第115話 天使が地に落ちる時

 相手に向かって一歩踏み出し、大地を蹴ったタイミングは同じ。

 自分の一撃が最も効果を発揮する間合いも同じ。

 剣を振り降ろすための踏込みで大地たわみ、悲鳴を上げた。衝撃によって走った亀裂は双方向から繋がり、地面がめくれ上がる。

 ルシフルと目が合った。奴の目の中に、笑う僕がいる。おそらく僕の目にも、鬼気迫る顔のルシフルが映っていて、奴もそれも見たはずだ。

 互いに裂帛の気合と必殺の力を込めて振り降ろされた一撃が交錯する。

 剣が激突し、火花を散らす。互いが互いの膂力によって弾かれ、大きく飛び退った。鈍く長い残響だけがその場にとどまる。吹き飛んだ僕は両足で地面を削って勢いを殺し、ルシフルは宙へと逃れた。

 勢いを殺し切り、顔を上げた時、すでにルシフルは目の前まで迫っていた。

 鋭い突きが放たれる。剣の腹でそれを受けた。今度は、先ほどの斬撃ほどの衝撃は無く、踏ん張れば下がることなく、体勢を崩されることはなかった。が

「ハッ!」

 防がれることを構うことなくルシフルは突きを見舞う。それも一撃じゃない。キツツキでももう少し大人しいと思うくらいの突きの雨を降らせてくる。致命傷はまだ避けられているが、細かい傷が腕や肩に増えていく。大量の鳥に襲われている気分だ。ヒッチコックみたいだ。だが、こちらとて防戦一方でいてやるわけにはいかない。タイミングを合わせて、防ぐ、ではなくこちらから弾く。目論みは上手くいき、ルシフルが少しのけ反る。そこを飛び上がって追撃した。宙に逃げられないよう高く飛び、上段から思い切り振り降ろす。

 ガィン

 痺れる手応え。渾身の一撃は防がれる。今度はルシフルが足裏で大地を削る。

 逃がさない。さらに追い打ちをかけるために、着地と同時に跳ぶ。奴の目がこちらを捉えている。そんな奴に向かって、僕は間合いの外から左手を水平チョップするように払った。

 ゴオォッ

 最近覚えた炎を視界いっぱいに広がるように放って『炎幕』を敷く。これで怯んだところを・・・

 首筋に冷たいものを突っ込まれたような悪寒が走る。急遽体を捻って倒す。その一瞬後、僕の首のあった場所を、炎の壁から剣が突き出した。怯むどころか、突っ込んできやがった。炎を掻き分けてルシフルが姿を現す。

「ならァ!」

 体を倒した体勢のまま斬りつける。それを奴は突き出していた剣を戻し、払うことで防ぐ。舌打ちしながら着地。位置を入れ替え、再び対峙。

「アモンと戦ったらしいな」

 油断なく構えたルシフルが僕に言った。

「それが、どうした?」

「奴は悪魔の中でも指折りの実力者だ。そのアモンと戦って生き残っただけのことはあるな、と」

「負けちゃったけどね。何とか『逃げ出す事』はできたよ」

「逃げ出す、か。・・・本当に逃げ出せたのか?」

 刃よりも鋭く、ルシフルが僕を睨む。

「此度の戦いは不可解なことが多い。制限時間を越えても悪魔が戦闘を止めなかったこともそうだし、お主たちがあの魔王アスモデウスを討ち取ったという報告もだ」

「何だよ。疑ってんのか? 獣人たちの実力を見出したのはあんただろうに」

「私だからこそ、だ。確かに獣人たちの力は素晴らしい。だが、本当にだまし討ち程度の策で、悪魔軍で最も硬い守りの奥にいる魔王を討つことが出来たのか。時間が経ち、冷静に考えれば、やはり腑に落ちない。そして、お主たちの天使たちに対する襲撃。裏切られるのが分かっていたから、あらかじめ襲撃準備を整えていた。それは『いつから』だ? 今日の戦いの前に獣人たちの配置や人員を確認したら、遠距離攻撃を可能とする獣人、空戦部隊を担当する獣人はほとんどいなかった。なのに、天使たちを混乱に陥れたのは、彼らが得意とする爆撃だ」

