第155話 人跡未踏の地へ

 湿気が以外に多い。

 さっきまでは乾いた風が吹く平原だったのに、麓から生い茂る木々の隙間に分け入った途端、むっとした緑のにおいが湿気と一緒になって肌や衣服に張り付く。なにより

「あっつい・・・」

 ザムがうんざりしたように、汗の滲む頭をつるりと撫で、手を振って汗を切った。言葉には出さないが、全員が同じ事を心の中で思っている。湿度が高く、気温も高い。まるで亜熱帯だ。

「そういや、白亜紀とかジュラ紀って気温も湿度も高かったんだっけか」

 高温多湿によって恐竜が繁栄したって学校で習った記憶がある。トカゲも爬虫類、恐竜みたいなもんだ。あいつらがデカイのもこの環境のせいじゃないのか。ダーウィン先生ももろ手を挙げて同意してくれるんじゃないかな。

 ただ、現在のところ厄介なのはこの暑さと湿気で疲れるだけで、それ以外は特に問題もなく、旅路は拍子抜けするくらい順調だった。こちらとしては、山に踏み入った途端四方八方から飛び掛られるんじゃないかと思っていたのに。

「穴の場所まで後どれくらい?」

 先頭を行くウルスラに尋ねた。彼女はクルサより、記録帳の写しを借り受けていた。

「ええと、ちょっと待って」

 立ち止まり、地図を取り出す。僕らは彼女が行き先を決めるまで立ち止まり、小休憩だ。おのおのか座り込んだり水を飲んだりしながら、地図を確認する彼女の後姿を何気なく見ている。

「え、と・・・ん? あれ? おか、しい・・・?」

 返答はなく、代わりにぶつぶつとウルスラの独り言が聞こえ始め、同時に僕達の間にも不穏な空気が漂い始めた。互いに顔を見合わせながら、不安な顔で彼女の背中を見つめる。そして、その見つめ続けるのも彼女が写しを上下逆にしたりし始めたのを機に限界を迎えた。

「ウルスラ。怒らないから言って。・・・もしかして、迷ってる?」

 クシナダが優しく声をかけた。ウルスラは完全に停止し、ゆっくりと写しを持つ手を下げて小さく頷いた。うえええ、とザムたちが呆れ声を上げる。

「そういうことなら早く言えよ」

 やれやれだ。戦闘はお手の物でも、地図の読めない女だったらしい。

「だ、だってこれ持ってる私が迷ったなんて、言える訳ないだろ!」

「言わなきゃもっと迷うんだよ。反対に、言えば解決することもある。写しを貸してくれ」

 手を出すと、おずおずとウルスラは写しを差し出した。それを見て納得した。

「安心していい。これじゃ誰でも迷う」

 そもそもこの地図が書かれたときは、この山は火山が噴火して焼け野原になっていた。あたりには木どころか草もなかったような荒地だったんだ。何十年も経ってこれだけ様変わりしてたら、目印があったってわからない。しかもウルスラの地図は古いRPGの世界地図も驚きのアバウトな物だ。街が左下に、山が右上に書いてあるだけで、申し訳程度に黒く塗りつぶされた円が書かれている。これが目的地といいたいんだろうが、これで辿りつけというのはインディ先生でも難しいだろう。よく何の疑問もなくクルサはウルスラにこれを渡したな。そして受け取ったな。僕なら突っ返してるところだ。

「でも、僕達にはこれがある」

 自分達の地図を取り出す。神から貰った紙の地図は某国の国防総省の衛星画像も、検索エンジンで有名な多国籍企業が提供するマップサービスも驚きの正確さで地表を表示できる。これと照らし合わせれば現在位置や目的地を割り出すことも可能のはずだ。

 まず探すのはくぼみとか洞窟とか、そういう周りの風景とは違う、明らかな違和感だ。

「うお、何だこれ」

 ザムが興味津々な様子で覗き込む。他の連中も物珍しそうに覗き込んできて、隙間からウルスラがもぐりこむ。ただでさえむしむししてるのに人のパーソナルスペースなど無視してむくつけき男達と全身鎧が近くにいるので不快指数は嬉しくもない右肩上がりだ。

「・・・暗くて見えないんだけど」

 彼らの影のせいで手暗がりになっていると訴えた。本当は離れて欲しいからだ。彼らも僕の邪魔をしてはいけないと一歩下がって

「タケル、忘れたの? それ明かり点くじゃない」

 代わりに近づいた彼女が慣れた手つきで地図を操作する。地図の表示画面自体がLEDみたいな光を発して小さな文字もくっきり見えるようになった。

「おお、こいつは本当に凄いな」

 散ったはずの連中がまた集まってきた。

 クシナダ、わかってやったのなら後で話がある。でも、こういうときの彼女は多分善意からの行動なんだよな。暗いと言ったから明かりを点けただけなんだろう。悪意より厄介な善意って本当にあるんだ。勉強になるよ。

 諦めて、僕は連中と頭を突き合わせながら画面をスクロールさせていく。

「ん?」

 目に入る汗を拭いていて一瞬見逃した。赤印が消えたように見えたのだ。画面をゆっくり戻すと、違った。消えたのではなく、移動したんだ。スクロールしすぎて。

「こいつは、もしかして、もしかするのか?」

 はやる気持ちを抑えながら画面を拡大していく。赤印は山の頂上からもう少し北に行ったところだ。そこを中心に地図を見ていくと

「ねえ、これ・・・」

 ウルスラが指差した。頂上から東に位置する場所に、大きな段差が見られた。拡大すると、木の緑ではなく、色の違う茶色が層になって移っていた。これは、坂になっているのか? 見た感じ、頂上から麓へと続く坂道が途中で途切れて、途切れた箇所から山の中心部へと下っているようだ。

「行ってみる価値はありそうだな」

 一旦縮小し、現在位置からの距離と方向を確認する。大体五キロほどか。途中に崖も川もなさそうだし、一直線に行けば起伏があろうと二、三時間で到着するだろう。

「とりあえず、ここに行こうと思うんだけど」

 他の面々に尋ねる。尋ねたものの、異論があっても無視するつもりではあるけど。

「了解だ。ここから北西方向か」

「距離はそんなにないね」

 異論は出なかった。今度は僕が先頭に立ち、地図を片手に人跡未踏の道なき道を進む。

 最近、子どもの時の夢がこの異世界でいくつも叶っていることに気付いた。たとえ憧れても、数年前の僕では未来で宇宙に行ったり冒険したりするなんて絶対に想像できなかっただろう。完全なるインドア派だったしね。

 惜しむらくは、共感してくれる人間がいないのと、中折れ帽フェドラ・ハットがないことだ。

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