第111話 天使たちの誤算

「馬鹿な! 悪魔軍の奴らどういうつもりだ! 奪う世界そのものをダメにする気か! 気でも狂ったのか!」

 ウリエルがうろたえる。それでも情報収集は怠らない。前線に出ている各軍から情報をかき集める。あらゆる場所で混乱が起き、推測と事実が入れ混じる情報が飛び交う。それらを寄せ集めてかき集めた結果。

「魔王アスモデウスが・・・消滅・・・?」

 敵軍の総大将が滅びたという、悪魔軍が攻め入る以上の衝撃的な情報が浮かび上がった。

 戦況の混乱もそのせいだと考えられる。魔王を失ったという衝撃は悪魔軍の方が大きかったはずだ。敵の流した虚偽か、あるいは事実か、確かめようがない。けれど、仮に事実だったとした場合、悪魔軍は攻勢に出るしかない。

 天使軍が、何名もの天使長候補を抱え、戦争中に万が一当代の天使長が消滅した場合、次の候補が代理として繰り上がる。その次代も消滅した最悪の場合は、四将のうちの一人が臨時でその座についても良い。こういった具合に天使軍は言葉は悪いがトップの代えは利く。

 だが、悪魔軍はそうはいかない。天使長と違い、魔王の代えは無い。分かたれてから数千年で多少選考基準は変わるだろうが、基本、魔王はもっとも魔力の高い者が選ばれる。なぜなら、悪魔軍がこの地に侵入できるのは魔王の力を門に流し込むことで、世界と世界を繋いでいるからだ。

 魔王とは悪魔軍をスムーズに運用できるようにするためにシステムである。そのシステムが崩壊した以上、魔界は徐々にこの世界から離れていくだろう。そして、次代の魔王が現れるまでは、この世界に隣接しても侵入することはできない。そして、魔王級の魔力を持つ者が現れる為には、千年などでは到底足りない。天使軍にとってはまたとない好機だ。

「しかし、一体誰が魔王の居場所を突き止め、討ち取った?」

 魔王を倒すのは至難の業だ。魔王自身の実力もさることながら、その居場所をこれまでつかめなかったせいだ。悪魔が魔界から侵攻し、それを維持するためには魔王の存在は絶対不可欠。最も消滅されては困る。そのため、周囲は常に名のある将が固めて、万全の防御策を取るはず。その将を排除して魔王を討ったなど、喜ばしい話ではあるが。到底信じられるものではない。そうなると、誰が討ち取ったかが問題だ。もしその可能性があるとすれば、ウリエル自身か、認めたくないが目の前のルシフルくらいだと思っている。自慢ではなく、純粋な事実として。四将のうちガブリエルは防衛には定評があるが、反対に攻撃力はさほど高くない。ミカエルは攻守両方のバランスが良く、どこでも上手く運用する柔軟さ、したたかさがあるが、決定打を持たないため考えられない。となるとラファエルだが、彼には自分の近くに布陣してもらっている。ルシフルが反逆した際にすぐさま抑え込むためだ。メタトロンは、門付近の本陣最奥から動く気配がない。最も安全な場所でふんぞり返っている。その方が本来ウリエルにはありがたい。自分の手柄を横取りせず、自分の都合のいい天使長でいてくれる間は彼を指示するつもりだった。

 しかし、魔王を討ち取れる実力を持つのは、天使軍においても今ウリエルが挙げた面々くらいだ。後はラジエル、サンダルフォンたちなど有力な、次期の将クラスの者たちだが、それもないだろう。もしいたとしたら、そいつはすでに自分たちに肩を並べるほどの将になってなければならない。それほど、将とそれ以外の実力には差がある。

