第114話 明星

 上空で派手な爆発があった。しばらくして、一体の天使が落ちてきて、地面に衝突する前に消えた。

 落ちてくる天使に気付いたのは何も僕だけではない。逃げ惑っていた天使たちも一瞬足を止め、上を見上げた。

「う、ウリエル様が・・・」

 ぽつりと誰かがその天使の名前を読んだ。ウリエル、といえば四大天使か。この世界の天使の序列が僕の知識通りなら、最高位の天使の一人だ。そいつが負けたとなると、いよいよダメ押しが出来るんじゃないか。

「ウリエル様がやられた! もうお終いだ!」

 試しに叫んでみる。すると面白いように破滅的な話が飛び出す。左翼は制圧された、本部が奇襲を受けて壊滅した、命令系統が駄目になった、など等、僕たちが流した覚えのない話も出てきている。

 予定通りだ。こっそりとほくそ笑む。

 彼らは勝手に色々想像して、勝手に敵を作って、勝手に恐れて、後は残しておいた逃げ道に殺到している。この流れに逆らう者、又は命令を下す上官、もしくはその両方に該当する奴もいたが、もれなく獣人たちの牙の餌食となってもらった。彼らは混戦の中ターゲットを探し出す能力が非常に高い。空からは猛禽の目が全体を見通し、その情報を地上の猛獣たちが受けてすぐさま実行に移した。

 上官が倒れれば、部下の天使たちは頼る者を失い、混乱するだろうという目論見は完璧にはまった。

 おそらく、天使軍の大多数は経験が浅い。ルシフルの口ぶりから奴自身が古参であるということが推測できた。では、大多数の天使は奴よりは若く、まだそれほど戦争を体験していない天使ということになる。

 それに、千年に一回なんて、錆びついて仕方のない大きなブランクだ。訓練と本番は違う、なんてよくある話だが、その本番が片手で数えられるほどであれば経験など無きに等しい。自分で考えて行動できる者などいないだろう。

 上官以外の、その他大勢の天使を積極的に狙わないのもミソだ。見境なく倒すと、恐怖以上に怒りの感情が勝ち、そこから冷静になられてガッツリ構えられる可能性があった。一人がそうなると、二人、三人と増える。一人でも冷静な者がいると、途端に他の連中も落ち着いてしまうからだ。視覚から入る情報が脳に慌てなくていい、と判断を下す。混乱している連中が反比例的に減ってしまうってことでもあるから、人数の少ないこちらとしては最も避けたいところだった。

 追い立て漁のように僕たちは天使たちを門へと追いやっていく。波が引くように横並びの天使たちが僕たちに背を向けて走り、飛ぶ中、ただ一人、その流れに逆らうように現れた。

 猪の獣人が、ぽつんと現れた一人に突進していく。獣人でも僕たちでもないなら、僕たちの作戦を妨げる障害だ。他の上官どもと同じように潰す、という猪の判断は間違ってない。

 猪の鋭い牙がその天使を串刺しにしようとした。激突する、その刹那。天使が突進を紙一重で躱した。すれ違った猪は徐々に速度を落とし、どう、と倒れた。

 倒されたのだ。あのすれ違いざまに一撃を受けて。天使はいつの間にか、右手に剣を握っていた。

 それを見ていた他の獣人が、天使に襲い掛かる。空からグリフォンが嵐を纏って迫り、地上からは火を噴くトカゲ、サラマンダーが口元から火を噴き焼き払おうとする。

 天使は一切慌てることなく、その手に握った剣を振るった。鋭く、速く振るわれた剣は、襲いくる炎をまるで枯れ草のように斬り払う。唖然とするサラマンダーに天使は肉薄し、剣の腹で殴りつけた。開いていた口を強制的に閉じさせ、そのまま地面に叩きつける。

 仲間をやられた怒りをぶつけんとグリフォンががら空きの背中に鉤爪を振るう。だが、爪は空を切った。どころか、振り降ろした足を掴まれ、その足を持って、地に伏せるサラマンダーに向けて投げつけられる。二人の獣人は衝突し、そのまま意識を失った。

 たった数秒で三人の獣人を戦闘不能にした天使は、別段それを誇ることなく、残る獣人たちに睨みを効かせて牽制した。強いだろうというのは分かっていた。アモンも言っていたし。ただ、敵に回るとは想定外だったな。僕としては嬉しい誤算だが。

