第208話 商取引

 善は急げと言いますし。そう話すマスターに半ば強制的に鷹ヶ峰十六夜へのアポイントを取らされた。瀬織が姉に電話をかける。

『・・・三人の意思統一の結果、と受け取って良いのよね?』

 少し低めの姉の声に若干怯えながらうん、と返答する。隣には聞き耳を立てているマスターがいて、余計な言い訳は出来なかった。自分の事は話すなと事前に釘を刺されたからだ。

「三蔵家の当代を敵に回すと少々面倒ですから」

 前門の虎、後門の狼とはまさにこのことだ。姉からの返答を待つこと数秒。その間もスマートフォンを握る手は汗が滲み、滑り落としそうになっていた。

『わかった』

 ため息と一緒に出したような声が返ってきた。

『前に言ったと思うけど、十六夜の都合が最優先だからね。無理なときは諦めなさい。後・・・』

「うん。わかってる。可能な限り迷惑かけないようにする」

『ん。じゃあ、あの子に確認するから』

「うん。・・・姉さん、ありがとう」

『礼はいらないわ。どうなるのかわからないのだし。ただ、実行するからにはきちんと、最後まで責任持ってやりなさい』

 じゃあね、と電話が切れる。ふううう、と大きく息を吐きだし、瀬織がスマートフォンを耳から離した。

「これで良いわよね?」

 ニコニコ顔のマスターを見上げる。

「ええ。問題ありません。ですが、ここがゴールではありません。スタートです。きちんとゴールし、結果が出なければ、あなた方の努力は無意味で無価値です。わかりますね?」

 三人は神妙な顔で頷く。

「宜しい。良い結末、良い報告をお待ちしております。ああ、今日は私の奢りですので、お支払いは結構です」

 またのお越しを、お待ち申し上げております。綺麗なお辞儀に見送られ、三人は喫茶店を後にした。


「引くに引けなくなっちゃった、ね・・・」

 喫茶店を出る頃には、辺りは暗くなり始めていた。入店した時よりも暗い顔で、三人は互いの顔を見比べる。

「思考を切り替えよう」

 暗い顔の莉緒に、彩那が言った。

「踏ん切りがついてよかったと思いましょう。私としても、このままで良いのか、という気持ちがなかったと言えば嘘になるし」

「そりゃそうだけど、図らずも、この国の平和を担うことになっちゃったんだけど」

 まさか、たかが解任の人事が秩序の崩壊に繋がるとは思いもよらなかった。

「別のプレッシャーが半端ないわよね」

 瀬織の表情には疲労が滲んでいた。彼女たちにとっては初めての重圧。絶対に失敗できない、という言葉が頭に付く任務だ。もちろん、これまでの任務であっても失敗できないし、しなかった。だが、失敗した場合のリスクまであまり考えずに来れた。それは、坂元たちが彼女たちの心理的負担を軽減するように情報をコントロールし、最悪の場合に備えて幾重もの策を巡らせ、責任のケツをもっていたからだ。

 しかし今回の任務に坂元はいない。全て自分たちで考え、行動しなければならない。そう、彼女たちはこの任務に関して『大人』にならなければならないのだ。

 軽快な着信音が鳴り、背水に立つ三人はシンクロしたように体をびくりとさせた。

「あ・・・、姉さんからだ」

 瀬織のスマートフォンに、メールが届いていた。開き、三人は小さな画面を除き込む。


 ―明日十八時。T-Corp本社ビル最上階に来なさい。受付には話を通して置くから


 三人の覚悟が固まる前に、事態は周囲を固めていた。


 翌日、三人は示し合わせてT-Corp本社ビルに足を踏み入れた。三人一緒で良かったと彩那は思う。天を衝く高いビルの威容が、洗練された内装が、足早に目の前を過ぎ行くビジネスマンたちが、自分たちを排斥しようとしている。そんな錯覚に襲われたためだ。本当はわかっている。行きたくない気持ちに何やかや理由をつけて、逃げようとしている。

 指示された通り受付に向かうと、丁寧な説明と共にカードキーを手渡された。改札にカードを当てて、エレベーターへ。乗り込み、階層ボタンの下にあるカードリーダーにカードキーをかざして解除する。最上階にはこの方法でしか入れないそうだ。エレベーター内には当然のように監視カメラ。聞いた話では人感センサーも備えられており、熱源や加重によっても反応する作りとなっているそうだ。それだけのセキュリティが備えられていることに、嫌でも理解させられる。この先に待つのは、世界有数のVIPがいるということを。

