第179話 判決

「何・・・これ・・・」

「君に倣って言えば、『お願い』をしたのだ」

 唖然とする彼女に、いっそ諭すような、やんわりとした声で鬼は語る。

「君が『普通の人間』で良かった。下手に人情話みたいな『仕方なくやっていた』みたいな話をされるよりもずっとスムーズに済んだよ。あれをされると、長引くからね」

 鬼がクシャリと顔を歪める。苦笑したつもりのようだが、どう見ても怒っているようで子どもが泣き出しかねない。その強面に、彩那が食って掛かる。優等生の仮面が剥がれた、憤怒の形相で。

「一体、私に何をした!」

 涼しい顔で受ける鬼は涼しい顔でそれを受ける。

「だから、『お願い』だよ。目には目を、歯には歯を、お願いにはお願いを。君に、そこにサインしてもらえるようお願いした。そしたら君は頷き、快くサインしてくれた。それだけの話さ」

 証拠VTRもあるよ、とバラエティ番組のような軽いノリで鬼が言う。

「記憶に無い! 本人の意思を無視して書かせたものに証拠能力なんてあるはずない!」

「なぜ記憶に無いのに、本人の意思を無視しただなんて言える? 意思はあったかもしれないだろう? だって、それは君の筆跡じゃないか。強要された文字にも見えないし。じゃあやっぱり『君が』『自ら』進んで書いたんだよ。記憶が無いのは、記憶障害か何かじゃないか?」

 その時は、責任能力の有無の方を問うことになるかな、と鬼はおどける。

「そんなこと」

「あるはずない、と断言できるか? その根拠は? 医者で精密検査した記憶はあるかな?」

「そこまでにしておけよ」

 二人の口論に、キツネ男が割って入った。

「イバラキよ。年下のあどけない少女に対して、さすがに意地が悪すぎるぞ。そんなだから、最近のヤマトタケルは口ばかりが達者で陰湿だ、と陰口を叩かれるのだ」

「それだけ今が平和だ、という証拠だろう。我らが本気で戦うような化け物が近年現れてないということの裏返しだ」

「本当に、口の減らない」

 キツネ男が喉を鳴らす。そして、視線を彩那に向けた。

「お嬢さん。諦めな。おとなしく裁可を受けると良い。もうそいつにサインしちゃったし。サイン前なら何とか出来たかもしれないがね」

「こんな紙きれに、どんな効力があるって言うのよ。ここは裁判所じゃないんでしょ? 法治国家で別の法による刑が執行されること聞いた事無い。子どもが適当に決めたルールと同じよ。こんなものに効力なんて」

「それが、あるんだな」

 キツネ男の言葉が終わるか終わらないかのうちに、彩那の手元が淡く輝く。罪状を書き連ねた紙が、ひとりでに折りたたまれ、細く長い一本の紐に変化した。目の前の摩訶不思議な光景に動けずにいる彩那に向かって、紐の両端が急激に伸びた。反応する暇もなく彼女のうなじ辺りで両端は結びつく。すると今度はゴムのように紐が縮む。あまりに勢い良く縮んだため、首が絞まった。

「はふっ、ぐっ」

 苦しさにあえぎ、紐と首の間に爪を差し込もうとするも、完全に皮膚と密着した紐には隙間がなく、周囲の皮膚を引っかくだけだ。縫い付けられ、一部になってしまったかのようだ。

「無理にとろうとしなさんな。そいつは天邪鬼でね。無理にとろうとすればするほど食い込む」

 いつの間にか隣に立っていたキツネ男が、彼女の腕を抑える。彼の言う通り、彼女があがくのを止めると嘘のように締め付けが緩み、つけている感覚さえなくなった。

「君は勘違いをしているようだ。ここは君の暮らしていた法治国家ではない。我々の法が支配する場所だ。だから例えば、君が言うような子どもの決めた適当なルールでも口約束でも、決まってしまったのなら守ってもらう」

 必死で息を整える彼女に、キツネ男の言葉が積み重なる。

「ふざ、け、るな」

 彼女は馬鹿ではない。むしろその逆で、非常に優秀だ。でなければ進学校の生徒会長になどなれない。だから、自分が完全に追い詰められ、不利な状況であることも察していた。

 だが優秀だからこそ、と言うべきか。自分以外は全て愚か、操られて当然とまで認識していた彼女にとって、手も足も出ずに、しかもこれまで自分が他人に行ってきた方法でやり込められたこの状況は認められるものではない。十年足らずで自由に伸び放題育った傲慢なプライドが、目の前の、彼女からすれば理不尽に屈する事を拒んでいた。

「その負けん気は買うがね」

 キツネ男が苦笑する。

「子どもの癇癪に長時間付き合ってられるほど、私たちは暇じゃない」

 鬼はうんざりといった様子で、周囲を見渡す。

「さっさと彼女の措置を決めてしまうぞ。彼女の罪は力の悪用だ。また、力を持つ者が守るべきルールを知らない。したがって私は、それらを学ばせるための施設に放り込む事を提案する」

 鬼の発言と同時に、周囲から意見が飛び交う。周囲もまた、既に彼女から彼女の処遇について意識がシフトしている。憤りを抱える彼女のことを、もはや誰も気にしていない。それがさらに彼女に屈辱を与えるが、それも、誰も気づかない。