「久しぶりだね。元気そうで何よりだよ。ルシフル」

 声をかけると、奴の視線が僕に向いた。おやまあ、仲間をやられて怒っているのかと思いきや、ずいぶんと悲しそうな、苦しそうな顔をしてやがることで。そんなルシフルの前に、リャンシィが進み出た。

「ルシフル、あんた始めから、俺らを利用するつもりだったのか?」

「・・・」

 ルシフルは何も答えてくれない。そんな彼に更にリャンシィは言葉を重ねる。

「あんただけは、他の天使とは違うと思ったのに。それとも、あれは全部嘘だったのか? 俺たちに言った事は全て、嘘だったっていうのか? ていよく使い捨てにするための」

 答えろよ! とリャンシィは叫ぶ。それには答えず、ルシフルは彼に向かって、自分が今しがた倒したサラマンダーとグリフォンを投げてよこした。

「即刻、退いてくれ。そうすれば命までは取らない。倒れている者も、気を失っているだけだ」

「ルシフル!」

「私は、天使軍の将だ。これ以上仲間の天使を傷つけさせるわけにはいかない。これ以上やるというなら、私が相手になる」

 ルシフルが剣を両手で構えた。その時にはすでに、先ほどの苦悩の表情は鳴りを潜め、何の感情も浮かばない無表情でこちらを見据えていた。

「次は、容赦しない」

 僕たちを睥睨する。隙など微塵も見つからない。下手に動けば自分の首が飛ばされる、それくらいの威圧を獣人たちに与えていた。誰も動かない。動けないのだ。それほどの威圧感を発していた。

「どう容赦しないのか、教えてもらいたいもんだね」

 リャンシィに近付いて、彼の前足をポンポンと叩く。こちらに顔を向けたリャンシィに目で合図を送る。すぐに察してくれたようで、ゆっくりと後退した。入れ替わるように僕が前に出る。

「タケル、だったか。やはり生きていたか」

「残念ながら」

「お主が今回の策を練ったか。こうも天使軍が手のひらで踊らされるとは、恐れ入ったよ。・・・いつ、我ら天使の思惑を見破った」

「疑ってたのは最初からだよ。あの最初の夜、帰っていくあんたらの後を、こっそりクシナダがつけていた。駄目だよ? 聞かれたらまずいことを外で喋るなんて。誰が聞いてるかわからないんだし」

「つけられていたのか・・・。不覚。全く気付かなかった」

「後は、天使と悪魔が元は同じ種族だって聞いたときかな。同じ種族ってことは、天使も悪魔と同じようにこの世界の力が必要になるはずだ。一方だけ狙ってない、なんて考えはおかしいだろ。そんなわけで『天使』はこの世界を手に入れるために、いずれ獣人たちを裏切る、もしくは隷従させようとするってのは分かってた。分からないのはあんたの方だ」

「私?」

「そう、あんただけは、大多数の天使とは違う思惑で動いてる。だから今まで姿を見せなかった。見せられなかった。違うか?」

 獣人を擁護するような発言をしていたルシフルは、おそらく天使の中でも異端、鼻つまみ者だ。おそらく二日目以降の獣人たちの配置などに関してはノータッチだろう。伝令として現れたのがルシフルではなくラジエルだったのは、それが理由で任を外されたからだじゃないのか。

 確認しようにも、再びルシフルが黙りこくってしまった。まあいいさ。大体想像通りなんだろう。出逢った時から不器用そうだしな。大ヒット警察映画の管理官みたいなやつだ。正しいことが出来ず、不本意な命令に従っている、そんな感じ。窮屈そうで大変だね。

「まあ、あんたが何を考えてようが、僕たちの知ったことじゃない。ここを、通してもらう。二度とこんなふざけた真似が出来ないように、天使を徹底的に叩く」

「通さないと、言ったはずだ。次は容赦しない、とも」

「知ってる。知ってる上で言ってる」

 僕は両手で剣を担いで構えた。

「押し通るだけさ。あんたを排除して」

 ルシフルもまた両手で剣を上段に構えた。彼がやると、本当に神話の一ページ、どこかの絵画やイラストの一枚絵を見ているような神々しさが漂う。

「出来るものなら、やってみろ」

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