「・・・で? 結局何が言いたい」

 つまり、とルシフルは言う。

「今日魔王が討たれ、悪魔軍が撤退することをあらかじめ知っていたんじゃないのか、ということだ」

 強いだけじゃなくて頭も回るとは、参ったね。そこまで気づいているということは、他のことも連鎖的に気づいていくってことになる。

「・・・まさか!」

 ルシフルが遠くを見た。それは、悪魔軍の門が設置されていた方角だ。

「安心しろよ」

 巡る思考を断ち切るように声をかける。

「彼らのキーはまだ僕の手にある。そういう計画で、約束だからね。だから、まだあんたが考えているような最悪の事態は訪れていない」

 ま、これを言ってる時点で僕は計画の大半をバラしているようなもんなんだけど。

「ちょっとあんたは複雑に考えているようだから、もっとシンプルに考えさせてやるよ。ここであんたが僕を倒せば、僕たちの計画も悪魔たちの計画もとん挫する」

「それを信じると思うか? 天使軍を騙したばかりのお主を」

「こればっかりは信じてもらうしかないが、こういう事に関しては信じた方が良いとおススメするよ。僕自身が戦いの趨勢を決めるキーを持っていることで、あんたのような実力者は、絶対に僕を無視できない。そして、あんたのような実力者と戦うことが目的である僕にとっては、そいつは非常に都合がいい」

 右手の剣に電流が流れ込み、左手に炎が集まる。

「僕を倒せば、とりあえずは今回の戦いは引き分けに持ち込める。でも、あんたはそれでいいのかい?」

「どういうことだ?」

「あんたは他の天使とは考え方が違う。なぜ、どうして、はこの際置いておいて、今のあんたと天使との間では認識の溝が生まれている。自分の考えは相手に理解されず、相手の考えを自分が理解できない、そんな状態だ。違う言い方をすると、あんたはもう、天使とは違う種族だ」

「・・・何を馬鹿なことを。どこからどう見ても、私は天使以外の何者でもないだろう」

「そうかな? 僕は姿形以上に、考え方が違うと、それは別の種族だって判断する。もちろん違う考えを頭ごなしに否定はしないようにはしてる。尊重できるときはする。けど、そういうのが一番明確に自分とは違うと意識する。逆に、同じ考え方をする奴に対しては、姿形が似てなかろうが同族のような共感を覚えるものだよ。そう思わない?」

 鉄仮面の如きルシフルの表情は変わらないように見える。内心は分からないけど。

「一応確認しておきたいんだ。今から僕たちがやろうとしていることは、多分、だけど。あんたの着地点に近いんじゃないかな。だから僕たちはここを通り、天使たちを追い返す。協力するなら好きにしたらいいと思うけど」

「ありえないな」

 即座に首を振って否定する。

「我が名はルシフル。天界の騎士にして将。同胞たる天使たちが討たれるのを黙って見過ごすわけにはいかない。ましてやそれに協力することなどあり得るはずがない」

 忠誠心の高いこった。理解しかねるよ。

「お主を倒して、この戦いに終止符を打つ」


 振り降ろされる刃は速さ、鋭さを増した。こちらはそれを弾き、僅かに生まれた隙をついて剣を刺し入れる。こちらが繰り出した剣をわずか数センチで見切り、ルシフルが蹴りあげた。脇腹めがけて飛んできた蹴りを、肘を曲げて腕を引き寄せ、防ぐ。ギシ、ミシと腕が軋み、殺しきれない衝撃がインパクト部分から波紋状に広がる。歯を食いしばることでそれに耐える。ここで怯むと、次が防げない。

