第131話 壊滅

「ヤツめ。妻の命が惜しくないと見える」

 ただでさえ中央によっている顔の部品をさらに中央に寄せて、コセンは渋面を作っていた。

「コクダイ。ここへマオを連れて来い」

「・・・いかがなされるおつもりですか?」

「ふん、決まっている。悩んでいるようだから、解決の糸口をくれてやるつもりだ。見せしめに、まず指を一本一本落とす。指が終わったら、次は耳だ。鼻、腕、足と斬り落とし、女の悲鳴の一つでも聞かせれば、大人しく言うことを聞くだろう」

 ほら、早くしろ、と部下にチョハンの妻、マオを目の前まで連れてこさせる。強引に腕を引かれ、コセンの前に跪かされる。うつむいたままの彼女の顎を掴み、上を向かせた。

「哀れなものよ。都でも一、二を争う踊り子だった貴様が、今では地に這いつくばって泥まみれになり、命すら落とそうとしている。引く手数多であったのに、どうしてまた、あんなろくでなしの元に嫁いだのか」

 一体誰が彼女の心を射止めるのかと話題になっていたものだ。かくいうコセンも、彼女の舞に魅了された一人であり、何度も彼女を口説いた。コセンは貴族階級だ。彼の地位や有り余る財に釣られて、何人もの女が列をなしていた。彼女も簡単に自分のものになると思っていた。なのに、あの女はすげなく自分を袖にし、いつのまにか店を辞め、どこの馬の骨とも知らぬ無粋な輩に掻っ攫われていた。

 それだけなら、コセンはここまで彼女を憎むこともなかった。目に見えぬ場所にいるからこそ、彼女は死んだものと思い込めていたのだ。

なのに、田舎の領地に赴任したら、彼女がいた。あの頃から十数年、老いてなお彼女は美しかった。コセンの枯れかけた情熱を再び燃え上がらせるほどに。

手を伸ばし、呼びかけようとして、口がマ、の形で固まった。彼女の隣には、チョハンがいた。彼女は幸せそうに微笑んでチョハンを見つめ、チョハンも笑って彼女を見つめていた。そのときだ。コセンの中にあった、マオに対する憧れや愛情が、全て反転し憎しみに変わったのは。今では濡れ羽色のつややかな髪も、宝石のように美しい琥珀色の瞳も、ほっそりとしたおとがいも、少し厚い潤んだ唇も、たおやかな腰も、全てが憎い。

「貴様が悪いのだ。全て。貴様がチョハンなどというろくでなしに騙されたから、今貴様はここにいるのだ。あの時、素直に儂の物になっておれば、このような目にあわずに済んだものを。なあ!」

 顎を掴んでいる腕に力を込めて、左右に揺さぶる。痛みに耐えてゆがむ彼女の顔が、さらにコセンの嗜虐心を煽った。

「どうだ? 今からでも儂のものになるか? 今なら妾として囲ってやらんでもないぞ。さすれば命ばかりは助けてやろう。どうだ。悪くない話だと思わんか?」

 強引に自分のほうを向かせる。そうすれば、かつての思い人が振り向くと信じて。だが、彼女はコセンのほうを向きはしても、その目はコセンを映さない。路傍の石でも見ているような、無感情なマオに腹を立て、コセンは彼女の頬を打った。倒れ伏した彼女の髪を掴み上げ、強引に上を向かせる。

「どこを見ている! 今貴様の命は、儂の手の中にあるということがわからんのか!」

 激昂するコセンに、マオは口元に血を浮かべながら冷笑した。

「私の命は、あなたの手の中にありましょう。しかし、私の心はあの人と共にあります。あなたのものには、天地がひっくり返ってもなれそうにありませぬ。申し訳ございません」

