第118話 悪魔をも騙す男

 先ほどの消化不良だった戦いの憂さを晴らすように、悪魔たちは大暴れする。天使側も黙って見ているわけがなく、どころか自分たちの住処を死守しようとこれまで以上の気迫で悪魔たちを押し返す。悪魔にしては絶好の機会、天使にしては背水の陣、しかも今度はタイムリミットがない、どちらかが滅ぶまで思う存分死力を尽くしている。

 そんな戦場を、こっそりと抜け出す者がいた。メタトロンだ。

 ここはもう駄目だ。

 メタトロンは早々に見切りをつけた。今日明日で天界が落ちることは無い。だが、こちらの本拠地の位置が割れて、向こうの位置が掴めないのは大きい。向こうは好きなだけ戦力を投入できるのに対し、こちらは防戦一方となるのだ。無論、悪魔どもが通ってきた門を天使が通れないことは無い。しかし、今更向こうに飛び込んでどうする。向こうでは次から次へと投入される戦力が列をなしている。そんな中こちらから飛び込めば、その列の中にぽつんと放り出されることと同義だ。不意でも突かない限り無事では済まない。どころか、あちらが手ぐすね引いて待つ罠があるかもしれない。そんな危険を侵せるわけがなかった。先手を打たれた時点で、天使軍は劣勢なのだ。立て直すには今この場にいる悪魔を殲滅するか、最低でも全員追い返すかしなければならない。

 だが、それも難しい。今この場にいるのは悪魔の中でも指折りの将と魔王がいるのだ。対してこちらはルシフルとウリエル、攻撃を司り、その指折りの悪魔たちに引けを取らない天使を欠いている。まさか、切り捨てたルシフル不在がこんなところで響くとは思いもよらなかった。

「かくなる上は」

 メタトロンが目指す先はあの世界。自分一人でもあの世界に渡れば、まだ反撃の糸口がある。あの世界に残された施設を使えば、獣人のような駒が大量に作れる。幸い、天界と魔界、そしてあの世界の距離は徐々に離れ始めている。完全に離れてしまえば誰からも妨害は受けない。千年もあれば悪魔どもに対抗できるだけの数が揃えられるだろう。そう、自分さえ生きていれば、天使に負けは無い。今命懸けで戦っている天使たちの奮闘も、全ては自分を生かすためだ。そこに感謝の念はメタトロンは持たない。天使長を生かすのは当たり前のことだからだ。

 間もなく門、と言うところで、メタトロンは急停止し、杖を掲げた。その杖めがけて剣が振り降ろされる。衝撃は杖から腕へ。それでも殺しきれず、メタトロンは大きく飛んで下がった。

「見張ってて成功だったね」

 その男は抜け出したメタトロンを目ざとく見つけ、後を追ってきた。

「あんたからすりゃ、取れる手段はあんまりないよな。ここで悪魔どもを追い払うか、今まで仲間として戦ってきた連中を囮にして、あっちの世界に渡るか、だ。多分、あんたは後者を取る。仲間と力を合わせて、なんて似合うキャラじゃないからな」

「貴様・・・」

 メタトロンは歯噛みする。どうしてここまで思い通りにいかない。邪魔者のルシフルを排除すれば、そのルシフルが必要な場面に陥る。獣人の群れなど恐るるに足りずと大口を叩いたウリエルは、簡単に獣人どもに打ち取られる。魔王が消え、手にしていたはずのあの世界の覇権が、砂のように手のひらから零れ落ちていく。

 何故だ! 頭をかきむしり、喚き散らしたい。途中まで、自分の思い通りに動いていたはずだ。それがなぜ、気付けば追い込まれているような事態になっている。

 キッと目の前のへらへらした男を睨みつける。獣人たちにいらぬ知恵を授けたのも、悪魔どもを呼び寄せたのも、今なお自分の邪魔をしているのも、全て目の前の男だ。

 こいつが全ての原因だ。八つ裂きにしたって気が収まらないほどの怒りを覚え、同時にこの男さえ殺せば道が開けると思えてきた。

「お、何だい。やる気になったのかい? そう来なくっちゃね」

 メタトロンの殺意交じりの視線やプレッシャーに気圧されることなく、どころか楽しそうにタケルは笑う。怒りは頂点に達し、もはや言葉を交わす事すら煩わしい。一刻も早く目の前の男を消さなければ。ある種の強迫観念に苛まれ、メタトロンは杖を掲げた。先端から炎が迸り、逆巻き、憎き奴を飲み込まんとする。

