第165話 絶望の特効薬
音がはじける。
武器が、牙が、ぶつかり合い、擦れ合い、不協和音を奏でる。イカれた旋律に乗るのは悲鳴と雄叫びと断末魔の混声合唱。
「左からトカゲが来るぞ! 盾持ちは前に出ろ! 炎を警戒!」
間奏の合間を縫うように、的確な指示が人々の耳に飛ぶ。指示の一拍後にトカゲの炎が浴びせられるが、指示を聞いていた狩猟者と守備兵の盾に防がれる。
「中央のサソリどもの隙間をこじ開けろ! 奥のカエルを討て!」
指示を飛ばしながら自身もハンマーをふるってサソリを排除するのは、クルサ。彼女たちが作った道を疾走し、ウルスラはカエルに肉薄する。
接近に気付いたカエルが長い舌を伸ばして迎え撃つ。カエルの脅威は、サソリを従わせることだけではない。個体としての戦力も高い。獲物を捕らえる為に口から吐き出される舌は矢よりも早く、まともに当たれば簡単に骨を砕く。先端には強烈な溶解液が溢れ、捕らえた獲物を溶かす。
先頭を走るウルスラに向けて、カエルは大きく口を開けた。溶ける滴を撒き散らしながら舌が伸びた。
だが、舌が打ち砕いたのは彼女の骨ではなく、硬い路面だ。舌の延びた先にすでに彼女は存在しない。攻撃飛び散る通りの破片を置き去りに、ウルスラはさらに加速する。
彼女がカエルの舌よりも早く動けたから躱せたわけではない。カエルの行動を先読みし、攻撃予測ポイントを察知。そこから離れたに過ぎない。
言うのは簡単だが、実行するのは困難を極める。
カエルは当然だが、狙いを定めて舌を出し攻撃する。定めてから攻撃まで僅かな時間しかなく、相手が動けばそれに合わせてくる。彼女がやったのは、狙い定めて攻撃するまでの瞬きほどの間に攻撃ポイントを離れる芸当だ。
これまで何度も奴らと戦い、何度と無く死にそうな思いまでして積み重ねてきた経験は、絶対に彼女を裏切らない。彼女を救い、彼女を活かしている。
攻撃を躱されたカエルは、ムキになって彼女に狙いを定める。ウルスラはピョンピョンとステップしながら躱し続ける。掴もうとしてもひらりひらりとすり抜けていく、宙を舞う羽毛のようだ。
一向に当たらないことに痺れを切らしたか、カエルが彼女に向かって跳躍した。舌による点の攻撃ではなく、自身の体を用いた面での攻撃。突進してくるカエルを、ウルスラはスライディングすることで避けた。彼女の体すれすれにカエルの巨体が通過していく。彼女の目の前には無防備で柔らかいカエルの腹。剣を逆手に持ち替え、突き立てる。
互いの速さがそのまま剣の切れ味に変換され、カエルの腹が捌かれていく。彼女とカエルのすれ違いの距離が開くたびに、傷跡は広く深くなり、血を撒き散らしていく。
「なろぁっ!」
カエルのケツまで来たところで、ウルスラが止めとばかりに剣を押し切った。カエルの腹を蹂躙してきた剣先が飛び出し、付着していた血が振り切った剣先の軌道に合わせて飛び散る。滑ってきた勢いのまま前転し、手を地面に叩きつけて体勢を立て直してウルスラは振り返る。同時、カエルも同じように彼女の方を振り返った。カエルから憎しみと怒りが向けられるが、ウルスラはそれを野蛮な笑みで受け止める。
再びカエルが舌を伸ばそうとした。体勢を立て直したばかりのウルスラでは回避は不可能、命中は必至だ。命中は彼女の死を意味する。
「させねえよ」
命中すれば、の話だが。
カエルの背中に、ザムたち第二陣が飛び掛った。アッタ、ワッタが足を槍で突き刺し、ハオマが背中に剣を突き刺す。背中から突き出た剣の柄を足場にして、ザムが跳躍。カエルの頭に大剣を叩き込んだ。頭をかち割られたカエルが目玉や脳みそをぶちまけながら前のめりに突っ伏す。
