第180話 常識教盲信者

「っ!」

 暗黒に放り出されたと思ったら、全身が打ちつけられた。地面に叩きつけられたにしては、痛みはないし、体と接着している箇所はふかふかで柔らかい。起き上がるために手をつくと、手が少し沈む。羽毛の布団と毛布が体の下にある。

「・・・ベッド?」

 どこからどう見ても、普通のベッドだ。辺りを見回す。狭い部屋、おそらく六畳ほどだろうか。天井ギリギリの本棚が四方に敷き詰められて壁が見えない。並べられている本は漫画に小説などジャンルは問わず、また巻数どころかタイトルやシリーズすらもばらばらで、いっそ何かの暗号でも隠されているか、ある種の規則性を持っているのではと疑いたくなるくらいだ。ベッドの真正面には狭い部屋には似つかわしくない四十二インチのテレビがどんと配置され、寝転びながらでもテレビを見るという、住人の強い意思が感じられる。

「んだよ。もう来たんかよ」

 悪態が彩那の耳に届く。振り返ると、開いたドアの向こうに人影があった。

 小柄な男だった。身長は自分と同じ位だろうか。頭の上の空間が開けていて、向こうの電灯が見える。髪はぼさぼさで伸び放題、長く伸びた髪で目元どころか顔半分が隠れている。見える口元は面倒くさそうにへの字にひん曲がり、頬にしわが寄っていた。髪を整える気がないのなら、当然服装にも気を使う方ではないようで、首元がよれた無地のトレーナーにゴム紐がよれたジャージを履いている。ジャージには『坂元』と刺繍が入っていて、おそらく学校で使用される体操着の一種と思われた。猫背気味な丸まった背中と痩せた体型が小柄に拍車をかける。何より本人の発する空気が暗い。陰気な男、それが、彩那が目の前の男に下した第一印象だ。

「忙しいってわかってるはずなんだがなぁ」

 年下の娘から低い評価を受けていることなど露知らず、男はがりがりと頭をかいて、心底嫌そうに唸った。ずかずかと室内に入り、折りたたみ式の椅子を広げて彼女の前にどっかと座った。

「ま、今更決まっちまったものは仕方ねえ。ルシフルには世話になってるし、店のツケもあるし」

 タブレットを取り出し、スクロールさせる。

「比良坂、彩那。十八歳。スメラギ女子大付属高校・・・へえ、あのお嬢様学校かい。しかも成績優秀で生徒会長までやってんの? 文武両道って奴だ」

「ちょっと」

 彩那が声をかける。画面から視線を上げた男と顔を会わせる。髪の毛の隙間からわずかに目が覗き、視線が合う。

 ここだ。彩那の目が深紅に染まる。さっきは能力を使う間もなく封じられた。なら先手必勝。目の前の男は少なくとも連中の関係者だ。こいつを操り、事情を聞きだす。

「ここはど、ごぐっ」

 だが、彩那の思惑は完全に封じられる。力を使おうとした瞬間に首が絞まり、声どころか空気すら出入りできない。うずくまり、ベッド上を転がりながら必死で空気を求め、喉元を引っかいて喘ぐ。

「お前、頭パーかよ」

 うんざりしたような声が頭上から響き、彼女の腕が押さえつけられる。途端に首の絞まりは徐々に緩み始め、空気が通りだした。

「さっきも同じ目に遭ったんじゃねえのか。それとも、まだ夢を見てると思ってんのか?」

 さっきも同じ目に・・・まさか、さっきの紐が?

「そうだよ。お前の首には制約の首環がはまってる。力を使おうとしたらそいつが絞まるから、気をつけな」

「はな、せ。離れてっ」

 腕を押さえつけているからか、男と彩那の距離はかなり近かった。力任せに腕を振ると、男はあっさりと腕を放し、椅子に戻った。

「あなたたちは一体何なのっ!」

「あ? 何だよ。そんなことも知らずにここに来たのか?」

「知らないわよ! いきなり拉致されて、変な法廷みたいな場所に連れて行かれて、勝手に裁判にかけられて、気づいたらここよ。誰か説明してよ!」

 気がおかしくなりそうだった。自分の常識の通用しない、未知という恐怖を身をもって体験していた。

「十六夜の野郎」

 男ははあ、とため息をつく。

「わかった。説明してやる。その代わり約束しろ。ここで暴れるな、僕の家だ。近所迷惑だし、追い出されるのは勘弁だ。力を使おうとするな、さっきみたいに首環が絞まる。次は助けない。最後まで話を聞け。どれほどわけがわからなくても、信じられなくても、だ。僕は事実しか話さない。質問があれば後で聞く。OKか?」