「あっつ!」

 わざとらしいくらい大きな声を上げてタケルは炎を避けた。

「はっ、これが炎の柱か。そんなとこは神話通りかよ」

「小賢しい」

 再び巻き上がる炎の渦をタケルは再び避ける。

「私のことを大した実力がないと評したな。その相手に、貴様の体たらくは何だ? ええ!」

 ごう、と火炎放射器を数十倍にも強力にした炎を振りまく。

「貴様こそ口ほどもない。避けるしか能がないではないか。この下等生物めが。さっさと死ね。灰になれ! 貴様程度のゴミが私の道を遮るな!」

 ばら撒かれた炎は不思議なことに、何かを燃料としているわけでもないのにその場にとどまり激しく燃え上がっている。いつの間にかタケルは炎の壁に遮られ、逃げ道を失っていた。

「終わりだ」

 勝利を確信したメタトロンは、最大火力で放つ。これで跡形もなく敵は消えた。鬱積した苛立ちが、少し和らぐ。

「終わりはテメエだ」

 炎を切り裂くようにして、タケルが現れた。以前ルシフルが戦闘時に見せた動きそのままだ。目測謝ることなく、メタトロンめがけて剣を振り降ろす。予想外の展開に目を見開いたものの、天使長は慌てることなく杖をかざした。炎が効かないのならば、他の手段を講じるまで、と、タケルの剣を弾くのを前提として、その次の手を何通りも用意する。メタトロンは、決して卑怯な手腕だけでここまで這い上がって来たのではない。天使長になるだけの実力と実績の裏打ちがある。数手先を読む戦略眼もその一つだ。ただし、今回はそれが裏目に出た。

 スカン

「え」

 気づけば、タケルの剣はメタトロンの肩口から侵入し、胸のあたりにまで到達していた。カラン、と切り取られた杖の先端が足元に転がる。馬鹿な、先ほどは難なく弾き返せたのに。驚愕に彩られた目が、彼の剣を見つめた。剣は良く見ればその表面を黒い魔力が覆っている。

「ざまあないわね。メタトロン」

 背後から誰かが彼の名を呼んだ。振り返れば、そこにいたのは魔王アスモデウスだ。

「そいつにはもともと私の魔力を流し込んでおいたのよ。ここの位置を知る為に。さっき、こいつの血で描かれた門を見たばかりだってのに、そんなことも忘れちゃってたの?」

 そこまで言われてようやく気づく。近接戦を好む連中が良く使う手だ。魔力をその身に纏って体を強化することも出来れば、その応用で武器や防具に纏わせ、切れ味や硬質化を図ることが出来る。奴は、アスモデウスの魔力を使って武器の鋭さを増し、強化した力を振るったのだ。

「実戦経験の差だと思うよ。多分、ルシフルとかアモンとかには気づかれると思う」

 まるでこうなることを予期していたかのようにタケルは言った。事実、彼はここでメタトロンを仕留められると思っていた。戦略に関してはずば抜けていても、戦闘に関してはなんとなく素人くさかった。こちらの攻撃は一度防いでいる。その事に安心しきって、防げると思い込んだところを、鋭さ、速さの増した一撃で杖ごと切り落とせる。最初の打ち合いでそこまでシミュレーションができていた。

