第172話 迷ったときは心のままに

 スライムの体表が隆起し、伸縮自在の槍となってこちらに伸びる。バックステップで躱すと、僕のいた場所に槍が突き刺さり、そのままぷちんと本体と切れた。切れた触手はうねうねと動いていたが、やがて収縮し、半透明の目のない蛇になった。アジ・ダハーカの眷属を作る能力か。

 飛び掛ってきた蛇を腕で払う。ゴムみたいな感触だ。壁に激突した蛇はぴしゃりと潰れ、壁を伝って滴り落ち、本体に戻っていった。

「その程度で僕を喰おうってのか? 笑わせてくれるぜ」

『笑わせてくれる、はこちらの台詞だ。その程度で勝ち誇られてもな』

 スライムが四方八方に触手を飛ばす。狙いは僕だけではなく、クシナダやドゥルジ、集まってきた狩猟者たちだ。クシナダはドゥルジを抱えて空に逃げた。狩猟者たちは驚きの声を上げながらも、躱し、防ぎ、対応する。

「タケル、何なのあれは!」

 ちぎれて蛇になった触手を切り払いながら、ウルスラが近づいてきた。

「シュマだ」

「シュマ・・・、え、あのシュマ?」

「どのシュマのことを言っているのか知らないけど、僕が知ってるのは剣帝と呼ばれた男だけだ」

「私が知ってるのもそいつだけよ! こんな時に揚げ足取ってややこしくしないでくれる!」

 また怒られた。怒ったり嘆いたり、大変だなこいつも。

「何でシュマがあんなことになってるの」

「どうやら、アジ・ダハーカの力を奪い取ったらしい。そして、新たな化け物として君臨する気だそうだ」

「どうしてそんなことに・・・。あれだけ街のために戦ってくれたのに・・・」

 少なくないショックを受けている。そうか、彼女にとっては長い間ともに戦ってきた戦友なのだ。戦友が裏切ったら、ショックも受けるか。

「奴にとっては、あれこそが目的だったようだ。街を守っていたのは物のついでだ。アジ・ダハーカを倒すために、あんたらに全滅されちゃ困るからだ」

 自分本位なやつはこれだから困る。目的のためにはありとあらゆるものを利用して、いらなくなったら平気でポイ捨てしていくんだ。人のこと言えないけど。

「割り切ってしまうことをお勧めするよ。いまやあいつは、第二のアジ・ダハーカだ。この街を滅ぼすことにも、あんたらを殺すことにも躊躇はない」

「あなたは単純で良いわね・・・」

「褒め言葉として受け取って置くよ」

 嫌味が通じない、みたいな顔をウルスラはしているが、僕にとって単純という言葉は悪い意味だけじゃない。僕が従う、僕の中の判断基準は単純だからだ。

 物事の本質はほとんどがシンプルで、シンプルだからこそ出す答えもシンプルだ。考えすぎたりするから複雑に見えるだけで、大概のことはイエスかノーで分けられる。極論かもしれないが、世の中の全てはイエスとノーが連続で存在しているに過ぎない。もっと言わせてもらうなら、人間は好きか嫌いで決めたら良いんだ。他の人間の事や、利益やら未来やら色んな事をまぜこぜにして考えようとするからややこしくなるし、結局決めれず仕舞いになって残り物の後悔を強制的に選ぶ事になる。自分本位になって良いんだ。よほどの馬鹿か、僕のような悪党以外は。だから、彼女に問う。

「シュマと街の人間と、どっちが好き?」

「へ? 何よ突然」

「良いから。今だからこそ答えてくれ」

 それが、あんたがシュマに突きつける答えだ。

「街のみんな」

 少しもごもごしながら言っていたが、これは迷ったのではなく、口に出すのが照れくさかったからだろう。

「分かりきった事を聞いたかな? でも、大事な事は口に出した方がいい。口に出すと、その声を耳が聞いて、頭が理解して、心にストンと落ちる。自分の指針になる。迷ったら口に出せばいい。何が大事かを」

