第89話 朝日は昇り、悪夢は消える
「とまあ、ベルトを締めたけども。申し訳ないんだけどある程度近づいたら降ろしてもらえる?」
さていよいよだ、というカグヤたちの気概を削ぐような形になって申し訳ないが、言うべきところは言っておかないと。
「あ、そうですよね。二人とも降りないと危ないですし・・・」
「いやいや、そうじゃなくて」
苦笑しながら僕は首を横に振った。
「安心していい。今更、危ないからあんたらを放っぽって逃げようなんてこれっぽっちも考えちゃいないよ」
そういう僕を見て、なおさら降りる意味が解らないらしく、カグヤは首を捻った。プラトーもだ。唯一、クシナダは察しがついているっぽい。
「相手の意識を本命から遠ざけるのに囮は良い考えだと思う。そこにもうひと手間加えたい。囮が複数いれば、相手に的を絞らせないと思うんだ」
「あなたが? そんな、冗談・・・」
途中でカグヤは言葉を切った。短い付き合いだが、僕が伊達や酔狂でこんなことをいう人間ではないことを悟ってくれているようだ。話が早くて助かる。
「囮を買って出てくれるのはありがたいのですが、可能なのですか?」
「可能、だと思う。これも出たとこになっちゃうけどね。ジョージワードは水を触手みたいにして掴もうとしてきただろ? つまりそれって液体というより固体に近いんじゃないかな」
それに、水の上を人間が走れないわけではない。水きりのような要領で走れば行けるらしい。昔ネットで見た。たしか、時速百キロくらいで走れば理論上は可能だそうだ。僕はさすがにそこまで速く走れるかわからないけど、現在の脚力と相手の水質具合であの触手の上なら走れるんじゃないか、と考えている。もしそれが可能なら、おそらく目の前で飛ばれるよりも煩わしくなると思う。僕だって蚊などの虫が腕に止まったら追い払おうとする。それに、せっかく得た強大な力で悦に入っているところを、その力の上でピョンピョン跳ねられたら激怒するんじゃないかな。
「分かりました。プラトー。大まかでいいので、先ほどのジョージワードの攻撃から、有効範囲を割り出せますか? 有効射程外に彼らを降ろしたいので」
「少々お待ちを。・・・そうですな、最大射程は約十キロと言ったところでしょうか」
十キロか。ちょっと遠いな。僕の高校の時の持久走のタイムが、大体一キロ四分くらいだったから、四十分もかかってしまう。もちろん水の上走ろうって考え付くくらいには筋力やら体力やら上昇してるのでもっと、多分普通の人類よりかは早いとは思うが、それでも戦闘機よりは当然遅く、完全に出遅れてしまう。的を絞らせないために別行動をするのに、一機の後に一人じゃあ意味ないし、ばててたら元も子もない。
「ちょっと、タケル。あなた、私のこと忘れてない?」
ちょんちょんと袖を引かれ、振り返ると、ジト目のクシナダがいた。
「途中で降ろしてもらって、後は私が運べばいいじゃない」
「いいの?」
さすがにあの質量を受けるとペシャンコになって死ぬ気がするから、僕だけで行こうと思ったんだけど。
「何を今更。蛇神を討った時から、私はあなたの相棒でしょう?」
軽口の中に、若干の緊張を含んでいる、様な気がした。何故緊張しているのかよくわからないが、僕はいつも通り、好きなように言いたいことを、正直に言うだけだ。
「頼む。相棒」
そう言って、右手で拳を作って前に構えた。彼女はにんまりと笑い、同じように左手で拳を作って僕の拳にコツンと当てた。
目標であるジョージワードから約十キロの距離で僕たちは艦を降りた。リスクを分散させるために、ほぼ同時に奴の意識圏に入る必要がある。
