第119話 銀色の月

 何かの遠吠えが聞こえたような気がして振り返ったけど、特に何もない。気のせいだったかね。

 一仕事終えた僕の前には地面剥き出しでそこかしこに爆撃やらなんやらの跡が残った凸凹の大地が広がっている。兵どもが夢の跡、とは昔の俳人が歌に詠んでたけど、夢の跡にしちゃ酷いありさまだ。悪夢でも見たか寝相が悪かったのか。跡すら残らないほどの荒れ果てた地に成り果てていた。これを続けられたらたまったもんじゃないな。時間制限が設けられたのも頷ける。

「終わったの?」

 僕を見つけたクシナダが、遠くから飛んできた。

「まあね。そっちは?」

 聞くまでもないことだけど、一応確認。

「言われた通り、悪魔軍の方の門? だっけ。その装置を置きっぱなしにしてたから、景気よくみんなで破壊しておいたわ。ルシフルも確認して、問題ないって言ってたから大丈夫だと思う」

「失敗してたら今頃悪魔が再侵攻してるだろうしね」

「そういう事。とりあえずは成功、ってことでいいのよね?」

 遅れて、ずらずらと獣人たちが現れる。みんな傷だらけだが、晴れやかな顔をしていた。これでもう、天使にも悪魔にも攻められることは無い。千年後はどうかわからないけど、確率は低い。

 アスモデウスにも言ったけど、天界の位置情報は魔界側にバレている。だが、門は双方向だ。一方が繋がれば一方もつながる。そして、繋がっていたのなら、その情報から天界側も魔界の位置を調べることが出来るってことだ。互いに互いの本拠地へ乗り込むことが可能。となると、ここを間に挟む意味はないし、こっちを取ろうとしたら本拠地を直接攻められ、本拠地を取ろうとすればこっちを取られ、経由して自陣を取られる、という『想像力』が働く。なまじっか同族みたいなもんだから、相手も同じことを考えるだろうと深みにはまり、抜け出せなくなる。しかもこの地の獣人は二度と天使にも悪魔にも加担しない。下手に姿を見せたら猛反撃を喰らうだろう。戦場を引っ掻き回されるだけのこの地を決戦場に選べないから、やはり互いの本拠地決戦になり、拮抗している戦力差ゆえに勝負は永遠につかない。

「じゃ、後はこいつを破壊したら終いだけど」

 僕はちら、と横を見る。そこには獣人に混ざって六枚の羽根を持つ天使、ルシフルがいた。

「本当に良いのか? これを逃すと、千年は故郷に帰れないってことになるけど」

「構わん。私の決意は、すでに話した通りだ」

 ルシフルの決意、それは、この地に留まると言う事だった。


「私は天界を去る」

 僕の作戦を聞き、協力することを決めたルシフルは、僕たちに宣言した。

「そなたの言うとおりだ。私は、もう天界のやり方についていけない。考え方が変わってしまったのだ。だが、私の考えは天界にとって異端。相手のいう事が理解できず、自分の意見が通じないと言うのは、恐ろしいほどの苦痛だ。これまで背中を預けてきた仲間だからこそ、余計に辛い。ならばいっそ、私は私の思うが儘に振る舞う。古き約束を守る為に、この地に留まり、天界と魔界の干渉を監視する」

 その約束が何なのかは知らないが、ここまで忠義に篤い天使の考えを変えるくらいだ。余程の物なのだろう。他人の決定に口出しできるほど僕は偉くはないので、それ以上は聞かないことにした。ルシフルが残り獣人たちに味方すれば、天界と魔界の戦争勃発の確立をさらに下げる。両軍の戦い方に精通している、将としても一戦力としても優秀な天使に獣人連れてゲリラ戦でも仕掛けられたら溜まったものではないだろう。

 そして意外なことに、獣人たちはルシフルの考えを素直に受け入れ、拒絶するどころか歓待した。これにはルシフルの方が意外そうな顔をしていた。

「良いのか? 私は、そなたたちを騙したのだぞ」

「今は騙そうって気はないんだろ? それに、実際に騙したのは他の連中で、あんたは俺たちのためにずいぶん骨折ってくれたみたいじゃないか」

 なあ、とリャンシィがクシナダを見た。すでに昨日、クシナダがスパイして聞いた、ルシフル達の会話は全て彼らに伝えてある。

「見ず知らずの俺たちの権利を守る為に動いてくれて、しかも長年の仲間と縁を切ろうって腹くくった人を疑うなんてことはできねえよ」

「私は思い切り疑うけどね」

 兄の良い話の腰をへし折るように妹が言った。鋭い目でルシフルを睨みつけ、ずかずかと近づく。

「おいリヴ!」

「リャンシィは甘いのよ! ちょっといい話聞いたからって、こいつらがしたことはゼロになんないの、被害でてんのよ。けが人も、亡くなった者もいる。遺族の前で、同じこと言える?」

