第190話 コース料理のような人生よりも、バイキング料理のような人生の方が多い

「お邪魔するよ」

 黒いスーツに身を包んだ大柄な男が、開く途中だったドアを力任せにこじ開けた。靴を脱ぎ、意外にもしゃがみこんできちんと並べ、室内に入った。その男の後ろからもう一人、同じように大柄な男が、これまた同じようにドアをくぐり、靴を玄関先に並べて入って来た。おかげで玄関口は百パーセントの密集率だ。

 突然の厳つい連中の登場に彩那が目を白黒させていると、さらに彼らの背後でドアが開く音がした。まだ誰か来るのか、1LDKの部屋にどれだけ入るつもりだ、とうんざりする彼女の前に現れたのは、スーツをきっちり着こなした妙齢の女性だった。有能な秘書を思わせる出で立ちの彼女は、その最もたるパーツのシルバーメタリックのメガネをキラリと煌めかせて、彩那と坂元に視線を向けた。先に入っていた男たちは彼女に道を譲るように傍へ退く。

「予約連絡もせず突然の来訪、ご容赦願いたい」

「いえ、別に構いません。あなたほどの方が直接来られるということは、余程のことがあったのでしょう?」

 いつもの彩那に対する態度から一変、来客用の仮面をかぶった坂元は、穏やかな口調で彼女たちに席を勧める。彼女は「失礼する」と椅子に座ったが、残りの男たちは断った。見るからにボディガードといった風態だ、のんびり座っているわけにはいかないのだろう。

「さて、ご用件を伺いましょう」

「その前に・・・坂元、彼女は誰だ?」

 彼女が彩那の方に視線を向けた。見つめられた彩那はぞわりと総毛立つ。ただ見られただけなのに、からだの奥底から恐怖という感情が湧き出てきたのだ。恐ろしくて逃げ出したいのに、目を逸らせない、自分の意思が自分で儘ならない、そんな矛盾が恐怖に上乗せされて彼女を襲う。

「彼女の目を直視するな」

 小声で彩那に伝え、坂元はわざと彩那と彼女の間を通って席に着いた。視線が遮られたその間に、彩那は自分の視線を彼女よりも下に向ける。

「彼女は、最近入った私の助手です」

「なるほど、それなら私が知らなくても仕方ないか。ここを訪れたのは久しぶりだしな」

 彼女の硬い表情と態度が、少し軟化した。どうやら見知らぬ顔があった為、警戒していたようだ。

「もし差し支えあるようでしたら、彼女には席を外してもらいますが」

「いや、別に構わない。坂元が雇った助手なら問題ないだろう。それに、今後彼女にも世話になるやもしれんしな」

 そう言って居住まいを正し、彼女は彩那に向き合った。

「私は十二代目玉藻前、安倍晶。今は株式会社鳥羽コーポレーションのCEOをしている」

「玉藻前・・・」

 どこかで聞いたことのあるようなないような・・・。とりあえず、自己紹介されたのだからこちらもしなければ礼を逸する。

「比良坂彩那です。宜しくお願い致します」

「比良坂、彩那だな。こちらこそよろしく頼む」

 挨拶を終え、安倍は早速本題に入ろうとした。だが、一度開きかけた口を今度は固く閉じ、先ほどよりも険しい顔で玄関を睨んだ。見れば、彼女の後ろに控えていた男たちも懐に手を入れて構えている。


 ピンポーン


 再び呼び鈴が鳴った。警戒心をあらわにする三人に、坂元は手のひらを向け「少し待っていてください」と硬い声で告げた。ゆっくりと席を立ち、玄関に向かう。

「御免ください、な。と」

 扉を開けるや否や、声がまず飛び込んで来た。声を発した人物の姿は坂元の影になって見えない、が、安倍たちの警戒心はさらに上がり、もっと別の、敵意や殺意といった物々しい相手を害するための感情が溢れ出して、物理的な力さえ持ちそうだ。

