第196話 優しい嘘は解いて消える

 坂元が事後処理の書類に追われていると、呼び鈴が鳴った。相談の予約は入ってない。この前のような急な来客か、と玄関を開けると、そこには彼の助手、比良坂彩那が険しい顔で立っていた。

「今日は、手伝いの日じゃなかったはずだが?」

 彼女の顔つきから、ある程度用件を察した坂元は、それをおくびにも出さずに、突然の来訪に驚いた風を装う。彼女は答えず、彼の脇を通り過ぎて勝手知ったるといった感じで部屋に上がる。ため息一つついて、ドアを閉めて彼女の後に続く。

「私に何をしたの?」

 怒鳴るでもなく、淡々とした問い。しかしそれが、より彼女の中の怒りを物語っていた。

「何を、とは?」

「とぼけないで」

 彼女がポケットから手のひらサイズの四角い物を取り出した。ICレコーダーだ。

「何だそれ?」

「察しがついてるなら、下手な質問はしないで」

 彩那がICレコーダーの再生ボタンを押す。再生された音声は、彼女が大野智子から話を聞いている場面だった。大野の罪の告白を聞いて、二人の女子高生の動揺が音声からでも読み取れる。話が一区切りしたところで、彩那は停止ボタンを押した。

「ここまでは大野智子の罪の告白だけど、続きがもう少しあった。『どうやら』停止ボタンを押さずにその場を離れた『みたい』なんだけど、すぐ後に妙な連中に襲われた」

 どうやら、とか、みたい、とか、自分の事なのに推測で彼女は話す。

「ただ、莉緒が返り討ちにしたみたい。そうじゃなきゃ、私もこの話に出てくる田村って男の人と同じ目に遭ってたはず」

「ふむ、じゃあお前が問題視しているのは、そんな危ない目に遭わせたことについて、ということか?」

「違うわ」

 すうっと彩那は息を吸い込んだ。

「あなたは危険が迫っていると知っていた。だからこそ私と莉緒を組ませ、一緒に行動させた。彼女がいれば、そこらのチンピラが何人でかかってこようと安全だから。私が問題視しているのは、これだけの目に遭っているにも拘らず、私にも、莉緒にもその記憶がないって事よ」

 そして、最初の質問に戻る。

「あなた、私たちに何をしたの?」

 重苦しい空気が室内に充満する。坂元と彩那はいつもの椅子にも座らず、にらみ合っている。どれほどの時間をそうしていたか、ふいに坂元が肩の力を抜いた。

「スマートフォンのデータは消したんだがな。そんな予備も持ってたとは、迂闊だった。しかもお前、それを家とはまた別の場所に隠して、意図的に自分の記憶を消しただろう?」

 教えた覚えはないんだけどな、と坂元は苦笑した。

 彼女の持ち物は、本人には悪いが勝手に調べさせてもらった。記憶を消す前に、映像、音源データがないかも確認した。それだけやってもこのICレコーダーの存在は出てこなかった。では、一体どうやって、こちらの検閲を潜り抜けたのか。

 自分に暗示をかけ、記憶を封印したのだ。

 こちらの検閲はこちらの質問に対して相手が答えられる知識、意識できる内容に関して聞き取る事が出来る。けれど、無意識の部分、忘れている事までは聞き取れない。本人の意思に関係なく記憶を読み取る術もあるにはあるが、本人への負担もあるため、実施しなかった。自分も同じ事が出来るから、ほぼ正解だろう。

 何より驚くべきは、彼女が坂元が仕掛けてくることを予期して、手を打っていたことにある。

「駅のロッカーに隠してあったわ。どこの鍵か探すのに苦労したわよ。でも、その甲斐はあった」

「成長著しくてお兄さん涙が出そうだよ」

「茶化さないで。きちんと説明して」

「お前こそ、大体の事情は察しているんじゃないのか?」

「推測は出来るわ。けど、私はあなたから話を、真相を聞きたい」

「わざわざ気持ちの悪い話を聞きたいってのか? しかもそれには、自分が関わっているとわかっていてもか?」

「自分が関わっているからこそ、よ。私には知る権利と、知っておく義務がある」

 言葉に力とありったけの意思を込めて、彩那は言った。

「親切を振りかざして勝手にフィルターをかけないで。私は、あなたの仕事を手伝うと自分で決めた。自分で決めた事は最後まで自分でやる。それで後悔を生んだとしても、それすら飲み込んで私は成長してやる。自分のケツくらい自分で拭くから、余計な真似しないで」

 まっすぐに自分を見ている彼女を見て、坂元はため息をついた。面倒だな、と。だが反対に彼女の評価が少しだけ上がった。あくまで少しだけ、と誰に言うでもない評価に対してわざわざ心の中で言い訳している時点で、少しではないが。

「わかった。全て話そう。だが再度言うけど、面白くない、ただただ憂鬱になるだけの話だぞ? 後悔しても責任ももたないからな」

「いいから、早く」

「あと、手鹿さんには伝えるな。彼女は知らないままの方が良い」

「分かってる」

「少し、長くなる。椅子に座って待ってろ。飲み物を用意する。緑茶と麦茶と紅茶、どれが良い?」

「コーヒー。とびきり濃い奴」

「なんでお前は、わざわざ伏せてる一番面倒なのを選ぶかな」

「隠してるからよ。今回の件で分かったでしょ?」

 悪態をつきつつ、坂元はフィルター用に挽いた豆をコーヒーフィルターにセットする。湯を沸かし、注ぎ入れる。室内にコーヒーの香りが漂う。カップ二つに抽出したコーヒーを注ぎいれ、テーブルに持ってくる。

「さて、どこから話すかな」

 席についた坂元はコーヒーを一口すすり、口を湿らせた。

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