第87話 現実を侵食する悪夢

 ―時間は少し遡る―


 タケルとの通信を終えたカグヤは、プラトーを連れて格納庫へと向かった。すでにラグラフの指示により、整備士たちが突貫で彼女の機体を準備していた。

「カグヤ様。お待ちしておりました」

 老齢の整備班長が出迎える。以前ラグラフの下で機体の操縦訓練を行った際にもいた人物だ。整備士としてわざわざ呼ばれるくらいなのだから、余程腕が立ち、それ以上にラグラフの信任篤い人なのだろう。こちらへ、とカグヤたちは彼らが整備した機体へと案内された。

 案内された機体は鋭角鋭い六枚羽の戦闘機だ。流線型の本体に地面と水平に二枚の主翼が、四枚の補助翼が右上下、左上下についている。六枚の先端を線で結ぶと六角形に見える。

「最新式のエンジンを搭載し、最高速度は従来機の一.五倍、意思伝達システムと操縦処理プログラムを少々『カグヤ様専用』に弄っております」

「私専用?」

「少々ビーキーな仕様となっております。補助システムを取っ払い、操縦者の操縦技術を最大限に反映できるようにいたしました。カグヤ様に、補助輪は不要でしょう?」

「ええ、助かります。感謝いたします」

「礼のかわりに、こいつで腕前が鈍ってないことを証明してくださいよ。《ゼロ》」

 懐かしい仇名だ、とカグヤはこんな時にも拘らず、ついつい顔を綻ばせてしまった。

「分かりました。どうぞ、私の腕が鈍ったかどうかご覧になってくださいな」

 にやりと微笑む整備班長の敬礼を受けながら、カグヤは機体に乗り込み、すぐさま手慣れた手つきで起動させた。

「プラトー、申し訳ありませんが、少々飛ばします。しっかりと体を固定しておいてください」

「言われなくとも。到着してから使い物にならないでは笑い話にもなりませんからな」

 苦笑しながらプラトーはシートベルトを装着し、それだけでは飽き足らず固定されているかどうかを引っ張って念入りに確認する。前に一度舐めてかかって、痛い目を見ているからだ。

 機体が発射台へと送られる。滑走路にライトが灯り、前方の壁が開かれた。

 エンジンが稼働し、機体に火が入る。操縦桿を手に取ると、そこから自分の血が機体に流れ込み、また機体に流れる燃料が自分に流れ込んでくるような錯覚に陥る。

『姫様』

 艦に残ってオペレーター作業をしているネイサンから通信連絡が入った。

『問題が発生しました。姫様の進路を阻むかのように敵が布陣しています。こちらからも援軍を差向かわせてはいますが、まだ突破できていません』

「規模は、どの程度でしょうか」

『二百程度でしょうか。先ほどこちらに近付いていた戦闘艦四機を中心に、広範囲に広がり網を張っています。ジョージワードは追われることを予期していたのでしょう。敵と遭遇せずに突破することは難しいと思われます。ですので・・・』

「ああ、それなら問題ありません」

 味方が来るまで待て、と言おうとしたネイサンを遮り、こともなげにカグヤは言った。

「遭遇しようがしまいが、突破してしまえば良いのです。あちらは広く布陣する代わりに層が薄いはずですので」

『え、ちょ、待ってくだ』

「では、行きましょうか」

 優しく語りかけるように、彼女は機体に声をかける。機体後部と滑走路内に磁界が発生し、反発しあうことで推力が生まれる。機体は滑るように宇宙へと飛び出した。途端、周囲からの集中砲火が浴びせされた。四方八方からの砲撃はまるで雨のようで、通常であれば躱すことは不可能だ。

 しかし、カグヤは不可能を可能にした。ミリ単位の操縦桿の操作に加えて、補助翼を巧みに使い分けて通常ではありえない立体航行を実現させる。砲火の雨を、その隙間を縫い、まるで踊るように潜り抜けていく。それもブレーキをかけずトップスピードを維持したままだ。まさか抜かれると思わなかった敵陣は慌てて方向転換し、追い抜いて行ったカグヤに追いすがる。だが、差が縮まらない。カグヤ機は前方からの砲撃もあるはずで、こちらは一直線に追いかけ、なおかつ背後から攻撃しているのにも関わらず、だ。あげく、味方が放った砲撃を自分たちで喰らうわ、味方同士でぶつかるわの大惨事を巻き起こす。我関せず、といった具合で、カグヤは包囲網を突破する。

