第117話 オープン・セサミ

「お主は、一体何が狙いだ」

 ゆっくりと体を起こしたルシフルが尋ねてきた。もう奴からは敵意は感じない。充分に戦う力を残して、体の痺れも薄れた頃合いだろうに。

「僕らの狙いは、あんたら天使と悪魔に、ここには戦ってでも奪いたいメリットは無いと思わせることだ。資源はある。けれど、すでに獣人たちには魂胆を知られている。互いに互いの相手をしながら、横槍入れる獣人の相手をする余裕はない。今回みたいな均衡が破れることはもうないから、待ってるのは互いに食い合う蛇と同じ末路だ」

「その通りだ。だが、メリットデメリットで割り切れるものではない。目の前に宝があると知って、危ないからと諦められる程度なら、我らはこんなに長く争っておらん」

 それはそうなんだけど、天使の口からそんな欲まみれなセリフを聞きたくなかったな。

「そこなんだけど、あんたらはさ、今違う世界に移り住んでるわけじゃない。こことどれほどの違いがあるのか知らないけど、各々が何不自由なく暮らせる程度の世界がさ」

 僕の指摘に、ルシフルが頷く。

「資源量からすれば劣るがな」

「うん。悪魔の方からも、同じような内容の話は聞けた。だから一計を案じた。そんで、その作戦を完成させるために僕はこれから天界へ行かなきゃならない」

 ルシフルへ向け「どうだろう」と手を差し伸べる。

「一つ、僕の策に乗ってみないか」

 少しの間、ルシフルは僕と僕の手を交互に見ていた。

「・・・それは、天使のみが不利益を被る様なものではないのか?」

「さっきも言ったけど、僕たちが目指す着地点は、多分あんたの着地点と近いと思うんだよ」

 これで乗ってこなきゃ、死ぬまで戦うことになって時間だけが取られる。この戦争を勝ちに行く僕たちにとって、それはちょっと面倒だ。

「・・・お主の策を聞いてからだ。それで判断する」

 そう言って、ルシフルが僕の手を取った。これで、かなり僕たちに有利になる。



 天使たちの門は、僕の想像とは少し違った。水銀みたいな液体が正方形に敷かれていて、四本のT字型の柱がその四隅に突き刺さっている。T字の柱の先端からコードが伸びて水銀に突き刺さっていた。逃げる天使たちを監視してた獣人が言うには、奴らはここに『沈んでいった』そうだ。

 正方形の真ん中あたりへと歩を進める。パァ、と水銀が輝き、鏡のようにこちら側を映していた表面が消え『向こう側』が映った。その瞬間


 とぷん


 足元を支えていた大地の感触が消え、体が沈む。足掻く間も驚きの声を出す暇もなかった。

 まばたきの前と後とで世界が変わる。周囲はいつの間にか草原からどこかの神殿を思わせるような建物の中に変わっていた。パルテノン神殿みたいなゴツイ柱が立ち並び、天井は高い。天井が上へと延びる柱に邪魔されて見えないほどだ。

「ここが、天界?」

 事実確認と感想が混ざった。四季の花が咲き乱れ、小さなエンジェルがラッパもちながら飛んでるのを期待してたわけじゃないが、それでも何もなさ過ぎて物足りなさを感じる。とりあえず進まなければ話にならない。まっすぐ伸びる通路を進む。

 自分の足音だけがこの空間内に響く。それ以外の音は何もない。全体的に白くて明るくて、静かで無機質。死を連想させる作りだ。

 通路を抜けた。

「おお」

 建物の中に異様な建物があった。おそらく天使たちの本拠地だ。捻じくれた石柱で作られた塔は、樹齢何千年もの木が撚りあって出来たかのようで、色々と物理法則を無視している。重力があるのに重力に逆らっている。異様な外観を眺めながら近づく。僕が近づくのに合わせて、塔の壁がゆっくりと手前に向かって開いた。観音開きの自動ドアなんて珍しい。そして、十中八九罠だろう。構わずドアをくぐる。くぐった先は広いフロアだ。というか、果てがない。前方百八十度真っ白だ。地平線が見える。後ろでドアが閉まる音がする。振り返ると、そのドアが存在せず、代わりに前方と同じ真っ白な空間がただただ広がっていた。さて、幻覚か、それとも空間も捻じれているのか。とにもかくにも進むしかない。退路は閉ざされてしまった。

