第105話 悪魔との語らい

 突進中のアモンが、腕を振りかぶった。腕の長さからみて、そこからどれだけ伸ばしても絶対に届かない距離だ。だが、奴は構うことなく拳を突き出した。体をその拳の直線状から逸らしたのはただの勘だ。だが、その勘は正しかった。アモンの拳の先から真っ黒な刃が飛び出したのだ。一直線に伸びる刃は僕の胸から肩の表面を掠める。切っ先はそのまままっすぐ突き進んで、後方の地面に突き刺さり、爆散した。直撃してたら僕の体がああなってたわけだ。

「ぼうっとしてていいのか?」

 切っ先に気を取られていたら、アモンが目の前まで接近していた。慌てて剣を振り回す、が。

「遅い!」

 間合いの内側に潜り込まれた。振り回しても柄付近じゃ力が入り難い。逆に、相手の打撃技は有効射程だ。

 ガツンッ

 左のこめかみを強かに殴られる。鬼の一撃にも耐えた僕の頭が揺れる。傾いた体を修正しようと右足で踏ん張る。殴られた方向を見ると、アモンの拳があった。その先にある長い腕はU字をかたどっている。フックを叩きつけられたのだとここでようやく分かった。僕の視界の外から円軌道で拳が飛んできたわけか。力だけじゃなくてかなりの技巧派だな。

 感心してる場合じゃなかった。刃を戻したもう一方の腕が引き戻され、すでに発射準備が完了している。

 剣は間に合わない。右ひじを脇腹につけ、腋を締める。果たして予想したように、二撃目のアッパーが放たれる。

「ぐっ・・つ!」

 腕の骨が軋む。殺しきれない衝撃が腕と腹に痛みの波紋を広げていく。

 体が浮いた。その時にはもう、アモンは片足を天高く掲げている。

「くたばれ」

 情報を聞き出すという目的を完全に忘れているらしい。こいつも僕と同じ戦闘狂か。だが、やられるままでいると思うな。

 二撃の間に、剣は既に形を変えている。作りだしたのは手の甲が丸みを帯びた片腕だけの籠手だ。

 アモンから繰り出される踵落としの落下地点に左腕の籠手を合わせる。躱しきれないならば、逸らすのみ。

 落ちてきた打点は、籠手の表面で滑り、僕の体を直撃せずに斜めに落ちる。ドォン、と腹の底まで響き渡る様な一撃は自身の周囲を陥没させ、サークル上に地面が捲れた。まるで隕石でも垂直落下してきたのかと見紛う威力だ。直撃していれば地中深く埋められたんじゃないだろうか。

「ヅッ!?」

 しかし、今度痛みに呻いたのはアモンの方だ。兜の一部が凹んでいる。僕のつま先がめり込んだためだ。

 打ち下ろされた踵落としの力を利用して、下っ腹を中心に上半身は下へ、下半身は上へと回転させて蹴り飛ばしたのだ。おそらく、僕への踵落としで集中していたアモンには蹴られた瞬間は見えてないに違いない。さっきのフックの意趣返しだ。

 蹴りの反動で足を地面に着地させ、今度は僕が奴の懐に潜り込んだ。

「生意気な・・・!」

 アモンが拳を振り降ろす。拳の先には小さく刃が突き出していた。なるほど、伸縮自在で、手の甲や肘から出し入れ可能なのか。

 その振り降ろされる拳を同じように籠手で受け流す。ギャリギャリと刃が籠手と擦れ、ガラスを爪でひっかいたような音がした。魔龍の鱗を模した籠手すら削るとはね。

 腕に追従するように頭も下がる。そこを返す刀の右で狙う。兜のこめかみ辺りを掌底で打つ。ベキュッ、と兜が悲鳴を上げてまた凹み、アモンの体が横に飛んだ。

 浅いか・・・。

 完全に討ちぬいたと思ったけど、スウェーで逃げられた。再び間合いが開き、体勢を立て直したアモンと対峙、見合うのもつかの間、お互いがお互いの間合いに踏み込む。相手の間合いは自分の間合いだ。

「らァ!」

 アモンが右の大振りを繰り出す。受け止めようとして、とっさに体を逸らして交わした。相手の小指の付け根から肘にかけて、アイススケートのブレードみたいに刃が飛び出している。さすがにあれを掴みにはいけない。