 敵撃墜数はゼロ、しかし非撃墜数もゼロ。アトランティカ軍の誰もが、訓練とはいえ彼女を撃墜することが叶わなかった。空や宇宙を誰よりも巧みに飛ぶ彼女を、敬意と悔しさを持って《ゼロ》と呼んだ。エース級でも捉えられなかった彼女を止められるわけがなく、敵陣営は自爆の山を築いた。


 敵陣を突破したカグヤは、ジョージワードが乗っていたポッドの反応を追って、再びタケルたちのいた惑星に辿り着いた。大気圏を突破し、徐々に降下していく。意外なことに、ジョージワードの機体はすぐに見つかった。周囲には何もない、海のど真ん中で浮かんでいる。しかも、奴は外に出て、機体の上部で立ってカグヤたちの方を見ていた。

 スピードを落とし、ホバリングしながら近づく。備え付けられた機銃をジョージワードに向けた。救助ポッドの装甲を機銃で貫くのは難しいかもしれないが、生身の体なら紙屑同然だ。

「降伏してください。ジョージワード」

 しかし、カグヤが最初に放ったのは銃弾ではなく勧告だった。

「あなたの味方はラグラフたちによって劣勢を強いられています。まもなく全面降伏するでしょう。あなたも、降伏してください。抵抗は無意味です」

 ジョージワードは答えない。ただ、君の悪い笑みを浮かべてカグヤたちを見下すだけだ。

「聞こえているのですかジョージワード。降伏してください」

「姫様、埒があきません。儂が直接出向いて、ふんじばって参ります」

 そう言って、プラトーが立ちあがった時だ。こらえきれなくなったジョージワードの笑い声がスピーカー越しに木霊した。

『な、な何を言い出すかと思えば、姫様。ひひ。この期に、この期に及んで、ここ降伏勧告ですか? そ、そんな甘い弱腰の考えだから、クーデ、クーデターなど起こされるのですよ』

 ジョージワードが懐を漁った。取り出したのは破滅の火だ。

『無智で、無能な姫様、ああ、あなたに、そんなあなたに良いことを教えてあげましょう。この破滅の火の、本当の使い方です』

「本当の使い方?」

 カグヤもプラトーも首を傾げた。使い方も何も、破滅の火の使い方はその中に秘められたエネルギーを抽出するなどして使うくらいしかないのではないか。そのためには設備が必要で、ここにそんなものは無い。暴走する危険性を除けば、ただの綺麗な石だ。

『く、くくく、あなたも、この使い方を知っていれば、きっ、きっと私と同じ考えに至ったはず。交渉など不要。諸国も敵国も何もかもが、アトランティカに従う。はは、それを知って、どうして同盟を組んでやる必要があるのだ? 全てがアトランティカに、私に跪くのだ!』

 破滅の火を掲げて高笑いするジョージワード。見てられませんな、とプラトーは狂人の世迷言から目を背けた。

 カグヤは目を背けなかった。ラグラフも言っていた。ジョージワードは非常に慎重な人間だと。彼の行動には何か理由がある。しかし、その理由とは一体なんだ?

 その迷いが、ジョージワードに行動を許した。ジョージワードは、突如上着を脱ぎ捨てたのだ。武器を持っていないことを証明するため、ではない。やせ細ったその体の中央には、外科手術によって不自然なくぼみがあった。そこへ、ジョージワードは破滅の火をはめ込む。その行動だけでも驚きに値するのに、ジョージワードはあろうことか自分の胸に短刀を突き立てたのだ。この光景に二人は声も上げられない。

 ジョージワードは胸に深々と短刀が突き立っているにもかかわらず、笑うことを止めようとしない。胸からだくだくと滴る血が、皮膚を伝って破滅の火のくぼみに流れ込む。出血量と痛みが増え、ジョージワードは遂に膝をついた。しかし、顔は笑みから恍惚とした表情に変わっていた。

