第112話 反撃の狼煙は空高く昇る

 空を炎が焼き、天使たちの悲鳴が木霊する。

 獣人たちは混沌の坩堝と化した天使がひしめく陣地を縦横無尽に駆け抜ける。

「大変だ! 獣人どもが大勢攻めてきたぞ!」

 誰かが叫んだ。その途端、あちこちで真偽のほどもわからない流言が飛び交う。

「もう駄目だ! 滅ぼされる!」

「こいつら化け物か! 強すぎる!」

「おい、聞いたか! ルシフル様が討ち取られたそうだぞ!」

「ルシフル様が消滅しただと!?」

 その情報に、天使たちは驚愕した。反逆罪に問われているが、彼らにとってルシフルは今なお天界最高の騎士だ。これまで幾多もの強大な悪魔や巨獣、宇宙人の決戦兵器を倒してきた。その彼が討ち取られられるということは、天使軍の誰も獣人に勝てないと言うことになる。言われてみれば確かに、天使軍の誰一人としてルシフルの姿を見ていない。その事が普段ではにわかに信じられないような話に信憑性を持たせた。ルシフルを屠った牙が、爪が、次は自分の首元に迫っていると思うと、誰一人冷静を保てない。


「天界に逃げ込め!」


 誰かが叫んだ言葉が、混乱に惑う天使たちに指向性を与えた。

「将たちが一時撤退を指示したらしい! 俺たちも逃げないと!」

「急げ! 緊急措置として、将たちが門を閉鎖することを決定したらしい!」

「早く逃げろ!」

 不安に煽られた天使たちは口々に叫ぶ。勝てる確率の高い勝負を簡単に捨てて、天使たちは門に殺到する。圧倒的に数の少ない獣人たちに背を向けて。

「退くな!」

 指揮官らしき天使が一目散に逃げる天使たちに怒鳴る。

「武器を構えろ! 編隊を組み直せ! 敵は少数、落ち着いて戦えば」

 だが、彼はそれ以上言葉を紡ぐことは永遠に不可能となった。天から降り注ぐ一矢が、彼の上半身を消し飛ばしたからだ。矢はそのまま彼を貫き、地面に着弾し、破裂した。目の前で上官が弾け飛ぶのを目撃した天使たちは、更に混乱の度合いを増し、次は自分が滅ぼされると恐怖した。

「本当、タケルの想定通りになったわねぇ」

 天使の上官を射抜いた本人であるクシナダは、上空から彼らの混乱ぶりを他人事のように眺めていた。悪魔相手には死すら恐れず、果敢に戦っていた天使たちが、そんなに簡単に瓦解するのか、少々懐疑的だった。

「何を言う。お主があの男の策に一番の理解を示していたではないか。まさか、信じてなかったのか?」

 隣で浮かぶハヤブサの獣人ホルンが驚きを露わにした。


 敵を総崩れにするための作戦をタケルが話した時、流石の獣人たちも難色を示した。悪魔軍と戦うだけでも大変なのに、その後に天使軍を相手にするなど正気の沙汰ではない。難色どころではなく、絶対反対の姿勢だった。

 だが、その流れを変えたのはクシナダだった。これまでの自分たちの実績やタケルの策についての信頼性を伝え、天使と悪魔の獣人に対する扱いで憤りを、どちらかが勝利しても獣人、ひいてはこの世界に明日がないと不安を煽る。

「ずいぶんと口が上手くなったもんだ」

 とタケル本人から褒めているのかけなしているのか受け取り方を考えなければならない言葉をかけられた。心外ね、とクシナダは不満げに可愛く口を膨らませる。

「推測と事実を混ぜ合わせて、さもこれが答えでござい、なんて人を揺さぶる話し方、いつ学んだんだ?」

 学んだ覚えはないけど、と彼女は断ってから

「もしそんなことが出来るようになってたとしたら、あなたに影響を受けたのかもね」

 何しろ、目の前の男は最初の蛇神戦で、村人たちの心を上手く刺激して都合のいいように動かしたのだ。それ以外にも数々の余罪がある。タケルには戦闘能力以上に、相手を誘導する口先とそれを思いつく頭脳がある。思考回路と言っても良い。自分が勝つためにどうすればいいか、戦いを有利に運ぶために何が必要かを思いつく技術だ。そんな男と共に行動していれば、否が応にもその技術を身に着けてしまう。門前の小僧と同じ理屈だ。