 背面に逸らす勢いそのままに、右足を振り上げた。相手の顎を捉えたかに見えたが、アモンの左腕がポンと足の横を手のひらで叩いて軌道を逸らした。空ぶった僕はオーバーヘッドキックが失敗したサッカー選手みたいに無防備に相手に背中を向けている。両手を地面に向けて伸ばし、指を地面に突き刺して掴む。握力に物を言わせて、そのまま回転。左足でアモンの脇腹を狙う。

 アモンも同じようにミドルキックを放った。互いの蹴りが衝突する。トラックがぶつかった様な音が同心円状に広がった。

 力負けしたのは僕の方だ。アモンはそのまま足を振りぬいた。僕は地面と平行に回転しながら飛ぶ。

「ちっ」

 舌打ちして、何とか両足で着地した。追撃があるか、と思いきや、アモンは蹴りを放った体勢でいた。

「やるなあ。さすがはレヴィアタンの眷属」

 ぐりぐりと首を回し、アモンが言う。いつの間にか、兜の凹みが元に戻っている。形状記憶合金か何かだろうか。

「やばいなぁ、楽しくなってきた。俺と真っ向から打ちあえる奴なんて、敵ではルシフル以来じゃないか? 本当は生け捕りにしなきゃいけないんだよなァ。けどなぁ」

「何だよ。何迷ってるんだよ。悪魔なのに。悪魔ってのは欲望に忠実なんじゃないのか?」

「そいつは偏見ってもんさ。そうじゃない理性的な奴もいるぜ? ベルゼとかな」

 ベルゼ・・・、ベルゼブブのことか? 蠅の王もいるのか? どんな奴かお会いしてみたいもんだね。

「けどまあ、お前の言うとおり、忠実な奴もいる。俺みたいに」

 言葉と同時に、アモンが全身に力をみなぎらせた。パァンッ、と纏っていた鎧が内側からの力に推し負けてはじけ飛ぶ。

 中から現れたのは、耳の後ろからねじれたヤギっぽい角を生やした、長身で青黒い皮膚の美丈夫だ。目は白目の部分が黒く、黒めのところは金色で、瞳孔は赤く縦長。普通の人間からすれば異質も異質、なのに、顔のつくりはどこか憎めない、愛嬌のある優男だ。遠い銀河の果てに行かなくても、宇宙人風味はこんなところにもいたのか。ただ着ているのはぴちぴちの宇宙スーツではなく、アジアの民族衣装のような、柄の入った裾の長い衣服だ。鎧の中にしまうの大変だっただろうな。

「悪いな。どうしても全力で戦いたくてよ」

 アモンがくるくると癖のある髪の毛をかきあげる。

「構わないよ。僕としてはその方がありがたい」

「そうかい。やっぱお前も、俺と同じ戦闘馬鹿か。その性格はレヴィアタンの眷属になってからか? それとも生まれつきか?」

「どっちかって言うと、後者かな。もしかしたら、後々変化して今に至ったのかもしれないけど」

 今となっては良くわからない。始めは戦うどころか、喧嘩だってしたことなかった。けれど、復讐のために刃を取り、あの最初の戦い、蛇神との戦いで僕は戦いを好む性格破綻者だってことに気づいた。生まれ持ってそういう種を持っていたのか、復讐時に植えられたのか。

 どっちでもいいか。今更。

「肝心なのは、僕はあんたと戦いたがってるってことだ」

 そう言うと、アモンは鋭い歯をむき出しにして笑った。

「いいねえ、いいねえいいねえ! 気に入ったぜ! そうじゃねえとなァ!」

 ごう、と奴を中心に大気がうねる。ひらひらしている民族衣装に描かれた模様が淡く発光している。

「俺の体から溢れる魔力を、この服の紋で循環させてんの」

 親切にも解説してくれた。

「俺は、他の連中みたいな細けえ魔力の操作やそれを利用した武具の扱いが苦手でよ。どうも調節が幾らやっても上手くなんなくてさ。でも魔力量は結構多い。じゃあ、もう魔力を体に取り込んで、体自体を強化しちゃえば? みたいな話になったわけ」

