第113話 彼女は弓矢で天使を射堕とす

 振り降ろされる剣だけに気を取られてはいけない。

 剣の軌道から、大げさなまでにクシナダは距離を取る。物理的に絶対に当たらない距離だ。だがそれが大げさだと、誰も彼女を笑うまい。剣の軌道をなぞるように、炎の蛇が執拗に相手を追い、焼き尽くさんと牙を剥く。

 案の定、彼女の細い体に巻きつかんと炎はうねり、締め上げようとする。急速下降し巻かれたとぐろの輪を潜り抜ける。

「この!」

 逆さまの状態でクシナダが矢を連続で放つ。

「効かん!」

 ウリエルが剣を振るえば、纏った炎が飛来した命中しそうな矢を燃やし尽くす。外れた矢はそのまま通過し雲の中に消えた。

「何度やっても無駄だ。貴様の矢は私には届かん」

「やってみなきゃわかんないでしょ?」

 が、彼女もすでに分かっていた。

 自分の風を纏わせる矢は、相手の炎の剣に対して分が悪い。こちらの風を取り込んで更に激しく燃え上がり、威力を倍増させてこちらに返ってくるのだ。

「このウリエル相手にここまで耐えたことは称賛に値する。誇っていいぞ。そして、その誇りを胸に、死ぬがいい」

 ウリエルの翼が燃えた。いや、翼が炎になったと言うべきか。

「本来は悪魔の一軍を殲滅するための魔術だ。これを見て生き残った者はいない」

 その言葉と同時に、炎の翼が空を覆わんばかりに巨大化した。直感に頼る必要がないほどの危機に、クシナダは身を翻し、わき目も振らず飛んだ。

「逃がすか!」

 彼女の背後で炎の翼がはためくと、無数の羽根が彼女に向かって殺到した。羽根は一枚一枚が燃えており、それぞれが意志を持ったかのようにクシナダを追う。

「チィッ!」

 急下降して、地面ギリギリまで引き付け、さっと向きを変える。何枚かが地面に接触し、派手な音を立てて爆発した。あの羽根一枚一枚に高い殺傷力が含まれている。蛇行し、急上昇に急下降、急旋回を織り交ぜて、羽根同士で接触させて連鎖爆発させたり、地面や木、岩などの障害物に誘い込んだりしてその数を減らした。が、それでもまだ何百でもきかないほどの羽根が彼女を追いまわす。

「キリ無いわねっ」

 後ろ向きに飛びながら、矢に力を込めて、放つ。狙いは一番迫ってきた羽根だ。矢と羽根が当たった瞬間、風の力も取り込んだ羽根が盛大に爆発し、他の羽根も巻き込み、飲み込んでいく。その余波はクシナダにまでおよび、爆風を受けて空中でよろめいた。

「嘘でしょ・・・!」

 よろめいた彼女が見つけたのは、第二波を放とうとしているウリエルだ。残酷な天使の口元が動く。


 終わりだ―


 そして翼がはためき、羽根が押し寄せる。再び逃げようと踵を返し、背後から第一波の余りの羽根が追いついてきた。逃げ場がない。羽根は彼女へ殺到し、そして


 ボボボボボボボボボボボボボボォッ!


 羽根が破裂し、その爆炎が拡散して広がっていく。何百、何千もの爆発の塊が大きな爆発を生み出す。

「死んだか・・・ん?」

 勝利を確信したウリエルの目が何かを捉えた。煙が立ち上る爆発の中心地に人影が見えたのだ。果たして、煙が晴れた場所にいたのはクシナダだった。けして無傷ではない。服はあちこちが焼け焦げ、体も所々黒く煤がついている。それでも彼女は生きていた。

 クシナダは羽根をギリギリまで引き付けた後、当たる瞬間に自分の周囲に持っていた矢をばらまいた。そして、爆発の瞬間、風を外側へ流れるよう操り、爆風のベクトルを外へと向けたのだ。

 防ぐことには成功したが、今だ彼女の不利は変わらず、危機は去っていない。このままでは遅かれ早かれ力尽きる。

 仕方ない。

 クシナダは覚悟を決めた。そして『使ってなかった』力を解放する。矢筒に残った矢を手に取り、構える。

「無駄な抵抗・・・む!」

 ウリエルも気づく。彼女が今放とうとしているのは、先ほどまで自分が焼き尽くしたものとは別モノであると。先ほどまで込められていた力は風。だが、今込められているのは水だ。彼女の周囲にぽつぽつと水滴が現れ、その一滴一滴が繋がり、やがて渦を巻く。渦は鏃を中心にして、それ自体が巨大な鏃のようにとがっていく。

