第185話 命がけの謎解き

「会長、あなたは一体、何者なの? 一体何を知っているの?」

 莉緒が口を開いた。思ったよりも落ち着いた声だった。観念したのだろうかと考えながら、彩那は答える。

「私は、ある人物からの依頼によって事件を調べていました。事件を隠蔽していたのもその人物です」

「ニュースで報道されなかったのもその人の力ですか?」

「ええ。そうです。壁の傷を隠したのも」

 莉緒が苦笑した。

「あれを隠蔽するとはね。どんな手を使ったんでしょう。後であの場所にいったら傷一つ無くなってて。誰も事件のことを知らない。あれだけ近くで起こったのに。もしかして私は、悪い夢を見ただけだったのかと思いましたよ」

 本当、夢なら良かったのに。呟き、莉緒は瞼を閉じた。

「でもね、会長。残念ながら夢ではないんです。残ってるんです。私の中に。人をズタボロにした記憶が、感触が、生々しく。こうして目を瞑れば、あの日のことが勝手に瞼の裏に浮かぶし、そして」

 ぴき、と異音がした。音源は彼女のギプスだ。異音はぴきぴきとさらに大きくなり、彼女の足元には白い破片が落ちていく。まるで雛鳥が自力で殻を破るように。だが、隙間から姿を覗かせたのは愛らしいヒヨコなどではなかった。ガキン、と一際大きな音を立て、ギプスが割れる。

「この『腕』がある限り、私が忘れることはないでしょう」

  現れたのは、華奢な彼女の体からは想像できないほど異質で、巨大な腕だ。肘の関節部位から突然小手でもはめたかのように太くなり、手の甲側は緩やかに曲線を描く一枚板が張られ、内側は転倒した時に怪我しないよう子供がつけるサポーターを百枚くらい重ねたものが板を支えるようにひっついている。全体的に黒を基調として、高級感のある革製品のようなツヤ放っていた。所々に赤い筋が縦に入っており、時折ゆっくりと明滅し、まるで血管の収縮のように見えた。手に至ってはスイカが鷲掴み出来そうなほど巨大で、長い指から伸びる爪は一本一本が包丁ほど長く鋭い。またおそらく、包丁よりも硬質であることは間違いない。

「・・・ナノマシン兵器でも移殖された?」

 余りに異質な光景に彩那は驚くことすら忘れてしまった。出てきたのは漫画つながりのジョークだ。

「会長も漫画読むんですね。意外。確かにちょっと似てるかも」

 掲げて、裏表と返しながら莉緒がいう。

「ですが、残念ながら私は大企業の計画に組み込まれてもいなければ、過去に右腕の手術をした覚えもありません。突然です。本当に突然あの日、こうなったんです」

「事件、当日って事?」

 莉緒が頷く。

「カバンに腕を突っ込んで何とか隠して家に帰って。資料用に買ってたギプスを巻いて。いやあ、色々大変でした。けど、こういう時に限って全て上手くいってしまうんですよね。ちょっとでも警察や、家族に不審がられたら一発でバレるのに、そんな時に限って家族は出張でいないし、警察は何一つ不信感を持たずに私の横を通り過ぎていくし」

 だから、と莉緒は彩那を睨んだ。

「せっかくここまでバレずに来たので。ここはテンプレート的な展開で行きましょう」

 莉緒が掲げていた腕をおもむろに彩那に向けて伸ばした。巨大な手のひらを見つめることになりながら、彩那は彼女の意図を察せずに小首を傾げた、瞬間。

「っ!」

 ただでさえ広い手のひらがさらに広がった。いや、違う。彩那に向かって伸びたのだ。あまりに大きな手のひらを見つめていたせいで、遠近感がバカになっていた。気付いた時には彩那は莉緒の手で胴体を両腕ごと『鷲掴み』にされ、身動きを封じられていた。

「おっと、動かない方が良い。握る力は調節出来ても、爪の鋭さは変更できないの。触れたらスッパリいきますよ?」

 力の加減もちょっと怪しいけどねと莉緒はおどける。

「とんだ猫被ってたものね」

 最初に話を聞きにいった時は、他の部員たちの陰に隠れ、自己主張もなかったのに。

「お互い様ですよ。会長が探偵だなんて」

「どうするつもり?」

「どうするもこうするも、犯人が謎を解いた探偵に対してやることは二つに一つ。自首するか、答えを知る探偵を消すか、です」

「私を殺すってこと?」

「場合によっては」

 場合によっては、ね。彩那は内心の冷や汗を拭う。即証拠わたし隠滅を測ることはないらしい。だが、いつ気が変わるかもわからない、薄氷の上の状況は変わらない。

 そっちがその気なら、こっちも。彩那は自分の力を使おうと俯き、ピタと止まる。彼女の脳裏に、坂本の注意事項が呼び起こされたのだ。


「能力を使う時は気をつけろ」

 犯人と当たりをつけた人物と、今度二人で会うことを坂本に連絡した時だ。

「気をつけろって、どういう意味?  また首環が閉まるとか、そういうこと?」

「そうじゃない。すでに顧問に対して使って問題なかっただろ? 事件解決のためなら一時的に制約は解除されている。僕が言いたいのは、犯人に使う時だ。もうわかってることだが、改めて言うぞ。犯人はお前と同じ能力者だ。能力者、つまり人間とは別の体の構造をしているってことだ。ということは、お前の能力が効かない可能性がある」

