第161話 嵐の前

 うっそうと生える木々の隙間を縫い、雑草に隠れたでこぼこの大地を蹴る。息は既に上がり、胸は痛いほど脈打っていたが、ウルスラたちは足を止めることなく疾駆していた。

「都合の悪いことが起ころうとしている」

 殿を受け持ったタケルの言葉が、彼女の足を前に前にと推し進めていた。都合の悪いことが何なのか、彼女には皆目見当もつかない。さっきから彼女の頭から溢れんばかりの情報が外部からもたらされ、それを受け入れるのに必死で、情報を吟味することもそこから派生する事態を予測することも出来ない。

 だから、優先順位に従う。彼女にとって最も大切なのは、唯一の家族であるクルサだ。彼女にとって都合が悪いというのは、クルサに何かが起こるという事しか考えられない。

「ウルスラ、見ろ!」

 併走するザムが指差す方向。日の光を遮っていた木々の量が徐々に減り、ウルスラの目に入る光量が増大している。森の終わりだ。なのにまだウシグたちの姿は捉えられていない。

 代わりに彼女の目に入ってきたのは、もうもうと上がる黒煙。

「あの方角は・・・クソ!」

 黒煙がそのまま胸の中にも立ちこめ、埋め尽くしていくよう。歯を食いしばり、心臓をこれでもかと鞭打って歩を進める。森から飛び抜け、斜面を駆ける。

 森を抜けたのは彼女達だけではなかった。

 メキメキと木々をへし折り、サソリが複数、彼女らを挟撃するように左右から飛び出した。大地を踏み荒らす節足はプロレーサーを唸らせるドリフトをかまし、ウルスラたちの前に土埃を上げて回りこむ。万が一ウルスラたちに突破された時のために伏兵を用意していたのだ。数は三。

「こんなところで立ち止まってる暇ないのに!」

「ぼやいたって仕方ねえだろうが! 来んぞ!」

 ドゥルジと仲間の背を互いに守るようにして、ウルスラたちは武器を構える。

「邪魔するなァ!」

 右手に持った剣をだらりと下げて、ウルスラはサソリに肉薄する。下げ突き出してきた毒針を、止まらずにスピードを維持して、体をそらして躱す。耳のすぐ横を尾が通過するが、臆することなくさらに接近。右爪と体の付け根に剣を差込み、捻る。ブシュリと体液を撒き散らしながら爪が落ちる。タケルがしたような力任せの両断ではなく、構造のもろいところを効果的についた、積み重ねた経験による一撃だ。頭は沸騰しそうになっていても、体に染み付いた戦いの記憶は、彼女を勝利へと導く為に動く。

 右爪を失ったサソリが痛みからか怒りからか、自分の爪を落とした相手に左爪を振るう。だが、爪は地面を削るのみで、ウルスラは既に相手の真下に滑り込んでいた。足にさえ気をつければ、腹の下は相手の攻撃は届かず、一方的に攻撃できる安全圏だ。腹の真ん中辺りに剣を突き刺す。体液を撒き散らし、サソリがもだえる。足元がふらつき、体が傾く。その間にウルスラはサソリの下から這い出し、尾と後ろ足を落としに掛かる。毒針が無くなればサソリの脅威は半減する。

 ウルスラが一匹を討ち取りに掛かっている間、ザムたちは防御に重きを置いていた。

 ザムは自分がウルスラたちのような、一人でサソリやカエルを相手取れるような腕を持っていると思わない。自分を過信しない。

 その代わり、ザムはウルスラたちに負けない能力がある。彼にとって何より優先すべきは自分と仲間が生き残ることで、そのために何が出来るかを瞬時に判断することができる。

 三匹のサソリが自分達を囲んだ時、ザムの頭に浮かんだ戦法は、ウルスラをいかに一対一の状況でサソリと相対させるかだった。タケルには一対一で人間がサソリと戦うのは無謀だとぼやいたが、隣にいるのは歴戦の猛者である『暴風』ウルスラだ。何度も仲間の窮地を救い、敵を倒していくところを目撃している。一対一なら彼女は負けない、これまでの戦歴から確信していた。ならば自分たちがこの状況で生き残るには、ウルスラにサソリを倒させるのが最適解だと瞬時に判断を下す。そのために自分たちが出来るのは、残り二匹をこちらで受け持つことだ。