 少しきょとんとした後、ウルスラはくしゃっと顔を綻ばせた。

「タケルの言う通りね。そして思い出したわ。私、シュマが嫌い。クルサにいつも突っかかってたから」

「何より。ちなみに僕は、嫌いな奴にはくたばれと口と剣を突き刺すタイプだ」

「奇遇ね。私もよ」

「じゃあ、どうするんだい?」

「ぶち殺すまでね」

 ズシン、と近くにいた蛇がハンマーで潰された。

「誰であろうと、この街と街に住む人を害する奴は敵よ。敵は倒す。今まで通り。これまでと同じく。一度も例外のない、街に受け継がれてきた伝統よ」

 良い伝統だ。街のトップであるクルサ自身が率先して守ってるところもいいね。

「方針は決まったところで、後はあれをどう倒すか、だけど。・・・そういやタケル。おたく、武器はどうした?」

 ようやく二人が、僕が徒手空拳である事に気づく。

「寝てる間に、シュマに盗まれた。そんで、色々と説明やらを省いて要点だけ話すと、僕の剣を使ってあいつはアジ・ダハーカから力を奪った」

「はあ?! それって、あんたの剣のせいじゃない!」

「まあ、そうなる、かな?」

「そこは盗まれないようにして、事前に防いで欲しかったわぁ」

 ウルスラがまた怒り、クルサが額に手を当てて天を見上げた。うん。わざと見逃したことは言わずにおこう。わざわざ火に油を注ぐ必要はない。

 かといって、武器がないのはやりにくいな。普通の武器借りてもいいけど、折ってしまいそうだし、後で弁償しろとか言われても困る。

 悩んでいると、スライムの動きが変わった。ぼよんぼよんとその場で数回跳ねたと思ったら、スーパーボールよろしく上空に高く跳ね上がった。

「危ない!」

 ウルスラが声を上げるが、間に合わない。スライムはそのまま僕たちの上を通り過ぎ、後方で蛇相手に悪戦苦闘している狩猟者たちの頭上に落ちた。悲鳴を上げるまもなく彼らは押し潰される。スライムはまた跳ねて、別の場所にいる狩猟者を押し潰した。潰された連中の安否確認のためにウルスラたちが走り、僕も続く。

「えっ?」

 怪訝な表情のウルスラの口から、思わずといった感じでぽろっと零れた。理由は分かる。潰されたはずの狩猟者たちがいない。

 見渡し、スライムが飛び跳ねていた他の着地点にも潰されたはずの狩猟者や守備兵たちは見当たらない。どういうことだ?