「イヤホンは装着しているな? 儂がお主らの中継をやる。ラグラフの乗った艦が落ちてくるときは合図するから、すぐに逃げろ。良いな」
良いなと言われても、徒歩の僕は逃げ切れるかどうかわからない。善処するよ、とだけ答えた。
「じゃあ、行きましょうか」
「あ、そうだ。その前にクシナダ。事前に渡しておきたいものがあるんだけど」
そう言って、僕は手にしていた剣を変形させた。
「ん? 私が持っていていいの?」
彼女の手に渡ったときには、それは矢に変わっていた。
「多分、剣じゃ有効打は与えられない。今回は囮に徹するよ」
相手が水では切っても突いても意味がないし、走ってるときには邪魔になる。
「それを言ったら、矢も同じだと思うんだけど」
「普通の矢ならそうだ。けど、あんたの腕と力と、あんた仕様になったこいつなら効果を発揮する瞬間が訪れる」
はず。なにぶん勝手な推測に曖昧さを掛け合わせたような僕の脳内戦略シミュレートが導いた可能性の一つだから。ただ、どうあがいてもアレ相手には、剣ではちと分が悪い。なら、有効に使ってくれそうなのはクシナダだ。彼女が持っていた方がいい。もしかしたらジャックポッドを狙えるかも。
「分かったわ。私が持ってる」
クシナダはそれを矢筒に入れる。
「それじゃ、今度こそ行くわよ」
僕を後ろから抱え込むようにして抱き上げた。ふわり、と足先が地面から離れる。
バシュッ
空気の吐き出される音を遥か後方へ置き去りにして、僕たちは飛んだ。
『これより私たちも向かいます』
通信機を通してカグヤの声が届いた。通信感度は良好だ。
『ラグラフが大気圏突入まで、あと一分。カウントダウンを開始する』
プラトーが秒読みを始めた。その頃には、僕たちはジョージワードまでの距離を一キロまで縮めていた。ここに近付くまで何の障害もなかった。小さすぎて見えていないのかな? 少し心配になってきたが、杞憂に終わった。ようやくジョージワードがこちらを見た。
『なな何かと思えば、先ほど、姫に化けていた女ではないか。貴様、空を飛べるのか。私が、が、一研究者であれば、解剖してその機能を解明したいところ、だが、すまんな、神となった身は忙しく、貴様ら、はむ、羽虫を相手にしている暇がないのだ』
「そう言わずに、ちょっとくらいは相手してくれてもいいんじゃない?」
挑発的にクシナダが言い返した。ジョージワードは楽しそうに顎に片手をやる。
『ふむ、い、いい、良いだろう。もう少し、力、を把握したいと思っていたところだ。貴様で試してやる。光栄に思えよ。神の役に、いい、立つのだからな』
空いているもう片方の手を突き出した。五指が伸び、うねりながらこちらに向かって伸びる。一本一本がさらに細かく分裂し、何十、何百本もの水の糸になった。それでも一本の太さは競技場のレーン幅くらいある。ちょうど、数メートル下に一本走っている。あれに飛び乗るか。
「クシナダ、手を離せ」
「りょーかい!」
上と下に分かれた。背後から迫っていた数本が僕らのいた空間を過ぎ去っていく。さあ、ここから足を止めれば即死亡の無慈悲なランニングマシンでエクササイズだ。
昔、科学の実験でダイラタンシー現象というのをやっていた。片栗粉と水を同じ割合で混ぜると、普通に触ってもどろっとした液体だが、力を加えると固体になるという現象だ。だから、ダイラタンシー現象の条件がそろった液体は力を加えれば沈まずに忍者のように水面を走ることが出来る、みたいな実験だった。
