第195話 自分たちの流儀

 若い女の声だ。妙に偉そうで、人に命令するのに慣れている、そんな口調だ。

『後悔するぞ? いや、もう後悔している最中だったか。田村俊之の件で』

 思わず手に力が入り、アルミ缶が潰れた。中に残っていたビールが飲み口から溢れだし、服とソファを濡らすが、それも気にならない。よろよろと立ちあがり、電話機に近づく。

『電話に出れば、田村の顔に免じ、彼がお前に与えようとしていた懺悔の機会をくれてやる。しかし、出ない場合、それ相応の覚悟をして頂く。私は、お前が電話機の前で呆然と私の話を聞いているのを知っている。どういう意味か、ピンと来るだろう?』

 盗撮。真っ先に思いついたのはそれで、おそらく正解だろう。だから相手は、自分が居留守を使っているのを知っている。

「どういうつもり」

『ようやく電話に出たな』

 電話の相手の声が弾んだ。

「田村俊之の件って、一体なんの事? 私には何がなんだか・・・」

『ああ、くだらない話は、いらない』

 ぴしゃりと女が遮った。

『私は、お前や、お前たちがしている事を全て知っている。田村の殺害も、不正も、仔細全て。とぼけても無駄だとあらかじめ言っておく』

 まさか、田村のやつ。知らず、拳に力が入る。

「やつが情報を残してた、ってこと?」

『そんなところだ』

 全て消したと聞いていたのに。

 いや、待てよ。会社が雇うのはプロだ。そんな田村殺害した時、痕跡を消す事だって念頭に置いていたはず。何より私の安否以上に、会社から不正の証拠を探し出すよう言明されていたに違いない。そんな彼らが残すことなんてありえるのか。

「ハッタリよ」

 電話の相手はハッタリをかましてきているのではないか。断片的な、証拠とすら言えないような単語の切れ端を想像で埋め合わせたものをぶつけて、偶然と奇跡が混ざり合った確立で私に辿り着いたんじゃないのか。そう睨み、反対にハッタリをかますことにした。

「そんな情報が残ってたら、ニュースになってるはず。私もここで悠々過ごしてられない」

『面白い事を言う。そんなことなどあるわけ無いと思っているくせに』

 けらけらと電話口で女は笑う。

『全て知っていると言っただろう? お前の会社が政府高官や警察官僚にも太いパイプを持っていることくらいわかっている。カマをかけるならもっと上手くやれ』

 こちらの目論見は読まれていた。

「何が目的」

 埒があかない。ただでさえ眠れなくてイライラしているのに、こんな問答で貴重なプライベートを潰したくない。さっさと話を終わらせよう。

『言っただろう。田村が君に与えようとした懺悔の機会をくれてやる。身支度を整え、近くの警察署にお前が持っている会社の不正の証拠をカバンに入れて持っていけ。罪を告白し、法の裁きを受け、刑に服せ』

「どうして、そんな事をしなければならないの?」

 出来るだけ強気に返す。

「私は、『法律上』なんの罪も犯してない。私が警察に捕まっていないのが、その証拠。私は、犯罪者では、ない。犯罪者ではない私を犯罪者呼ばわりした田村何某がどうなったかは、私よりあなたの方が良く知っているのでは?」

『・・・ほう、つまり、自首するつもりは無い、と?』

 女の声が、背中を撫でる。あまりの冷たさに総毛立つ。

「自首も何も、そんな必要ないって言ってるでしょ!」

 恐怖を打ち消すように、悟られぬように、語気を荒げた。

「あなた頭悪いんじゃないの? 察しなさいよ。私のバックにいるのは、犯罪を、人を簡単に消せるだけの力を持つ企業なの。田村と同じ目に遭いたいの!」

 相手が黙り込んだのを『怯み』とみて、さらに畳み掛ける。

「良い? 親切心で教えて上げる。法律も、警察も、私を犯人にしない。田村の事件は、事件にならない。どこのTVも新聞も取り上げない。無いの。わかる? この世に存在しないことになってるの。あなたが持っている情報は、どこに出そうが歯牙にもかからない、ただのくずよ。ああ、唯一欲しがるところを知っているわ。うちの企業よ。あらゆる場所に企業の手は伸びているはず。あなたがどこに持ち込んでも、すぐに連絡が入って、あなたを追う。地の果てまで追って、あなたを殺す。そういう連中なのよ」