「タケル!」

 上空からクシナダが僕を読んだ。見上げると、彼女がスライムの方を指差している。ドゥルジはいない。どこかに預けてきたのだろうか。

「あれ!」

 言われてスライムに目を移す。何だ? さっきと何か違う。違和感がある。

「もしかして、大きくなってる?」

 クルサが言う。確かに、さっきよりも膨れ上がっている。でもどうして・・・

「飲み込まれてる!」

 クシナダの叫びに、僕たちは改めてスライムを凝視した。膨れて表面が伸びたからか、中がうっすらと透けて見え

 潰されたはずの狩猟者たちが苦しそうにもがいていた。

「なっ・・・」

 声を失う二人。反対に僕は納得した。あれは剣の、蛇神の性質だ。喰らった相手の力を奪うのを利用して、喰った狩猟者たちの生命力を糧にしているんだろう。

「性質と力の使い方を理解しつつある、のかな」

「納得してる場合じゃないでしょ! あのままだとみんな飲み込まれてあいつの餌になっちゃう。どうにかしないと!」

「しかし、近づけば飲み込まれるわ。打つ手がない」

 焦るウルスラに悔しそうに歯噛みするクルサ。ふむ、さてどう見るか。

「クシナダ。試しだ。何本かあいつに矢を射てみて」

「分かったわ」

 弓弦に引き絞られた矢が放たれる。ずぶずぶと矢が刺さる。何本かはそのまま中に取り込まれるが、一、二本ほど飲み込まれていかない矢がある。表面に突き刺さったままだ。

『無駄無駄、効かぬわ!』

 スライムから腕が生え、刺さった矢を引き抜いて投げ捨てた。そこから戻らず、矢を射かけた本人に向かって伸びる。が、そのときには既にクシナダは飛び退いている。

「頭のところは取り込まれないって事か」

 スライムだから頭なのか胴体なのか分からないが、とにかく天辺は飲み込まれなかった。

「ちょっと! 人が大変な時に! サボらないでくれる!?」

 ぶっとい腕はホーミングミサイルのようにクシナダを追い掛け回している。

「ああ、あんたなら捕まらないだろう? そのままちょっと追いかけっこして奴の気を引いておいてくれ」

「何か、前にもこんなことあったわね。後で覚えてなさいよ!」

 文句を言いつつ、彼女はきちんと役割を果たす。責任感が強くて何よりだ。

 さて、彼女が時間を稼いでいる間に、僕は僕で作戦を練らないとな。奴は頭に突き刺さった矢を無駄と言ったが、本当だろうか。僕には、わざと無駄と強調したように見えたけど。試す価値はあるだろう。他の箇所はあいつが生み出す蛇みたいに、切れもしなけりゃ潰れもしなさそう。新型のターミネーターみたいな液体生物だ。

 さて、攻撃目標が決まったけれど、問題はやっぱ武器だな。素手での打撃は、ちょっと効果が薄そうか。熱も電気も効かなそうだし。

「この、しつこいわね!」

 上空ではクシナダと腕の追いかけっこがまだ繰り広げられていた。いい加減しつこいとクシナダが矢を構えた時、スライムが笑った。

『見事な腕だが、気をつけろよ』

 スライムの内側で動きがあった。何かが移動しているようにみえる。

 答えはすぐに分かった。飲み込まれた狩猟者たちだ。スライムの表面に鎧のように浮かび上がっている。いや、ように、じゃない。鎧にするつもりだ。

『下手に射れば、こいつらが死ぬぞ。もちろん、表面のこいつらをうまく通過したとしても、俺の体内には他にも何人もの人質がいる事を忘れるな』

 楽しげなスライムの言葉に、クシナダが舌打ちしながら構えを解く。その隙を狙うように腕が彼女を襲う。間一髪躱したが、攻撃できない彼女は逃げる一方だ。

「まずい、あれじゃ攻撃すら出来ない」

 ウルスラが嘆く。が、クルサは違うことを考えていた。

「人質にしてる、ってことは、飲み込まれた連中はまだ生きてるって事よね?」

 確認するように僕を見てきた。全く同意権だったので頷く。

「じゃあ、何とか切り離せば、奴を弱体化できるって事でもあるんじゃない?」

「まあ、そうだね」

 ただ、その何とかが問題ではあるが。

「我も、手伝おう」

 僕たち以外の声に、僕たちは声の方を振り返った。

「え、ドゥルジ?!」

 壁に手をつき、ぜいぜいと苦しそうに息をしているが、やはりドゥルジは生きていた。

「手伝うって、大丈夫なの?」

 ウルスラが駆け寄り、肩を貸す。寄りかかりながら「大丈夫だ」という奴が大丈夫だったためしは無いが、大丈夫じゃないだろうと指摘しても首を振って居座りそうなので、ほっとくことにした。

「お前らも察している通り、飲まれた人間で防がれている箇所に、奴の欠片がある。それを砕いてしまえば、奴は力を失うだろう」

「分かってても、人質が」

「あの取り込む力は、我に無かった。おそらくこやつが持っていた剣の力を使っている。奴は今、二つの力を使っているところだ」

 やっぱそうか。

「ゆえに、その取り込む力を奪い返せば良い」

 ドゥルジが僕を見た。ああ、そういうことか。

「じゃあ、まだ僕の剣は形そのままにあいつの中にあるってことか?」

「うむ。いかに我の力を使ったとしても、奴は『まだ』人間。今作り変えているようだが、二つの力を取り込めるほど丈夫ではない。ゆえに媒体として剣はそのままにしているだろう」