どういう原理でジョージワードが今の水の巨人を形作っているのか知らないが、ダイラタンシー現象と似たような原理を使っているんじゃないかと思ったわけだ。僕の推測を裏付けるように、奴の乗って来たであろうポッドの残骸が奴の体内に残っている。普通なら沈むところを、腹の中で留まっているのだ。
着水と同時に素早く蹴った。足はわずかに水中に沈んだがスニーカーのゴムの部分位で、完全に沈まない。どころか、確かな感触と共に蹴り出せた。
「懸念その一はこれで大丈夫だな」
そのまま足を止めずに走る。バシャバシャと水しぶきを上げながら、触手を辿って本体に接近する。
『小癪な、なな』
追撃してきた。前後から意図が迫る。ギリギリまで引き寄せて、上へ逃げる。足元で衝突した触手同士はそのまま一本となり、丁度いい道になった。その上に着水し再び走り始める。
右斜め上ではクシナダが賽の目に編まれた触手をくぐり抜けている。その様子は虫取り網を華麗に躱す蝶かトンボのようだ。
僕たちをなかなか捕まえられないことに、徐々に苛立ち始めている。苛立ちは操作を荒くし、力任せになる。そうなると泥沼だ。頭に血が上った状態では捕らえることなどできない。
『遅くなりました』
ここでカグヤが参戦した。ジョージワードの鼻先まで行って、停止してホバリング。そして何も言わず、反転し、たばこを吸う人間が嫌いな相手に煙を吹きかける嫌がらせのように、アフターバーナーを鼻先に吹きかけて飛んで逃げた。
「か、かかっ、カグヤ姫ェ、おいたが過ぎます、な!」
苛立ちがつのっているところでこの仕打ち。案の定、ジョージワードは激昂し、彼女を追った。先ほど追いつめられていたのはカグヤが動揺していたことに加えてジョージワードが精神的優位に立ち、余裕を持っていたからだ。今はその反対で、ジョージワードが冷静ではなく、カグヤは覚悟を決め、冷静に対処している。エースパイロットは操縦技術もさることながら、相手の心理を読むのが上手いはず。相手の行動を先読みして、自分の思い通りに場を作ることが出来るからだ。おそらく、カグヤはジョージワードの動きが手に取るようにわかることだろう。大道芸のような奇襲も、一度見てしまえば対処できる、流石はエースと呼ばれるだけのことはある。
『あと二十秒』
プラトーのカウントダウンが始まった。ジョージワードの後頭部の先に、赤く燃える巨大な宇宙戦艦が見える。流れ星よりも目立つはずだが、あいにくそれ以上にジョージワードは僕たちを追うことに躍起になっている。
『残り十秒。クシナダ殿、タケルを連れて逃げろ』
言葉に反応して、クシナダが方向転換した。幸い彼女の位置は僕から近い。斜め下だ。彼女と目が合った。来い、と言われた気がしたので助走をつけて飛んだ。
「嘘でしょ?!」
彼女が目を見開いて驚いた。どうやら違ったらしい。だが訂正しようにも僕は空中に身を投げ出している。そして、四方八方から糸が殺到している。
「馬鹿!」
彼女がスピードを上げた。・・・おい、その速さでぶつかると
「がふっ!」
シャレにならなかった。鳩尾にラガーマンの数十倍の威力のタックルを喰らって肺から空気がいっぺんに抜けた。ホワイトアウトしそうになる視界が、その先の次々と衝突して水しぶきを上げる糸を映した。
「何でそんな無茶するかなあなたは!」
「いや、飛べと言われたような気がして」
「誰に!」
「あんたに」
「言うわけないでしょそのまま逃げててって伝えようとしたの!」
『そういう時は儂に言え。伝えられるから・・・五、四』
まだ離れているはずだが、その巨体さゆえか遠近感がおかしくなっていて、すでに目と鼻の先に来ているような感覚に陥る。