 そう言われると、リャンシィは言葉を返せない。

「ルシフル。あんたが何を考えようが自由だし、リャンシィの言うとおり、私たちのために奔走してくれたのかもしれない。それは、素直にありがたいと思う。けど、あんたの話に乗って傷ついた者、死んだ者がいるのも確かなの」

「・・・重々承知している。その事は、本当に申し訳なく思っている。ゆえに、私は二度とそなたらには近づかないことを約束する。迷惑はかけん」

 ルシフルの答えに、リヴはハァ、とあからさまなため息をついた。

「いいえ。あんたは何もわかってない。本当にすまないと思ってるなら、きちんと彼らに会いなさい。会って、面と向かって、自分の口で謝罪して。会いたくないって言われたら、その時は私が間に入ってあげるから。だから、私たちの村に来なさい」

 彼女のその言葉を、ルシフルも、そして兄であるリャンシィや長年の付き合いである仲間たちですらも想定外だったらしく、みんな驚きのあまり口を半開きにして何も言えないでいた。

「な、何よみんな・・・リャンシィまで・・・」

 リヴが尋ねると、リャンシィは「だって、なあ?」と周囲に同意を求めた。他の連中も頷いている。

「リヴ、お前、いつの間にそんな成長したんだ?」

「大人みたいな物言いだ・・・」

「口を開けば刺々しい言葉しか吐かないのに」

「あのリヴが、誰かの力になろうとしている・・・」

「明日は雨だな、こりゃ」

「いや、嵐だ。嵐が来るぞ」

 あり得ない物を見たような口ぶりのみんなに、顔を真っ赤にしてリヴが反論する。

「失礼ね! このくらい当たり前でしょう! むしろこんな誠意の見せ方を知らない奴の方が珍しいわ! それを教えてやったことの、何がおかしいのっ?!」

 誠意から一番縁遠そうなのにね。

「聞こえてるわよソコ!」

 おっと、聞こえてたか。

 怒るリヴ、笑うリャンシィや獣人たち、そんな彼らをルシフルは見ていて、そして、小さく口を綻ばせた。

「笑えるのか」

 僕は尋ねた。ルシフルは言われた意味が解らないようだった。僕は自分の頬を指差し「笑ってるよ」と教えてあげた。

「あ」

 触れて、ようやく気づいたようだ。

「そうか、これが・・・」

 感慨深そうに言う。

 幸せそうな彼らに水を差すつもりはないけれど、まだやることが残っている。先にそっちを片付けた方が、ゆっくりできるので、僕はポンと手を叩いた。

「ルシフル、今後千年以上笑って暮らすために、もうちょっと働いてもらうぜ。みんなもな」

 みんなの顔が一瞬で引き締まった。さあ、平和を勝ち取りに行こうか。



 天使と悪魔との今季の戦いは収束した。

「よし、じゃあみんな、柱を倒すぞ」

 リャンシィの掛け声に全員が威勢よく応え、一斉に門の撤去作業が始まった。正方形の水銀に突き刺さった配線を抜き、柱を横倒しにしてへし折る。ある程度破壊したら距離を取り、砲撃を浴びせて爆散させた。ルシフルはそれをじっと眺めていた。どんな思いでいるかなど、本人以外にはわからない。けれど、どことなくすっきりした面持ちだ。

 爆撃で起こった煙が消えた後には、文字通り跡形もなかった。これにて、三日間にわたる戦いがようやく終わりを迎えた。ああ、楽しかった。


 後始末を終えた僕たちを迎えてくれたのは、すでに村に戻ってきていた、避難していた者たちだ。リャンシィを含めたリーダー格の連中が村長に報告に行った。その中には家族が犠牲になった報告も含まれていた。約束通りルシフルは遺族に頭を下げて回った。隣にはリヴが付き添い、さりげなく彼をフォローしていて、大きな溝が残らないように手を尽くしていた。