 体がでかくなってるのは、溢れ出る力に対応できる体を作ろうとしているんだ。アジ・ダハーカも蛇神も伊達や酔狂ででかかったわけじゃない。力に耐えうる体を構築したら、自然とあの姿になったのだ。理に適ってるね。

「我なら、奴の体の中にある剣を探し出せる。元は我の力だ。異なる力があれば見つけ出せるだろう」

 それはつまり、自分から飲まれに行くという選択か。なるほど。面白い。

「いやいやいや、ちょっと無理でしょ! そんなふらふらな状態で飲み込まれたら、探し物するどころじゃないわ! すぐに消化されちゃうわよ!」

「しかし、方法は他にない。そして、我の他にこの方法を取れる者はいない」

 ドゥルジがやんわりとウルスラの手を押しのける。

「気にするな。我はもう既に二度死んだ身だ。今更惜しくはないのだよ。それに我は、あの醜いもう一人の我、アジ・ダハーカとともに、お主らとこの街に酷い事をした。謝っても謝りきれぬ、償いきれぬ。だが、これでひとつ、お主らに報いる事ができる。どうか、頼む。やらせてくれ」

 ウルスラもクルサも、しんみりと押し黙ってしまった。街は守りたい、けれどドゥルジを犠牲にしてもいいのか、そんな葛藤が聞こえてきそうだ。

 まったく、何度言えば分かるんだ。物事はもっとシンプルに考えるべきなんだって。

 ここに、ドゥルジ以上の適任がいるっていうのに。悩む必要なんかないだろう?

「ジョーンズ方式を使うしかないな」

「じょ、え、何?」

 突然声を発した僕の顔を三人は揃ってみつめた。ジョーンズ方式は僕の勝手な命名だ。宇宙征服を目論む宇宙人から、ノリで地球を救う黒服の奴ら。その一人、渋くて強い俳優の名前から取っている。

「ドゥルジ、安心していい。僕はこんな事もあろうかと、元の世界で似たような状況を見た事がある」

「は? お主何を言っておるのだ? こんな危機を見た事があるというのか?」

「ああ。自慢じゃないが、何度もある」

 世界を救ったり怪物倒したりするのを見た回数は、おそらくこの世界ではナンバーワンだろう。世界の救い方も何通りも知っている。フィクションだけどね。

「やっぱ、映画監督の何人かは異世界に飛んだことあるんじゃないかな」

 ゴリゴリと首をまわし、ずいぶんとでかくなったスライムに相対する。一向に捕まらないクシナダから標的を変え、スライムはまた狩猟者たちに狙いを定めた。さらに力を蓄えるつもりか。

 スライムがまた弾む。今度の標的は

「やべえ! 来るな! こっちに来るな!」

 あの声、ザムか。見ればザムたち四人がこっちに向かって逃げてきている。途中、ハオマが瓦礫に足をとられて転倒した。

「ハオマ!」

「アッタ、止まるな! 行け!」

 止まりかけたアッタを、倒れたままのハオマが怒鳴りつける。

「ハオマァ!」

 手を伸ばすアッタを、ザムとワッタが掴み、引き摺って進む。それを見てハオマが笑い、彼に覆いかぶさろうとするスライム。

 割って入る。ハオマの襟首を掴み、アッタたちに向けて投げる。入れ替わるようにしてスライム直下に残る僕。

『わざわざ餌になりに来たか!』

 スライムの哄笑が響く。

「いや。違うよ」

 徐々に迫るスライムを見上げながら、笑う。

「餌を喰いに来たんだ」

 ジャムのような感触が全身を飲み込んだ。

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