【外伝 旅路の果てに得たもの】

第120話 ハングオーバー

 ハングオーバーという映画を、ご存知だろうか。

 結婚記念日前、最後の独身を満喫するために四人の男たちが大はしゃぎして酒を飲みすぎ、翌朝ホテルのスイートで、記憶をなくした状態で目覚める。何故か花婿の姿は無く、代わりに男たちの周りには身に覚えの無いものがズラリ。知らない間に入ったタトゥー、いつの間にか失われた前歯、バスルームに虎、ロッカールームには赤ん坊。ハングオーバー、二日酔いで痛む頭を抱えながら、前日何があったかを思い出しながら花婿を探すコメディだ。

 とりあえず映画の教訓としては、酒は飲んでも飲まれるな、ということだろうか。

わかる。わかるよ。私もこれまで飲みすぎて家族や友人、会社の同僚たちに多大なる迷惑をかけた。

 けど、飲まなきゃやってられないこともあるのが社会人ってもんだと言い分けさせてほしい。

 ハングオーバーの花婿はまだ幸福だ。結婚相手がいるのだから。こちとら齢二十七、結婚適齢期とか呼ばれる年代に差し掛かっても婚約者どころか彼氏の影も形も無い。そりゃ飲みたくもなりますよ。で、古い友人を呼び出して乾杯したわけだけど、それがまずかった。

 酒が体内に入ると押し出されるように口から吐き出される泣き言に不平不満に愚痴のオンパレード。吐き出せば吐き出すほど、つかえの取れた腹の中に酒が進む進む。

 結果、夜が明けるまで飲み続け、倒れるように眠ったわけで。目覚めた私に襲い掛かったのは割れんばかりの頭痛。これにだけは、一生勝てる気がしない。

「ぐ、つつつ」

 額を押さえ、体を起こした。自分に起こった惨状を確認する。昨日のパンツスーツのまま眠っていたようだ。皺がよってしまっている。クリーニングに出さないとだめだな。

 ここで自分でアイロンを当てようっていう発想が出てこない時点で、私は可愛い花嫁になれる可能性が低いってことなのだろうな。いいもん。アイロン当てられなかろうが、料理できなかろうが。できない人のためにクリーニング屋があり、飲食店があるんだもん。彼らのためにあえてしないだけだもん。

 さて、できないことに対する弁明はこのくらいでいいとして、そろそろ現状把握に努めますか。

 体を見回す。頭痛が酷いだけで、腕も足も胴体も怪我を負ってるようには見えない。スーツに皺が入ったくらいで、破れているわけでも汚れているわけでもない。自分のバッグは・・・うん。ある。財布も、中身も問題ない。逆にあっては困るものは、なさそうだ。赤い三角のコーンも、どっかの標識やカーネルおじさんも持って帰ってきてない。

「・・・で、ここは?」

 自分のこと以外に意識を向けたからか、ようやく自分が、見覚えの無い場所にいることに気づいた。

 首を巡らせる。広さは八畳ほど。床も壁も木で作られていて、道場みたいな感じ。

「・・・?」

 床には、奇妙な紋様が描かれていた。たとえるなら、悪魔召喚の儀式みたいな、怪しげなヤツ。円の中に星マークで、隙間を見知らぬ文字が埋め尽くしている。私が寝ていたのはその中心だった。生贄に捧げられそうになっていたのだろうか。

 まずい。ほんとにハングオーバーみたいになってきた。一体昨日、何があった。そんなことを考えていると、誰かが近づいてくる気配がする。ギイ、と音を立てて、開いたドアから男が三名ほど入ってきた。いずれも五十歳以上の高齢に見える。

「気づかれましたかな?」

 ニコニコと好々爺然とした、白いひげを蓄えた小太りの男が尋ねてきた。真ん中の立ち居地からして、こいつらの中でもリーダー格だろうか。

「ここは、どこ?」

 潰れたから、どこかの店屋の部屋を借りたってことなんだろうか。ってことはこの人は店長さんか?