 ホルンの驚きようを見るに、クシナダの話はそれほど堂にいったものだったのだろう。少し申し訳なさそうに苦笑しながら彼女は言う。

「いや、だってねえ? 普通思わないじゃない? あの天使軍が、こんなに簡単に総崩れになるなんて」

「それについては同感だが、他の者たちの前では、お主には当たり前、という顔でいてもらうことを望むぞ」

 人にはオンとオフ、スイッチが必ずある、とタケルは言っていた。心構えとも呼ばれるそれは、準備しておけば何物にも、どんなことにも対応できる。だが、それが無い場合で予想外のことが発生すると、余程あらゆる修羅場をくぐり抜けてない限り対応できない。タケルの狙いは、まず相手に事態を把握させず、混乱させることにあった。たとえ数が多くても、混乱に乗じることで相手を崩せる。それは古来より近代まで廃れることのない共通の戦法だ。

 天使軍の混乱の中で、不安と恐怖の声を上げたのは誰でもない、タケル達だ。倒した天使の鎧を奪い、天使軍の中に紛れ込んで、騒ぎをさらに大きくした。

 混乱さえ生じさせてしまえば後は簡単だ。混乱している中で『こうした方が良い』と大きな声を上げると、八割はそれに従う。十人中八人が従い、それを見た十人中八人がまた従う。こうしてネズミ算式に増えていくと、不思議なことに、反対し従わなかった連中も従うようになる。数の正義、というやつだ。自分自身に対する信頼や自身は、目の前の数の動き、聞こえてくる声に圧倒され、自分が間違っているのではないかという疑惑が生じる。そして、崩れる。一人のそういう頑固な奴が崩れると、他の頑固な連中も崩れていく。あいつが考えを変えたのだから、やはり自分たちは間違っている、と。

 それでも自分の考えを曲げない、もしくは正しい情報を持っていて流れに歯止めをかけようとする奴は、素晴らしい、素晴らしいが、良いカモであり、拍車をかける良い材料だ。混乱する連中の前で反対していた奴が死にでもしたら、更にこぞって流れに乗る。クシナダは、流れに乗らない連中を上空から定め、狙い撃ちにしていた。結果は見ての通り、上官の言う事を聞かず、また言うことを聞くべき上官を失った天使軍は門へと殺到していた。

「順調ね。この調子なら・・・!」

 言葉を途中で切り、クシナダはホルンを押しのけた。二人がいた空間を、下からが炎が駆け抜け、雲を穿った。何者かの攻撃だ。混乱の中、こちらの意図を読み取り、上空にいる彼女らを発見し攻撃してきたとなると

「手練れね」

 彼女の目は下から急速接近してくる影を捉えていた。炎を噴き上げる真っ赤な剣を携えた、子どもの姿をした天使ウリエルだ。幼く見えるその顔を、今は憤怒の形相に変え、クシナダを見据えている。子どもの天使が再び剣を振るうと、その剣筋に合わせるように炎が迸る。

「ホルンさん、あなたはみんなのところに」

 襲いくる炎を身を躱して、クシナダはホルンに言った。

「お主はどうするつもりだ」

「私は、あの天使の相手をします」

 言いつつ、彼女は矢を天使に向けて放つ。狙い違わず放たれた矢を、天使は剣の炎で焼き尽くした。

「よくもやってくれたな。獣人如きが!」

 天使が三度剣を振るう。炎が生き物のようにうねり、二人を取り囲む。

「ふっ」

 クシナダが短く息を吐き出すと、彼女の周囲で風が吹き荒れた。彼女らを取り囲み、焼き尽くさんとした炎がかき消される。自分の攻撃を防がれたのを見て、天使はわずかながら驚き、その身を一瞬硬直させた。

「ホルンさん!」

「分かった! 気をつけろよ!」

 言い残し、ハヤブサはその場から飛び去った。残ったのは天使と彼女のみ。

「自分の命を囮として、味方を逃がしたか。だが、この私相手に時間稼ぎなど・・・」

「悪いんだけど、私は時間を稼ぐつもりも、命を囮にしたつもりはないわよ」

 天使の言葉を遮って、あっけらかんとした顔でクシナダは言った。言葉の真意を測れない天使は眉を寄せる。

「だって、理由がないもの。あなた程度の小物相手に」

 測れるわけがない。自分たちこそが最も優れた種族であると思っている天使という種族の、その天使の中でも最高位に位置する四将の自分が、下等な種族にコケにされるなどと、どうして想像出来るのか。

「貴様、今私に、何と言った?」

 怒りに震えるウリエルにクシナダは困ったように頭をかいた。

「ありゃ、聞こえなかった? それとも理解できなかった? じゃあ、そんなあなたにもわかりやすく、大きな声でお伝えするわ」

 にっこりと、満面の笑みで

「死ぬのは、あなたの方よ」

「小娘ェ!」

 怒りによってさらに燃え上がる炎の剣を振りかざし、ウリエルはクシナダに斬りかかった。

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