第106話 一日目、終了
ゴォオオオオオオオオオン ゴォオオオオオオオオオン
太陽が傾きかけた頃、殷々と鐘の音が鳴り響いた。
「なんだ?」
リャンシィが声を上げた。彼率いる獣人部隊の誰もが、不気味な鐘の鳴る空を見上げた。
しかし、驚いているのは彼等だけだった。殺し合いをしていた天使と悪魔は、その音を聞いた途端剣を収め、それぞれの陣地にへと戻っていく。
あまりにあっさりと戦いを止めるので、何かの作戦か、大規模な攻撃が行われる前兆ではないかと疑ったりしたが、それもないようだ。
鐘が余韻にいたるまで完全に鳴りやんだ頃、リャンシィたちは集合場所である施設前に集まっていた。皆変身を解いて人型に戻って、体を休めている。
そんな彼らの下に、ルシフルが飛んできた。
「皆、無事か?!」
ルシフルに気づいた獣人たちが集まってくる。
「ルシフル殿。さっきのは一体? 悪魔どもがみんな逃げてどうしようもなかったので、仕方なく全員引き揚げてしまったのだが。あの鐘がもしや、合図ということで良かったのか?」
代表してリャンシィが声をかけた。天使たちと獣人たちの間に入るのが定着してきた。
「その通りだ。あの鐘が鳴ったら、我々はどれほど押していようと引かなければならない。そういう暗黙のルールが存在する」
それは悪魔どもも同じだが、と付け足す。
「して、被害はどうだろうか」
ルシフルが見渡す。朝に見た獣人たちの数よりも明らかに数が減っている。
「幸い死者はまだ出てないが、重傷者が多数。おそらく明日以降の戦いには出られないだろう。軽傷者は、怪我の度合いにもよるが明日参加できるかどうか怪しい所だ」
「そうか・・・」
ルシフルが無念そうに端正な顔を歪めた。
「皆・・・本当に」
「謝らないでもらいたいな」
リャンシィが謝罪を遮る。
「確かに巻き込まれて、あんたの要請を受けたっていうきっかけこそあるが、ここに立っているのは俺たちの意志だ。家族に被害が及ばないように、子孫たちに迷惑がかからないように、自分の意志で戦いに参加した。戦いに参加するからには、それなりの覚悟を持っている」
あんたらだってそうだろ? とリャンシィは言う。
謝罪は、それが心からのものだったとしても、時として相手のプライドを傷つける。そこに思い至り、彼は口からでそうになった謝罪の言葉を引っ込める。
それに謝って何になる。謝ることで、自分の気持ちが楽になろうとしてたのではないか。その事にも気づく。自分は、彼らを巻き込んだ手前、最後まで俯いてはならないし、誰よりも楽になってはならないのだ。
「失礼した。そうだな。謝るよりも、そなたたちに感謝を。今日の戦いは、そなたたちの働きにより、天使軍が優勢だった。本当にありがとう」
その言葉に、獣人たちは、その場で互いの拳を打ち付けたりして、ひとまずの勝利を喜んだ。自分たちの行動には意味があったとようやく実感できた。
「この調子で悪魔を討ち、勝利をもぎ取りたい。そのために、明日の作戦について話し合わせてほしいのだが」
喜びに沸く獣人たちが自分の方を向き、そしてルシフルも彼等を見渡して・・・
足りない。
ルシフルは改めて集まってきた皆を見渡す。やはり、彼らがいない。もっとも生存率の高そうな気がしたのだが。その人物の名を呼ぶ。
「タケルは、どうした? クシナダは?」
その言葉に、リャンシィも改めて見渡した。なにぶんこれだけの大きな戦争は初めてだったため、村人以外の人間のことがすっかり頭から抜け落ちていた。初めて彼の顔に焦りが浮かぶ。
「クシナダ? クシナダッ!?」
そう名前を連呼していると、風と共に件の彼女が空から降りてきた。
「クシナダ、無事だったのか」
リャンシィが彼女の下に駆け寄る。
「ごめんなさい。念のため、少し戦場を見て回ってたの」
「そうだったのか。戦いが終わっても気を抜かないその姿勢、さすがだな。俺も見習わないと」
嬉しそうに話すリャンシィの後ろで、リヴはやはり面白くなさそうにそっぽを向いていた。
「クシナダはいた。・・・後はタケルか」
「それなんだけど」
クシナダが右手に持っていたものをリャンシィたちの前に掲げる。
それは、タケルが持っていた朱色の剣だった。
「こ、これは・・・」