 再びコセンが彼女を殴り倒した。

「いいだろう。儂のものにならぬというなら、必要ない。儂自ら成敗してくれる」

 腰に佩いていた曲刀を引き抜く。

「お、お待ちください! そんなことをしたら人質の意味がありません!」

 今にも切りかかりそうな主人を慌ててコクダイが後ろから羽交い絞めにする。

「離せ! この女がいようがいまいが、貴様らならやつらをなぶり殺しにすることくらい簡単だろう! ええい、離さんか!」

 コクダイを振り払い、 コセンが剣を掲げた。ギラリと陽光を反射して刀身が冷酷な光を宿す。マオは恐れることなく、その刀身を見つめた。

 これでいい。自分がいては、夫の邪魔になる。覚悟を決め、笑みさえ浮かべるマオ。

「待て!」

 誰よりも大きな声がその場に響いた。死を覚悟したマオの耳にも、今まさにマオを切り殺さんとしたコセンの耳にも、その声は届いた。全員が、その方向を向く。

「出てきおったか。チョハン」

 コセンが歯をむいて笑う。憎しみに彩られた笑みだ。

「妻を、マオを離せ」

「何を寝ぼけたことを。命令できる立場だと思うてか。まずは部下どもに武器を捨てさせろ」

「それはできん。姑息な領主殿のことだ。武器を捨てた途端に襲い掛かってくるかも知れぬからな」

「ふん、この儂が、そんな薄汚い山賊のようなことをするわけがなかろう」

「その清廉潔白な領主様に、我々は散々ぱら騙された故に、我らはここにおるのだよ。そうそう貴様の言うことを信じるわけにはいかん」

 コセンが、持っていた曲刀をマオの首元に当てた。皮を裂き、流れ出た血が伝う。

「貴様! マオ様に!」

 山賊たちがいきり立つ。チョハンの制止がなければそのまま突っ込んでいきそうだ。それを迎撃しようと領主兵が身構える。一触即発の空気が流れた。

「そうかそうか、チョハンよ。貴様は、愛する妻の命よりも、部下たちを選ぶのか」

 ぐい、とマオの髪を掴み、自分の頬を彼女の頬に当てた。

「チョハン様、もう我らは我慢なりません」

「命じてください。さすれば、我らはこの囲みを突っ切り、領主を討ち取って見せましょう!」

「駄目だ」

 部下たちの訴えを、チョハンは一蹴した。

「おぬしらの気持ちは嬉しいが、それで死んでしまってはマオが悲しむ。私の妻を侮るな。妻は、おぬしらの命を犠牲にしてまで助かりたいとは思わぬ。そういう女なのだ」

 そう断じるチョハンの声は微かに震えている。

「で、では、どうするおつもりですか」

 不安に揺れる部下たちに、チョハンはいつものように頼もしい顔を向けた。

「私に任せておけ。万事うまくいく」

 一歩、領主兵たちのほうへ踏み出した。兵たちが彼一人に向けて槍を向ける。

「では、コセンよ。こうしよう。部下たちの武器は下げられぬが、この私、チョハンの命をくれてやろう」

 チョハンの言葉に、部下たちはおろか、コセンや領主兵までもが驚いた。ざわつく場を無視して、チョハンは続ける。

「悪くない取引とは思わぬか。こやつらを見逃す代わりに、私の命を持っていけ。聞いたぞ? 私さえ倒してしまえば、山賊など有象無象、取るに足らぬ相手だと。なら、私の命を持っていけば、彼らのことは捨て置いても問題あるまい。確かにそちらの言うとおり、私がいてこそ、この集団は持っておったようなものだからな」

「馬鹿なことを。そんなもの取引にもならんわ。今ここで、貴様らを全滅させることもできるのだぞ?」

「しかしそれでは、貴様の兵に少なくない被害が出るぞ。貴様は知らんかもしれんが、死を覚悟した、追い詰められた獣の力は侮れぬ。腕がもげても、足がもげても、首さえ残っておれば敵ののど笛噛み千切るぞ。そして、この私もな」

 部下の持っていた槍を受け取り片手でぶんぶんと振り回す。大柄なチョハンが槍を持つと、細い棒っきれを持っているかのように見えた。穂先が風を切るたびに、領主兵は冷や汗を流しながら唾を飲み込んだ。あれが自分ののど下に迫るかと思うと、生きた心地がしない。

「たかが山賊に、都から貸し与えられた兵をむざむざやられるなど、いくら裏工作が得意な貴様でも対処しきれるものかな?」

 痛いところを突かれて、コセンが押し黙る。チョハンの言うとおり、兵は都が各領地に派遣という形を取っている。採用や解雇などの人事権は領主も持つが、私兵を持つということはできない。領主の反乱を防ぐためだ。そして、もし何らかの事件などで兵を大勢損なえば、その領主は兵の運用が出来ない、ひいてはその地を収めることができないという烙印を押されることになる。人材を損なうというのはそういうことなのだ。

「コセン様。ここはヤツの取引に応じるべきかと」

 隣でコクダイが耳打ちする。

「やつさえいなくなれば、山賊は脅威となりえません。やつがいるからこそ組織であったというのはまったくの事実。いなくなれば自然消滅するでしょう。山賊を滅ぼすのは、ヤツを殺してからでも充分間に合います」

 部下の言葉に、コセンは鷹揚に頷いた。

「わかった。貴様の案を飲もう」

 コセンは部下に指示させ、包囲の一部に隙間を作った。

「ここから逃げていくがよい。追いはせん。どこへなりと落ち延びて死ぬがいい」

 チョハンと逃げ道を山賊たちは何度も見比べた。それが本当に正しい道なのか、チョハンを置いていってもいいのか、判断が付かないようだ。部下たちの視線を受けて、チョハンが大きく頷き「行け」と指示した。それでもなお、大多数の者たちは動こうとはしなかったが、小柄な美少年が一人、チョハンの前まで来て、敬礼をして見せた。そして、踵を返した後は振り返ることなく包囲網から抜け出していく。それをみて、一人、また一人と同じようにチョハンに敬礼し、その場から去っていった。