カエルはサソリを指揮し、自身も舌という強力な攻撃方法を持つ厄介な敵だ。だが、その全てを同時に処理できるわけではなく、どちらか一方しか出来ない。サソリを指揮しているときは自分の動作が緩慢になるし、自分の行動を優先すれば指揮は単純な物になる。並列処理が出来る脳は流石に持ち合わせてはいなかったのだ。ウルスラはカエルの注意を引くことでサソリの指揮を乱し、かつ仲間が背後から襲えるように位置取りをしていたのだ。
カエルを失ったことで、この一角のサソリの動きが鈍る。
そこを、全体を見通す能力に長けたクルサが見逃さない。
「サソリどもが混乱してるよ! 一気に崩せ!」
決壊したダムに水が流れ込むように、狩猟者たちが開いた風穴を広げに切り込んでいく。サソリの数を減らせば、カエルを守るものが減り、さらにカエルを討ち取りやすくなる。一つの区画が片付けば、他の区画に援護にいける。援護が増えれば、さらに敵を討ち取りやすくなり、多くの味方を助けられる。
『ほう、なかなかやる』
眷属たちが駆逐されていく様を、アジ・ダハーカは悠々眺めていた。
「のんきに構えていていいの?」
ウルスラがアジ・ダハーカの前に立った。全身鎧に浴びた眷属たちの返り血で上る湯気が、彼女の奮戦を想起させる。その後ろでは、人間達に駆逐されていく眷族の姿があった。最後のトカゲが討ち取られるのも、時間の問題だろう。
退路の無い場所ではネズミも猫を噛む。追い込まれた人々全員が火事場の馬鹿力を発揮し、自分の実力以上の活躍を見せていた。死に物狂いになれば何でも出来る、どんな怪物だろうと倒せる。眷属たちは人々に自信をつけさせるだけの端役となった。
「宣言通り、お前の首を取りにきたぞ」
『そのようだ』
剣を突きつけられても、アジ・ダハーカの余裕は変わらない。アジ・ダハーカにとって、蟷螂の威嚇も彼女の威嚇もさほど変わらない、取るに足らないものなのだ。アジ・ダハーカにはわかっていた。彼女達の強気が、いつまでも続かないことを。一押しすれば、たちまち心折れるだろう、と。
『だが、残念だ。ここまで辿り着いた貴様に敬意を表して、我直々に相手をしてやりたいのだが』
言葉と共に、アジ・ダハーカの体が再び淡く発光する。方陣が描かれ、再び眷属たちがあふれ出た。ウルスラが目をむく。苦労して倒した怪物たちが、再び目の前に現れたのだから。
『まだこんなに残っている。申し訳ないが、この者どもを突破してから、同じ台詞を言ってもらえんかな?』
「くっそ・・・!」
小さな舌打ち。しかしアジ・ダハーカは捉えた。そして、彼女の後ろにいる人間達の戦意が低下していくのを。心が折れるのも時間の問題だ。絶望が人を果実のように熟れさせていく。もう少し、もう少しだ。
「何を嬉しそうに眺めているの?」
良い所で、水をさす声。四対の目が宙に浮かぶ羽虫を捉えた。
『貴様』
「勝負はまだ終わってないわよ。そっちの眷属どもはまた増えたみたいだけど、人間側も損傷は軽微。勝利を確信するのは早いんじゃない?」
『愚かな。奴らの顔を見るがいい。諦念、悲愴、絶望が場に満ち満ちている。絶望は流行り病と同じだ。一人がかかればまた一人、また一人と病に罹り、やがて全員が感染する。罹ってしまえば二度と治らぬ不治の病よ』
『そんな患者、可哀想で診てられぬ。生きているだけで辛いのだから、我が喰ろうてやるのだ。これは善意だ。慈悲だ。我の優しさだ。ありがたく受け入れよ。足掻けば足掻くだけ、苦しむだけぞ』