 不承不承、彩那は頷く。

「こっちにこい。茶くらいは淹れてやる」



「お前がいたのは、『ポート』『港』と呼ばれる、この世界の玄関口として作られた場所だ」

 男は坂元と名乗り、彩那をテーブルにつかせて缶コーヒーを渡した。茶葉が切れてたらしい。自分も同じ缶コーヒーを手に取り、プルタブを開けて対面に座る。

「この、世界?」

 いきなり疑問符しかつけようのない言葉が出てきて、彩那の口から飛び出した。

「お前も見ただろ。フィクションでしかお目にかかった事のないような連中が勢ぞろいしてたはずだ。ありゃ、着ぐるみでもコスプレでもなく、本物の化け物とか宇宙人どもだ。別の世界だとか何億光年離れた場所にある他の惑星とか地下とか天空とか結界内とか、いたるところに色んな世界があって、そういう場所で暮らしてんだけど」

 だが、彩那が坂元を見る目は、相変わらず疑惑に満ちている。確かに信じがたいような体験をしたが、いざ他人の口からフィクションでしか聞いた事のないような言葉を耳にしたら疑ってしまう。むしろ全て夢で、自分の勘違いだと自分の認識さえ疑ってしまう。目の前の自分の目よりも、世間一般に定着している常識こそ正しいと、誰もが教わったわけでもないのにそれが正しいと盲信している。常識が自分を救うとは限らないのに。

「疑おうが信じまいが好きにしてもらって構わないが、あれを見ておいて信じないって、やっぱパーなのか?」

「いきなり化け物や宇宙人はいますって言われて、信じれるわけないでしょ?」

「自分も普通の人間が持ってない力を持ってるのに? アホじゃねえの?」

「私のはまだ説明がつくの。催眠術みたいなもんなんだから。だいたい、化け物や宇宙人がいるなら、人間は滅ぼされてるか、支配されてるんじゃないの? 魔術やら妖術やら超能力やら人知を超えた能力使ったり、現代技術よりも優れた技術持ってんでしょ?」

 今の世界に人間が蔓延していることこそが、化け物や宇宙人がいないことの証明。彼女はそう考える。

 確かに一理ある。強い者が生き残るとはまさに真理で、人類の歴史でもそれが証明されている。坂元も、彼女の考えは否定しない。なぜなら『強い者』の軌跡により、今の世界は作られたのだから。

「お前の言う通り、化け物どもは人間よりも強い力を持ってるし、摩訶不思議な術も使える。宇宙人どもは宇宙を航海し、何億光年をワープしてしまう技術がある。連中が本気出したら人類は一日も持たずに滅ぼされる」

 だが、奴らはそれが出来ない。いったん区切り、坂元は一口缶コーヒーをすする。

「理由は大きく分けて二つある。一つ。そんな事をわざわざしなくても、いずれ人間は勝手に滅びる。この世界に来ている奴らの目的の多くは移住だ。自分がこれから住もうって場所を、いずれくたばる連中を排除するために傷つけるような愚行を犯す必要はない。

 もう一つは、この世界の守護者たちを敵に回したくない」

「守護者ぁ?」

 また奇妙なワードが出てきて、彩那は首を傾げた。化け物、宇宙人ときて、お次は守護者。理解が追いつかないというか、馬鹿馬鹿しくて聞く気にもならないというか。彼女のそんな態度を知りつつも、坂元は話を続ける。

