第152話 天秤の傾き
「大丈夫か」
喜びに沸く狩猟者たちをかき分けて、クシナダの元に向かう。
「何とかね」
彼女が裾をめくる。服は消化液でぼろぼろに溶けているが、内側のほっそりとした足は少し赤くなっているくらいで、その赤みの範囲も徐々に狭まっている。
「こういうときばかりは、この
痛みももうないわ、と裾を戻す。パンクロッカーが履く片方だけ短いダメージジーンズみたいだ。ボロ布の隙間から覗く彼女の白くてつやつやの素足がまぶしい。
「お疲れ様」
ウルスラがこちらに近づいてきた。喜びの歓声も勝利の雄叫びも徐々に収束して、狩猟者たちはこちらに注目している。それも、あまり好意的ではない視線だ。
「疲れているところ悪いのだけれど、同行してもらえるだろうか」
「拒否すると、後ろの連中と一緒に僕を殺すか?」
彼女の後ろを顎でしゃくる。恐れ多くも十傑の皆々様が揃い踏みだ。さすが、全員無事だったか。どいつもこいつも、警戒心を露にしていつでも武器が抜けるようになっている。
「そんなことは、私がさせない。おたくらは私達と一緒に街を守った仲間だ。助けても貰ったし、感謝もしている」
「だが、今は警戒せざるを得ない」
ウルスラの横からシュマが出てきた。ウルスラが静止するも止まらず、彼は僕達の前に立つ。まるでこの場の全員の言い分を代表するかのようだ。
「一体、君達は何者だ」
何者だ、と問われても困る。
「やつらの狙いは明らかに君達だった。つまり、今回のイレギュラーなやつらの襲撃は、君達のせいじゃないのか」
「だとしたら、どうする?」
わざわざ確認しなくても、あの会話を聞いていた人間ならそう思うだろう。肝心なのは、その確証を得た彼らがどうしたいか、次の手で何を打つかだ。
「あんたらの考えている通り、やつらの狙いは僕達だった。僕達を誘い出す、もしくはただ確認するためだけにやつらは現れた可能性が高い」
「確認、というのは、おたくらが悪魔の、欠片? とやらを持っているかどうかって話のことか?」
ウルスラがシュマを押しのけ、僕達と他の十傑たちとの間に入った。
「そうだ」
僕のことをトカゲが見ていたのは、その欠片の存在を感知したからだ。
「欠片とはなんだ。宝石みたいなものか? 見せてもらうことは出来るのか?」
首を横に振る。
「持っている、とは思う。けれど見せることは出来ない。僕の何が欠片なのか、僕自身わかってないからな」
僕の言葉に、ほとんどの人間は懐疑的な目を向けた。
呪いはかかっている。だが、目に見えるものではない。傷が治るのを見せることはできるが、証明にはならない。
いつか見たサスペンス映画で、犯罪を立証するよりも犯罪がないことを立証する方が難しいと言っていた。
法廷では、いかに被告人が罪を犯す確立がある、などが持ち上げられるが、あれも面白い話で、罪を犯さない確率の方が大きいことが多々ある。けれど、取り沙汰されるのは罪を犯す確率のみだ。他はないものとされ、疑わしきは罰せられる。その可能性の方が高いのだ。弁護士、もしくは検事は裁判に勝つために意図的に話をそういう風に持っていく関係もある。人の仕事にケチをつけられるほど偉い人間ではないし、必要な職業が必要なことをしているのだから、文句があるなら彼らと同じ土俵に建たなければならない。
正義の女神の天秤は必ず正義、正しい方に傾くのではない。いつだって正義だと叫ぶ声の大きい方に傾く。正しい正しくないは別物だ。ま、
適当に、これが欠片でございとでっち上げることも可能かもしれないが、それをすると別問題が浮上しそうだ。
仮に僕が持つ剣が欠片だと言ったとする。彼等はそんな危ない物を持ち込むなと糾弾し、排斥にかかるだろう。街から出て行くことに抵抗はないから放り出される分には問題ない。
問題は彼らが剣を欲した場合だ。剣をやつらに与えれば敵が攻めてこなくなるんじゃないかとか考えたりしたら、当然寄越せと言うだろう。僕の持ち物であっても、まるで自分達のものであるかのように考え、拒否すれば怒り、最悪の場合力尽くで奪いに来る。
・・・ん? それは、それで良いのか。別に戦うことになっても。
