第170話 終わらない今日

 街は暗く深く静まっていた。

 ただそれは、絶望に沈んだわけではない。ただただ、ひたすらに全員が疲れきって眠ってしまっているからだ。

 アジ・ダハーカによって街は蹂躙され、夜でも街を明るく照らしていた街灯も大半が破壊され、食糧の備蓄も大きな被害にあってしまった。祝勝会をするどころではない。死者の弔い、崩壊した建物の修繕など明日からの復興作業に備えて、少しでも体力を回復させるためだ。

 そんな星空の明かりが消えたような真っ暗な街の中を、たいまつを掲げた五人組の一団がひっそりと駆けていた。寝静まる子どもを起こさぬような慎重な足取りで、彼らは目的地にたどり着く。大きなトカゲの頭蓋骨を飾った、鑑定・換金を取り扱うレイネの店だ。店のある区画は幸いなことに比較的被害が少なく、レイネの店も大きな被害がなかった。

 一団は互いに顔を見合わせ、大きく頷くと言葉を発さず、足音を消し、息すら押し殺して店の横にある階段を上っていく。店の二階はレイネが経営する格安の宿だ。現在の宿泊客は二人。アジ・ダハーカとの戦いでもっとも戦果を上げた英雄が二人泊まっている。然しもの英雄も疲れ果て、戦いの後は早々に部屋に戻ってしまった。今頃は、いびきをかいて眠っているだろう。

 一団が二手に分かれる。一組が男の部屋、もう一組が女の部屋へと忍び込む。

 男の部屋に訪れた者たちが武器を抜き、ベッドに近づく。彼らの想像通り、男はいびきをかいて眠っていた。彼らの侵入に気づいた様子はない。

 彼らはおのおのが持つ武器を高く掲げ、男めがけて容赦なく振り下ろした。肉を貫き、内臓を引き裂く感触が彼らの手に伝わり、派手に飛んだ血しぶきが彼らの衣服を汚す。墓標のように男の胸や腹から剣やナイフが突き立った。

「あっけねえ」

 ようやく一人が口を開いた。

「あれだけの活躍して、龍まで殺した男ですらも、不意をつかれりゃこんなに簡単に死ぬのか」

「しょうがねえよ」

 もう一人が肩をすくめて苦笑する。

「どんな人間だって油断はする。特にあれだけの激戦を繰り広げた後だ。緊張の糸が切れても仕方ないさ」

「こいつの中ではすでに戦いは終わってたってことか」

「そういうこと。一度切れた緊張感はなかなか戻らない。ま、後は俺たちの腕が良いからだな」

「違えねえ」

 男たちが声を抑えながら笑う。

「お喋りはそこまでだ」

 最後の一人、一団のリーダー格である男がたしなめた。

「我々の本当の目的を思い出せ。殺して終わりではなかったはずだ」

 注意され、二人は自分たちに課せられた任務を思い出す。三人はたいまつを掲げながら部屋を見渡し、目的の物を発見した。男が持っていた朱色の剣だ。リーダーはそれを手に取る。

