第184話 対峙

「ご足労頂いて申し訳ございません。どうしても話したいことがありまして」

 生徒会室に訪れた生徒を、彩那は椅子から立ち上がり招き入れた。どうも、と小さな声で、俯きながら椅子に座る彼女を、注意深く観察する。

「紅茶と緑茶とコーヒー、どれが良いですか? どれもインスタントですけど」

 見計らって、声をかける。生徒会室も他の部室と同じように、使用している人間が色々と便利な道具を持ち込む。冷蔵庫とレンジは昔の生徒会メンバーが持ち込んだ年代物が現役で活躍しており、電気ケトルは副会長が古くなったものを、インスタントのお茶やコーヒーはみんなで出し合って購入している。他の備品については各々が自費で購入するシステムだ。

「いえ、お構いなく」

「そう言わずに。実は、私が飲みたいんです。私一人だと他の生徒たちに気兼ねしちゃって飲みにくくて。他の方がいらっしゃる、という免罪符が欲しいんですよ。だからこれは、おもてなしというより、飲んで行って欲しいというお願いです」

「はあ。じゃあ、コーヒーをいただけますか?」

「砂糖とミルクはどうしますか?」

「両方、多めでいただけると助かります。ブラックでは飲めなくて」

「わかりました。少々お待ちください」

 ケトルがコポコポと音を立て始め、しばらくしてカチンとスイッチが切れる。沸騰したお湯をインスタントコーヒーの粉を入れたカップに注ぐ。冷蔵庫からミルクを取り出す。

「あ、ミルク温めます?」

「いや、大丈夫です。カップに冷たいまま入れて混ぜてもらえると。私、猫舌なので」

「じゃあ、私もそうしましょうか」

 トプン、とカップに半分ほど入っていたコーヒーに冷たいミルクが注がれる。お盆にカップとスプーン、スティックシュガーを載せて机まで運ぶ。

「どうぞ」

「ありがとうございます。頂きます」

 左手でスティックシュガーを持ち、そのまま口元に近づけて歯で噛み千切る。淑女としてはあるまじき姿だが、仕方ない。『右手』は指先までギプスが覆っているのだから。

「ごめんなさい。気がつかなくて」

 焦るそぶりで彩那は中腰になり、自分が開けようと砂糖を手に取る。それを彼女は「もう充分ですから」と断った。

「大丈夫ですよ。慣れちゃいました」

 ざあっと砂糖をカップに流し込み、スプーンでかき混ぜた。カップの中にできた小さな渦を彼女は見つめている。

「で、お話とは、一体何なのでしょうか?」

 渦を見つめていた視線を、ゆっくりと彩那に向けた。

 彼女を呼び出すために、他の役員たちには理由をつけて早く上がってもらっていた。今は、彩那と彼女、二人きりだ。ゆっくりと息を吐き、彩那は文芸部のエースの目を見返した。

「以前にお話した件についてです。手鹿莉緒さん」


「以前・・・? あ、もしかしてこの腕の件ですか?」

 莉緒がギプスのはまった右腕を掲げる。

「そうですそうです。ご不便はないかな、と思いまして。あれから一週間近く経って、もしかしたら気兼ねされているのかな、と思いまして」

 彩那に言われて、莉緒は左手を顔の前で素早く振った。

「そんな、本当に大丈夫ですから。何かすみません。私のことで気を使ってもらってたみたいで」

 と、恐縮して縮こまる。

「いえいえ、こちらこそいらぬお節介をやいてしまいました。じゃあ、その、一応お伺いしますが、特にご不便はない、ですか?」

「あ、はい。大丈夫です。友達も助けてくれてますし」

「そうですか、なら良かった」

 彩那は苦笑を浮かべながら、カップの縁を唇に当てる。莉緒も同じタイミングでコーヒーを一口、口に含んだ。

 コーヒーを飲みながら、彩那は世間話を莉緒に振った。文芸部の活動とはどういうものか、他の部員が言いかけた即売とは何か、などだ。

「・・・へえ、では皆様で作られた漫画、その、同人誌? を売られるという事なのですか?」

「ええ、まあ。・・・何か、すみません」

「あら? どうして謝られるのです?」

「いや、だって、伝統のある学校で漫画とか、学校の品位とか貶めてるんじゃないかな、なんて」

「? どうして漫画を書くことが学校の品位を貶めるのです? だって皆様は、自分で作った作品を売って部費の足しにしているのでしょう? むしろすごい事だと思うのですが」

「あ、そう、言っていただけると、嬉しいです。はい」

「自信を持ってください。人が買ってくれる作品を皆様は作っているのですから。ぜひ一度、私にも見せてくださいね?」

「え、っと、それは、やめた方が・・・」

「それは、どうしてです?」

「その、ちょっと、刺激が強いというか、何というか・・・」

 莉緒の声が尻すぼみにトーンダウンしていく。彩那も少し気になったが、気にしている場合ではないのでそのまま文芸部の話題には消えてもらう。

「そういえば、莉緒さん。あなたあの時珍しい事を仰りましたね」

「珍しい? 私、何か言いました?」

「はい。あの時私は、この近くで事件があったから、注意喚起のために部室を訪ねました。他の皆様は大体「怖い」か、それに類する言葉を口にしました。けどあなただけは違いました。確か『早く犯人捕まればいいのにね』」

 莉緒は世間話の時から引き続き笑顔のままだ。だが、彼女の纏う雰囲気が少し硬質化した。彩那は話を続ける。

「あなただけ、犯人に対して強い嫌悪感を抱かれました」

「いや、それ、別におかしくないですよね。犯罪とか犯人とか嫌いですし」

「そうですね。悪を嫌悪する人は、確かにあなた以外にも大勢いる。たまたま、私がお会いしなかっただけ、なのかも」

「でしょ?」

「でも、あなたは続けてこうも言った。『被害者の皆さんもそう望んでるよね』」

「それのどこがおかしいんですか? 会長、一体何が言いたいんです?」

「何で、被害者が複数だって知ってたんです?」

「何でって・・・確かニュースで。会長もニュースで知ったって仰ってたじゃないですか」

「何人ですか? ニュースを見てたならわかります、よね」

「も、勿論です。ええと、確か、三、人だったはず、です」

「本当ですか?」

「ええ、間違いありません」

「嘘です」

「嘘じゃありません。本当で」

「あなたの話のことじゃありません」

「え?」

「私の話の事です。ニュースを見たと言いましたが、あれは嘘です」

「・・・嘘?」

「はい。私はニュースで事件のことを知ったわけではありません。そして、あなたも」

「いや、ニュースだったと思うんですけど。会長に言われてからネットで調べたら出てきたし」

「本当に? TVで? それともネットニュースで?」

「え、はい。勿論見ました。ネットで」

「じゃあ、そのニュース。今ここで見せてもらえます? 残念ながら、私は見つけられませんでしたので」

 莉緒は沈黙し、空になったカップに視線を落とす。

「ニュースになってないんです。その事件は、とある事情で世間に伏せられているんです」

 彼女の頭頂部に向けて、彩那は話す。虚となった瞳の彼女の意識に落とし込むように。

「あの事件のことを知っているのは、事件関係者だけなんです」

 ゆっくりと、莉緒の視線が上を向き、彩那の視線とぶつかった。彩那は、彼女の目を見て、はっきりと言った。

「あなたが、犯人です」

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