第189話 新規依頼、到来
「愛情の反対は憎しみだと言われるが、あれには納得いかない」
相変わらずの陰気な顔で、坂元は報告書を製作していた。
「だって、憎しみは簡単に人を殺すが、愛情だけじゃ人は救えない」
淡々とした彼の言葉が、今の彩那には嫌という程突き刺さる。
ー三日前ー
坂元の仕事を手伝って三週間ほど経過した。最初に自分で言っていた通り、坂元の仕事はかなり忙しい。
彼の本来の肩書きは『相談員』だ。この地に移り住むありとあらゆる住民の相談に乗っている。ありとあらゆる住民とは『普通の人間以外』という意味だ。人間が生まれた地を離れ異国の地で暮らせば、その地ならではの風習や文化に戸惑う。ましてや、彼が相手をするのは、人間のほぼ全員が持っているような常識を知らない者たちだ。つまり、仕事は相談というよりも、常識を教える教育の面が強い。
例えば、この国で物を入手するには金と交換する。なるほど、ここまでは事前に調べている。けれど、その金を複製したり無から生み出したりしてはいけない、という事を知らない。彼らの技術は人間の技術力を超えている等超常的すぎて、全く疑われることがないため、人間社会で問題なくまかり通ってしまう。人間側から見ても彼らから見ても、何が問題なのかわからないということになる。そこを説明するだけで一日時間を取られる。
反面、非常に物分かりがいい。納得が行けばきちんと約束、法令を遵守してくれる。そして、理解をしてくれた住民のほとんどは二度と坂元に相談に来ない。クレームなどなく、完璧に人間社会に溶け込む。
人間以上に人間っぽく、善良。
それが、彩那が彼らに抱いた感想だ。
「彼らがこの社会の過半数を占めたら、戦争が無くなりそうね」
「は」
ポツリと彼女が漏らした感想を坂元が拾ったらしく、鼻で笑った。
「何よ。人の独り言聞き耳立てて鼻で笑うってどういう事よ」
しかめっ面で詰め寄る。
「ああ、すまんね。ただ、腹黒のお前にしては、随分と蕩けるように甘い幻想を抱いていると思って」
「あんたバカにしてんの?」
「してないよ。羨ましいだけだ。若いっていいねぇ」
「それがバカにしてるって言ってんのよ」
「だから、してないってば。・・・頼んでたそっちの書類整理、終わった?」
「話を勝手に終わらせないでよね。・・・ほら、今送ったわ」
まだまだ文句は言い足りないが、とりあえず坂元のPCにデータを送る。
依頼が多いということは、それだけ依頼者に関する情報をまとめる必要がある。パーソナルデータから依頼内容、この地にきた理由、依頼開始から完了まで、時系列に沿ってどういう対処を行なったかを細かく記載する。情報をまとめるのは、後々に類似した案件の時に参考にできるからだ。どんな仕事もトライアンドエラーの繰り返しで、集めた情報こそが武器になる。
しかし、データ収集において、坂元には致命的な欠点があった。記録を残すのが恐ろしく下手くそなのだ。
これまでの依頼に関して一応メモ程度は残していたものの、次に参考にできない出来栄えだ。どのメモが誰の情報かすらわからない。本人曰く自分はわかるらしいが、自分以外にも利用できてこそのデータだ。そのことを彩那が指摘すると苦い顔をしたものの言い返したりはしなかった。聞けば、彼を雇っているポートの連中からも、もっときちんとした報告書と資料を上げてくれと要望があったらしい。後でしよう、いつかしようで今に至るとの事。彩那が真っ先に取り掛かったのは、彼がほったらかしにしていた膨大な資料の整理だ。
「どうして個人データがABC順やあいうえお順に並んでないのか、理解に苦しむ」
そう嘆きながら、彼女は作業に取り掛かった。さすがは生徒会長と言うべきか、彼女が着手し始めると散乱していた資料がみるみるうちに纏められ、収納されて言った。あいうえお順なのは言うに及ばず、相談の傾向などの類似ケースで固められ、後で見返してもわかりやすく、誰でも簡単に目的の資料が見つけられるようになった。これには皮肉しか口から出ない男も「お見事」としか言えなかった。
「言いなさいよ。あなたは彼らのことを良き隣人とは思っていないわけ?」
「良き隣人もいるさ。人類にもいるように、当然な。だが、良くない隣人が人類にもいるように、良くない隣人もいるのは確かだ。厄介なのは、彼らにとってそれは当然の反応である可能性が多い」
「どういうこと? 今の所、こちらの説明はきちんと聞いてくれるし、約束や法律を破った記録もないけど?」
「まあ、今のカウント方法なら、な」
小骨が喉に引っかかったような坂元の発言に、彩那は首を傾げる。
「ちょうどいい。その辺りを少し話しておくか」
休憩にしよう、と彩那に言い、ケトルで湯を沸かし始める。
「緑茶とほうじ茶と紅茶、どれが良い?」
「コーヒー」
「・・・どうして選択肢にない物を言うんだよ」
「あるでしょ? 戸棚の中に。フィルター用に挽いたブルーマウンテンが。結構私、頑張って手伝ってると思うんだけどな。そんな私を労うって気持ちとかないわけ? 今後の私のテンションと作業量を左右するわよ?」
これ以上の言い合うのも面倒だと思ったか、わかったよ、と坂元はすぐに折れ、コーヒーフィルターをセットする。ケトルから湯を注ぐと、コーヒーのいい匂いが室内を満たしていく。
「ほれ」
カップが彩那の前に差し出される。しばらくの間、室内はコーヒーの香りと沈黙が支配する。しばらくの間、味と香りと楽しんだ後、坂元はさきほどの話の続きをしようと口を開きかけ
ピンポーン
二人同時に、扉に視線を向けた。
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