「間違いない。この男が使っていた朱色の剣だ」

 リーダーがためつすがめつ剣を眺めるのを、残りの二人は気味悪そうに見ている。

「伸びたり縮んだり、挙句他の武器に変わったりと、便利っちゃあ便利ですが」

「色も血みたいで気味が悪い。どうしてシュマ様はこんなもん欲しがったんでしょうな。別段こんなもん無くたって、あれだけの腕前がありゃあ十分無敵でしょうに」

「それは、我々が詮索すべきことではない」

 リーダーが彼らの疑問を一蹴した。

「シュマ様が求めた。ならば我らはそれを運ぶのみ。今までそれで何一つ問題なかっただろう? あの方について行けば、何も問題はないのだから」

「そりゃあ、まあ」

「いい目は見させてもらってますんで、シュマ様の命令とありゃ否やはございませんが」

 不承不承、二人は納得する。

「分かればいい。では、私はシュマ様の元へこれを運ぶ。お前たちはそいつを片付けろ」

 リーダーはそう言って部屋を出て行く。

「なんでえ、あの野郎。シュマ様のお気に入りだからって偉そうに」

 いなくなったのを見計らって男が愚痴をこぼした。

「しゃあねえよ。僻むな。あいつはシュマ様の次に強いし、頭も切れる。俺やお前が二人がかりでも勝てねえんだから」

「そうなんだけど、なんか気にくわねえんだよ。腹の中に一物抱えてそうだしよ」

「否定はしねえ」

 上司の文句を言いながら、二人は男の方へ振り返る。街を救った英雄の成れの果てがあったが、男たちの心に良心の呵責は無く、一片の感謝などの情も湧かない。男がどれほどの活躍をして、どれほど街の人間に感謝されたすばらしい人間であろうと、彼らにとってはどうでもいい存在だ。だってもう、死体になってしまったのだから。物と同じだ。邪魔な物は片付ける。それだけだ。

「なあ、女の方に行った奴ら、遅くねえか?」

「そうか?」

「だって、もう殺してるはずだろ? なのにこっちに合流して来ねえってどういうことだ? ・・・もしかして、殺す前に自分たちだけで楽しんでんじゃ」

 女の顔を思い出す。多くの街を渡り歩き、出会ってきた数多く女の中でもとびきりの美しい容貌をしていた。

「十分、ありえるな」

「だろう? ずるいよな。俺たちいっつもこんな役回りだ」

「嘆くな。速く終わらせて、俺たちもあっちに行こう。そうすれば」

「いや、それは止めた方がいい」

 突然、彼ら以外の声が室内に響いた。泡を食った彼らが後ずさりする。

「な、なっ」

「お、おおっ、おまっ」

 驚きすぎて彼らの口から出るのは言葉にならない空気だけだ。

 彼らの目の前で、殺したはずの男がゆっくりと体を起こした。無造作に体に突き刺さった剣を抜くと、血しぶきが舞って彼らの服をさらに汚す。

「っと、悪いね。クリーニング代は請求しないでくれよ?」

 へらへらしながら、男は次々と剣やナイフを抜く。抜いた先から、男の体にあった刺し傷は塞がっていった。

「ふむ、やっぱ一度寝たら回復力は戻るんだな。まるっきりRPGだ。宿屋で休むと体力回復、ってか?」

「お前、なんで・・・?」

 おそるおそる、一人が男を指差す。どうしてあれだけの傷を受けていながら生きているのかを訪ねたつもりだが、男は違う方に受け取った。

「ああ、あんたらが僕の部屋に忍び込んだ理由を探ろうと思ってさ。剣を持ち出して、シュマがどうするかとか、聞いてる?」

 男はあまり期待せずに尋ねた。死んだフリをしながら聞き耳を立てていたが、彼らの会話から特に重要なことは知らされていなさそうだと考えていた。もし知ってるとしたら、先に出て行ったリーダーくらいか。

「まあ、シュマ本人に会えば分かるか。悪いんだけど、奴がいるところまで案内してもらえるかい?」

「なんで俺たちが、そんなことを!」

 かろうじて立ち直った一人が剣を構える。もう一人もおっかなびっくりとした及び腰でナイフを構えた。

「なんでって、僕があんたらの命を助けてやったからさ。正確には、情報を話してもらったり道案内してもらったりと、こっちの言う事を聞いてもらうために生かしておいたんだけど」

「俺たちを助けた? わけの分からんことを言いやがって」

「事実だよ。もし僕があんたらを止めずに、クシナダの部屋に行ってたらどうなったと思う?」

 男の言葉が終わった瞬間、彼らと男の間で木っ端の嵐が吹き荒れた。部屋の外から何かが飛んできたからだ。何かはそのまま部屋の壁を突っ切り、外に飛び出して、向かいの建物に派手に突っ込んだ。

「へ?」

 二人が間抜けな声を上げている間に、再度何かが飛んできて、同じ穴を上手に通過し、同じように向かいの建物に突っ込んだ。

「ああなってた」

 男が指差す方向、何かが飛んでいった箇所に二人は視線を向けた。そこには女の部屋に忍び込んだ、今や虫の息の仲間がいた。折り重なってぴくぴくと痙攣している。

「僕も前にやられた。寝ぼけてる彼女に近づくなんて、自殺行為だよ」

 そして男は、再度同じことを頼む。

「シュマの元に連れて行け。でないと、あんたらも同じ目に遭うぞ」

 男の言葉に、二人は頷くしかなかった。彼らとて曲がりなりにも狩猟者。命を守ることが最優先だ。

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