「学ぶ施設、となると学校か。アテナ魔術学園はどうだ?」

「悪いが寮に空きがない。今年は入学者数が多かったからな。数年に一度はこういう当たり年ってあるんだよね」

「他の魔術系の学校に空きはあった?」

「待て待て。そもそも彼女の力は魔術というより、能力だ。遺伝的な。となれば、獣人たちが入学するバベル系統のところの方が良いんじゃないか?」

「しかし、見た目がまるまる人間ってのは、どうだろう。いじめの対象にならないか?」

「ああ、前に問題になったねぇ。尻尾がどうの、翼がどうの、角がどうのって」

「くだらないことに子どもって拘るからな。しかもそういう連中に限って血の気が多いからなお困る」

「あ、いっそ色んな種族集まるところはどうです?」

「まさか、レムリアに送る気?」

「そうそう。アトランティカ王立学院なら、複数の学科もあるし」

「それは不公平だろう。あそこは今誰も彼もが入学したがる人気校だ。倍率高すぎて落ちてしまった他の子どもに申し訳が立たない」

 ああだこうだと意見は出るが、決定打は出ない。

「そもそも、彼女は今普通の人間の学校に通っているのだろう。急にいなくなって問題はないのか?」

 しかも施設に入れない方が良いのでは、という意見まで出始めた。

「関係者に関しては、記憶をいじれば問題ないだろう。高い金と貴重な素材使って作り上げた機材を今使わずいつ使うんだ」

「そういう事を言ってるんじゃない。彼女の更生だけが目的じゃないだろ? 今後の生き方も考慮すべきだと言っている。学生時代に築き上げたものは、社会に出てからも必要になる。それを全て無くす気か?」

「ならどうする。施設以外でどうやって?」

「個人のところに弟子入り、みたいなやり方もあったよね」

「指導員免許持ってる奴のとこにか」

「ああ。あったあった。保護観察官制度を真似た奴な。ドラマで見て取り入れたんだよな」

「けどあれだろ、彼女の住んでる世界でって縛りがあるだろ? 条件厳しくない? まだそんなに指導員の数いないっしょ」

「ダマバンドの辺りは多いぞ。移住を目的とする連中が多いから」

「だから。今の彼女の生活圏から遠いんだって。片道何時間かける気だよ」

「今住んでる地域か。この国物価高いからなあ」

「あ、あれだ。確か有力な一族が昔からいたはずだ。鷹ヶ峰殿の知り合いだったはず」

 周囲の視線が、裁判長席に座る少女に集まる。

「スセリのことか?」

「そう! あの男の末裔、三蔵の跡継ぎだ。彼女の家なら問題あるまい!」

 とうとう答えが出た、と周囲は湧くが、鷹ヶ峰と呼ばれた少女は「申し訳ないが」と首を横に振った。

「彼女の家は勘弁してやってくれ。つい先日、異界からの新入居者が現れてね。既に共同生活を始めている。その者の対応で手一杯だ」

「そこを何とかならないか。塾みたいに、一日数時間だけ、とか」

 ようやく見えた論議の出口、誰もが閉ざされたくないので食い下がる。しかし、鷹ヶ峰は頭を下げ、その意見を却下した。

「彼女の親友としても、頼む。彼女にとって、非常に重要な人物だ」

「それほどの重要人物が?」

「彼女の将来の婿だ」

 一瞬の間を置いて、ああ、と誰もが納得した。

「それなら・・・仕方ありませんな」

「うむ。ようやく春が来たという事か。いや、めでたい」

「水をさす訳にはいかんしな」

「後で祝いの酒を送っておこう。花輪も」

 めでたいのは良いことだが、結局問題は解決しないままだ。意見もいつしか途絶え、場に沈黙が訪れた。

「鷹ヶ峰裁判長。ひとつ提案が」

 モニターのひとつから発言があった。全員の視線が集まる。

 恐ろしいまでに整った顔立ちの人物が映し出されていた。男とも女とも取れる中性的な面立ちを人が見れば、天使を連想するだろう。柔らかな笑みを湛えて、透き通った声で述べた。

「『彼』はどうでしょうか?」

「『彼』・・・。ああ、あいつか」

 彼と呼ばれた人間に心当たりがあった鷹ヶ峰は納得した。周囲もすぐさま察した。他人と距離を置く癖のある鷹ヶ峰があいつと気安く呼ぶ人間は限られており、かつ自分たちの問題を任せられる人間は一人だけ。

「でも、あいつは確か、別件を調査中のはずだが」

「彼女の通う学校は、彼が調べている件に関係しています」

 その言葉に鷹ヶ峰は思案顔で「なるほど」と頷いた。

「それに、近くに私もいますから、いつでも協力できますし」

「御身も店が忙しいのに、良いのか?」

「いえいえ、そんなことお気になさらなくても良いんですよ。気軽に頼ってくださいね」

「恩に着る。ルシフル殿」

 ルシフルに一礼してから、鷹ヶ峰は法廷を見渡し、判決を下す。

「被告、比良坂彩那には、認定指導員『坂本辰真』の元での更生を言い渡す。異議のある者は挙手を」

 誰も異議を申し立てる物はない。文句のつけようのない誰もが納得できる案だし、何より、この場でも最古参であるルシフルには全員が信頼を置いている。

 一人異議を申し立てたい者が居るとすれば

「ふざけるな!」

 彩那が怒鳴った。ようやく自分にスポットライトが当たったと思ったら、更生しろ? 本人の意思を無視してどこまでも馬鹿にしてくれる。

「そんなもの認め」

 彼女の声は半ばで途絶えた。理由は簡単だ。足元の床が突然消えたからだ。悲鳴を上げることも出来ず、彼女は暗闇の中へと落ちていく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る