第108話 撤退戦でありがちなこと

 獣人たちは今回、遊撃部隊ではなく、本隊にあるルシフルたち第一軍に組み込まれた。天使軍と連携など取ったことがないのに大丈夫か、とリャンシィたちは不安に思うが、ルシフルの代わりに来たというラジエルは「問題ない」と断じた。その意味もすぐに分かった。戦場となるのは、昨日と同じ場所、だが、同じ場所とは思えない光景がリャンシィたちの前に広がっていた。

 雄大な山がそびえ立っていた場所は、今は山どころか巨大な隕石が何発も落ちてきたかのようにボコボコに落ち窪み、草の一本も生えない荒れ果てた荒野と化していた。

「な、何があった・・・?」

 リャンシィの呟きに「互いの砲撃が飛び交ったせいだ」とラジエルが答えた。

「昨日獣人部隊は悪魔軍の背後から強襲後、その場から撤退したので知らなかったと思うが、毎回主戦場はこうなる。今回はまだましな方だ。お宅らが昨日悪魔軍の後方で暴れてくれたから、こちら側の被害は少なかった」

「もしかして、一撃離脱を徹底させたのは」

「お宅らの巻き添えを防ぐためだ。あのまま後方に残っていたら、俺らがぶち込んだ砲撃に巻き込まれてるところだ」

 ただ、この命令を徹底させたのはルシフルだがな、とラジエルは心の中で呟いた。ラジエル、ひいては天使の大多数にとっては獣人たちは捨て駒以外にでも何でもない。あのまま後方を引き付けてもらっていれば、悪魔たちはロクな防御も回避も取れずに壊滅的なダメージを与えることができ、今頃は天使軍の勝利に終わっていたかもしれないのだが。

 つくづく自分の上司は甘い奴だとため息をついた。だが、そんなルシフルだからこそ自分たちはついていき、彼を全力で補佐すると決めている。

「ここまで来たら小細工なんて打ちようがない。正面から打ち合うだけだ。やること、求めることは変わらない。俺たちのことは気にせず動け。前にいる悪魔どもを一人残らず叩き潰せ」

 ラジエルの言葉が終わるか終らないか、と言うあたりで、一本の閃光が彼らの頭上を駆け抜けた。敵からの砲撃だ。天使側が張った防御壁に弾かれて霧散する。お返しとばかりに天使側も砲撃を打ち返す。それは着弾前に悪魔側に弾かれたが、それがきっかけとなって両軍から無数の砲撃が飛び交う。着弾の旅に花火のように土砂と直撃を受けた天使や悪魔が飛び散る。

 悪魔の軍勢が見える距離まで迫っていた。昨日の遠距離部隊はその名の通り遠距離からの攻撃を得意としていた。だからこそ、というべきか、獣人たちの奇襲に対応しきれず陣をかき乱された。

 だが、目の前に迫る近距離部隊は獣人部たちと同じ間合いを得意とする。多少近くで暴れられようが陣を乱すことなどあり得ない。

「今日が本番、という事か」

 リャンシィは呟き、緊張でかさつく唇を湿らせた。明らかに昨日よりも厳しい戦いになる。被害も多くなるだろう。また、村人から犠牲が出る・・・。

 リャンシィは固く目を瞑った。彼の脳裏に、再び湧き上がる不安。自分の選択肢は正しかったのか、皆を巻き込んでよかったのか。悶々と頭をよぎる。

「迷わないで」

 かけられた言葉にハッとなって振り返れば、リヴがいた。

「どうせ、悩んでいるでしょう。本当にこれが正しかったのか、とか」

「リヴ・・・」

「男なんだから、一度決めたことを後からくよくよ悩まないでよ」

「・・・すまん」

 珍しく頭を下げる兄に、フンと鼻を鳴らして、リヴは続けた。

「もっと胸を張りなさいよリャンシィ。あなたは誇り高き銀狼族の末裔で、部族の代表でしょう? もっと堂々としてなさい」

 それでも不安に迷うなら、とリヴが彼の体を掴み、反転させた。

「皆を見て」

 彼の前には、多くの仲間たちの姿があった。誰もが恐れや不安を抱いてはいるが、迷いはなかった。

「そんなの簡単よ。あなたを信じているからよ」

 当たり前のようにリヴは言った。

「俺を?」

「そうよ。あなたの選択を、下した決断を、私たちは信じているからよ。だから迷いなく戦える」

「けど、もし」

 自分が間違っていたら? 自分は、村の仲間を無暗に危険に曝しているのではないか?

