元が着地できると思えないし、スセリに落とされる可能性もあった。

「どおおおおおおおっ!」

 地面スレスレを坂元は飛び、アロハシャツを焦げ臭くしながら床を滑ってエレベータードアに衝突した。パスケースを持っていた手が上手くカードリーダーに当たり、反応。ドアが開く。

「通さないってば」

 追おうとするスセリだが、急ブレーキをかけ、手のひらを体の側面に突き出した。予定調和のように、瀬織の蹴りが手のひらに収まる。動きを止めたところへ、背後から莉緒の腕が伸びる。もう片方の手を添えて受け流す、が、エレベーターと自分との間を瀬織が塞ぐ。前後を瀬織と莉緒に挟まれ、対峙する。その間に坂元が腰を抑えながらエレベーターに乗り込んだ。ドアが閉まる。無理すれば閉じ切る前に押さえられるが、設備をなるべく壊したくないので諦めた。

「あーあ。通さないってほざいて、すぐに通過されるなんて、カッコ悪」

 スセリがワザとらしく肩を落とした。

「それは嘘、じゃないですか?」

 これまで刹那の攻防を見守ることしかできなかった彩那が言う。

「嘘?」

 スセリが彩那に視線を向けた。そして、今しがた相対した二人が、自分の想像以上に良い動きをしていた理由に思い至る。坂元と同じく、彼女は人を操れる。操るというのは、意思を奪える事と同時に、相手が無意識下で設けているリミットを外せるという事。スポーツの応援で選手がいつも以上の力を発揮する、それ以上の効果を、彼女は二人に与えていたのだ。

「何だかんだいいながら、三蔵さんはあの二人を仲直りさせようと思っていた、そんな気がしましたから」

「んー、辰真のことを嫌いなのは間違いないんだけどね」

「そこは、私も同じです。でも、合理的に考えても、今回の話は撤回した方が良いと思います」

「自分のために?」

「はい。自分のためです」

 そっか、とスセリは苦笑した。

「ルールを変えるわ。私は、これからカードキーをそこの無人の受付から取って、奴の後を追う。追いついたら追い出す。それが嫌なら、私を止めな」

 ええー、と瀬織が非難の声を上げた。

「姉さんだって仲直りして欲しいなら、戦う理由ないじゃん!」

「馬鹿。私にだって立場というものがあるのよ。悪役は悪役を最後までこなすの。それに・・・」

 スセリは瀬織の方を向いた。

「私って、優しくないんだもの。ねぇ?」

 瀬織が真っ青になった。外での会話が聞こえていたらしい。

「ちゃうねん」

 思わず出身でもないのに地方の方言で言い訳した。

「誰が、優しければ今頃結婚して子どもいるって? 幸せな家庭築いてるって? ああそう。私が優しくないから、男に逃げられ続けてるって言うのね?」

「今いるじゃん! クウさんいるじゃん! そんな姉さんを受け入れてくれる理想の男性いるじゃん! だいたい逃げられるのは優しさ以前の問題というか勝手気儘な性格が原因というか普段の残念っぷりが酷すぎというか・・・」

「「あ」」

 莉緒と彩那が唖然とした表情で瀬織を見た。瀬織も失言に気づき、口を閉ざした。が、遅かった。

「・・・そう、なるほどね」

 底冷えのする声が、床に落ちる。霜が降りないのが驚きの冷え込みだ。

「お姉ちゃん、頑張っちゃうゾ♪」

 さっきまで手加減されていたという事を、彼女たちは身を持って思い知る。

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