「ば、かな。私が、劣ると言うのか・・・、あんな、脳無しどもに・・・」

「その脳無しAの同類に討ち取られるんだよ。残念ながら」

「馬鹿な、馬鹿なぁあああああああああっ!」

 光が弾け、メタトロンが消滅した。後には魔王とタケルのみが残った。

「さて、こっちは終わったわけだけど。そっちはどう?」

 タケルが問う。

「一進一退ね。相手は堅牢を誇るガブリエルよ。そう簡単には落ちなさそうね」

 数日はかかるかも、とアスモデウスは推測した。

「そう」

 アスモデウスの答えがどうであろうと、タケルには関係なかった。これにて、彼の役割は終わりだからだ。

「どこへ行くの?」

「ここの門を使って帰るんだよ。後はそっちで勝手にやってくれ」

「言われなくてもそうするわ」

「じゃ、元気でね。もう会うこともないだろうけど」

「・・・それは、どうかしら」

 門に歩を進めていたタケルが足を止め、振り返る。アスモデウスは穏やかな微笑みを浮かべながら、タケルを見ていた。

「どういう事? だって、あんたらここを手に入れたら、こっちの世界に来ることなんてないだろ?」

「ああ、それなんだけどね。ここまで協力してくれたあなたに告げるのは、何とも心苦しいんだけど」

 一旦言葉を区切り、ためを作って、アスモデウスが言った。いっそ爽やかに。

「あれは嘘よ」

「・・・嘘?」

 驚いた顔のタケルを見て、アスモデウスは嘲笑する。

「どうして私が、私たちがあなたの約束なんて守る必要があるの? 対等な相手ならともかく、奴隷の末裔の分際で。私と約束できたなんて思ってたなんて、片腹痛いわ」

「・・・へえ、そう来たか」

「あら、一丁前に怒っているのかしら? 愚かね。本当に愚か。騙される方が悪いのよ。騙されたら負けよ。天界は貰うわ。そして、次はそっちの世界よ」

「もしかして、魔界側の門を閉じたってのは」

「もちろん、嘘よ。天使と、あなた達を欺くための」

 絶対優位な立場で、アスモデウスはタケルを嘲笑う。

「あなたは本当に良い働きをしたわ。だから、その働きに免じてあなただけは生かして、私のペットとして一生飼ってあげる。どう? 栄誉なことでしょう?」

「悪いけど、そんな趣味は無いんだ。美女は嫌いじゃないが、頭の足りないガキの相手はちょっとね」

「・・・あら、その物言い、聞き捨てならないわね。優しくされてつけあがるなんて。躾が必要かしら」

 ぴしり、とアスモデウスの笑みに亀裂が走る。亀裂から覗くのは怒り。だがメタトロンの怒りをその身に受けても平然としていた男に、今更そんなもの気にもならない。大体がこれまで神を名乗る連中を怒らせてきたのだ。気にするはずがない。好きなように言葉を紡ぐ。

「躾が必要なのはそっちの方だろ?」

 そう言ってタケルは剣を構えた。

「やるつもり? この魔王と。言っておくけどメタトロン程度の輩と一緒にしてもらっては困るわ。逆らったことを後悔させてあげる」

「怖い怖い。でも、本当に後悔すんのは、多分そっちだぜ?」

「減らず口を、すぐに利けなくしてやるわ」

 アスモデウスの両手に魔力が溢れる。タケルが以前対峙したアモンの全力と同等以上の力がその手に凝縮されている。しかもそれを何発も放てる。この膨大な魔力こそが彼女が魔王として君臨している理由だ。

「じゃあ、口がきけなくなる前に面白い話をしてやる。実は、あんたらが門を残しているのは知ってた」

「・・・だから何。それがどうしたって言うの。この期に及んでつまらない時間稼ぎは」

「時間稼ぎではあるけど、つまらなくは無いよ。なぜなら、僕があんたらをここで足止めしている間に、魔界には今、ルシフルがいる」

 さすがのアスモデウスも無視できない爆弾発言だった。

「嘘」

「嘘じゃない。現に、こんな大ピンチにルシフルは天界に姿を見せない。何でだと思う?」

 アスモデウスは答えられない。目の前の取るに足らない男の話を、すでに答えは導き出されているにも関わらず、認められない自分がいるからだ。認められるわけがない。見下していたはずの下等な生物に、出し抜かれたなどという事実を。構わずタケルは続ける。

「答えは簡単。天使側にも、あんたらと同じ条件の話を持ちかけたからだ」

「・・・っ!」

「申し訳ないけど、僕はあんたらのことをこれっぽっちも信用してなかった。そのくせあんたらは僕たちが自分たちを信頼してると思い込んでた。やりやすいったらないね。信用してくれて門の前から綺麗にいなくなってたから、こっちも準備をしやすかったよ」

 心底馬鹿にしたようにタケルが言った。我慢しきれなくなったアスモデウスが魔力を圧縮した砲弾を投げつける。戦略に基づいた攻撃ならまだしも、怒りにまかせて撃たれた弾など、レーザー銃を弾く男の前ではピッチングマシーンの九十キロと同じようなものだ。難なく避ける。弾が当たった柱は高密度の魔力によって圧縮され、半径十数メートル分が抉られたように消えた。

「ルシフルにはこう言っておいた。おそらく天界をここで支配してしまいたい悪魔は主戦力を投入する。それを確認したら残った天使と獣人たちを連れて魔界を支配しに行け、ってね。ルシフルの実力は多分、僕以上に知ってるだろ? 奴を止められる悪魔がどれほど魔界に残っているかな?」

 そんな悪魔はいない。アスモデウスの頭にある自軍の戦力で、ルシフルに相対できるとすれば自分を除けばごくわずか。しかも悔しいことにタケルの言った通り、その主要メンバーを全部ここに投入している。留守を任せた連中など相手にもならないだろう。