 エレベーターを降りた先には、パンツスーツ姿の凛とした女性が待ち構えていた。

「来たわね」

「姉さん」

 こんなにパリッとした、仕事モードの姉を見るのは初めてだった。いつもはだらしないか、もっとだらしないかだ。こんなに格好良いなら、家でもこの調子で居て欲しいもの・・・

「・・・あんた何か、失礼なこと考えてない?」

 射竦められ、瀬織は慌ててクビを横に振る。まあいいわ、と追求をやめる。

「ついて来なさい。社長がお待ちよ」

 踵を返し、颯爽と歩く姿も様になっている。その様子はまさに出来る秘書を体現していた。どうして、どうして家ではあんななのか、瀬織は不思議でしょうがなかった。


「やあ、いらっしゃい。喫茶店で会った、あの時以来だね」

 通されたのは社長室の隣にある応接室だった。いかに身内やその友人とはいえ、重要な書類などが山ほどある社長室に入室させるわけにはいかなかった。たとえ彼女たちが何の悪意も持たず、またそんな気は無かったとしても、彼女たちの目に映った情報は記憶として脳の中に残される。そして、その記憶を探る事が出来る能力の存在が確認されている。彼女たちに罪はないし疑惑もないが、リスクがある以上入室は許可出来なかった。

「座ってくれ。今、お茶を用意しよう」

 十六夜手ずからカップにお茶を注ぎ、三人の席の前に並べる。ぎこちない動きで、三人は「失礼します」と席に座る。

「そんなに緊張するな。獲って喰いはしない」

 苦笑を浮かべ、自分もお茶を持って彼女たちの向かいに座る。

「・・・こ」

 真ん中に座る彩那が口を開いた。

「こ?」

「この度は、私どものために貴重なお時間を割いて頂き、ありがとうございます」

 綺麗な所作で、頭を下げた。両隣の二人も倣って、お辞儀をする。

「うん。気にしないで。でも、申し訳ないがあまり時間はないんだ。早速本題に入ろう。君たちが来た理由については、スセリからの連絡で知っている。辰真を解任した理由だな?」

「はい。これまで彼の元で任務を受けていたものですから、突然の解任には驚きを隠せませんでした」

「ああ、それについては申し訳なく思う。現場を混乱させるなど、経営者としては恥じるべき行為だ。以後このような事がないよう努力する」

 しかしだ。と十六夜はお茶を一口すすった。

「君たちの混乱と、辰真の解任の理由については、また別問題ではないだろうか? 確かに混乱させてしまったが、すぐさま引継ぎは完了させたと認識している。そうだろう? スセリ」

「はい。二人の所属が私の管理化に代わっただけですので、何も問題はないかと。二人には、これまでどおり遅滞無く任務を全うできるようサポートで切る体勢を整えております」

 仕事モードのスセリが答える。満足そうに十六夜は頷いた。

「『君たち』の問題は、解決している。なぜ、坂元辰真の解任理由を知りたいんだ? こう言ってはなんだが、君たちには関係のない事ではないのかな?」

 ここからが正念場だ。彩那は唇に舌を這わせ、湿らせる。

「いえ、恐れながら、関係があります」

「・・・ほう」

 理由を聞こう。十六夜は前のめりになり、両太腿に両肘を乗せて手を組んで、顎を乗せた。彼女が何を言うのか、楽しげに待つ。

「私は、まだ会社員になった事はありません。けれど、突然理由も無く解任されれば不安になります。自分の何が悪かったのかと。そして、こうも思うでしょう。会社は、理由も無く人の人生を狂わせるのか、と」

 ピクンと十六夜の片眉が跳ね上がる。

「ふむ、もし君が辰真なら、私に不信感を抱くと考えているんだね?」

「それだけではありません。その解任を知った人々もまた、あなたに不信感を抱くのではないでしょうか」

「比良坂さん、あなたね」

 さすがに無礼ではないかと反論しかけたスセリを、十六夜が制止した。納得いかないまでも引き下がったスセリを見て、彩那は言葉を続けた。

「私は、鷹ヶ峰さんのことをよく知りません。あと・・・正直良い感情を持ってもいません。けれど、伝え聞く話から推察できる鷹ヶ峰さんの像と、今回の人事から見える像とはイコールにならない。私が聞いた話では、あなたは優れた経営者です。だからこそおかしい。坂元辰真は、口は悪いし性格も悪い、正直好かれる要素が皆無に近しい男ですが、これまであらゆる任務をこなしてきた男です。大きな失敗をしでかしたわけでもない、ましてや何か悪事を働いたわけでも、反逆を計画していたわけでもない。経営者のあなたなら、切る必要のない男だったはずです。その男を切るということは、何かしらの理由がある。あなたの逆鱗に触れる、とか。だから知りたいのです。私が切られたくないから」

