第168話 首級

『待て、逃がさぬぞ!』

『我をコケにしおって。たかが人の分際で!』

 爆発の影響から立ち直ったアジ・ダハーカが、目ざとくタケルたちを見つけ、追いかけていく。

「クシナダ、頼む」

「任せて!」

 クシナダはタケルを抱えたまま絶妙な速度で飛ぶ。速すぎては相手が見失ってしまう。かといって遅いと追いつかれる。相手の攻撃がギリギリ届かず追いつかれない、一番イライラする距離を彼女は保つ。

『おのれ、うろちょろと!』

 アジ・ダハーカはいっそ素直なくらい真っ直ぐに追尾する。そこらの家々を踏み潰してショートカットすることもない。クシナダは絶妙な距離を飛ぶことでアジ・ダハーカが追ってくる以外の選択肢を失わせていた。

 広大な街を舞台に、どれほど追いかけっこを続けていただろうか。

 直進していたクシナダが直角に曲がり、大通りから細い路地へと入る。その後をアジ・ダハーカが追う。巨体を建物の壁面にこすりつけ、削り取りながら強引なドリフトを敢行。視界に納めたクシナダの姿が、曲がる前よりも接近していた。

 距離が縮まってきている。

 そう感じたアジ・ダハーカは止めを刺すタイミングを計り、照準を合わせ、前を飛ぶ羽虫クシナダたちに向かって炎を吐き出す。さっきまでの広範囲を焼く方法ではなく、口の角度を狭め、一点を狙う方法に替える。すぼめられた口元から吐き出される炎は広範囲を焼いた炎よりも勢いが速く長く伸びた。

 想定外の速さで伸びてくる炎に、クシナダは舌打ちし、直角に曲がる。炎は彼女の空気の羽を掠め、形を奪う。

「なっろぉ!」

 翼を失った彼女はバランスを崩し、きりもみ回転しながら落下する。地面まであとわずかといったところで翼を再形成し、地面にダウンバーストを叩きつけながら急上昇した。

 だが、彼女の昇る先に陰がさす。

『捉えたァ!』

 アジ・ダハーカの家ほどもある頭だ。首を鞭のようにしならせ、先端の頭が大気を押しのけながら迫る。巨大な頭に対して、クシナダはあまりにちっぽけな存在だった。たとえちっぽけと理解していても敵に抗うのは人の性であり、彼女もまた例外ではない。彼女の中にもう、理不尽を享受する諦念は存在しない。左手を掲げ、水と空気の障壁を面前に作る。

『そんなもので防げるとぉ!』

『思うたか!』

 隕石が落ちてきたかのような一撃が、障壁をことごとく打ち破り、彼女を打ち据える。巨大な頭に対して棒切れのように細い腕が軋みを上げ、骨が砕けた。アジ・ダハーカの一撃はまだ終わらず、彼女をそのまま地面に押し潰さんとする。

「防げるとはっ、思ってないわ!」

 障壁と左腕を犠牲にして稼いだ僅かな時間で、彼女はアジ・ダハーカの頭の下から抜け出す。自分と、自分が抱える人間を守りきる。だが衝撃は殺しきれず、地面に叩きつけられた。

『追い詰め・・・っ!』

 アジ・ダハーカが意表をつかれたように唸る。

『貴様は、誰だ!』

 さしものクシナダも先の一撃と落下の衝撃によって抱えていた人間を放り出してしまった。アジ・ダハーカにとってもっとも小賢しい人間がいる、はずだった。

「覚えとけ、って言ったはずよ」

 倒れていたその人物が、笑う膝に手を当ててよろよろと立ち上がる。

『確か、我の前に立った・・・、女!』

「ウルスラよ。ったく、ちゃんと名乗ったのに。お偉いアジ・ダハーカ様は人の名前を覚えておく頭も無いの?」

 ウルスラが纏っていた黒い布を剥ぎ取る。

「まあ、私達が入れ替わったことにも気付かない間抜けだから、仕方ないのかもね」

『入れ替わった・・・まさか』

 アジ・ダハーカが記憶を呼び戻す。大通りから細い路地へと曲がった時、前を飛ぶクシナダとの距離が狭まっていた。

『あの時に入れ替わったというのか』

 だが、一体何の為に。

 あの男が逃げるなど考えられない。では、何か目的があって入れ替わったに違いない。

 人間どもの目的が見えず、逡巡するアジ・ダカーハ。怒りに駆られたままであれば、アジ・ダハーカは止まることなく突き進み、クシナダを踏み潰していただろう。だが、タケルとウルスラが入れ替わっていたことに驚いて、アジ・ダハーカは頭を冷やしてしまった。『考える』という動きの止まる時間を作ってしまった。

 思考は諸刃の剣だ。

 絶えず動き続ける戦局で考えながら動けるのは一つの理想である。どちらかに比重を置けば、どちらかがおろそかになる。それを補うための方法はいくつかある。事前の準備など最たる例だ。戦う前に何を準備し、どう動くかを決めておけば考える時間が減る。選択肢が限られるというのは悪いことだけじゃない。判断が早く済むという利点がある。