「ちょ、え、待ってよ」

 彩那は頭を抱えた。

「何それ。聞いてないんだけど」

「言ってなかったか? 悪いな」

 全く悪びれた様子もなく、シレッと坂本は言う。

「まあ、最後まで聞け。お前の力は声だ。目も相手を催眠状態にかけやすくするための補助はしているけどな」

 炎の揺らぎ、左右に揺れるコイン、催眠術でおなじみの道具だが意味はある。一点を見つめていると暗示にかかりやすくなる。彩那の赤い瞳から目が離せない相手は、暗示にかかりやすい状態であるわけだ。

「相手を操っているのはお前の声だ。声が耳から伝い、脳を直撃して相手の思考を奪い、こちらの命令を脳にインプットさせている。多分意識していないだろうが、今のお前は、対人間用として能力を使っている。人間にしか効果がない使い方をしている、と言った方が正しいか。わかりやすく言や、日本語を知らない海外の人間に日本語で話しかけてるみたいなもんだ。意味が通じないと命令のしようがない」

 こればっかりは仕方ない、と坂本は言った。使わない力は衰えるものだ、と。

「じゃあ、どうすんのよ。私の生身の強さは普通の女子高生よ。人間三人を瞬殺してコンクリート削るような怪力の持ち主に勝てるわけないでしょう?」

「物理的な強さをお前に期待はしてないよ。生身で勝てる強さ持ってたらもっと警戒されて、今頃は強制的にポートの連中の管理下に置かれてる。そう答えを急くなって」

 案はあるんだ。坂本は切り出した。

「俺たちは、動物の声がわからない。向こうも同じ。けれど、調教師は動物に芸を仕込める。動物も調教師の声や笛などの合図で仕込まれた通りの芸を披露できる。調教師の仕込み方を詳しく知ってるわけじゃないが、大まかな仕組みはギブアンドテイクだろ」

「上手く芸をすれば餌がもらえる。餌が欲しいから芸をする。言葉の意味が重要じゃないってこと?」

「そうだ。さっき、お前の声は効果がない、みたいな言い方をしたが、それは無理やり思考を奪って命令する、という強制的な力に対してのみの意味だ。そういう力に対しては相手の能力者の部分が抵抗する。結果、効果は薄く、逆に警戒されて返り討ちに遭う。けれど」

「能力者の部分以外の、人間の部分に対して使う・・・」

「察しがいいな。その通りだ。犯人は能力者だが、通常の、同じ人としてこれまで生きてきた。それまでに積み重ねられたものは人間と変わらない。人間外の部分で効果がないなら、人間の部分に声を当てろ。強制が無理なら、促せ。自主的にそうするように」

「犯人を自首するよう説得しろって?」

「不可能じゃ、ないはずだ。これまで使用した力、全部が全部能力だけってわけじゃないだろう? 自分の魅せ方を知らない人間が伝統校の生徒会長になんかなれない、だろ?」


 強制ではなく、自主的に。つまり、相手の心が本当に望んでいることなら。それを表出させれば能力者であろうとも抗えない。自分の本心だからだ。これが根っからの悪党であれば意味をなさないしかし、彼女はそうじゃない。私を殺すのも場合によっては、と言った。他の場合もあると言うこと。また、これまでの彼女の言動を思い返せば、ヒントはいくつもあった。

 一つ大きく息を吸い、酸素を取り込む。ひといきのあいだに言葉を頭に浮かべ文を作る。相手の耳に効果的に入るように構成を考える。

「あなたの望みは叶うわ」

 身動きを封じられながら、それでも動揺することなく、彩那は言葉を紡いだ。

「どういう、意味でしょう?」

「そのまんまの意味よ。あなたが本当に望んでいることを、私は叶えられる。あなたは私のことを探偵と言ったわね。探偵は、全部の謎を解くものでしょう? でもまだ全ての謎は解けてない。あと少し残ってる」

「面白いことを仰いますね。では会長。教えてくださいよ。ちなみに、間違えたらこの腕がどうなるかわかりますよね?」

 脅されながら謎を解く探偵は稀だろうな、と思いながら、彩那は犯人と答え合わせをする。

「その前に、紹介したい人がいるわ」

 入って、と彩那が声をかけた。奥の備品室のドアが開き、中から一人の生徒が現れた。莉緒の目が見開く。

「紹介はいらないわね。事件の日、あなたが助けた生徒、剣道部一年の武見穂積さんよ」

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