「誰が討ち取ったか、情報は入って来たか!」

 喜ばしいはずなのに、肝心のことが分からず、イライラする。人差し指を曲げて、第二関節辺りを噛む。イライラした時の癖だ。その癖が出出すと、彼の部下たちはいつ爆発するかわからない活火山の火口に何の防御策も取らずに縫い付けられているような気分を味わう。火山が爆発して一瞬で丸焦げになって消滅するか、このまま干上がるか、その二択しかない。

 だが、そこに希望の光が差し込んだ。ウリエルが最も欲したであろう情報を、部下の一人が掴んだのだ。

「判明しました。・・・え?」

 だが、その情報を受け取った部下は、内容を確認するにつれ、その内容を疑わざるを得なかった。

「何だ、どうした。わかったんじゃないのか」

「は、はい。ですが・・・」

「良いからさっさと言え! 判断は私が下す!」

 その一喝に、部下は恐る恐る内容を伝える。内容を読み上げていく中、怒りと苛立ちに染まっていたウリエルの表情が、驚愕の色に塗り替えられていく。

「じゅ、獣人部隊が・・・討ち取った、だと?」

 魔王が討ち取られたという情報だけでも充分に衝撃的だったのに、それを討ち取ったのが獣人部隊だという事の方が、はるかに信じられない話だった。

「どこのデマだそれは!」

「デマかどうかはさておいて、複数の箇所からの情報です・・・」

 あり得ない。あり得てたまるものか。大体、獣人部隊は今さっき全滅が確認できたではないか。

「それが、死亡は擬態だったという報告が入っています」

 ウリエルの疑問を消し去るかのような追加情報が部下からもたらされた。どうやら獣人部隊は死んだと見せかけて悪魔軍を素通りさせ、近寄った本隊を強襲し、魔王を討ち取ったという事だ。目の前の悪魔も欺かれたのだから、計測器やモニター越しの自分たちは簡単に欺かれた、というわけだ。

 獣人部隊が魔王を討ち取ったという真偽はどうあれ、戦況は今も刻一刻と変化していた。攻め立てていた悪魔軍の数が徐々に数を減らし始めたのだ。天使たちが押し返し始めたのではない。魔王の力によって繋がれていた門の力が失われ、悪魔たちはこの世界に存在できなくなりつつあるのだ。

 かつての戦いで、何名かの天使や悪魔が、こっそりこの世界に残ろうと企んだことがあった。それは未然に防がれたが、今後そう言う事態を防ぐために、門が失われた場合、権限のない天使や悪魔は強制的に天界、魔界に送還される仕組みが作られた。悪魔軍がなりふり構わず攻撃を続けたのもその影響があるためだ。徐々に数を減らし始める悪魔軍を見て、天使軍は今だ混乱してはいるが、勝利だけは確信した。

 やがて悪魔が一人もいなくなった荒野を前にして、天使軍は勝鬨を上げた。

 喜びに沸く大勢の天使軍の中、素直に喜べないのはルシフルを除いた天使軍のトップに立つ者たちだ。

「よかった・・・」

 苛立つウリエルの耳に、心の底から安堵した様な、ルシフルの声が聞こえてきた。

 ウリエルは焦った。死んだと思われていた獣人たちが生き延び、更に魔王討伐という最大の功績を挙げた。このままでは獣人たちを運用したルシフルが最大功績者となってしまう。

 まずは隔離するべきだ。部下にルシフルを監禁しておくよう指示する。大人しくルシフルは従った。ルシフルのその余裕の態度は暗に「私の勝ちだ」と言わているような気がして、更に苛立つ。確かにこのまま獣人たちの戦果が認められればルシフルは次期天使長の座はもちろん、天界に置いて確固たる地位を築くだろう。それだけは認められない。どうにかしてそれを防がなければならない。ウリエルはすぐさま手を打ち始める。


 本陣に戻ってきた将たちが真っ先に話し合ったのは、これからこの世界をどうやって開拓していくか、という事よりも、魔王を討ち取った獣人部隊の扱いだった。普通であれば大金星、莫大な褒賞と地位が約束される大手柄だが、それが天使ではなく彼らから出たというのが問題だった。