「これで満足か?」

 コセンが言う。すでに山賊はチョハンを除いて誰もいない。

「うむ、満足だ」

「では大人しく武器を捨て、投降せよ」

 チョハンは言われたとおりに槍を捨てた。しかし、投降するようなそぶりは見せず、代わりに口を開いた。

「一つ聞きたいのだが、いいか?」

 往生際の悪い、と思いながらも、コセンは「何だ?」と問う。

「私は、これからどうなる」

「死刑だ。このまま連れ帰り、領民を集め、その前で処刑する。儂に逆らうとどうなるかを知らしめるためにな」

「そうか」

 納得したように頷くチョハンであったが、その場から動こうとしない。

「何だ、貴様。約束を反故する気か?!」

「反故にするつもりはない。だから武器は捨てた。しかし、山賊に身を落としたとはいえ、私も一人の武人。出来れば戦って死にたいものだ。処刑などとは言わず、どうだろう、最後に一花咲かせてはもらえないか。もちろん、こちらは武器なしで良い」

「面白い」

 何を馬鹿なことを、とコセンが言い捨てる前に、声が上がった。振り返ると、チョハン討伐を依頼した、あの女が立っているではないか。崖から落ちたと報告があったが、無事生き延びていたようだ。

「領主殿。ここは私に任せてもらえないでしょうか」

 女はそう言って、こちらの返事も待たずに兵たちを掻き分けて進んでいく。

「戦って死にたい、というのは、同じ武人としてわかるものがあります。故に、私も一武人として、彼と戦いたい。私であれば、あなたの兵ではないからたとえ死のうと損はない。倒せればもうけもの、くらいなもんでしょう?」

 女の言葉に、コセンは頭の中で算盤をはじいた。確かに女が死んでもこちらに損はない。むしろ、女が気を引いている間に、こちらから矢を射掛けて、二人とも殺してしまえばいいのではないか。そうすれば女が勝っても報酬を払わずに済む。

「よし、わかった、では存分に、最後の戦いを始めるがよい」

 そう言いつつ、横目でコクダイに指示を出す。コクダイはコセンの意を汲んで、こっそりと弓兵たちにすぐ射られるように準備させる。そんなことは露とも知らず、チョハンと女は向かい合い、構える。二人の間に緊迫した空気が流れる。

 ざわ、と風が山の中を通り抜け、一枚の葉がひらりひらりと彼らの間に舞い落ちてくる。その葉は向かい合った二人の視線を一瞬遮り

 瞬間、二人は大地を蹴った。互いの拳が交錯し、パァン、と破裂音が響いた。びちゃ、びちゃと真っ赤な血が飛び散り、女の凛とした顔を濡らす。


「須佐の型そのふたつ、鳴渦巳」


 女の右腕部分がチョハンの左胸の辺りに突き刺さっている。血は、そこから飛び散っていた。ぶるぶるとチョハンが体を痙攣させ、ぶふっ、と口から鮮血を吐き出す。

 チョハンが、どう、と倒れた。

「あなたァ!」

 悲痛なマオの声が響く。あまりに一瞬の出来事に呆然としていた兵たちが、その声によって我に帰った。兵の一人が近づき、チョハンの胸に耳を当てて脈を取る。

「死んでます」

「そ、そうか。わかった」

 コセンは何とかそれだけを返した。矢を射る暇もなかった。結末は彼が思い描いていたものとは異なるが、最大の障害であるチョハンは死んだ。

「さて、これで依頼は終了ね」

 誰もが討ち取るのにてこずったチョハンを、一瞬で倒してしまった女は、何もなかったかのように平然としてコセンに向き直った。返り血を浴びた凄惨な姿とそのあっけらかんとした笑顔に、言い知れぬ恐怖を周囲に与える。

「彼の死体はどうするの? 私としては、命を懸けて戦った者として、きちんと埋葬してあげたいんだけど」

 自分に聞いているのだ。気付いたコセンは咳払いし、答える。

「さっきも言ったように、その者は罪人。死体をさらし、犯した罪の重さを民に知らしめる必要がある故、持ち帰ります」

「そう。なら、私も運ぶのを手伝っていいかしら。それが相対した者への礼儀だから」

「それは、構いませんが、よろしいのですか?」

「ん? 大丈夫大丈夫。百キロ程度なら問題ないから」

 女は自分の言葉を証明するように、チョハンの右腕を自分の肩にかけ、ひょいと持ち上げた。女にしては長身だが、かといってチョハンとは比べるべくもなく小柄で細い彼女が難なく持ち上げて見せた。ひゃっきろがどの程度かわからないが、この女はとんでもないという認識が兵たちに植えつけられた。

「で、では、この先までお願いできますか。そこに馬車がありますので」

「はいはい。あ、そうそう。この人の奥さんいたよね」

「は? ああ。はい。こちらに」

「一緒に乗せてもいい? 最後の別れになるだろうから、せめて二人っきりにしてあげたいの」

「まあ、構いませんが」

 もともとチョハンを移送するために鉄の檻が付いている。兵が見ていなくても逃げることも出来まい。そう思い、コセンは快諾した。

「よかった。やっぱり、夫婦は特別だからね」

 三蔵スセリは満面の笑みを浮かべた。

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