第133話 再び進路を西へ
「領主様、こちらが去年の納税表になります」
「コセン様、領民からの陳情はどちらにおいておきましょうか?」
「恐れ入ります。コセン様。こちらの書類に印をお願いいたします」
次から次へと、領主の作業部屋には人と仕事が訪れた。領主は休む間を惜しんで仕事し、次々と案件を片付けていく。まるでこれまでサボっていた分を取り返すかのような、鬼気迫る仕事ぶりに、部下たちは首を捻りながらもおおむね好意的に受け止めていた。
「やあ、最近の領主様の働きぶりは凄まじいな」
「これまで我らに全て丸投げで、自分は遊んでばかりだったというのにな」
「あの山賊に悩まされていた日々の方が、よほど面倒だと気付いたのだろう。チョハン殿の山賊行為がよほどこたえたのやもしれぬ」
「そうだな。山賊は許されることではないが、あれも領民のためだったのだろう? コセン様が最初からこれほど熱心で、領地のことを考えて仕事をしてくれれば、チョハン殿もあんな馬鹿な真似はしなかっただろうに」
「そうだな。皮肉なものだ。チョハン殿の反乱が、領主様を目覚めさせ、チョハン殿が願った治世になったなんてな」
口々に領主を誉めそやす文官たちの耳に、その領主本人からお呼びがかかった。
「おっと、お呼びだ。今の領主様ではサボるにサボれぬな。それだけが欠点だ」
「まったくだ。上が一番働いていては、我らが怠けるわけにも行かぬ」
「うむ、よし、もうひと働きだ」
文官たちはそういってそれぞれの仕事へと戻っていく。
「上手くいってるみたいね」
少しずつ活気を取り戻しつつある村を眺める。
「当然だ。我が知恵を授けたのだ、と言いたい所だが。もともとあの領主が着任してからここはおかしくなった。その問題さえ解決してしまえば元通りの、以前のような運営になる。我が手を貸すまでもなく、この領地は回復しよう」
隣のクウが偉そうに言った。
「あんたが仕掛けた術は、見破られることはないの?」
「愚問だ。都の宮廷術師であっても見破れまいて」
自信満々だが、本当だろうか。
「心配は無用ですぞ。スセリ殿」
現場の人間がクウを援護した。
「私も妻も間近で見ましたが、どこからどう見てもコセンそのものです。しばらく見てなかった私はおろか、館で毎日顔を合わせる文官たちですら気付いておりません。少々、前よりも働き者になったことを不思議がっておるくらいです。また、働きが認められ、領民の評判も徐々に回復の兆しを見せております」
「ふむ、税を軽減という目に見えてわかりやすい改革は領民の支持を得るのにうってつけだからな。まあ、もともとボダイ殿は良き領主であったのだから、その辺は心配無用か」
宴の夜、クウがボダイに施したのは、自分の姿を好きに変えられる変身の術だ。幸い背格好は似ていたため、無理に背や体格を誤魔化す必要がなかったのも幸いした。今領主として奮闘しているのは、コセンの顔をしたボダイで、本物のコセンは顔を変えられ、地下牢に閉じ込められている。
「問題としては、今の功績が全てコセンのものとして記録されることくらいか。こればっかりはボダイ殿に貧乏くじを引かせてしまう形になったが」
「ご心配には及びませぬ。我らが領主は、その程度のことで悩むほど器の小さいお方ではございません。常に領地の平安と領民の暮らしを第一に考えているお方ですから、それで混乱が少ないのなら、喜んでその方法を取る、と仰っておりました。そして、それは私も妻も同じです」
色々とすっきりした顔でチョハンが快活に笑った。
「すまぬな。あなた方は今のところ死んだことになっておるゆえ、どうしても顔を変えざるを得なかった」
ボダイの他、チョハンとマオ、二人の顔も少し変えた。チョハンは特徴でもあった長いヒゲを剃らせ、目じりや眉尻を垂れさせていかつい顔を柔和に変身させた。マオは顔の皺を無くし、細かった目を大きくした。現代美容整形技術やアンチエイジング技術も驚きのビフォーアフターだ。この技術を現代に持って帰ったら瞬く間にオファーが殺到するだろう。
「謝らないでください、クウ殿。むしろ感謝しておるのです。妻は最近悩みだった肌つやがよくなったとはしゃいでおりますし、私も妻の喜ぶ顔を見て幸せなのです。二人して、顔だけでなく心も十歳若返ったような新鮮な気分を味わえておるのですから」
「そう言ってもらえると、救われるよ」
ほっとしたような顔で、クウが胸を撫で下ろした。顔を変え、名前を変えて過去を捨てさせた彼らに対して、やはり引け目があったようだ。
「お二人は、もう出発されるのですか」
「ええ。いつまでもここに居るわけには行きませんから」
「そう、でしたな。西の魔王を倒し、元の世界に戻られるのですな」
この領地の問題が解決しても、私の問題はまったく解決してない。
「申し訳ありません。私たちの問題に巻き込んでしまって」
「いいのいいの。気にしないでください」
「そうそう。どこかの酒癖の悪い女が酔っ払って持ち金を全部なくして、山賊討伐の報酬欲しさに自分から首を突っ込んだだけなのだから」
「あらあら、クウちゃん? いつから私に向かってそんな偉そうな口を叩けるようになったのかしら?」
すかさずアイアンクローでクウの頭蓋骨を軋ませる。
「あがっ! 痛い、止めろ! 図星だからってすぐに暴力で訴えるな!」
「ごめんなさいは?」
「ごめんなさい!」
力を緩めると、涙目になりながらすかさず手を振りほどいた。そんな私たちの様子を見て、チョハンがまた楽しそうに笑った。
「仲がよいですな」
「はぁ? 止めてくださいよ。こんなガキと仲良くなったって何一つ嬉しくない」
「スセリよ。何度も言うようだが我はもう大人なのだぞ」
「大人はね、済んだ過去のことを穿り返さないものよ。いつまでも根に持つのはガキの証拠」
「ほう、なるほどな。ではあなたはずいぶんと立派な大人なのだな。過去のことを顧みないから、何度も酒で失敗を繰り返し、男でも失敗を繰り返す。ご立派ごりっぱあああがががっがが!」
「反省が足りないようね」
しばらくギリギリと締め付ける。完全に沈黙したのを見計らい、手を離すと、クウは力尽きたように頭を抱えて崩れ落ちた。それを尻目に、チョハンに向き直る。
「食料とか水とか、路銀まで。色々準備してもらってありがとうございます」
馬に積み込まれた荷物を軽く叩く。
「なんのなんの。あなた方から受けた恩に比べれば微々たる物です。どうか道中、お気をつけて」
「はい。チョハン殿も。奥様にもよろしくお伝えください」
「わかりました。西から戻られる際は、また是非お立ち寄りください。歓迎いたしますから」
「ありがとうございます。では・・・・ほら、そろそろ立って」
「うう、この天才の頭脳に障害が起きたらどうしてくれる。責任取ってくれるのか」
「はいはい、取る取る。軽口が叩けるなら大丈夫ね。ほら、行くわよ」
チョハンに見送られながら、私たちは目的地、西の魔王が住む地へと歩を進めた。
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