 一息に言い切った。これだけ脅せば、そろそろ捨て台詞でも吐いて電話を切るだろう。だが、それで良い。二度と関わってはいけないと理解したはずだ。

『では、お前は、自首するつもりも、罪を認めるつもりも、欠片も持ち合わせていない、という事だな? 良心の呵責もなく、これからも不正に関わり続ける、そういうつもりなんだな?』

「いい加減にして! 罪なんてあるわけ無いでしょう! 犯罪自体存在しないんだから! もう、うんざりよ。今から会社に連絡して、あなたの事を話す。いつ来るかもわからない会社の追っ手を、びくびくしながら待ってればいいわ」

 これで相手も怖気づく。そう思っていた。

 だが、期待は裏切られた。受話器から聞こえてきたのは、電話が切られる音でも、相手の捨て台詞でもない。甲高い、耳障りな哄笑。

 聞く相手の不安を煽り、かき立てる笑い声が、受話器から木霊し、耳の奥や脳にまで染み付いてくる。

「何がおかしいのっ!?」

 思わず叫んだ。しかし相手は怒鳴り声を無視して笑い続けた。

『ああ、すまない。あまりに嬉しくてな』

「嬉しい、ですって?」

『そうだ。狙い通りの反応で嬉しいよ。大野智子。厄介な約束をさせられたせいで回りくどい事をしてしまった。お前にも色々と面倒をかけたな。すまない。ここからは』


 私たちの流儀で行く。


 突如として、目の前にスマートフォンを耳元に当てている若い女が現れた。

「え、え?」

 驚きすぎて悲鳴も上げられない。そんな自分に構うことなく、女は電話を切り、スーツのポケットへ滑り込ませた。

「初めまして。私は田村が勤めていた株式会社鳥羽コーポレーションCEO、安倍晶だ。この度は部下が世話になったな」

「あ、あなた、一体どうやって・・・?」

「どうもこうも、私ははじめからここにいたぞ? 気づかなかっただけだ。人間はいつも、自分の都合の良い事しか見ようとしないから」

 安倍と名乗った女が笑う。声を出すことも、動くことすら出来ない。そんな私を尻目に、安倍はまるで自分の部屋のように部屋を闊歩し、テレビのチャンネルを拾い上げた。電源を押すと、プラズマテレビの画面が映し出される。ちょうど深夜のニュースをやっているところだった。アナウンサーが今日の主な出来事を読み上げている最中だ。そこに、画面の隅からにゅっと手が映り込んだ。スタッフが緊急のニュースをアナウンサーに差し出したらしい。文に目を通したアナウンサーが驚きの声を上げた。しかし流石は報道のプロ、すぐさま気を取り直し、流暢に文面を読み上げる。

『入ってきたニュースです。つい先程、国会議員の須藤貞之氏が亡くなられました』

 アナウンサーが読み上げた名前を聞いた瞬間、びくりと動揺が走った。須藤は企業と繋がっていた国会議員の一人だ。私をさらに動揺させたのが、アナウンサーが続いて読み上げていく今日の事件。


 暴力団の事務所が爆破され壊滅、組員は全員死亡を確認。組同士の抗争か。

 大企業の幹部数名が、同時刻に自宅で不審死。

 山中で男性二人の変死体を発見。全身に暴行の跡。


 テロップに出た名前は、ほぼ知っている人間の名前だった。不正に関与している人間だ。名前を知らない人間も、顔を見てすぐに気づく。田村の死体を処理に来た男たちだった。画面を見ながら、安倍は大げさに両肩を竦めてみせた。

「残念ながら、誰も私を殺しには来れなさそうだ。先に死んでしまったのだから」

「うそ、うそでしょ、一体何が・・・」

「別に難しく考える必要は無い。見たまんま、それが答えだ。不正に関わった全員が、お前を除いて全員死んだ。ただ、それだけのことだ」

「私、を?」

 ぎぎぎ、とさび付いたように強張った首を動かし、同じ速報を繰り返す画面から無理やり視線を安倍に向けた。

「そうだ。後は、お前だけだ」

 パチン、と安倍が指を鳴らした。音が消えるか消えないか、と思えるほどすぐに、背後で気配が現れた。安倍の時と同じく、突如として。へたり込む私の横を気配は通り過ぎ、安倍の隣に立った。新たに現れたのは、着流しの男と白無垢を着た女だった。