 十六夜が目を丸くした。

「もしや、君は辰真が私に何かしたから、解任されたと?」

「はい。その可能性を考えました。私は彼の二の舞になりたくない。自由はもうすぐそこなのに、追加の刑期とか本当に勘弁してもらいたいのです。じゃあ、相手が嫌がる事をあらかじめ知ってたら、どんなことで失敗したかを知っていたら、私が解任されるリスクが減らせます」

 すっと、彩那は大きく息を吸った。

「私は、私のために、彼を解任した理由を知りに来たのです。今後も快適に更生ライフを送るために。それに、天下の大財閥を敵に回したら、将来にも影響しますからね」

 十六夜の笑みが深くなる。口を三日月形に開いている。

「面白い。私の想像を超えてきたね。てっきり辰真が可哀想だからとか、そういう理由かと思っていたよ」

「それは、多分通用しないと思っています。だってあなたは経営者だから。時に非情な決断を下したこともあるんじゃないかな、と。なら、理屈の方がまだ良いんじゃないかと」

「理屈、うん。良いね。好きだよそういう考え方。だが、まだ足りないな。今のは君が利となる理屈だけだ。私にとっての利は何かな? それが無ければ考える余地すらないよ?」

「あなたの利は、私」

 そこで彩那は両隣にいる二人に交互に視線を向けた。二人は彼女の視線に頷きを返す。

「私たちです。私たちの価値を天秤にかけてください」

「君たちの価値?」

「はい。三蔵瀬織さんの実力は既にご存知かと思います。その彼女と互角に渡り合える手鹿莉緒さん。そしてあなたが解任した坂元辰真と同じ能力を持つ私。しかも伸び盛りの能力者です。わざわざ手元にあるのに、切る歯目になったらもったいないと思われませんか?」

 人の奥の奥まで見通そうとするかのような十六夜の目を、彩那は覗き込んだ。

「・・・もしそれでも私が君たちの提案を拒否したら、今度は君たちが私を切る、かな?」

 彩那はわざとらしく大きなリアクションをとって「そこまで考えもしませんでした」ととぼける。

「でも、そうですね。もしそうなったら、以前の私に戻ってしまうかもしれませんね。いや、以前ではありませんね。既に私は、あなた方の事を知っている。情報を得ている。今度はやすやすと捉えられません。そしてその時には、こちらの二人も一緒にいるかもしれません」

「君にはまだ首環が填まったままだと記憶しているが。その点は大丈夫かな?」

「ご心配なく。なぜ心配要らないかは、あなたの方が良くわかるのではないですか?」

 以前マスターから聞いた首環の拘束力のことを匂わせる。彼女の信頼、信用を失墜させることが出来ると思わせる。もしかしたらこれでマスターの関与を察知されるかも知れないが、そこは作戦上仕方なかった。さあ、これでどうだ、と彩那は十六夜の反応を待つ。

 ぽたりと手に何か当たった。一瞬視線を下に向けると、水滴があった。自分の顎から滴ったものだと理解し、それほど汗をかいていたのだと気づく。冷静なフリをしているが、体は正直だ。心臓は早鐘を打ち、汗腺から嫌な汗が滴る。

 しばらく考え込むように黙っていた十六夜が、手を叩いた。

「やはり、兄妹なのだな。度胸があって、口が上手い。スセリ。見たか? 彼女、この私を脅迫して来たぞ」

「脅迫されたのを喜ばないでください」

 楽しそうな十六夜とは裏腹に、スセリは呆れ顔だ。

「比良坂さんも、言動には注意しなさいよ。社長は性格がこんなだからあんまり気にしないけど、他の人に聞かれたら一発で拘束されるからね。もし私が真に受けてたらどうするの? 私なら、あなたに操られる前に命奪えるわよ?」

「そこは、二人に止めてもらうしかないかな、と。その間に鷹ヶ峰さんを抑えられれば、切り抜けられるかな、なんて考えてました。最悪の場合の、出来れば使いたくないプランですけど」

「へえ・・・」

 スセリの目が細まる。舐めるように彩那の隣にいる実の妹と莉緒を見た。

「信用されているのね、二人とも」

 二人の背筋が凍る。見られている二人は、蛇に睨まれたカエルと化した。

「スセリ。その辺で。彼女らが私を害するつもりなどない事は、既にわかっているだろう?」

 酷く楽しそうなスセリを引き戻し、十六夜は居住まいを正した。

「わかった。君たちの要求を飲もう」

「では」

「うん。解任理由を話そう」

 大した話ではないぞ、と前置きして、十六夜は過去を振り返る。

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