「認めざるをえんだろうよ」

 ラファエルが苦笑しながら言った。

「彼らの働きは申し分なし。ここで褒美をケチったら、若い天使たちに示しがつかんだろう。信賞必罰が世の理、結果にはそれ相応の対価を支払わねばならん」

 もっとも古く発言権のある天使の将の発言に一同は納得しかけ、そこに天使長から待ったがかかった。

「そんなものは必要ない」

「・・・メタトロン。本気か?」

 自分の提案を却下した相手に対して、ラファエルは目を鋭くする。

「もし獣人の戦果を認めてしまったら、あのルシフルのような、獣人の肩を持つ思想を持つ輩が生まれる可能性がある。獣人にも権利を認めさせる、いや、この世界に住んでいた奴らに配慮すべき、というような厄介な連中をな。それは、これからこの世界を開拓する我々にとって悪影響だ」

「それは、そうかもしれんが。しかし生み出された戦果、功績は消えぬぞ。そこらの雑魚悪魔を討ち取ったのとは話が違う。魔王だぞ」

「情報が混乱していた」

 メタトロンが言う。その一言で、彼らにはどういう事か理解できてしまった。

「・・・なかったことにしよう、というのかしら?」

 ガブリエルが陰鬱な声をさらに陰鬱なものにして言った。

「そうだ。魔王を討ったのが獣人以外、天使の誰かであれば問題ない。適当にでっち上げろ。獣人どもの一番近くにいた奴の手柄にしてしまえ。それでも獣人が討ち取ったと言うよりかは何倍もましだ」

「言いたいことは分かった。では、今報告に向かっている獣人どもはどうする」

 ミカエルが尋ねると、メタトロンは不思議そうに首を捻り

「そんな連中は存在しないし、存在しないのだから訪れることも当然無い。そんな報告もない。なぜなら現場が混乱するほど、真偽のほどもわからない情報が飛び交ったのだから。そうだろう?」

 メタトロンの問いかけに、ウリエルはその通りです、と頷いた。


 しばらくして、天使陣営に近付く集団があった。

「止まれ!」

 彼らの接近に気付いた天使数名が武器を構え、彼らに警告した。

「ここから先は我らの陣。近づくことはまかりならん。一体何用だ!」

「おかしいなァ。魔王討伐の報告をするようにって言われて、僕たちここに来たんだけど」

 真ん中にいた、一番小柄な男が代表して答えた。それを聞いて、天使たちは顔を見合わせて笑った。悪意のある笑い方だった。

「そんな報告は受け取らん! 嘘も大概にしろ!」

「本当だって。魔王を討ち取った影響で、この世界から悪魔が消えたんだ。僕たちのおかげなんだから、それ相応の見返りを貰わないとな。最初に僕らに交渉に来たルシフルって天使が、戦果に見合った報酬を渡す、って言ってたし」

 それを聞いて、天使たちは吹き出すのを必死でこらえながら、威厳を保ちつつ言った。薄汚い獣人如きが、一丁前に褒美を寄越せと言う。それが笑い話で無くて何だと言うのか。

「ルシフルなどという天使はいない」

 天使はそう言い捨てた。彼らには事前に天使長メタトロンから直々に発表があった。ルシフルは反逆罪の罪に問われ、将の地位をはく奪された。ルシフルがこれまでに築き上げたありとあらゆる事象、例えば依頼、約束、その他すべては白紙に戻り、無かったことになる。それは、ルシフルという天使そのものがこの世に存在しない、ということだ。いない者の約束など存在しない。ならば、獣人とルシフルなる天使との間で交わされた約束などない。