『ん?』
ようやくジョージワードも気づいた。カグヤを追うのに必死に水の糸を伸ばしていたからか、少し体が縮んでいるような気がする。腕が伸びればその伸ばして使っている分の水は体から減っていくのか。
『な、き、貴様ら! これが狙いか!』
ジョージワードも驚きの質量だ。その巨体では躱しようがないだろう。激突は必至。だがジョージワードも黙って衝突する筈がなかった。
『舐め、るなぁ!』
伸ばしていた水をすぐさま戻し、今度は腕を膨らませる。受け止めようというのか。
そのまさかだった。ジョージワードは落ちてきた宇宙戦艦を突き出した腕で掴んだ。艦表面のあちこちで火災が発生し小爆発を起こしている。
『ぐぬ、のお!』
突き出していた両手でも宇宙戦艦は止められない。ジョージワードは相撲取りのように体全身を使って艦を受け止めた。ドパァ、と着水した部分が弾けて津波みたいな水しぶきを上げる。
ジョージワードは掴んだまま水を伸ばして艦に巻きつける。圧力により、艦が軋み、へしゃげる音がここまで届いた。ボン、ボンと爆発は連鎖的に進む。
●―――――――――――――
艦内のモニター一杯に、巨大な巨人の驚愕の表情が映し出されていた。あの高慢ちきで自分以上に優れた人間はいないと豪語し、全てを見下していた男が、驚愕に目を見開いている。焦っている。自分の計算に、どこか狂いが生じたようだ。綿密な計画を立てる分、イレギュラーに対する用意が出来ていないのだ。
「お前も、所詮は人間なのだよジョージワード。人間の浅知恵に引っかかる程度のな。そして同じ人間として、お前を野放しにすることはできん。さあ、神の名を騙った罪を、謝りに行こうか。儂も付き添ってやる」
ラグラフは艦のエンジン出力を最大にした。
「姫様、プラトー、後は任せたぞ」
じっと目を瞑る。脳裏に浮かぶのは、今は遠き、だが確かに存在した幸福の日々だ。
生まれたての息子は本当に小さくて、自分の両の掌に収まるくらいだった。千の敵にもひるまない鬼軍曹が、手の中の弱々しい赤子にうろたえているのを、妻が微笑ましく眺めていた。そこから、目まぐるしくも心が満たされる日々を過ごした。子どもはあっという間に大きくなり、この前まで這うことも出来なかったのに、遠征から帰ってきたら自分の足で立って歩いていた。自分のところまで懸命に、転ばないように歩いてきた息子を抱き上げると、嬉しそうに笑ってくれた。
自慢の息子だった。頭もよく、気立てもよく、顔も幸いなことに妻に似て美形だった。そう言うと妻は「顔は私、中身はあなた、最強よね」と言い、お互い顔を見合わせて噴出す親馬鹿ぶりだ。
ますます大きくなり、息子は自分の後を追うようにして軍に入った。息子だからといって手加減はしなかった。むしろ誰よりも厳しく指導した。生き残ってほしかったから、自分が持つありとあらゆる技能を叩き込んだ。息子はそれをスポンジが水を吸うがごとく吸収し、力に変えた。教えるのが楽しくて仕方なかった。だが、今にして思えば、本当にそれは正しかったのだろうか。息子は確かに才能が有った。いずれ自分を超えるほどの逸材だった。だが、それが原因で自分と同じ激戦区に送られてしまった。
もし自分に反発して軍に入らなければ、もしくは息子に兵士としての才能がなければ、目をかけて教育などしなければ、自分は少し淋しかったかもしれないが、まだ生きていたかもしれない。普通の生活を続けて、今頃は誰か良い娘を娶って、子をなし、人並みの幸福を送っていたかもしれない。親より先に死なせることもなかったかもしれない。