 坂元の後ろから、着流しを着た長身の男が現れる。男の後ろからは、紺のロングスカートに白エプロン、所謂メイド服に身を包んだ女性が二人、静々と男の後ろで畏まっていた。

「キツネ臭えと思ったら、あんたかい」

 入ってくるなり、男は安部を睨め付けた。

「よくも私の前に姿を見せられたな」

 安部もまた、爆発しそうな怒りをむりくり押さえつけたような、地の底から響いてきた怨嗟のごとき声を発した。

「それはこっちのセリフだ。探しに行く手間が省けたぜ」

 男の後ろに控えていたメイドたちがすすっと進み出て、彼を守るように構える。握り込まれた両手の指と指の間に、忍者が使う棒クナイと呼ばれるナイフが挟まれていた。そして、彼女らと相対する護衛の男たちも、既に懐から銃を取り出し、狙いを定めている。粒子の細かい粉が充満した部屋で引火すると、粉塵爆発と呼ばれる爆発現象が起こるが、今の室内の雰囲気はそんな感じだ。一つのきっかけが火種となって大爆発する、臨界点にまで達している。

「血の気の多いクソ狸はこれだから嫌いだ。そのスッカラカンの頭をかち割って血抜きしないと駄目だな」

「おもしれぇ、やれるもんならやってみな。三枚に下ろしてキツネ汁にしてやるよ」

「吐いた唾飲むなよ、クソ狸」

「上等だ。いつぞやの決着つけてやらぁ」

 その火薬庫の中で遠慮なしに火花を散らし、火種を吐きあう二人。導火線には既に火がつき、じりじりと爆弾に向かって走っている。

「お待ちください!」

 二組の客の間に、坂元が割って入った。

「お二人の因縁は承知しておりますが、ここはあらゆる方にとって中立の立場を取る場所です。喧嘩はご法度。双方、武器を収めて下さい」

「構わないよ。そっちの狸が武器を下ろしたらな」

「は? 馬鹿言ってんじゃねえ。てめえの方が先に下ろしな」

 下ろす、下ろせで再び口喧嘩が再開しそうになった。坂元はため息をつき、スマートフォンを取り出す。

「何だ坂元。どこに連絡する気だ」

 坂元から不穏な空気を感じた安部が声をかける。

「峰さん家です」

「「待て!」」

 安部と男が同時に坂元に飛び掛った。二人がかりで坂元の腕を掴み、スマートフォンをひったくった。

「奴は呼ぶな!」

「何考えてやがる!」

 あれほどいがみ合っていたのに、二人は驚くほどのシンクロ率を見せた。どれだけ峰何某を呼ばれるのが嫌なのだろうか。見れば、護衛の男もメイドもその名前を聞いただけなのに変な汗をかいていた。

「だって、仕方ないじゃないですか。お二人とも僕の話を聞いてくれないし」

「聞いてただろう! ちゃんと!」

「こいつと同意見なのは癪だがその通りだ」

「耳に入るのと、言う事を聞いてくれるというのはまた別なんですがね。再度お伝えします。ここはあらゆる方にとって中立の場所であり、外での因縁は一旦忘れる場所でもあります。仲良く、とまでは言いませんが、ここにいる間はせめておとなしくしていてください。無理なら時間や日を改めるなり、ご協力頂ければ幸いです」

 うんざりした様子の坂元の言葉に、二人は口をつぐみ、横目で互いに睨みあった後、同時に部下たちに武器を収めさせた。坂元は一旦ハア、とため息をつき、新たな来客にも席を勧めた。男は「悪いな」と席についたが、やはりメイドはやんわりと断り、彼の後ろについた。

 ようやく本題には入れた事と、命のやり取りが繰り広げられずに済んだ事で、彩那は大きく息をついた。酷く苦しい。息をするのもはばかれるような状況から脱した事に、心から安堵した。

「さて、ご用件は何でしょうか?」

 椅子が足りなくなったため、立ったままの坂元が教壇に立つ講師のように、二人に尋ねた。

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