「これだけが、戦場に残ってたの。その場にタケルはいなかった」
淡々とクシナダが告げる。剣だけが残り、本人がいない。その理由は限られてくる。その理由を補足するようにおずおずと出てきたのは、熊の獣人だ。
「どうしたんだ、ポー」
全員の注目が、ポーと呼ばれた獣人に集まる。
「客人を、タケルを最後に見たのは、俺たちの部隊なんでさあ」
どよめきが起こる。話して、とクシナダが目で合図をすると、ポーは頷き、その時の状況を話し始める。
「俺たちが突き進んでいた時、目の前にやたら強い悪魔が現れた。ダッツ達はそいつにやられちまった。俺たちは勢いを削がれて、先頭と分断されそうになっていた。そんな時、あいつが「自分が食い止めるから先頭と合流しろ」って。それで」
タケルを残し、先頭に向かったようだ。彼の行動は正しい。あのまま分断されていたら、自分たちはおろか、先頭を走るリャンシィたち、後方から来る他の部隊にも危険が及んでいた。
「強い悪魔?」
ルシフルの問いに、ポーが頷く。
「恐ろしく強い奴だった。あんたらみたいな羽根は持ってなかったんだが、全身を鎧で固めていて、一瞬でダッツ達を倒しちまったんだ」
彼ら獣人の中で最もダメージを受けたのは獅子の部隊だ。重傷者も主にこの部隊から出ている。
全身鎧・・・、ルシフルが記憶を探り、一人、心当たりを思い出す。
「まさか、アモンか!?」
「ああ、確かそうだ。他の悪魔どもがそいつを見てそう呼んで震えていた」
味方にまで怯えられてたよ、とポーが言う。
「アモン、そいつは何者なんだ?」
深刻に考え込むルシフルを見てリャンシィが尋ねた。リャンシィから見て、ルシフルはかなりの手練れだとわかる。その彼がこうまで警戒するアモン。一瞬で、あの荒くれ者のダッツ達を鎮圧する力量、間違いなく危険な相手だ。
「悪魔軍にも、我らと同じように軍を率いる将がいる。アモンはその内の一人だ。接近戦を得意とし、純粋な力だけならば悪魔軍でも随一と言われている」
過去にルシフル自身も何度か交戦したが、単体であれほど恐ろしい敵はいない。消滅の恐怖を初めて意識したのは、奴との戦いだった。
「それが彼を見た最後?」
「すまん・・・」
クシナダの追及に、熊の獣人は大きな体をこれでもかと小さくした。
「いえ。あなたは他の仲間も守らなきゃならなかったのでしょう? それに、彼が行けと言ったのだから、謝る必要はないわ」
クシナダは、項垂れるポーの肩をポンポンと優しく叩いた。
「クシナダ・・・」
リャンシィは彼女の背に向かって呼びかけたが、しかしそれ以上声をかけられなかった。ルシフルも、リヴも、他の獣人たちも同じだ。そして全員の頭の中には、最悪の結末がよぎっていた。
そして当のクシナダは、誰からも表情を見られないように全員に背中を向けていた。もし彼女の顔を誰かが見ていたら、おや、と疑問を浮かべただろう。なぜなら彼女の顔に浮かぶ感情は、相棒を失った悲しさも、悪魔たちに対する怒りもなく、ただただ、参ったな、という困惑そのものだったからだ。
一方、悪魔軍陣営にて。
悪魔の将の一人が、一本の鎖を手に歩いていた。その鎖の先には捕虜が繋がれている。悪魔が向かった先は、自分たちの総大将、魔王アスモデウス=シャイタンのいる本陣最奥だ。
多種多様な悪魔たちが、将と、彼が連れてきた捕虜のために道をあけ、物珍しそうに眺めていた。これまでの戦いで捕虜を捉えたなどという話は無かったからだ。なぜなら、天使と悪魔は互いに同じ情報を持っているので情報を聞き出す必要なんかほぼないし、人質交換に応じるような奴は、天使にも悪魔にもいない。捕まった奴の代わりなどすぐに宛がわれるからだ。だから、この数千年の戦争において、初めての捕虜となる。
「魔王軍第七軍の将、アモンだ。少々報告したい旨があり、馳せ参じた。魔王様はこちらに?」
魔界とこの世界を繋ぐ門の前に作られた簡易の作戦室の前。アモンが門番に声をかけた。
「はい、いらっしゃいます。あと、他の将の方も」
「そうか、ご苦労」
門番の返事を背中に聞きながら、扉を開いて中に入る。中はかなり狭苦しく、圧迫感がある。だが、それは作戦室が狭いのではなく、中にいる連中がでかいためだ。
「よう、何か面白いの捕まえたらしいじゃねえの」