アジ・ダハーカの指摘に、人々はうつむきかける。認めたくない。だが、どうしても不安や恐怖が鎌首をもたげる。勝てる見込みの無い戦いは、人々をさらに疲弊させ、疲弊は思考を悲観的な方向へと導く。体と心に泥のように絡みつき、底なし沼へと引きずり込む。
「馬ぁっ鹿じゃないの!」
クシナダが腹を抱えて大笑いする。あまりに大声で笑うものだから、思わず人々は顔を上げてしまった。
「何千年も生きてるくせに、あなた、何も知らないのねぇ!」
『何だと?』
アジ・ダハーカが牙をむく。だがクシナダはお構いなしに、目元に浮かんだ涙を指で拭う。
「あるわよ。絶望に効く特効薬は」
断言する。アジ・ダハーカは器用に顔をしかめ、下で聞くウルスラたちも彼女の話に耳を傾けた。
「効果は実証済みよ。なんせ何百年も絶望の呪いにかかっていた村を救ったんだから」
彼女こそが、特効薬で救われた成功例。他にも幾つもの成功例がある。彼女はそれを最も近くで見てきた。
『馬鹿な。そんなものあるはず・・・?』
四つの目がクシナダから、その後ろに注がれる。彼女が喋っていたのはこのことにいち早く気付いていたからだ。あの男がいる限り、きっと彼女がうつむくことは二度と無い。
そのうち、人々も目の前の恐怖を忘れ、ざわつき始めた。
音が聞こえるのだ。耳の奥で小さくジジジという耳鳴りのような音だ。音は次第に大きくなり、ジジジからバババと変化する。
ドバンッ!
派手な音を立て、瓦礫を吹き飛ばし、城壁の一部が崩れた。外から何かが突っ込んできたのだ。
小さな光だった。光は突っ込んできた勢いを保ちながら戦場へと一直線に突き進む。
突如現れた光に向かって眷属たちが殺到する。何者であれ、主に害なす存在であることに代わり無いと判断したからだ。眷属たちの巨躯が小さな光を簡単に飲み込んで、城壁と同じように眷属の壁は突き破られた。
『何っ?!』
初めてアジ・ダハーカが驚いた声を出した。しかしすぐに自ら対処を行う。たとえ眷属をやり過ごそうと、自分には勝てない。
『小癪な』
二つの口の奥でチロチロと炎が覗く。トカゲの炎など比較にならない、真の龍の吐息だ。射程圏内に入ったところで、同時に炎を吐く。高温が周囲の瓦礫や残骸を溶かしていく。これで勝負がついた、はずだった。
『っ!』
炎を掻き分け、光が飛び出した。巨大な盾だ。盾は見る見るうちに収縮し、今度は篭手になった。篭手は電気を帯び、バリバリと音を立て青白い稲妻を放つ。
「教えてあげるわ。絶望に効く特効薬。その名前を」
アジ・ダハーカに向かって飛ぶ光を見て、彼女はニッと口角を上げる。
「
アジ・ダハーカの首の一本が弾かれたように仰け反る。殴られた頭に引っ張られて首がしなり、鞭のように崩れた街に叩きつけられた。ズズン、と地響きを立て、粉塵が舞う。殴った反動で、篭手をつけた馬鹿は距離をとって着地した。
「ああ、クソ。駄目だな。夜の森は駄目だ。迷う。良い教訓になった。今度から下手に動かないことにする」
『き、きさ、貴様ァ!』
怒りのあまり、残ったもう一本の舌が回っていない。百万の罵詈雑言は喉元で燃える炎に変換され、再び業火となって吐き出されようとしていた。馬鹿はそれを恐れることなく、むしろ楽しげに見やった。
「やっぱ出てきたな。もう一匹の化け物」
煤のついた頬を袖でこすり、須佐野尊は篭手を剣に変えた。爛々と目を輝かせて、捜し求めた強敵を見上げる。
「ショウタイム、ってやつだ」
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