「とにかく、話を聞かせてくれ。おたくらが知ってることを全部だ。今からクルサの元まで一緒に来てほしい」
「ウルスラ?! 何を言ってるんだ?! こいつらは自分たちが原因だと認めたんだぞ! 追い出した方が街のためじゃないか!」
シュマの意見に周囲からも賛同の声が上がる。
「もしかしたら、さらに襲撃の頻度や規模が増えるかもしれないんだぞ」
「妙なことを言うのだな。『剣帝』ともあろうお方が」
ウルスラはシュマの方へ振り向く。
「敵が現れるからこそ、狩猟者である我々は稼げる。敵が現れるからこそ食っていけているのだ。なのに、あなたは敵が来なくなることを望むのか?」
挑発するような、小馬鹿にするような彼女の物言いに、シュマの顎や眉間に力が入った。ウルスラは遠まわしに彼のことを臆病者と言ったのだ。戦いを生業にしている者が最も言われたくない侮辱の言葉を前に、シュマの顔が歪む。だが、それも一瞬のことで、こみ上げる怒りを、吐く息一つで押し込める。ウルスラとその後ろにいた僕達以外に彼の怒りに気づいた者はいない。
「そうではない。俺だって敵と戦って得た報酬で生きている。敵と戦わないといっているわけではない。戦うにも限度があるといっている。我々が長い間狩猟者でいられるのは、戦いに勝つ以上に、生き延びてきたからだ。負けそうになったら引き際を見極めて退き、死にそうになったらなりふり構わず逃げて生き延びてきた。それが可能だったのは逃げ場所である、街が残っていたからだ。やつらが街を囲む城壁を超えた記録はない。街で休み、再び戦える状態に戻すことが出来たからこそ戦い続けられるのだ」
シュマが僕達を指差す。
「いかに一騎当千、百戦錬磨の狩猟者たちであっても戦えば披疲労する。眠らなければ実力は半減する。連日連夜襲撃を受ければ堅固な城壁も我らの戦力もいつかは潰える。彼らが残れば、そうなる可能性が高いのだ。そうなった時は、『暴風』。あなたは責任を取れるのか」
二人がにらみ合う。互いに一歩も退かない様相だ。他の十傑たちを窺うと、シュマ派が半数、ウルスラ派は二割弱、残りは様子見と言ったところか。おそらく、この場全員の狩猟者の割合もそんなもんだろう。
「あー、別に良いぞ。ウルスラ。庇ってもらわなくても。僕らは出て行くよ」
「そうは行かない。おたくらは街の狩猟者として登録されているんだ。勝手に出て行かれたら困る・・・」
自分で喋っていて、何か思いつくことがあったのか、ウルスラが一瞬「あ、そうか」と天を見上げた。
「私達は街に登録している狩猟者だ。つまり雇われている。雇われている人間の今後について決めるのは、私達じゃない。クルサたち管理側の仕事だ。彼女らの許可なく戦力を放り出したりしたら、それこそ街の利益を害したとみなされるぞ」
ウルスラはどうだ、とばかりに周りを見渡した。シュマをはじめ、僕達を追い出したい連中は渋い顔をしたが、何も言ってこない。勝負あり、とウルスラは後ろにいた他の狩猟者たちに向かって宣言する。
「これより、彼らの身柄は私が預かる。クルサたちの判断が出るまで、何人たりとて手出しは許さない。異論があるなら前に出ろ」
誰も前には出なかった。
「よし、誰も異論はないようだ。タケル、クシナダ、一緒についてきてもらうぞ」
「良いんだな? シュマの言うように、後悔しても知らないぜ?」
「大丈夫」
自信たっぷりに彼女は頷いた。
「私には、おたくらを放り出すのが正解か、ついてきてもらうのが正解かは正直わからん。だから、私は私が正しいと思う方を取る。私はおたくらが街にいた方が良いと判断したから、この件に関しては後悔しない自信がある。何かあっても責任は私がとるから安心していい」
「高く買ってくれて嬉しい限りだが、見込みが外れても恨むなよ」
「恨まれたくないなら、外れないように頑張ってくれ」
忌々しげに見てくる大勢の狩猟者を尻目に、僕達は軽口を叩きあいながらクルサが待つ塔に向かった。
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