 また他に、頭や体にある程度のパターンをしみこませ、考えなくても動けるように訓練があるし、将軍や軍師という、思考を担当し、他の人間に動きを指示する存在がいる。

 強大な怪物であるアジ・ダハーカの低下した動きを補う物など何も無い。

 なぜなら、アジ・ダハーカは生態系の頂点に位置する怪物だからだ。他のほとんどの生物を何も考えなくても、たった一体で滅ぼせる力を持つ、化け物なのだ。

 その化け物に死には至らぬものの、痛手を負わせた男がいない。アジ・ダハーカは当然のように考えてしまう。何かあるのではないか、と。

 タケルが積み重ねてきた布石が効果を発揮していた。

「ぼうっとしてんじゃないわよ」

 アジ・ダハーカが首を巡らせる。声のした先にはクシナダがいた。宙に浮き、両足をアジ・ダハーカに向けて前屈の姿勢をとっている。両足の裏に弓を当て、弦を無事だった右手で引き絞り、放った。

 ありったけの力を込めて放たれた矢はアジ・ダハーカの首と首の間を抜け、後ろにあった建物に命中、突き刺さると同時に込められた力が解放され、建物の根元を消滅させる。

『大口を叩いておいてどうした? 狙いが甘いぞ』

『切り札は、あれで終いか?』

『まあ、あの程度当たっても我には効かんがな』

 馬鹿にしたような口ぶりでアジ・ダハーカが言う。同時に、思考を切り替える。あの男がどこにいようが関係ない。今、目の前にいる者どもをくびり殺せば、嫌でも出てくるだろう。それでも出てこないなら、街ごと全て滅ぼすのみ。

 考えを新たにし、動き出そうとしたところで、気付く。クシナダが笑っていることに。クシナダだけじゃない。ウルスラもだ。

「あれは切り札じゃないわ」

 クシナダが隣のウルスラに視線を向ける。ウルスラは一つ頷き、応える。

「引けぇええええええっ!」

 同時、ぴんとそこかしこから鉄鎖が張られる。

『なんっ・・・!』

 アジ・ダハーカの耳が捉える。ガラガラと何かが崩れる音が。先ほど通り過ぎた矢のほうへと首を向ける。背後にあるのは、街のシンボルである、この街で唯一アジ・ダハーカよりも巨大な塔。鉄鎖はその塔の上部に張られていた。先ほどの矢は塔の真ん中に風穴を開けていた。崩れかけた塔を支えていた支柱も根こそぎ消し飛ばされ、かろうじて残った外壁が支えるのみとなっていた。だが今、狩猟者、守備隊、街の住民の志願者全員の力によって引っ張られた塔が、ベキリと折れる。落下先にいるのはアジ・ダハーカ。

 これが狙いか!

 落下してくるのは自分と同等の質量をほこる鉄とレンガの塊。体を落下点からそらそうとして、身動きが取れないことに気付く。細い路地はがっちりとアジ・ダハーカの巨体をはめ込んでいた。前後に移動するのも間に合わない。

 位置取りすらも、人間の策略だった。

『舐めるなァ!』

 アジ・ダハーカが頭を上に向け、炎を浴びせた。高温により塔を劣化させようと目論んだのだ。鉄を溶かし、レンガが砕ければ、振ってくるのは雨粒とさほど変わらない。

 そして、これさえ凌げば人間に自分を打つ手立ては無くなる。アジ・ダハーカはそう確信していた。奴らのこの小賢しい策をねじ伏せ、絶望の淵に叩き込んでやろう。アジ・ダハーカの炎が勢いを増す。張られていた鉄鎖がドロドロに溶けて消えた。これなら・・・

『・・・な』

 アジ・ダハーカが絶句した。炎を切り裂き、現れ出でたのは先ほどと何一つ変わらない塔の先端だった。炎による損害など何一つ無く、まっすぐに落下してくる。

 いや、一点変わったところがあった。アジ・ダハーカの目がそれを捉え、認める。

 塔の小窓から身を乗り出す、タケルの姿を。

 馬鹿な、なぜだ! なぜ無傷で済んでいる! アジ・ダハーカの頭の中で疑問が駆け巡る。たとえ耐熱性に優れていても、焦げ跡程度は残るはず。迫り来る塔に目を凝らす。そして、気付く。塔の表面が淡く光っていることに。光の正体はすぐに気付いた。気付かないわけがない。同じ力を使う者達に追い回されたのだから。

『貴様、悪魔の業を!』

 天使や悪魔は己の魔力を体や武器に巡らせ、魔力でコーティングすることで耐久性を上げていた。タケルは同じように塔をコーティングしていたのだ。

「いぃぃいいやっほぉおおおああああ!」

『きぃっさまぁああああああああああ!』

 塔がアジ・ダハーカの大きく開いた口の中へ、そこで止まらず喉、首へと重力に引かれて落ちていく。先端が首の半ばから飛び出し、地面に深く突き刺さる。大量の血液が流れ出し、周囲を染め上げていく。残ったもう一本の口から、おぞましい絶叫が響き渡った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る