「面白い。水なら火を調伏できると思ったか。考えは悪くない。が」

 ウリエルは翼を広げた。これまででも最大級の大きさだ。それを自分の前で合わせる。ちょうど両手を合わせて拝むような形だ。

「膨大な熱量の前には、その程度の水量など焼け石に水だということを教えてやる」

 相手を上回るために、互いにギリギリまで力を高め、注ぎ込む。

 力が溜まりきったのは奇しくも、同時。矢と羽根は同時に放たれた。

 接触した瞬間、至近距離の落雷を何十倍にもしたような、もはや音などという生易しい枠組みに収まりきらない空気の振動が大気を震撼させる。

 その原因となる一撃を放った二人は、今だ顕在した。ウリエルは炎の翼が二分の一ほどの大きさまでに縮んでいる。いかに四将とは言え、無傷ではいられなかったようだ。

 対するクシナダはさらにひどい。先ほどの羽根の爆風ですでにボロボロだった服が、この爆発で完全にボロ衣と化した。手足の裾は完全に千切れ、残すは体の、胸部分と腰部分のみというキワドイ格好だ。タケルがその恰好を見れば口笛を吹いて囃し立て、リャンシィが見れば鼻血を出して卒倒しかねないセクシーな姿になっている。

「うぐっ」

 クシナダが口元を抑えた。せり上がってくる胃液、頭痛、発熱、虚脱感。この風邪に似た症状は、タケルも前に味わったと思われる副作用だ。二つの能力が体の中でまだ馴染んでおらず、拒絶反応に近い症状を引き起こすとは、タケルの推測だが。これが嫌で、クシナダは力を発揮するのをためらっていた。一度超えれば馴染むらしいが、吐くのはさすがに遠慮したかった。何と言っても彼女もうら若き乙女だからだ。

「危なかった」

 ウリエルはクシナダを見下ろしながら呟いた。

「そっちは、かなりの代償を支払うようだな。その調子では次を放つことはできず、躱すことも出来まい。対して、こちらは疲れはしたが、通常の炎であればまだ放つことが出来る。勝負あったな」

 そして、再び炎の翼をはためかせようとして


 ドスッ


 最初、ウリエルは何の音かわからなかった。近くで鳴ったはずだが、音源を特定できないでいた。辺りを見渡し、そして

「な、んだ、これは」

 自分の胸から突き出る鏃に気付いた。

「何だこれはァ!」

 そう叫ぶウリエルの背に再び矢が突き刺さる。二本目が背中から胸へ突き出したことで、驚愕により薄れていた痛みを知覚し、ウリエルは痛みに悶える。

「さっきから、うぷ、射といた奴、よ」

 苦しそうにしながらクシナダは言った。

「さっきから射てた、あなたが躱してた矢には、鏃じゃなくて矢羽に力を加えて、おいたの。で、上空にはあらかじめ空気の層で作った発射台、に固めて待機、させて隠して、た、ウエッ」

 後はウリエルを真下に連れてきて力を解放するだけ。落下の力に矢羽についていた風の力が加わり、弓で射る以上の勢いと威力をもってウリエルを貫いたというわけだ。弓矢で直接射るだけが狩りではない。罠にはめることもまた狩りだ。成功させるためにクシナダは常にウリエルから下の位置をキープし、上空の罠を気付かれないように細心の注意を払っていた。水の矢を使ったのも、これが自分の奥の手であると思わせ、意識をこちらに向ける事、通じなかった場合は打つ手がなくなったと思わせることで油断を誘う為だった。彼女にとって、全ては最初の一矢を確実に当てるための演技だったのだ。

「おのれ、この私が、この・・・私が!」

 ウリエルは足掻くが、すでに翼は炎を失い、剣の炎も弱々しい。まるでウリエルの命の灯だ。この好機をクシナダは見逃さず、こみ上げる吐き気を一瞬だけ抑え込み、矢を放った。

 灯は消え、力を失った天使が地に落ちて、消滅した。

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