「そんなの無駄な心配よ」

「む、無駄・・・?」

「そうよ。もし間違ってたら、その時は私たちがあなたを正すもの。それこそ力尽くでもね。で、今のところそうしないってことは、あなたの選択と私たちの意志は一致しているってこと。今の生活と、未来の子孫のために、ここで戦いを終わらせる、あなたのその考えに私たちは賛同したの」

 だから、安心して指示を出しなさい。そういってリヴは彼の背を押した。

 彼女の言葉は風となって、彼の中で渦巻いていた悩み、迷いを吹き飛ばした。心が晴れ渡っていき、後に残ったのは、自分を信じてくれる彼らの期待に応える事、ただそれだけとなった。目的が一つに絞れたことで、余分な思考が削がれ、精神が研ぎ澄まされていく。

「だいたい、リャンシィがあれこれ考え事なんて無理よ。馬鹿なんだもの。そういう悩むのは私に任せて、あなたはあなたのやることをやりなさいよ」

 リヴに言われて、ようやくリャンシィは口元をほころばせた。気合を入れ直し、素早く指示を出す。

「空中の指揮はホルン、頼む。一番早く飛べるのはお前だ。地上、上空両方に目をやり、皆を援護してやってくれ」

「了解」

 ホルンと呼ばれた獣人が、本来の姿であるハヤブサへと変身し、空へと舞い上がる。他の空を飛べる獣人たちが彼の後に続く。その中にはクシナダの姿もあった。

「地上は俺が先行する。皆、後に続け」

 言い終わる頃には、リャンシィの姿は巨大な銀狼へと変貌していた。そして変わらず彼の傍にはリヴが控える。

「切り込むぞ」

 獣人部隊そのものが一匹の巨大な獣と化し、悪魔軍へと喰らいつく。



 たちまち、主戦場は両軍入り混じる大混戦となった。天使が剣を振りおろし、悪魔を一人討ち取れば、その天使は次の瞬間悪魔側からの砲撃により撃ち落とされる。一進一退、と言えば聞こえはいいが、どちらも決め手に欠け、損害ばかりが大きくなる消耗戦だ。

 獣人たちもその運命から逃れられなかった。序盤は獣人たちの本能に任せた天衣無縫な戦い方に悪魔たち相手に優勢に戦ってきたが、時間が経つにつれ相手は戦法を修正し、劣勢を持ちかえした。数を増やし、編隊を組み、獣人たちの力に押し負けなることがなくなる。しばしの拮抗状態が続いいた。それもやがて破られる。

 幾ら獣人が優れた身体能力を持っていようとも、体力の限界は存在する。そして、悪魔たちは数の有利を利用し、そこを突いた。緊張と緊張の一瞬、息を継ぐだけの、その瞬間を悪魔たちは見逃さず、押し返した。常に緊張を強いられてきた獣人たちにとって、その変化の影響は大きい。その影響を修正する間を与えられず、一人が倒された。熊の獣人、ポーだ。獅子の大半が昨日の戦いで戦線離脱をしている中、中盤の核を担っていた彼の存在は大きかった。そしていなくなった影響も。彼の抜けた穴は簡単には埋められない。獣人部隊は真ん中で小枝のようにぽっきりと折られ、分断された。

 互いの後ろを守っていた仲間がいなくなり、獣人たちが今度は劣勢に立たされる。体の傷は次第にまし、毛皮は自らの血で染まり出した。

 空での戦いも同じような展開になり始めた。龍や鳥たちが放つ炎や雷は、広範囲の敵をまとめて一掃するのには効果が高いが、小回りが利かない。空中を飛びまわる単体、しかも自分に肉薄する相手にはすこぶる命中率が下がった。張り付かれ、鱗の間に剣を突き刺され、羽根をむしられる。