 警戒していたにも関わらずそれは来た。真上からの斬撃。蹴りによって意識を下に引きつけられている中では死角からの一撃に等しい。体が、特に足が痛みで硬直しているから回避は無理。かといって下手に防ぐのに全力尽くすと、今度はがら空きになった胴体が狙われる。ならば空いている片手で受け止められるか? 不可能だ。威力の乗った上からの攻撃を防げるわけがない。手詰まり感満載の中、僕は賭けた。防げないのなら、逸らす。片手で掴んでいた剣は幸い奴に向けて突き出したままだ。そのまま横に振る。威力も何もない当てるだけの物だが、それでいい。添えるだけだ。ギャリギャリと刃同士が擦れる。真上から真下へ、一直線の軌道で迫る刃を、横に押しのけるようにして逸らせる。そして体は反対側へ逃がす。

 果たして目論みは上手く運び、直撃を避けることはできた。ここで、硬直していた、蹴りを防いでいた方の腕の自由が戻る。力の入らなくなった手から剣を手離す。そこに向かって殴るように空いている手を伸ばし、剣を持ち替えた。掴み、斬りに移行する。対してルシフルは完全に姿勢を崩している状態だ。今度はこちらの攻撃が死角から襲い掛かり

「なんッ?!」

 手に返ってきたのは鋼とかち合った時の衝撃と痺れ。

「飛ぶことだけにしか使えない、と思ったか?」

 ルシフルが言う。剣を、自らの翼で防いで。見れば翼は、うっすらと白い光に包まれていて、刃はそこで止まっている。

「ふんっ!」

 呆然としているところに、ルシフルが翼を力任せに振るった。体ごと弾き飛ばされ、再び僕たちの間に距離が生まれる。

「アモンと戦ったことがあるお主なら知っているかもしれないが、私たちのような接近戦主体の騎士や戦士は、自らの魔力を体に纏い、強化することが出来る。強化するだけではなく、纏っている魔力の形状を変化させることで、盾のようにすることも、刃のようにすることも出来る」

 威圧するように、ルシフルがその六枚羽を広げた。

「剣は一振り、けど、攻防一体の刃は七つある、そういうことか」

「左様。飛行能力は落ちるが、その代わり攻撃力は格段に跳ねあがる」

 ルシフルの翼が変化する。純白の翼から、柄のない剣が一本一本つながった鋼の翼へ。南京玉簾のようにスライドして自在に伸び縮みする。

「これが私の奥の手だ」

 ガツン、と下段の二対の羽根を地面に突き刺した。まさか・・・

 二枚の羽根が縮み、スリングショットのようにルシフルの体を押し出した。進行方向から慌てて飛びのくと、刃の嵐がすぐそばを通過した。空間がズタズタにされているのが見えるようだ。通り過ぎたルシフルに対応しようと体を起こした時、すでに奴は旋回を終え、僕の方に向かっていた。あの速度で、どうしてそんな急旋回がかけられる!? 飛行能力は落ちたんじゃないのか?

 答えは地面にあった。何のことは無い、翼の先端を突き刺して、それをアンカーにしてコンパスよろしく回転したのだ。残り五枚と剣一振りがギャリギャリと音を鳴らして、僕の首を落とそうと迫る。前後左右ななめのあらゆる方向からの斬撃が、一方向からではなく、同時に複数、別方向から襲い掛かってくる。昔読んだ漫画の最強の人斬りが使う技みたいだ。あんなもの現実には受けることないと思ってたら、遠い世界で味わうことになるとはね。この技を破るには、確かその斬撃を遥かに超えるスピードで相手を倒すしかないんだが。

「っとぉ!」

 すれすれのことろまで来た羽根を何とか弾いた。

 ちょっと無理だ。こちらが攻性に出る隙すら与えてくれそうにない。さっきはまだ自分の間合いが相手の間合いだったので打ち合いに持ち込めたが、今は羽根のリーチが長すぎて潜り込むことすらできない。

 もし攻勢に出れたとしても難しいな。こちとら抜刀術が得意なわけじゃない。むしろ正しい剣術とか知らない。亜流、自己流、マンガの見よう見まね流でよくここまで来たと褒めてやりたいね。

 クワガタの顎のように、上段の二枚が左右から迫る。それを前かがみになって前進することで躱す。ちょっとでも前に進まなければ、相手に近付かなければ攻撃を当てることすらできない。