ラグラフはずっと後悔していた。息子が死んだのは戦場でだが、死なせたのは自分のせいなのではないか。
《それは違う》
固く瞳を閉じていたラグラフがはっとして顔を上げる。死を間際にして幻聴が聞こえたのだ。もう一度聞きたいと切に願った声だ。
「ダン・・・・」
目の前に、最後に出会った時のままの姿の息子がいた。幻覚か、それとも幽霊か、何でも良い。ずっと言いたかったのだ。謝りたかったのだ。
「儂は、ずっと、ずっと後悔してきたのだ。儂のせいでお前が死んだと。お前は、自分を死なせた儂をさぞ恨んでいる事だろうと。だから、謝りたくて、だから」
そう言うと息子は記憶にある映像と相違ない、屈託のない笑みを浮かべて《馬鹿だなあ》と言った。
《俺が父さんを恨むわけがないだろう。そりゃ、確かにあの地獄のしごきの日々についてのみ言えば、いつかぶっ殺してやる! と何度か思ったけどね。でも、それ以上に、俺は父さん。あなたを誇りに思うよ》
その言葉に胸が詰まる。
《あなたは俺にとって、偉大な父であり、ヒーローだった。いつかああなりたいという目標だった。だから俺は、あなたを必死で追いかけた。いつかその横に並び立つ日を夢見て》
「ダン、儂を許してくれるのか」
《だから、許すも許さないもないんだ。何一つ恨んではいないからね。だからこうして迎えに来たんじゃないか》
「迎え・・・?」
す、と息子が父に手を差し伸べた。
《そうそう、ただ一つ、父さんのことでちょっと恥ずかしいなと思ってたことがあるんだ。父さん、隠してるようで実は方向音痴だろ》
それは、ラグラフの数少ない欠点だ。サイボーグ化してマップを表示できるようになってからは無くなったが、それまでは新しい場所では必ず数回は道に迷っていた。
「・・・何でわかった。ずっと隠していたのに」
《わかるさ。俺はあなたの背中をずっと見てきたんだから。でもこれで、迷わないから安心だろ?》
ラグラフは息子の手を握りしめた。そして、艦は真っ白な光に包まれて
●―――――――――――――
『がああああああああああああああああああ!』
巨人の悲鳴すら飲み込む大爆発が起こった。大量の海水が水蒸気となって拡散する。爆心地が確認できない。そこかしこに巨人を構成していた海の一部が飛び散り、びちゃびちゃと落ちていく。驚かせる以上の効果だ。これ、まさか倒しちゃったのか?
『ラグラフ・・・』
カグヤが呟いた。あの爆発ではもう、生きていないだろう。沈鬱な空気が流れ始め、その重たい空気に押し潰されたのか水蒸気も徐々に収まっていく。
『ふ、ふ、ふざ、ふざけやが、って』
カグヤが息を吞んだ。僕も、僕の後ろにいるクシナダも驚いている。
ジョージワードは生きていた。海水が飛び散ったり蒸発したりしたせいか、最初の三分の二くらいになっているが、まだ水の巨人は健在だった。
『くく、くくく、しかし、もうあのような、ては、手は打てまい。あれが、貴様らの切り札、だろう?』
カグヤたちが歯噛みしているのが目に見えるようだ。そしてジョージワードもそれを分かっているから、余裕を持って話している。
『あれ、あれに乗っていたのは、くく、ラグラフか? あの、脳筋め、私に、素直に従っていれば、まだ生きていられたものを。こんな無駄死に、無駄死にだ、はは』
「無駄死になど、させるものですか!」
『ならば、どうするというの、だ。無力な、姫。脆弱な、人間が、がが、ががあ? ががががが』
お? なんだ? さっきの衝撃で言語中枢がイカレたのか?