「あんたらはここを取る。多大な被害を出しながら、いつかは得られるだろう。けど、魔界側も似たようなもんさ。ということは、あんたらのやってることはただ天界と魔界、住処を入れ替えるだけの無駄骨だ。いや、下手するとあんたらの方が不利になるのかな。だって、獣人たちは天使は信用してないけど、ルシフルは信用しているから。次からは魔界から来る天使と、あの世界から来る獣人の両方を相手にするわけだ。しかも今回、天界と魔界は直接つながった。直で来るのか、間接的に来るのか、どっちから攻めてくるかわからないし、自分たちから打って出ることが出来ない。どちらの世界に打って出ても、今回のようにがら空きの住処を狙われるからだ。そうなりゃ今度こそあんたらは家なき子になっちまうよね」

 痛快この上ないといった風に、タケルはアスモデウスを嘲笑う。

「そして、僕は躱すだけなら多分、あんたにやられることはまずないね。そして天使軍も、そうそうやられはしないだろう。誰が言ったか忘れたけど、残ってる天使は守備がうまいんだってさ。堅牢を誇るから一日二日じゃ落ちないって。対して主力を欠く魔界側は、一体何時間で落とされるかな?」

 どうする? とおちょくるようにタケルが言う。

「逃げて帰るなら追いはしないよ。可哀相だからね」

 こんな、こんな雑魚にここまでコケにされるなんて!

 アスモデウスの腸は煮えくり返り、両手の魔力は周囲を溶かすほどの高熱と化していた。だが、その雑魚に構って本当に取り返しのつかない事態になるのは避けたい。彼女は魔王だ。常日頃からベルゼに言われている通り、悪魔たちの模範でなければならない。怒りで我を見失わず、常に最善の選択を取り最悪を回避し続けなければならない。言葉を吐き捨てる代わりに両手にあった魔弾をタケルに投げつけ、踵を返す。後方で派手に破裂するが、この程度のことでは死なないだろう。

「待ってなさい。魔界を平定したら、すぐ戻ってくる。その次は、次こそは・・・!」

 今だ戦いを繰り広げているホールで、アスモデウスは不本意ながら全軍撤退を指示した。終始押し気味、このまま行けば勝てる勝負だったところへ思いもよらぬ命令に、多くの悪魔が反発しそうになった、が、魔王の一喝により全員が撤退。何が起こったかわからない天使軍は、とりあえず、悪魔が作った門を封じ、その周囲を十重二十重の罠で囲んだ。これでこの門は起動しない限り使えない。残った天使たちはすぐさま被害状況の確認に走る。

 一方、魔界へと急ぎかえったアスモデウス達はというと

「・・・え?」

 アスモデウスは狐に騙されたような、呆然とした表情で、天界に出発する前と変わらない魔界の風景を眺めていた。

「魔王様、一体どういうことなんでしょうかねぇ?」

 暴れたりない、という様子のアモンが不満を隠そうともせずに突っかかる。普段であれば「不敬よ」と怒鳴り散らすところだが、今のアスモデウスにはその気力すら沸かない。

「本当に、どうしたと言うのですかアスモデウス様」

 黙ったままのアスモデウスに、流石に心配になったベルゼが声をかける。

「う、嘘・・・だって、魔界が、ルシフルが、危ないって、取られるって・・・」

 アスモデウスはすぐさま元来た道、天界へつながる門を起動しようとして、失敗。すでに向こう側が閉じられていることを悟る。ならば向こうの世界へ行こうとしたが、これも失敗。すでに先手を打たれ、向こう側の門も破壊されて起動しない。新たに門を作ろうにも、世界は既に離れ始めており、いかな魔王の魔力でも門を形成するのは困難だ。つなげられるのは次の千年後。そこへきて、ようやくアスモデウスは騙されたことに気付く。

 騙された方が悪い、自分の言葉が、よもや自分に返って来るとは。これほど滑稽なことは無い。

「は、はは、くははは、あは、あはははははははっ!」

 突如として大声で笑い出した魔王に誰もが声をかけられずにいる。魔王は笑っているのではない。これ以上ない程に怒り狂っているのだ。下手に触れれば消される、それだけの迫力があった。

「やってくれる、やってくれる! あの男、この私を、魔王アスモデウスを! 悪魔軍も天使軍も、あの男の手のひらの上だったという訳か! おのれ、おのれおのれオノレェ! この恨み、この怒り、この屈辱、決して忘れないわ! 次の千年期、必ずや貴様を見つけ出し、死すら生ぬるく感じるほどの地獄を味あわせてやる! 首を洗って待っていろ、スサノタケル!」

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