「嘘みたいだが、事実だ。大昔、二人の英雄が存在した。そいつらが人間を滅ぼそうとする化け物をぶっ飛ばしたり、支配しようと攻めて来た宇宙艦隊ぶっ潰したりと大暴れした。その英雄の子孫や意思を継ぐ者が現代も存在している。ここらでは三蔵の一族が有名かな。魔術師の家系なら世界中に結構あるし、ヨーロッパのどっかには龍に乗って聖剣ぶん回す一族がいる。後は、お前みたいに特殊な遺伝子を持った人間、英雄から受けた昔の恩を返すと味方してくれてるアトランティカ王国とか、か。そういう連中がこの世界を一応守ってる。化け物や宇宙人どもは、そいつらを敵に回すリスクよりも、共存を取った。大昔に痛い目を見たってのもあるだろうがな」

「馬鹿馬鹿しい」

 とうとう彩那が声に出した。

「そんな話、今時子どもでも信じないわ。今現代でも立ち打ち出来ないような連中を、大昔の英雄が倒しただなんて。フィクションの作品でも荒唐無稽すぎてつまらない話。レビューつけるならゼロ点よ。話につきあった時間を返して欲しいわ」

 坂元はため息をつきながら両肩を落とした。

「連中が表に出ない一番の理由は、お前みたいな自分の目すら信じない馬鹿な連中の相手をしたくないからだろうな」

 説明して損した、と坂元は缶コーヒーを飲み干す。

「まあいいや。信じる信じないはこの際どうでも良い。お前が一番知りたい事をこれから伝える。首環の外し方だ」

 ようやく知りたい情報が得られる。彩那は口を閉じ、坂元の言葉の続きを待った。

「どうせ納得してないんだろうけど、僕たちのルールに照らし合わせると、お前は罪を犯した」

「だから、そんなの知った事じゃないのよ。なんで私がそっちの勝手な言い分で裁かれなきゃ」

「もう、本当面倒だな」

 机に乗り出して自分の正当性を訴えようとする彩那を、わずらわしそうに細めた目で眺めながら、坂元は指を鳴らした。それが合図で合ったかのように、彩那の首環が絞まる。

「なっ、が、ぁ、っつ」

「子どもの頃に家族からでも先生からでもいいから教わらなかったのか? 人の話は最後まで聞けって。最初に忠告までした。なぜ守れない。正直に言うけど、ルシフルからの依頼じゃなきゃ、僕はお前みたいな自分中心で生きてるガキの指導員なんて引き受けなかったよ」

 坂元がもう一度指を鳴らすと、彩那を縛る紐はすぐさま緩む。気道いっぱいに空気が大挙して肺に流れ込んで、激しくむせる。咳き込み、背中を丸めて蹲る彼女を冷たい目で見下ろしながら、坂元は続けた。

「さっぱり理解出来ないな。どうして教えを請う側が『教わってあげる』みたいな上から目線なんだ? お前は本当に僕から情報が欲しいのか? それとも何でもかんでも否定したいだけなのか?」

 呆れる彼を彩那は恨みのこもった、涙の滲む瞳で睨む。

「選択肢は二つだ。僕の話を聞く。聞かない。どっちにする? 聞かなくても、別に良いと思うよ。お帰りはあちらから。別段その首環は取れなくても生活に支障はないよ。能力さえ使わなきゃ、今後絞まる事はないだろう。僕の事も、さっき起こったことも忘れて生きていけるよ。これまでと同じ、お前の愛する普通の、常識に囲まれた世界に戻れる。この部屋から出ればすぐだ。僕としてもそちらをお勧めするよ。面倒くさい。本当に、心のそこから面倒くさいんだ。お前の相手なんて」

 坂元が指し示す方向にはドアがある。ドアノブが少し錆びてはいるが、どこにでもある普通の玄関ドアだ。

「聞く場合、最終的に首環は外れる。だが、結局能力使用に制限をつけてもらう。だって悪用しないための更生が目的だからな。加えて、僕からの課題をこなしてもらう必要がある。それが外す条件だからだ。結構面倒だと思う。それでも良いなら、席につけ」

 彩那は坂元を見、ついで玄関を見た。立ちあがり、少しの逡巡のあと乱暴に席についた。

「面倒くさ・・・」

 坂元は吐き捨て、しかしきちんと彼女の対面に座った。

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