第178話 常識外れなノンフィクション

「な、ぁっ・・・」

 ようやく周囲を見渡せた彩那は、再び声を失う。

 彼女を囲むようにして、ずらりと机が並ぶ。空中には巨大なディスプレイが浮かび、衛星のようにくるくると同じ周期で回っていた。机があるということは当然椅子があり、何者かが陣取る。ディスプレイにも何者かが映り込み、彼女を見下ろしている。

 その『何者』かが、彼女の声を奪う原因だった。

 まず彼女から向かって右にいるのは見上げるような巨漢だった。彩那の身長が百六十五センチ。女性としては高い方だが、その彼女の目線が男の腰の辺りで、上半身がさらに上に伸びる。目測でも三メートルを超えている。横幅も広くがっしりと筋肉質で、腕一本、足一本が彼女よりも巨大だ。至近距離からだと壁と見間違うかもしれない。

 だが、体格などは男の異質さの一部でしかない。大型獣のような体格と放たれる威圧感以上に注目すべきは顔。ギョロっとした目に口から飛び出した鋭い牙、額から伸びた一本の角だ。額の中央から伸びて、天に向けて軽く湾曲して伸びている。

 鬼。

 人知を超えた怪力を誇る妖怪。これまで見た事が無くても、すぐに記憶から答えがはじき出せてしまうほど、鬼の特徴が知識と一致している。

 だが、鬼などフィクションにしか登場しない、空想上の存在のはずだ。そんな空想上の存在であるはずの鬼が、ストライプの入ったグレーのスーツを着こなし、出来る男を演出しているちぐはぐ感はいっそコメディーのようで、状況が違えば彩那も笑っていられただろう。

 対して左側にいるのは真っ黒な着物を来た壮年の男だった。鬼と比べれば小柄ながら、それでも百八十はありそうな上背にきりっとした目じりに高い鼻、薄い唇の涼やかなキツネ顔。真っ白な髪を後ろに撫で付け、口を真一文字に結び厳しい雰囲気を出している。ただ、男の特徴はと問われれば、真っ先に上げるのは頭から飛び出た三角の耳と収穫直前の稲穂のようにふっくらと膨らんだ金色の尻尾だろう。左右に揺れる尻尾は猫でなくても飛びついて撫でさすりたい欲求に駆られてしまう。コスプレにしては良く出来ている。出来すぎている。あれほど滑らかに、かつ不規則に尻尾が動くようプログラミングできるものなのだろうか。なにより、厳粛な雰囲気を本人が出しているということは、厳粛な場所であると自覚しているはず。そんなところへコスプレをしていくものだろうか。文化の違いでも補いきれない違和感だ。

 彼だけではない。その後ろや、自分の背後、傍聴人席にはコスプレ以上の姿の存在が多数見受けられた。宙に浮かび透けている者、グレイ型と呼ばれる銀色タイツの宇宙人、龍頭、翼人など等。人型はまだ理解できる方で、中には不定形の存在までいた。

「それでは、開廷する」

 彩那の真正面、裁判長席に小柄な少女が告げた。少し癖のある髪を肩まで伸ばした、彩那よりも年下、中学生くらいの可憐な少女が、この中で一番の威厳を放っている。凛とした声もけして大声では無いのに、広い空間内の隅々まで行きわたるように通った。命令するのが仕事の人間が出すような発声だ。彼女が座席につくと、鬼もキツネ男も、周囲の傍聴人も揃って着席した。

「固くならなくて良い」

 少女が彩那に対して微笑んだ。人を安心させる笑顔だ、と彩那は感じた。自分が良く使うからだ。どう人に見られているかを彼女も意識して行動している。良く見られるということ、人から見て魅力があるという事は、それだけ人を操れるという事だ。

「裁判の体をとっているが、実際はそこまで堅苦しいものじゃない。ただ、頬をつねってもらえば分かるが、夢でもない。紛れもなく君は今覚醒しており、現実の世界にいる。少々、常識の範疇に納まらない、フィクションじみた連中はいるが」

 自分に焦点が当たってから、人間は二通りに分かれる。より焦る者と、少しずつ冷静になる者だ。彩那は後者だった。目を瞑り、大きく一度、二度と深呼吸する。それだけで落ち着きを少し取り戻せた。

「でも、私の事を被告人と言いましたよね?」

 少女に対して尋ねる。左側に座るキツネ男が「お」と少し驚き、感心したような顔をした。気配でキツネ男たちの変化を感じながら、彩那は続ける。

「私は、何か罪を犯した覚えは無いのですが」

「自覚がないのも問題なのだ」

 あっても問題だが、と彼女の発言に右側の鬼の顔が、もとから厳つい顔をさらに険しくした。

「君が一般人に対して行使している力は、みだりに使って良いものではない」

「何を、でしょうか? 私はただ人に『お願い』をしているだけです。すると、これまでお願いした方全員が『たまたま』お願いを聞いてくれたに過ぎません」

 いざとなればその力を使い脱出する、と頭の片隅で逃走のシミュレーションする。相手はおそらく自分の力の事を知っている。全貌を知る相手にとって今のは子どものような言い訳だが、構わない。激昂してくれればそれはそれで操りやすい。何かに対して怒っている人間は、その事だけに集中している。

 彩那は、相手の意識をアンテナのようなものとイメージしている。ある方向からの刺激を受け取るためにアンテナの向きをその方向に変えるのが集中だ。彩那の力の使い方は、相手のアンテナに向かって力を放ち受信させ、徐々に侵食していくイメージだ。なので、彼女に集中してくれれば操りやすいということになる。

「そうか。それは残念だ」

 しかし、鬼は激昂するでもなく、静かにため息をついた。そして右手を掲げ、彩那の腕くらいある太い指を器用にパチンと鳴らした。音が殷々と鳴り響き、そして止んだ。

 一体何のつもりか。誰かを呼ぶためか、それとも合図のつもりだったのか。ともあれ不発に終わった。少なくとも彩那にはそう映った。

「? 何、だったのでしょう? 何か始まるのですか?」

 小首を傾げ、心底不思議そうな顔で彼女は鬼に尋ねた。もし一連の動作が失敗であれば、さぞ馬鹿にされたと思うだろう。しかしそうではなかった。鬼は「いや」と首を振り

「もう全て、終わった」

「どういう事です?」

「目の前の机の上を見ると良い」

 鬼が示す方向に、彼女も顔を向けた。彼女も良く使う、学校の議事堂や体育館に置いてある講演台に、一枚の紙が置いてある。導かれるように手に取り、内容を読み込んでいく。内容が頭に入るごとに、彼女の目が驚愕に見開き、紙を持つ手が震え始める。

「私、比良坂彩那は・・・全ての罪を、認め、如何なる異議を申し立てることもなく、判決を受け入れ、罪を贖うことを誓います・・・?!」

 しかも、彼女が驚いたのは罪状云々誓い云々のみではない。紙の一番下に、した覚えの無い自分のサインと、ご丁寧に拇印まで入っているのだ。揺れる視線が紙を持つ右手に移る。右手親指をずらすと、赤が紙に滲んだ。痛みもある。インクじゃない。血判だ。自分の体が傷ついていたことに、ようやく気づいた。

 これまで自分が操ってきた人間が味わった不安と恐怖を、今彼女は味わっていた。

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