 何時間歩き続けただろうか。何もない空間は時間間隔を狂わせる。もしかしたらまだ数分くらいしか経っていないのかもしれない。歩いても歩いても何も変わらない。これはなかなかくる。連戦の疲れも出てきた。力尽き、その場で倒れて気を失った。

 気を失ってた時間はそんなにないと思う。一分か二分かそこら。もしかしたらそれ以下かもれない。けど、彼らにとってはそれで充分だった。

 気付ば両手は手錠で繋がれ、体は鎖で縛られていた。刑事ものなんかでよくある、犯人護送中の図だ。鎖は左右に伸びて床に杭で打ちつけられている。

「こいつは、壮観だね」

 目の前には天使軍がずらっと並んでいた。

 先ほどの何もない空間から一転、国会中継やコンサートホールのような、中心にいる僕を見下ろすような段々になった場所にいた。見渡す限り天使、天使。上にも下にも天使だ。僕の真ん前に、議会でいう所の議長席みたいな場所に、一人のおっさんが座っていた。しかめっ面した、いかにも最高責任者でございと言いたげな様子の男だ。もしかして、こいつが天使長メタトロンか? だとしたら詐欺だ。僕の想像と違い過ぎる。僕の想像、ていうか神話では、地面に足ついた状態で神様がいる天まで頭が届くくらいデカく、七十二枚の羽根と三十六万もの目があって神々しい光を放ち、炎の柱とか数々の異名を持つのに、何だ目の前の狡猾そうな顔は。どこの会社の人事担当だ。

「頭を垂れよ」

 人事担当メタトロンが重々しく口を開いた。

「貴様は、下等な分際であるにもかかわらず我らの領域へ無断で立ち入った。それだけでも万死に値するのに、獣人どもを扇動し、天使に刃向った。貴様のその所業、裁きの炎に何万回焼かれようと許されざる行為だ。申し開きはあるか?」

 申し開きねえ? そっくりそのままそのセリフを返品してあげたいね。獣人たちを利用するだけしておいて簡単に裏切って切り捨てた自分のことを棚上げしてよく言う。こうやって他人の行いは糾弾して自分の行為は正しいと思い込める精神ってどうなの。悪魔よりもよほど分厚い面の皮をしてらっしゃる。どこの世界にもどんな種族にもこういうのはいるのだな。

「申し開きするつもりはないよ」

 僕の答えに、メタトロンは片眉を吊り上げた。

「それは、己の罪を認め、裁きを受けると言う答えと取っていいのだな?」

「何でそうなるんだ? 頭おかしいんじゃねえの?」

 瞬間湯沸かし器みたいに、メタトロンの顔が紅潮した。どうやら、相手を馬鹿にするのには慣れていても、馬鹿にされるのは慣れていないらしい。メタトロンが杖を掲げた。杖の先端につけられた宝石が光り、僕を拘束している鎖が締まる。

「ぐっ、づうっ」

「口のきき方に気をつけよ。貴様の命は我が手中にある。いつでもそっ首刎ねることができるのだ」

「ぎっ、つ、ふ、ふは、はッ!」

「何がおかしい」

 さらに拘束が締め付けられる。苦しさに足掻くと鎖は皮膚を破り、血が伝って床に散る。

「何がっ、おかしいっ、だと? 簡単だ。お前らが、こんなところで、悠々と僕なんぞに構って、すでに戦争が終わった気で、いる所が、だよっ」

「何を愚かな。まさか、貴様一人で我ら天使を滅ぼすとでも言うのか? おこがましい。自らの姿を顧みよ。何もできず、獣のように鎖に繋がれて、みじめに足掻いて喚くことしかできぬではないか」

「喚けりゃ充分なんだよ。これが!」

 体の内から、血以外の物が噴き出し始める。黒い煙だ。いや、正確には血が沸騰して煙となっているのだ。見れば床に散らばった血も黒く変色し、煙となって立ち上っている。では床の血は蒸発したかと言うとそうじゃない。シミとしてそのまま残っている。

 ブルリと雨に当たった犬のように体を震わせる。水滴の代わりに血が飛び散り、新しい点となった。ある程度床に血が散ったころだろうか、点に変化が現れた。アメーバのように伸びて、近くに散った点とつながったのだ。他の点も同様に点と点同士で繋がり、黒い煙はさらに色濃く、空気よりも重いのか足元へ溜まり、ライブのドライアイスみたいになっている。やがて、僕を縛っていた鎖が僕に触れていた箇所から腐食し、ボロボロになって砕けた。ガシャン、と音を立てて落ちる。

