第203話 解任
『新しい出会いがあるかも?』とか言っていた朝の占いどおり、新しい出会いをした日の夜。風呂上りの彩那が部屋に戻ると、スマートフォンが震えていた。マナーモードのままだった。湯気が昇り湿り気を帯びた髪をタオルで拭きつつ手に取ると、莉緒からの着信だ。
「・・・もしもし?」
『会長! 大変! さっき瀬織ちゃんから電話があったんだけど・・・』
莉緒の悲鳴に近い声から生まれる言葉の羅列を聞いているうちに、そういえば占いでは『予想外の展開に見舞われるかも』と言っていたのを思い出した。
翌日が休日で良かった。彩那は莉緒、瀬織と連絡を取り、坂元の部屋に向かった。一階でエレベーターを呼ぶ。定員数が六名と謳いながら、四人も乗れば息苦しさを感じそうな狭い個室は、壁と床一面に養生シートがぎっしりと張り詰められていた。荷運びでぶつけた時に出来る傷を防ぐためのものだ。その映像は彼女たちの不安をさらに煽る。
目的の階層に到達した時、既に作業は始まっていた。狭い廊下に沢山の荷物が運び出されており、作業服に身を包んだ男性数名が汗をかきながら部屋と廊下を往復している。彼らの作業の隙間を縫って、目的の部屋に辿り着く。
物が溢れかえってごちゃごちゃだった部屋が、すっきりしていた。
「いやいや、すっきりし過ぎでしょうよ・・・」
靴を脱ぎ、ずかずかと中に入る。この部屋の主たる男は、ベランダに出てのんきに外の風景を眺めていた。
「どういう事?」
彩那の声に気づいた坂元が、手すりから身を離して振り向いた。
「これはどういう事なの? 一体何してるの?」
「どうもこうも。ただの撤収作業だ」
「あのね、私の意図を分かっててわざととぼけた答えを返すのはやめて。時間の無駄よ」
「時間の無駄っていうのは、お前がここで僕が撤収作業をしている理由を既にわかっているのにわざわざここまで足を伸ばして、素直に答える気のない僕に決まりきった質問することさ」
相変わらずの口調だが、どこかさびしさを感じさせる。気のせいだろうか。この男にそんな人間の情緒があったのなら驚くべき事実だ。
「じゃあ、本当なの?」
隣にいた瀬織が尋ねる。実の妹よりも長い付き合いである彼女は、おそらく最も親身に彼の身を案じている。
「・・・ああ、本当だ」
だからだろうか、坂元も彼女には素直に答えを返す。
「昨日、僕はこの地域での相談員の任を解かれた」
「お前は今、幸せか?」
唐突に、十六夜は坂元に問いかけた。先程までの楽しげな声とは一転、いやに真剣な口調で、坂元の目を覗き込んだ。
「何だよ。突然」
怪訝に思い、眉根を寄せる。
「いやなに、この十数年、お前の笑顔を見た事がないと思ってな」
「そうか?」
顎を撫でさすり、首を傾げる。
「そうだよ」
十六夜は少し困ったように笑った。
「いまや実の親よりも長い付き合いだ。お前の事は誰よりも知っているとも。例えばパーソナルデータは当然として、趣味・嗜好・行動パターン、お前に関するありとあらゆる情報をお前以上に持っていると自負している」
「そんなもん自負すんなよ怖えよおい・・・」
「そして、異世界の者たちからすればあまりに脆い身で、誰よりも果敢に、最前線で戦い続けていたという事を知っている。時に命に関わるような危険すら冒していた事も、それを私に隠していた事も」
細めた目が坂元を射抜く。嘘がばれた子どものように、坂元はその目を直視できず顔を逸らした。
「報告するほどのもんじゃなかっただけだ。現に僕は、まだ生きている」
「だが、次があるとは限らない」
「まあ、そういう業務もあるからな」
「開き直るな。なぜそんな無理をする。確かにお前の働きで防げた事件は多くある。解決した事件はさらに多く、守れたものはそれに比例して多い。だが、だが・・・」
何事も理路整然と話す彼女には珍しく、口ごもる。感情的になるのも珍しい。
「・・・私のせいではないのか」
俯く彼女が、搾り出すようにして言葉を紡ぐ。
「・・・あ?」
「ずっと、考えていた事がある。お前は、私のせいで人生を狂わされたのではないかと」
「おい、何言ってんだよ」
「十五年前」
二人にとって特別な、力あるキーワードだ。思わず坂元は口をつぐんだ。
「あの事件が、お前をずっと苦しめている。だから、お前はあれ以降一度も笑わない」
私が。
陸に上がった魚のように、口をパクパクと開閉させて、一度は泡のように言葉は消える。十六夜が常に考えていた事。認められない事。認めたくない事。しかし、どう考えても一つの答えに帰結する事。
「私が、お前を巻き込んだから。お前は、普通の人としての幸福を失った」
「十六夜。そいつは違」
「違わない!」
怒鳴り、彼の言葉をかき消す。優しい彼は、十六夜の言葉を否定するだろう。考えすぎだ。気にするな。優しく励ますだろう。その優しさに甘えて、十五年。だが、甘えるにも限界がある。医師は言った。過去の後悔が自分を縛り付けていると。
思い当たるのは事件の事しかない。おそらく全世界の人間にアンケートをとったところで、坂元のせいだという人間はいないだろう。当時は二人とも小学六年生で、何の力もない子どもだった。しかも坂元は何の予備知識もなかった。防ぐことなど不可能だ。だが、坂元は、今なお自分のせいだと後悔している。
私、鷹ヶ峰十六夜は、彼が後悔している事を重々承知している。そんな彼の贖罪の気持ちを利用し、傍に置いている。
ずっと後ろめたかった。そして怖かった。もしそれがなければ、この男はいとも簡単に私の手をすり抜けて、どこか遠くへ行ってしまうのではないかと。
だから、この姿なのだ。嫌でも事件当日の事を想起させる姿のままなのだ。過去で、彼を縛り付けている。これが、答えだった。
だからもう、彼を自由にしよう。互いに、次のステージに進むために。
「坂元辰真。私の権限を持ってお前を、相談員の任から解く」
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