「すみません、すぐ帰りますん・・・いつつ」

 すぐに退散しようとして、まだ痛む頭を抱える。

「大丈夫ですか? まだ無理はなされないほうが」

「いえ、そういう訳にはいかないんです。迷惑かけてるし、会社に行かないと。あの、今何時ですか?」

 開いたドアから差し込む明かりは、すでに太陽が高いことを意味している。完全に遅刻だ。それでも時間を聞くまで希望を捨てないのは、寝坊した人間の習性だろう。

「なん、じ? 申し訳ございません。何をおっしゃっているのか・・・」

 なぜ時間を聞いただけで聞き返されなければならないのか。聞き取りづらかったかな?

「あの、朝なのか昼なのか教えて頂けます?」

 これでようやく意味が通じたらしく、男はああ、と頷いて答えた。

「いまは、おそらく九の刻あたりかと」

 九の刻? 聞きなれない言い方だ、まるで古代の時間表記みたい。そういうコンセプトだろうか。よく見れば、男たちの服は煌びやかで上等の布を使ってはいるが、古代の日本や中国、韓国の民族衣装のようだ。なるほど、勤務時間外であろうとも、客の前ではスタンスを徹底して貫くというわけか。すばらしいね。だが、遅刻確定の社会人にとる行動じゃない。埒が明かないのでバッグから携帯を取り出す。時間は、九時十七分。

「・・・・・・・・・うん」

 目を硬く瞑り、天を見上げた。

 わかってはいたけど、わかりたくなかったけど、ええ、まあ、遅刻だ。

「あれ?」

 時間は仕方ない。どうしたって戻らない。けれど、携帯が圏外ってどういうことだ。これでは上司に連絡ができない。もしかして地下か? 最近では地下鉄でも電波届くんだけどな。とにかく電波の通じる外に出ないと。男たちの横をすり抜けて、ドアへ向かう。

「え、ちょっと! どこへ?!」

 後ろから男の呼び止める声が聞こえるが無視した。遅刻するにしろ諦めて休むにしろ、電話の一報は入れなければ。社会人として。

 ドアを開け放ち、外へと一歩踏み出す。清涼な風が頬を撫で、眠気を飛ばし、思考を混沌の坩堝へと放り込んだ。

 がしゃん、と携帯が手から滑り落ちる。そんなことも気にならないほど、私の視覚は、脳は、目の前の現実を受け入れないでいた。

 目の前に広がるのは、CGと見紛わんばかりの古代の城下町の風景だ。言葉がおかしいのはわかってる。普通は本物と見紛うばかりの、だ。だが、本物が目の前にあったらそう言うしかないじゃない?

 私が呆然と立ちすくんでいるのは、城の最上階、天守閣のような場所に作られたベランダだ。見渡せば四方を城壁に囲まれ、城壁内では市が立ち並んでいる。ここまで威勢のいい売り子の声が届き、街の活気が良いのを思わせる。平和だねえ・・・

「だから何!」

 キレた。訳がわからないからとりあえずキレてみた。後ろの男たちがビクッと身を縮こまらせているが知ったことか。

 目が覚めたら何で城の最上階で目覚めるんだよラプンツェルかっつうの。ラプンツェルなら王子様が現れるのに私によこしたのは爺三人ってどんな差別だよ神様。そんな馬鹿な、そんな馬鹿な。眠る前まで都内にいたはずなのにどうしてこんな地平線が見渡せるような場所にいるんだよ。日本で一番広い関東平野だって建物やら山やら存在して見えないってのに。明らかに外国じゃないの。いつ国外に出た。必死で記憶を探ろうとするが、その前に立ちはだかるのはハングオーバーの頭痛だ。だめだ、何も思い出せない。友人も一緒に飲んでたのに、せめてやつらさえ一緒にいればここまで焦る事も無かったのにどこ行ったんだバカヤロー!

 この場にいない友人といまだ入ってくる気配のない脆弱な電波に、悪態を尽きるまで吐き続けて、落ち着いたらなんだか疲れてきた。もう嫌だ。何で私がこんな目に。


「もうお酒は飲みません。だから神様、何とかして」


 神頼みするほど、今の私は参っていた。

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