「聞いてた話だと、メタトロン。あんた、なかなか前線に出てこないらしいじゃないか。自分は高みの見物で、絶対に大丈夫だと確信できなきゃ前には出てこない。まあ、大将なんだから当たり前っちゃ当たり前なんだけどね。で、そんな奴が出てくるところっつったら、自分の本拠地だよね。また、小心者の癖に見栄っ張りだから、のこのこ現れた僕を直接断罪したいはず。そうやって人気取りしてたんだろ? 大した実力もねえのに自分を偉く見せるのは大変だよな」

 だから僕たちはこの機会を待っていたんだ。

「殺せ!」

 さすがに異変を察した誰かが声を上げた。四方から天使が襲い掛かる、だが、それは僕に辿り着く手前で防がれる。煙から飛び出した者たちの手によって。

「待ちくたびれたぜ」

 そう言って天使を薙ぎ払ったのはアモンだ。

「あれだけ大口を叩いておいて、失敗したのでは、と危惧しておりましたが」

 怜悧な視線を浴びせてくるのはベルゼ。

「やるじゃないか坊主」

 アスタが大口を開けて笑った。そして煙からは続々と悪魔たちが侵入してくる。

「な、なんだこれは!」

 焦るメタトロンに、分かりやすく説明する。

「魔界から天界に直接つながる門を作ったんだよ」

 僕がずっと不思議だったのは、どうして僕たちがいた世界で戦争してたかってことだ。直接攻め込むなりした方が効率的じゃないのかと。その方があの世界を傷つけるなんてことは無いから、思う存分戦えたはずだ。すると、悪魔側からも天使側からも同じ答えが返ってきた。

 【互いに互いの世界の位置を知らない】

 この答えは衝撃的だった。が、よくよく聞いてみると互いにばれないように色々と防御策を敷いていたようだ。直接攻められるというのは脅威というのは共通認識であったらしく、攻撃よりも防御に重きを置いた。その事を知った僕は、悪魔側にこう持ちかけた。

「天界をくれてやるから、僕らの世界からは手を引け」

 ルシフルにも確認したが、天界、魔界、両方とも彼らが暮らすには十分な資源がある。なら、あの世界でなくても、相手の住む世界を掌握してしまえば良いのだ。それで充分事足りる。二つ分の世界の資源が、僕らの世界一つ分より劣るなんてことは無いはず。

 門を繋ぐには相手の世界の位置情報が必要だ。これはGPSみたいな緯度経度に加えて、並列した世界の位置、四次元だか五次元のポイント情報が必要になる。小難しそうな話に頭が少々パンクしかけたが、僕のやることは簡単だ。発信機を持って、その場所に行けばいい。後は、悪魔側が僕の位置を追跡する。

「馬鹿な。魔王は貴様らが滅ぼしたのだろう! 門は魔王でなければ開けないはずだ! ・・・まさか、すでに魔王候補を用意していたというのか?!」

 老年の天使が叫んだ。メタトロンの近くに侍っているので、それなりに高位の天使なのだろうか。

「簡単に殺さないでくれる?」

 鈴を鳴らすような声に、ざわついていた天使がぴたりと声を潜め、メタトロンやその周囲にいる高位の天使に動揺が走った。煙から現れた、悪魔の中でも一際小柄な、それでいて圧倒的な存在感と魔力をほこる彼女が現れたためだ。

「魔王・・・アスモデウス・・・」

 その場の全天使の注目を浴びた彼女は、さらっと優雅に髪をかきあげた。

「よくやったわタケル。褒めて遣わしゅ」


 ・・・・・マジかよ。この場面で?


 僕、アモン、ベルゼ、アスタの驚愕と呆れと失望に満ちた視線を受けて、アスモデウスは顔を真っ赤にして

「ぜ、全軍、突撃! メタトロンの首を取れ! 天界を奪取し、我らの物とせよ!」

 ごまかすように叫んだ。

「無かった事にはできねえぞまったくカッコ悪い」

「演説の練習も取り入れた方が良いのでしょうか」

「滑舌だな、滑舌の練習からだ」

 ぐちぐちと悪魔たちは不平不満を並べて天使たちに飛び掛かった。

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