「痛覚を麻痺させる薬を、あらかじめ打っていたのか?」

 そんな、気にしなければならないことの優先度から行くと下から数えた方が早いことをわざわざ口走ってしまうほどプラトーは混乱していた。カグヤに至っては茫然としていて、目の前のショッキングな現実が受け入れられない。そんな中、息も絶え絶えのジョージワードの声が届く。

『く、くは、くはは。お、驚いたかな? これが正しい使い方だ。破滅の火は、古の、この宇宙を創造したとされる神々が創り給うた、莫大なエネルギーを内包した貯蔵庫と思われているが、真相は、違う。エネルギーはおまけに過ぎない』

「どういう、ことですか」

 なぜか自分まで苦しくなってきたカグヤが、肩で息をしながら問うた。

『宇宙をつつつ、創った神は、どうしてこの世に居ないのか。それは、別の世界へと移ったからだ。神の正体は人など及びもつかぬ、こう、高次元存在。彼らにとっては、この世界など子どものお遊戯箱のように儚い存在なのだ。彼、らが。存在しては、彼らが発するエネルギーで、この世界が滅茶苦茶に、なる。だか、だから、彼らは、この世界を去った。その代わり、いつでも戻ってこられるように、カギを、置いて』

 やがて、プラトーがあることに気付く。ジョージワードから流れている血の量が、機体に流れ落ちている量と一致しないのだ。機体についているのは、最初に突き立てた時に飛び散った数滴程度、しかし、胸から流れる血液量はすでに致死量の域に達している。ズボンに染み込んだ様子もない。

 そんな中、膝をついていたジョージワードが立ち上がった。

「馬鹿な」

 プラトーが呻く。もはや立ち上がるどころか、死んでいてもおかしくないはずだ。しかし現実にジョージワードは立ち上がり、しかも血色もよくなってきている。目は爛々と輝いて、こちらを睨んでいる。

『ぐふ、ぐふふ、ふはあはは。漲って、くる。全身に、力が漲ってくるぞ!』

 自らの手を開いたり閉じたりして感覚を楽しむジョージワード。

『続きを、話そうか。すでに、きき、気付いているかもしれないが、破滅の火こそ、カギだ。神の世界と、この世界を、繋ぐための。そして、カギを差し込む、門は』

 言うやいなや、ジョージワードが海に飛び込んだ。彼の体はどんどん沈む。呆気にとられっぱなしの二人の目の前でそれは起こった。

 ジョージワードが飛び込んだと思しきあたりから渦が生まれた。渦は次第に大きくなり、やがて底が見えるほど巨大になった。渦の中心部には、海底に佇むジョージワードの姿があった。

『門は、私自身だ。そして、かみ、神は顕現する。近くにあるマテリアル、この場合は大量の水に引き寄せられ、それをもって形作るから、水を、司る神となる』

 カッ、とまばゆい閃光が破滅の火から迸り、それを合図に渦は収まり、大量の水が元いた場所へ戻っていく。いや、戻りすぎている。不足分を補充するに飽きたらず、周囲の海水が物理法則を無視して渦のあった場所へと集う。本能的な危険を察知したカグヤは、機体を急旋回させ、その場から離れた。その機体の目の前に、突如、水の壁が立ちはだかる。カグヤはその突然の事態にも対応し、機体を捻って躱す。だが、事態は収束しなかった。次々と目の前に水の壁が現れ、機体を捕らえようとする。そのことごとくを、彼女は神業と言っても過言ではないテクニックで回避し続ける。水の壁は下から迫ってくる。上昇し、振り切ろうとした。操縦で手いっぱいの彼女に変わって、プラトーは背後を振り返った。そして、本日最大の驚愕に目玉がポロリと落ちそうになるほど瞼を広げた。

 振り返った先に、海は無かった。その代わり、水の形をした巨人がこちらを見ていた。

『カグヤ姫。これが、正しい破滅の火の使い方だ。神を召喚し、己と同化する『神降ろし』こそ本来の使用方法。用途に合わせて、召喚する神を変えれば、この身ひとつで宇宙を漂い、文明を破壊し、己の意のままに創造することさえ可能。今の私は人間という小さな器を脱ぎ捨て、同じく高次元の存在となった。今の私は、水を司るクトゥルーだ』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る