そう言ったのは真っ黒な鱗に全身を覆われた龍頭の男だ。聞いた者を畏怖させるような声といい、剥き出した牙といい、ぎょろりと睨む黄金の目といい、どう見ても脅しているか怒っているようにしか見えないが、長い付き合いのアモンには、あれが笑っているということを理解している。
「ちょっと気になったんで顔を出したらまだ来てないと来たもんだ。普通、報告事項は真っ先に持ってくるもんだろ? 相変わらず戦闘以外のことはどうしようもねえくらいだらしねえな。ベルフェの坊主だってそこまで怠けねえぞ」
「いやあ、それは言い過ぎじゃないかな?」
「アモンがのろまなのは、今に始まったことじゃないでしょう?」
呆れたように、馬鹿にしたように言うのは、長いブルネットの髪を後頭部でまとめた、男装の麗人だった。氷の彫刻のように整った美貌が乗っかる体は、ぴしっと糊のきいたスーツでも隠せない豊満な体のラインが、隠されたエロティックさを醸し出している。が、それを打ち消して余りある迫力が彼女から放たれている。
「そう言うなってベルゼ。これでも頑張ったんだぜ? それに、俺が持ってきたものは、きっとお前の役にも立つよ」
苦笑するアモンを一瞥したベルゼは、その彼が持つ鎖の先へと視線を移した。
「つまらない事だったら、許しませんからね」
はいはい、とアモンは彼女たちの前を通り過ぎ、作戦室の奥へ声をかけた。
「遅くなってすみません。ただいま参りました。アスモデウス様」
軽い挨拶を聞いて、アスモデウスははぁ、とつややかな唇から吐息を漏らした。
「あのね、アモン。前から思ってたんだけど、あんた私のこと昔っから馬鹿にしてない?」
「してないしてない。むしろ尊敬しかないですよ」
そう言うアモンの前にいるのは、彼の巨体と比べるとあまりに小さな、人間に当てはめれば十五、六くらいの美しい少女だった。金色の髪を腰まで伸ばし、途中は緩くウェーブがかかっている。猫みたいな大きな目は綺麗な緑色をしている。真っ黒なひらひらのドレスを纏い、黙って座っていれば精巧な人形のようだ。だが今は、その可愛らしい頬を思いきり膨らませて、憤りをあらわにしていた。
「その物言いと態度があからさまだっつってんのよ!」
彼女の小さな手から魔力が溢れ出し、矢となって放たれた。矢はアモンの顔を掠め、そのまま壁を突き抜けて、空の彼方へと消えた。
「あーあ。作戦室に穴開けちゃった」
と、穴の方を見たアモンがそう言えば
「こりゃ、雨が降ったら困るなあ」
とアスタが続き
「後で始末書ですね」
とベルゼが締めくくった。
「何で始末書なんて書かなきゃなんないの?! 私魔王様でしょ?!」
「だからこそ、規律を守る必要があります。皆の範となってこそ魔王です。好き勝手して何でも許されるのが魔王とは言いません」
ズバッと反論は切り捨てられる。
「あ、アモンが悪いのよ! 私自らの懲罰を躱すから!」
「ええー。俺こんなに頑張ったのにぃ? お褒めの言葉どころか待ってたのが叱責だなんて、やる気無くすなァ。功績には褒賞、働きに見合ったご褒美があっても良いと思うんだけどなァ」
「こ、この野郎・・・!」
「お前ら。そこまでにしとけ。アスモデウス様、ここはひとつ、穏便に。捕虜に対しては威厳を保っていただきませんと」
「なら最初っから私をちゃんと立てなさいよ!」
アスタに怒鳴り、固まった。そこからゆっくりと捕虜の方を振り向き、ワザとらしく咳払いを二度行った。そして、威厳を保っているつもりなのだろう、慎ましやかな胸を精一杯反らし、威張りくさった調子で、捕虜に向かって言った。
「私が魔王軍総指揮官、魔王アスモデウス=シャイタンよ。崇め奉りなさい」
ビシィ、と音がしそうなくらいの速度で捕虜を指差した。捕虜は、少しの間ぽかんとしていたが、これが彼女なりの挨拶なのだろうと解釈し、それならば自分も挨拶を返さないといけないと居住まいを正した。
「僕はタケル。一応、さっきまで天使軍側について戦っていた、旅人だ。よろしくね、シャイたん」
次の瞬間、捕虜は魔王直々のビンタを喰らい、作戦室から強制的に退室させられた。
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