 そうさせまいと、小回りの利くクシナダが奮戦する。張り付いた悪魔を引きはがし、近づいてくる悪魔を討ち落とした。彼女の活躍で、空の獣人部隊はまだ戦列が崩壊せずに持ちこたえられている。もしここが崩れたら、地上で戦う獣人たちは逃げるしかない。空と地上の両方から追い立てられるからだ。

 しかし、空からの攻撃が無くても、敗色は濃厚になってきた。昨日のお返しとばかりに悪魔たちは獣人部隊に対してどんどん戦力を投入している。反対に獣人部隊は徐々に戦える人員の数を減らし始めている。

「このままでは・・・!」

 目の前の敵を倒し、左右を確認したリャンシィは、これ以上の戦いは不可能だと判断した。

「退くぞ!」

「退くって、どうやって!? 目の前に敵がいるのよ!? 下がったら追撃を受けるわ!」

 隣でリヴが吠えた。

「俺がしんがりを務めて、悪魔たちを引き付ける。その間に撤退しろ。リヴ、お前がみんなを導け」

「何馬鹿なこと言ってんの・・・よ!」

 巨体の悪魔が繰り出す棍棒の一撃を、二人は同時に飛びのいて躱す。二人のいた地面が陥没する。

「言い合いしてる時間は無い。言うことを聞け」

「聞くのはあなたの方でしょう! しんがりなら私が」

「リヴ! いい加減にしろ!」

 鬼気迫ったリャンシィの怒声に、リヴは押し黙る。

「俺が皆を巻き込んだ。その俺がどうして我先に逃げられる? 俺が残らないで誰が残るって言うんだ」

「妙な意地を張ってんじゃないわよ!」

「そうだぜリャンシィ!」

 リヴに賛同し、救援に来たのはダッツだ。昨日の負傷を押して参加した彼の体も、すでに限界が訪れようとしている。昨日の傷と今日受けた傷両方から血が流れ、ほどけかけた包帯は血で染まっている。

 しかし、それでもダッツは大きな歯を剥いて、余裕の表情を見せていた。兄妹に襲い掛かっていた悪魔を背後から襲い、首に牙を立て、爪を目一杯突き立てて組み付いた。驚きと痛みに悪魔は棍棒を取り落とし、獅子を引きはがそうともがく。

「何だかんだで、お前は若い連中を引っ張れる素質がある。そういう奴は稀有だ。生き延びてもらわなきゃ困る! ここは俺に任せろ!」

「そんな、まさか、ダッツ!」

 ぶんぶんと振り回されるが、ダッツは離さない。

「早く行け! 俺がしんがりを務めるって言ってんだ! 若いもんは年長者のいう事を聞け!」

「駄目だ! あんたも一緒に逃げるんだ!」

「馬鹿野郎それが無理だって自分で言ったんだろうが! こういうのはな、年功序列って昔から決まってるんだよ!!」

「そんな決まり事なんか知るか! 俺が残る!」

 いいや俺だ、俺が残る、と二人は言い合いながら、互いに悪魔たちの隙を窺う。しかし、流石、というべきか、悪魔たちは彼らのその考えも読んでいるようだ。ここで全滅させなければならないと言わんばかりの包囲網を敷き、決して深追いせずに取り囲んでいる。退こうにも、こうもきっちりと囲まれて退路を断たれては、しんがりを務めるどころの話ではない。何かきっかけがなければ脱出は不可能だ。


「じゃあ、折衷案で僕が残ろう」


 きっかけは、そんな声と共に唐突に。

 悪魔たちの包囲網の一角に、何かがが突っ込んできた。何かは悪魔たちをなぎ倒し、跳ね飛ばしながら、包囲網に穴をあける。絶望的な戦いを強いられてきた獣人たちと、ありえるはずのない背後からの強襲を受けた悪魔たちは、揃って呆然と乱入者を眺めた。

「何か、毎回こういうのに遅れてる気がするな。まあ勘弁してくれ。『色々と』仕込んできたからさ。それでチャラってことで」

 再び、彼らの前に須佐野尊が現れた。

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