「おいおい、それじゃあ話が違う」

 天使にそう言い渡されても、男は引き下がらなかった。

「こちとらあんたらに頼まれて、それで命懸けであんたらの為に戦ったんだぜ? それをなかったことにしようってのか?」

「そんなものは知らん。貴様らのような薄汚い連中に、我らが頼みごと? 笑わせるな。卑しい獣人風情が。さっさと立ち去れ」

「ちょ、おい!」

 なおも食い下がり、近寄ってきた男を天使は無造作に剣を一閃させ斬り捨てた。どう、と血を吹き出しながら、男は仰向けに倒れた。獣人どもから悲鳴が上がる。

「ふん。家畜風情がいい気になるな! 我ら天使と対等に言葉を交わせるとでも思ったのか? おこがましいにもほどがある!」

「か、家畜・・・?」

 後ろにいた、銀髪の男の獣人が怯えたように言った。完全に心が折れている、と天使は睨み、更に追い打ちをかけた。

「そうだ。お前らはもともと、数千年前に我ら天使が生み出した戦うための家畜だ。我らの手足となり働くのは当然のことだ。その記憶も愚かな貴様らは時間と共に忘れてしまったようだが、安心しろ。これからゆっくりと調教してやる。この世界の真の支配者である、我々がな」

「支配者、ですって? どういうことなの?」

 同じく銀色の髪をした女の獣人が言った。可哀相に。天使は何も知らされていない彼らを哀れにすら感じてきた。蔑むように、天使たちは告げる。

「我々の目的は、この世界の力、資源だ。悪魔どもとはそれを取り合っていた。邪魔者どもがいなくなったおかげで、これから我らの天下だということだ。それすらも知らされていなかったのか? まったく、ルシフルというのが誰かは知らんが、大嘘吐きよな」

 獣人たちが押し黙る。それを、全員が気落ちしたと思った天使たちは、更にからかように続ける。

「本当に愚かだな獣人という奴は。天使が、支配者であり貴様らの創造主である我々天使が、貴様らのような家畜と約束などするわけがない。守るわけがない。貴様らは、我々に唯々諾々と従い、死ねばいいのだ。それが貴様らの幸せだ。わかったらとっとと失せろ。でないと、貴様らもそこの死体と同じ目に遭うぞ!」

 だが、獣人たちは引き下がらなかった。最初はショックを受けて茫然自失となっているのかと思いきや、そういう雰囲気ではない。むしろ・・・

「はあ、残念だ」

 銀髪の男の方の獣人が、本当に残念そうに、肩を竦めた。

「タケル。お前の言う通りだな。本当に、ムカつくぐらいに」

「? 貴様、何を言っている。おかしくなっ・・・」

 天使が言葉を切った。自分の方がおかしくなったかと思ったからだ。先ほど自分が切り捨てた獣人の男が、むくりと体を起こしたのだ。

「世の中はなかなか世知辛いってことだね。良い教訓になっただろ?」

 服についた土ぼこりを払い、先ほどのけがなどなかったかのように男は振る舞う。

「さて、獣人の諸君。天使連中の思惑はありがたいことに騙されている事すら気づかない間抜けな彼らが語ってくれた。僕たちはどうするべきかな? どうお返しして差し上げるべきかな?」

「「「決まってる」」」

 全員が一斉に変身した。見計らい、男は剣を上空へ向け、最近ようやく操れるようになった火を玉にして空に放つ。火の玉はひゅるひゅると舞い上がり、上空で音を立てて花火のように弾けた。途端、天使軍の側面に向けて龍や鳥たちの一斉砲火が浴びせられた。完全に勝利ムードで浮かれていた天使軍は、思いもよらない攻撃に一気に混乱と恐慌状態へと追いやられる。

「なっ?! き、貴様ら、何を!」

「簡単なこった。僕たちの標的が、悪魔から天使になっただけさ」

「こんなことをして、ただで済むと思っているのか! 浅ましく愚かな、下等種族如きが!」

 それを聞いて、ハン、と須佐野尊は鼻で笑った。

「その下等種族如きに、お前らはこれから追い出されるんだよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る