「待たせたな。ちと、着付けに時間がかかってよ」

 男が安倍に声をかけた。

「いや、大丈夫だ。問題ない。・・・さて、金長、怯えたまま動かない大野に、彼女を紹介してやったらどうだ」

「ああ。もちろんさ。知る権利があるからな」

 着流しの男と白無垢の女が同時に振り返る。

「初めまして。大野智子さん。俺は金長ホテルの支配人、金長和人。こっちは、うちの従業員の子安はるか。お前さんが殺した、田村俊之の恋人だ」

 白無垢の女、子安と目が合う。虚ろな瞳の奥には、何も映らない暗闇がたゆたっていた。

「結婚秒読みだった。両方の家族と挨拶を終え、式場を押さえ、花嫁衣裳を揃え、新婚旅行はどこにするかと毎晩話し合っていた」

 だが、と着流しの男、金長は言葉を切り、私を指差した。

「てめえが全てを奪った。『彼女の正体』を知りながら全てを受け入れて包み込んだ、心優しく度量のでかい、稀に見る良い人間を殺した。俺たちの兄弟になるはずだった男を」

「そして、私たちのファミリーの一員だった男を」

 金長の言葉を継いで、安倍が言う。

「お前は、彼女の幸せと最愛の人を奪っただけではない。長年の敵対関係だった安倍と金長の仲を取り持つはずだった人間を殺した。そのせいで休戦中だった私たちの間で小競り合いが置き、無用の怪我人を出した。まあ、これは幸いにも双方に死者が出なかったから良かったが、もし一人でも出ていたら再び抗争が起きていた。どれだけの被害が出るかわからない、血みどろの戦いが今も続いていただろう。お前の、お前たちのせいで、もう少しで私たちは取り返しのつかない過ちを犯すところだった」

 何のことを言っているのかさっぱりわからない。ただただ、恐ろしかった。これから何が起こるのか想像すら出来ないが、自分にとって最悪が訪れようとしていることだけは理解できた。震える私の前で、安倍と金長は会話を繰り広げている。

「まあ、その点は坂元たちに感謝だな」

 くっくっと金長が喉を鳴らす。

「ああ。依頼して正解だった。こんな短時間で真犯人を見つけてくれたのだから。やはり奴は優秀だ」

「でも、良かったのかね。情報を『引き出した』のは、まだ若い女子高生二人組みだろ? 俺たちが何をするか、わかってんのか?」

「知らないだろう」

「・・・おいおい、良いのか? トラウマんなっても知らねえぞ?」

「その辺は坂元が上手くやるだろう。新しく記憶操作の機器を導入したんじゃなかったか?」

「ふうん。なら安心か」

「心配するくらいなら、手を引いて普通に司法に任せてください、とか言いそうだがな」

「違いない。契約に『素直に罪を認めて、自首した人間の命を助ける』とまで付け足してきやがったからな」

「そこが互いにとって最大限の譲歩だった。こちらにも、譲れぬものがある」

「ああ、そうさ。そうだとも。こちらはわざわざ窮屈な人間の法律に従ってやってんだ、その法を守らない相手に対してまで遠慮する必要はねえよな?」

 三対の目が、私に向いた。

「子安はるか女史。疑って申し訳なかった。詫びとして、『慰謝料』を支払わせて頂く。もし足りなければ・・・」

「いいえ」

 子安が初めて口を開いた。蚊の鳴くような小さな、かすれた声だ。ずっと泣き叫び続けて、喉を痛めたような声だ。

「充分です、充分ですとも。お二方が今回の全ての原因であるこの憎き女を、私に譲ってくれる、そのお気持ちだけで充分ですとも。強いて願うとするなら」


 もう、よろしいでしょうか?


 何が、とは誰も尋ねない。この場にいる全員が、子安が何を望んでいるかを察したからだ。

「ああ。我慢させて悪かったな」

「己の望むがままに」

 子安の瞳が、赤く輝く。


 後日、高級マンションの一室で、その部屋に住む大野智子が殺害されたニュースが流れた。死体は酷く損傷していて、まるで巨大な獣に喰い千切られたかのような、凄惨な状態だったという。

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