 だがルシフルも易々と近づけさせない。中段の一枚が足元を狙って突きを入れてくる。下半身だけを折りたたんでそれを飛び越える。スケボーでジャンプする要領だ。中段のもう一枚が空中にいる僕の体中心を狙って突きを放つ。辛うじて躱したが、掠めた右胸から右肩にかけて猛獣に引っかかれたような裂傷を負った。ぐらつく僕へ、下段から地を這うアッパーのような斬り上げが襲い掛かる。仕方なく剣で受けた。遠心力の乗った一撃は重い。無理に耐えようとはせず、その勢いのまま弾き飛ばされるに任せる。放物線を描き、地面へ。その間に、武器を変化させる。剣だとちょっと六枚プラス一本に対応するのは厳しい。かといって腕が六本に増やせるわけも無し。

 考え方を変えよう。普通にやってて近づくのは無理だ。神速の抜刀術があるわけでもないし。今、自分の手持ちは何だ。電流に炎に、自分の考え通りに変化する武器だ。

 考えろ。

「・・・これでいくか」

 思いついた物を剣で変化させて作る。着地した時、僕の手には一本の剣ではなく、二振りの曲刀が収まっていた。曲刀の柄頭からは縄が伸び、もう一本の柄頭に繋がっている。鎖鎌の亜種だ。鎖鎌を使ったことは無いけど、マンガで読んだ。それに、本来と同じ使い方をするわけじゃない。

 今度はこちらから相手に突っ込む。迎え撃つルシフルは上と下から挟み込むようにして翼を振るう。上からの一枚を躱し、下から斬り上げる一枚に縄をかける。クルリと縄を一周させて、右手を離す。縄の環は狭まり、キュッと羽根に絡む。

「力比べでもするつもりか!」

 そのまま引っ張られると思ったか、ルシフルは縄のかかった羽根をぐいと引っ張った。逆らわず、引っ張られるままに上へ飛ぶ。釣り上げられた魚は、多分こんな感じだろうなと思いながら。

 ルシフルの真上、高さが頂点に来た。空中で身動きが取れない僕へ、残り五枚の羽根が上下左右と突き、躱しようのない全方位から振るわれる。

「力比べじゃ、無いんだ」

 これが、僕の奥の手だ。三枚に下ろされる前に、僕は溜めに溜めた体内電流を曲刀へと流し込んだ。青白い電流がショートしながら縄を伝い、羽根へと流れ込む。

「グガッ!?」

 大量の電流が流れ込んだことで、ルシフルの体が痙攣する。迫ってきた羽根も制御を失い、僕から逸れた。素早く動くのが厄介なら、止めるしかなかった。

 チャンスはこの一度きりだ。二度同じ手は食わないだろう。

 着地した僕は思いっきり縄を引っ張る。踏ん張ることのできないルシフルはそのままこちらへ接近する。だが、距離が半分になったところで、奴の目に生気が戻る。歯を食いしばり、その目は僕を捉えていた。痙攣で翼を動かすことはできないようだが、腕は動くようになったようだ。つくづく人間とは別種の生命体だ。どんなに強靭な肉体でも、それを動かしているのは脳から送られる電気信号だ。体に高電流が流れるってことはそれを阻害されるってことに他ならないのに。

 良く見れば、奴の腕は遠くから見てもわかるほどの光に覆われていた。羽根を包んでいた時の何倍もの魔力が腕を包んでいるってことか。先ほど奴自身が言っていた。魔力の形状を変化させることで盾にも剣にもなる。それは、使い方次第で体を無理やり動かすことも可能だという事か。

「あああああああぁっ!」

 雄叫びを上げて、ルシフルが振りかぶる。曲刀をすぐさま剣に戻し、僕も構えた。


 始まりと同じように、二人の剣が交錯する。今度は、澄み渡るような甲高い音が戦場に響いた。


 くるくる宙を舞って、大地に半分になった剣が突き立った。

「どうする?」

 剣を相手の喉元に突き付けて、僕は尋ねた。飛んで来てそのまま大地に仰向けに倒れたルシフルは、折れた残り半分の剣を見つめ、ため息とともに投げ捨て

「殺すといい」

 と目を瞑った。

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