「アッタ、ワッタは右、俺とハオマで左をやるぞ。無理に倒さなくていい。俺達は防御で、囮だ。やつらの気を引いてやれ」

 長年の仲間達はリーダーの意図をすぐに察する。盾を叩いて派手な音を出し、サソリの周りをぐるぐると回って挑発する。音の出るほうへサソリが尾や爪を振り回すが、攻撃範囲を見切ったザムたちは一定距離に近づかない。一方に気を取られたサソリを、後ろに回りこんだもう一人が切りつけ、傷をつけて注意を引く。サソリが反転し、自分を切りつけた相手の方へと振り向くが、既に相手はおらず、間合いの外から挑発する。その繰り返し。一見地味だが、見事なチームプレイによる確実で堅実な戦い方だ。そうしているうちに、彼らにとって待ちに待った光景が目に入る。ウルスラがサソリの一匹を討ち取った。彼女もまた、ザムたちの戦法を理解していた。すぐさまアッタたちの援護に向かう。三人はサソリを確実に討ち取れる人数であり、内一人がウルスラだ。サソリは見る見るうちに暴風に切り刻まれ、沈黙する。

「よし! ・・・ん、何だ?」

 勝利を確信したザムの耳が異音を捉え、同時に足が振動を感じる。


 ぞるり ぞるり ぞるり


 木々をなぎ倒し、森を開拓する勢いで現れたのは、サソリの大群だった。横一列に並び、ザムたちに向かって進軍してくる。十まで数えて、ザムは数えるのを諦めた。今の戦力ではギリギリ五匹、被害を出しても十匹が限界だ。完全にオーバーキルの敵戦力だった。

「ここまで来てこれはねえだろぉ・・・」

 アッタの泣き言が、全員の心境を表す。

 横一列だったサソリの陣の両端が突出し、ウルスラたちを包むように動く。中央のサソリの背に乗り、指示を出しているのはウシグだ。余裕の笑みで彼女たちを見下している。

「くそ、このままじゃ」

 死ぬ。ウルスラの脳裏に考えたくも無い言葉が浮かんだ。

「任せよ」

 横合いから、今まで庇っていたドゥルジが彼らの横を通り過ぎ、サソリたちの前に立った。

「おい!」

「心配するな。弱っているとはいえ、あの程度の輩に遅れは取らぬ」

 ドゥルジが、その姿を変貌させる。ほっそりとした足は一本の、びっしりと鱗の生えた長大な尾に。胴体も尾にあわせて膨れ上がり、背からは蝙蝠に良く似た翼が生えた。目は黄金に輝き、口は前に伸び鋭いくちばしへと変わる。二本の華奢だった腕は一薙ぎで城壁を破壊できそうな豪腕に、指から伸びる爪はサソリの爪など比較にならないほど大きく長い。

 横一列に並んだサソリの大群と同じ位の幅の龍がザムたちの前に顕現した。

『オオオオオオオオンッ』

 腹に響く大音声は地面をめくり揚げ、サソリの骨格に亀裂を走らせる。指向性をもった音波による攻撃だ。突如現れた巨大な龍と目に見えない音による攻撃にウシグが怯む、が、すぐさま反撃に転じた。懐から取り出した笛を吹くと、たけのこが生えるようにボコボコと地面を隆起させ、サソリの援軍が這い出てきた。サソリたちは龍に毒針をつきたて、爪と足を駆使して体によじ登って猛攻を仕掛ける。龍はそれをさせまいと体を揺すり、張り付いたサソリたちを払い落とし、ひっくり返ったサソリたちに容赦なく音波を浴びせ、腕で押し潰していく。

 龍とサソリの戦いは拮抗していた。敵の数を確実に減らしていく龍ではあったが、サソリは後から後から涌いて出てきた。倒されるサソリと新たに現れるサソリの数が拮抗して勝負がつかない。ウルスラたちも数を減らすのを手伝うが、焼け石に水だ。

 反対に、龍の方には徐々に疲れが見え始めた。強靭な鱗であっても何度も毒を受ければ表面からじわじわと溶けだして、柔らかい内側をさらすことになる。サソリたちはそれを見逃さない。傷や痛みに怯まない生き物はいない。龍であっても同じことだ。攻撃の頻度が減れば、サソリ側の被害が減り、攻撃を仕掛ける時間も数も増大する。そうなればさらに龍は傷つき、怯む。負け戦の方程式が成立してしまう。

 敗北は時間の問題化と思われたところへ、一筋の閃光が差し込む。閃光はサソリを数匹貫き、地面を爆散させた。後にはえぐれた地面と、中心に突き立つ矢が残っている。

 龍が、ウルスラたちが、ウシグですら閃光の先を見上げた。

「ごめん、遅くなった」

 嵐を纏う女神がそこにいた。

「クシナダ!」「姉御ォ!」

 姉御は止めなさい、と彼女は苦笑し

「もう大丈夫よ。・・・さあ皆、やっちゃって!」

 サソリどもに向け、右手を振りかざす。彼女の采配に従い、足音を鳴らし、雄叫びを上げて、街の狩猟者たちが押し寄せた。

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