「じゃあ、あの鎧の意味ってなくない?」

 自分の魔力が守る為にあるなら、鎧を使う必要がないと思うんだけど。

「あれはあれでいるんだよ。この状態になると、常時エネルギーフル稼働みたいなもんでさ。後々で結構疲れるんだ。で、あれはそれを押さえるリミッターってわけ、あれをつけてることで、俺から出る魔力を抑えて、微調整してくれてるの。ええと、なんて言うんだこういうの。省エネ?」

 アモンに優しい設計のようだ。

「鎧につけたあのブレード機能、便利は便利なんだけど、当たんなきゃ意味ないしなぁ。てなわけで、こっからは小細工抜きだ」

 ギラッとアモンの目が光った。口元は半笑いで、牙を覗かせている。

「もうすぐ、今日の戦いが終わる。それまでに決着をつけてえからな」

 ん? 今こいつ、面白いことを言ったぞ? もうすぐ終わるって、決着がつくってことか?

「違う違う。そうじゃない」

 有名な歌の歌い出しみたい言ってアモンは否定した。

「お前らはさ、俺らがこの世界に溢れる力を欲してるって話は聞いた?」

「一応聞いたかな。本当にざっくりと、だけど」

 少々含みを持たせた感じで伝えた。アモンは戦闘馬鹿だが、馬鹿ではないと思う。これはただの勘だけど。果たして、僕の想定通り、アモンは僕の意図を汲み取ったようだ。

「なるほど、天使共は結構話を省いて、お前らに伝えてるってことか」

 やはり。想定通り、話にはまだ続きがある。このまま話すかな、と思ったら、アモンは自分の両手で口を塞いだ。

「おっと、油断ならねえな。そうやって俺から話を聞き出すつもりか? うっかり喋っちまうとこだっただろうが。卑怯だぞ。情報は勝った方が総取りだろ?」

「誤解しないでほしいんだが、これは情報を話してるんじゃない。ただの雑談だ。だから卑怯じゃない」

「悪魔を丸め込もうなんて、なんて野郎だ。・・・まあ、置いといて。そんなわけで俺たちはこの世界に出来るだけ傷ついてほしくない。でも戦わねえと勝ち取れない。だから俺たちは、この地に測定器を置いている。世界のダメージを測れる優れものだ。戦いによってダメージが蓄積されるわけだが、ある一定量を超えると両陣営はすごすご退散する」

 格闘技のゴングみたいな奴かな。鳴ったら終わり、みたいな。しかし格闘技というスポーツと違って、戦争にそんなものが適用されるのか?

「最初は出し抜こうとした奴もいたぜ? 互いにな。けど、すぐそれもなくなった。利がねえんだ。お互い睨みあって疲れるし、戦えば奪おうとしている世界がどんどん傷つくし、それ以上に、この世界が俺たちの世界と離れようとする」

 世界が離れようとする? 確か、千年に一度、この世界と彼らの二つの世界が最接近するって話は聞いたから、移動してるというのは分かる。けど、それ星の軌道のように同一の速度じゃないのか?

「そいつは大きな間違いだ。世界は物じゃない。一つの巨大な生き物だ。生き物は傷つけられたらそれを回避しようとするだろ。お前だって俺の攻撃を躱すだろ? 当たったら痛いから」

 まあ、そうだね。

 確かに、ガイア説とかあるくらいだし、地球の鼓動とも呼ばれている振動、シューマン共振だっけ。あれが人間の脳波とリンクしてるって話もあるし。そう考えれば、アモンの話も馬鹿に出来ない。それに、もう一度思い出そう。彼ら天使や悪魔は、次元を超えて別の世界に行ける技術がある。僕ら人間よりも優れた知識があるんだ。自分の常識で考えちゃ意味ないし、面白くない。

「そんなわけで、俺たちは大体七日で世界が離れてしまうギリギリのダメージ量が、丁度たまるくらいのペースで戦ってる。一日目の許容ダメージ量は、もうすぐ限界に達するんだよ」

 だから、とアモンは目を鋭くした。

「全力で行く。死んでも恨むなよ。ていうか、俺のためにぜひ耐えろ。死なれちゃ情報が取れないからな」

 今までとは比べ物にならない強さで、アモンが襲い掛かる。

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