 村のそこかしこから嗚咽が漏れる。慰める声も涙で滲んだのか震えていた。

 ご遺体の埋葬を行い、彼らの冥福を祈った後は、やはり祭りになった。悲しんでばかりいると、死んだ者が浮かばれず、心配して戻ってきてしまうから、出来るだけ楽しくするらしい。辛いはずの家族こそが多く酒を飲み、歌い、そして故人のこれまでの物語を語り、彼らを誇りと思い、胸に刻む。どこか法事に似ていた。僕やクシナダ、そしてルシフルもその祭りに加わった。ルシフルは天使だからか魚や野菜は食えないが、酒だけは大丈夫だった。神様にはお神酒とか備えるし、天使も酒ならOKなのだろう。しかも異常なまでに強かった。村人の中でも酒豪と呼ばれる者たちが列を成して挑み、揃って轟沈した。本人は顔を赤らめることもなく、けろりとした顔で用意された酒を「ほお」とか「うむ」とか言いながら全て飲み干してしまった。その細い体のどこに入ったのだろう。

 村は四日ぶりに陽気な夜を迎え、そして全員が騒ぎ疲れて泥のように眠った。


 夜中に目が覚めた。誰かに起こされたわけでも、悪夢を見たわけでもない、まばたきの途中のような、眠気も辛さもなく自然に、と表現するのがしっくりする覚め方だ。

 喉の渇きが酷い。久しぶりに酒なんか飲んだからだ。胃がむかむかしている。クシナダもリャンシィもぐっすり眠っている。起こさないように起き上がり、足を忍ばせて外へ出て、井戸へ向かう。

 水を飲むついでに顔も洗うと、原酒の底にたまった澱が流れていくかのようにさっぱりした。

 起きたものの、どうするかな。体は疲れているけど、眠気が全く来ない。このまま戻っても眠れず、朝まで寝返りを打ち続けることに終始しそうだ。かといって退屈だからと他の連中を起こすのも忍びない。

「眠れないのか」

 声が降ってきた。

「ルシフルか。何やってんの? こんな夜中に」

「天使は体が過度に傷つくなどの修復が必要な場合を除いて、眠る必要が無いんだ」

 便利な体だ。羨ましい。そういうと、ルシフルは困ったように笑った。

「そうでもない。皆が寝静まっているのに私だけが起きているというのは、淋しいものだ。一人取り残されたようで」

「なんだ、もう故郷の仲間たちが懐かしいのか?」

「否定はしない。これまで共に戦ってきた仲間たちに会えないんだからな。けど、それも含めて、私は決断した。私がここに残ることで、天界、魔界、そしてこの世界のバランスを保つことが出来る。私の望みどおりの形だ」

「望み・・・」

「古い約束だ。ある獣人の娘との」

 そういって、ルシフルは空を見上げた。つられて僕も見上げる。銀色に煌々と輝く満月が、僕たちを見下ろしていた。

「千年前、メタトロンの罠にはまった私は、彼女に助けられた」

 天使がぽつぽつと語るのは、千年前の出来事。助けた彼女が妊婦だったこと、出産を手伝った事、そして、戦争の被害によって亡くなったこと。

「その彼女との死ぬ間際の約束を、あんたは守ったってわけだ。律儀だねぇ」

「さて、守れているかどうか。それに、ただ義務だけでこんなことをしているわけではない。私は知りたかったのだよ。彼女が言う、愛やら幸せやら、それが何なのか。我々天使には想像だにできない感覚だったからな」

 ずいぶんと話が違う。愛やら幸福は天使の専売特許だったはずなのに。

「今もなお、分からん。命を懸けて誰かを思いやる、というものが。その事で得られる幸福というものが。と言うことは、やはり我ら天使は、そなたたちのようになれないと言う事なのだな」

「そうかねえ?」

 月を眺めるルシフルの横顔から判断した。

「その割にはあんた、今、幸せそうな顔してるぜ」

「・・・そうかな。そう、見えるか?」

「僕が見た感じだけどね。後それにさ、そんな簡単に理解されたら、世界中の哲学者が怒鳴り込んでくるぜ。我々が一生をかけて、それでも解けない難問を、つい最近その単語を知った様な輩に解き明かされてたまるかって」

「はは、そういうものか」

「そういうもんだよ。それに、その彼女は言わなかったか? 愛やら幸せやらは、理解するもんじゃないって」

 そう言うと、ルシフルは自分の手をかざして眺める。手を眺めてるわけじゃない。過去にその手に在った何かを思い出しているように見えた。

「そうか」

 天使は小さく、納得したように頷いていた。


●------------


 かつて、天界で最も美しく輝いていた天使がいた。

 だが天使は罪を犯し、天界を追放された。

 天使が犯した罪。それは、愛を知ったこと。

 懸命に地上で生きる人々を、愛おしく思ってしまったこと。


 地の獄に繋がれ、二度と天界へ戻ることは叶わない。

 けれど、天使は後悔しなかった。

 天界では得られなかった幸福を味わうことが出来たから。


 今日も天使は、人々の営みを優しく見守っている。

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