『が、がが、がががが、ああああああがぎぎぎぎぎぎぎ、な、なんななんあなんだ、これはわわああああが、コント、ロロロロロールがきかっ、効かな』
巨人がぶるぶると震えだした。
《おおおおおおぎゃああああああああああああああああああ!》
明らかにジョージワードではない叫び声が大気を振動させた。やたらめったら全方位に触手を伸ばす。
「何? 一体どうしたっていうの?」
『あれは、もしかして暴走している?』
クシナダの疑問にプラトーが答えた。なるほど、暴走か。コントロールが効かない、的なことを言ってたしな。つまり、当初の予定通りラグラフの一撃はジョージワードとクトゥルーを引きはがしたってことか。
『感心してる場合じゃありません! 観測機のメーターが壊れてるのかってくらい振り切ってます。おそらく破滅の火のエネルギーが、暴走した神に引きずられるような形で漏れ出しています! このままだとうわっ!』
カグラが機体を急発進させた。無規則に伸ばした触手の一本がカグヤに襲い掛かったのだ。触手は僕たちの方にも襲い掛かってきた。さっきよりも本数がけた違いに多い。こちらに近寄せまいとしているようだ。僕たちは急いで距離を取る。ある程度の距離が離れると、まるっきり攻撃は止んだが、触手を振り回すのは止めないらしい。ヌンチャクを扱う往年のカンフーマスターのキレだ。風を切る音がここまで聞こえてくる。落ち着いたところで、カグヤは話を続ける。
『このままだと最悪の事態が引き起こされます!』
というと、ここを中心にして十万光年が全部消し飛ぶってあれか。そいつはあんまりよろしくない状況だ。しかし、止めようにもどうする?
「あ、アレって」
クシナダが何かに気付いた。
「ねえ、見て。あの巨人の胸の辺り。何か光らなかった?」
クシナダほど目が良いわけじゃない僕には全く何も見えん。が、望遠カメラをズームにしたカグヤたちは見えたらしい。
『あれは・・・、破滅の火です!』
『クシナダ殿、でかしたぞ!』
一人だけ見えなくて仲間外れ感があるが、状況は分かってきた。神と分離したジョージワードの意識は消えて、代わりに破滅をまき散らす神が水の巨人を乗っ取っている。いや、この場合は本来の意識が本来の体に戻ったってことか?
さて、破滅の火はさっきまで見えなかったのになぜ見えるようになったか、理由としては、巨人が無茶苦茶に触手を伸ばしているせいだろう。そのせいで体の海水が減り、さっきまで見えなかった内部深くまで確認できるようになった。しかも爆発で大分海水を失っていたのも原因の一つだろう。
「クシナダ、カグヤ、プラトー。僕には見えてないんだけど、今巨人の腹の中に破滅の火があるんだよな」
「ええ、そうだけど。・・・お、もしかして、何か策を思いついたの?」
期待を込めた視線が後頭部に向けられている。
「一つ思いついた。とは言っても、大した策じゃないんだけど」
『その策とは?』
時間がないから現戦力で出来る手としてはマシな方だと思う。
「さっきとやることは同じだ。僕とカグヤが囮になる。で、クシナダ。あんたが奴にとどめを刺せ」
再びクシナダに連れられて空を舞った。ある程度接近すると、触手が僕らに向かって伸びてくる。どうやらパーソナルスペースを害されると反応するようだ。
「じゃ、手はず通りに」
そう言って、僕はクシナダの手から再び落下した。真下に伸びきっていた触手の一本へと飛び移る。それを見届けた彼女は、射程範囲外へいったん下がる。集中し、矢に力を込めるためだ。今までの彼女は普通の矢に力を込めていたが、それは全力ではない。普通の矢だと彼女の力に耐えきれず、途中で破裂してしまうからだ。だが、蛇神の牙から出来た矢なら、その力に耐えることが出来る。限界までため込み、巨人の体内にいるジョージワードを射抜こうって作戦だ。
だが、それだけで射抜けるか、というと確信が持てない。あの爆発で原型が残ってるくらいの水の厚さだ。なので、再び僕たちが囮となり、奴の水分を体から腕へと写し、胸板を薄くさせる。限界まで薄くなったところをクシナダが射抜く。
「このことを見込んでたのね。さすが!」
作戦を伝えたところクシナダにえらく評価されたが、実のところそこまで見込んでいたわけじゃなかったりする。
触手の上を走る。ジョージワードよりも触手を操るのが上手い。見れば、カグヤの戦闘機も苦戦しながら回避している。ジョージワードはまだ人間の性質、一つのことにしか集中できなかったため、集中力を分散させる効果を狙い、見事にはまった。だが、やはり元の持ち主は使い方が違う。自分の範囲にくまなくもれなく意識を向け、侵入してくる僕たちを効率的に追い立てる。そこに苛立ちなどの感情は含まれず、機械的な感じがした。想像以上にマズイ状況だ。
『キャッ』『グゥッ』
カグヤ機の尾翼を触手が掠めた。それだけで尾翼が剥ぎ取られ、機体は制御を失って落ちる。そこへ、容赦なく触手の束が降り注ぐ。
間一髪のところでカグヤは機体を安定させ、範囲外へ逃れた。カグヤ機を見送った巨人は、ゆっくりと首を巡らせ、ちょろちょろ走り回る僕の方を見た。
「そう睨むなよ。照れちゃうだろ」
苛烈な攻撃が開始された。どうやら冗談はお嫌いのようだ。死ぬに死ねない男の映画でもこういうのあったなあ。上空からヘリの機関銃で追い立てられるシーン。今の僕の状況は、ざっとそんな感じだ。僕のすぐ後ろが水と水の衝突で飛沫を散らす。足元の触手がゆらゆらと衝撃によって揺れる。だけに留まらず。他の触手と合流し太さを真下かと思うと、突如足元から槍のようにせり上がるのだ。不安定な足場はさらに僕の立場を悪くしていた。串刺しにされる前に他の触手へと飛び移って何とか難を逃れてはいるが、すでにスニーカーのゴムもジーンズも本意ではないダメージが蓄積されつつある。オシャレと言い張るのは難しそうだ。
『ごめん、お待たせ』
待ちに待った彼女の声が聞こえた。
●―――――――――――――
はやる気持ちを押さえつけながら、クシナダは手の中にある弓と矢に意識を集中させていた。これまで、蛇神の力か風の力、どちらか一方の力しか込めたことがない。今回はその両方を矢に込める必要がある。
いつかの蛇神との戦を思い出す。あの時も、目の前でタケルが蛇神を引き付け、自分は絶好の機会をうかがっていた。痛いぐらい心臓が鳴っていた。
違うのは、あの時のような、外すかもしれない、失敗するかもしれない、という弱気が、今の彼女にはないと言うことだ。クシナダの中に、失敗などと言うイメージは欠片もなかった。少し前までは、あの時と同じように弱気が少し見え隠れしていた。けれど、あの男が言った。いつものように。
「緊張しなくても大丈夫だよ。失敗したら死ぬだけだし」
そして、いつもとは違う一言を付け加えた。
「ただ、これに関しては杞憂かもしれないけどね。だってクシナダ、僕はあんたが失敗するところを、どうやっても想像できないんだ」
当然でしょう、と軽口を返した頃には、手の震えは収まっていた。そっけない一言だが、他人に無関心なタケルの信頼をその一言から感じられた。気のせいかもしれない。彼は、言いたいことを好きなように好きなだけ言う代わりに、適当なことも結構言っている。嘘も冗談も当たり前に使う。
けれど、その一言で充分だ。ようやく彼は私を見た。相棒と認めた。相棒であるなら、信頼と期待には応える必要がある。いままでであればそれすら重圧に感じていたが、今はそれすら力に変わる。
手から弓矢へ力が伝わっていく。自分を、矢先を中心に風が渦巻き、小さな、それでいて強烈な嵐が吹き荒れていた。加算されていく力が大きすぎて、矢が暴れるのを必死で抑え込む。力はもう間もなく、全精力をつぎ込める。後は巨人の薄さだ。
視界にとらえている巨人は、最初のころの半分の薄さになっていた。それでも分厚さは自分たちが乗ってきたポッド数台分はあるだろう。これを、射抜く。的である破滅の火に当てるだけではない。そのまま貫通させ、押し出す。
彼女の目には、巨人と触手がゆっくりと動いている。相手の動きを読み、機を窺い
その時は訪れた。
●―――――――――――――
巨人の胸が弾けた。心が弾むとかの比喩ではなく、文字通り何かが衝突して周囲一帯の海水を弾き飛ばしたのだ。その影響が触手の追撃の手が緩む。見上げれば、巨人の胸の中で小規模な嵐が巻き起こっている。中心には言わずもがな、彼女が放った矢が見事破滅の火に命中している。予想ではそのまま巨人の体外に押し出すはずだったが、何らかの力場が発生していてその力とせめぎ合っている。徐々に押し込んでいるように見えるが、いかんせん矢の威力も落ち始めているように見える。
もうひと押し欲しい。
僕の視界の隅で何かが煌めいた。猛スピードで接近してくる何かは、カグヤ機だ。一直線に巨人へと向かう。進行方向は巨人の胸だ。もうひと押し欲しいと思ったのは僕だけじゃないらしい。
『光栄に思っていいですよ。ジョージワード、いや、クトゥルー』
カグヤが呟く。
『私の最初で最後の撃墜マークになりなさい』
カグヤ機が寸分たがわず矢尻に体当たりを敢行した。拮抗は崩れ去り、矢と機体は巨人の腹に風穴をあけて破滅の火を体外に押し出した。カグヤ機はそのまま水面へ不時着した。ボロボロで六枚あった翼も二枚しか残っておらず、飛べそうにないが、煙も出てないのですぐに爆発炎上と言うことにならないだろう。
僕の前に勢いを失った矢と破滅の火が落ちてくる。それをキャッチし、そのまま触手の根元まで駆け上がる。
『が、がががああああ、ああ、あ? 戻った、戻ったのか?』
久しぶりにジョージワードの声がした。破滅の火が外れたことで神との交信が途絶えたせいだろうか。だが、まだクトゥルーの力は残っているようだ。
『破滅の火が、な、無い!? そんな、一体どこに!』
巨人が右往左往するというのはなかなかシュールな絵面だ。驚くガリバーは小人から見たらこんな感じかな。ただ、僕は童話の小人よりも少々過激だと自負している。
「探し物はこれかな」
破滅の火を握りしめて、僕は巨人に迫った。確信があったわけじゃない。一応カグヤたちからどのようにしてジョージワードが変身したかは聞いていたけど。
破滅の火に、僕の血が混じると、淡く輝いた。
『貴様、そ、それ、それを返せ!』
僕に向かって触手を伸ばすジョージワード。それを、今度は躱さずに、破滅の火を握り込んだ拳で迎え撃った。手のひらに焼けつくような痛みが走るが、無視して振るう。莫大な量の水が、瞬時に蒸発して消えていく。
何だこれ、体に何かが入り込んでくる。
『ば、馬鹿な、馬鹿な馬鹿な! なぜ、貴様みたいな取るに足らぬ、人間が! 神降ろしを! 選ばれし力を、振るうことができる?!』
困惑しながらも、ジョージワードは攻め手を休めない。次々と襲い掛かる水の塊を僕は手で振り払った。一薙ぎするごとに高温が周囲を焼いているのに、僕自身は熱くない。むしろ、僕の体の方が熱い。汗をかく暑さとはまた違う。奴の言葉を借りるなら、破滅の火を使って僕の中に神様がお邪魔している状態ってことだろう。
そのまま僕は触手ロードを駆け上がり、巨人の頭上へと躍り出た。
『まさか、まさか、貴様が、貴様が伝説にある
「何をごちゃごちゃと言ってやがる」
正しい正しくないのどちらかで言えば、僕はまず間違いなく正しくない部類の人間だ。だが、多分正しい部類に入るカグヤたちもこれから行う僕の行為は諸手を挙げて賛成するだろう。
「クトゥルーならクトゥルーらしく」
振り上げた拳にありったけの力を込める。呼応するように、破滅の火から力が流れ込み、太陽が生まれたかと思うほどの熱量が生まれている。
『まて、やめろ、やめてッ』
「
巨人の横っ面に右ストレートを叩き込む。熱波が吹き荒れ、水の巨人は跡形もなく蒸発した。
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