第79話 拳は語る

 偉そうに言ったものの、それから僕は防戦一方だった。攻性に転じる暇がない。いや、躱す暇すら皮膚や肉と共に削れていく。このまま行くと僕の出汁が出る鰹節が出来そうだ。戦闘開始から数分で、体のあちこちが傷だらけになった。原因は奴の拳だ。

 目の前に迫った拳を、首を傾けてギリギリで回避する。拳が伴う風ですら肉を抉る暴虐性を秘めている。巻き起こる風が鎌鼬となって皮膚を裂くのだ。

「シィッ!」

 間髪入れず第二撃。逃げ場を奪うアッパーだ。躱した体をすぐに方向転換できず、仕方なく右腕を顔と拳の間にいれる。


 メキョ


 拳が当たった二の腕と肘辺りから嫌な音が響く。

「ヌルアァッ!」

 裂帛の気合と共にラグラフが拳を振りぬいた。逆らわず、そのまま体を勢いに任せる。一直線に壁へと迫り、背中を打ち付ける。食いしばった歯の隙間から空気が漏れた。気を失いそうになるが、それを相手は許してくれない。

 目の前にはすでにラグラフが拳を振りかぶっていた。繰り出される右ストレートをまともに喰らえば冗談抜きで頭に拳大の穴が開く。だが、それを大人しく待ってやる道理はない。壁にはね返って無防備であることを装い

「ハッ!」

 発射された一撃を予測し、回避。潜り込み、下から切り上げる。いかにラグラフとて躱せないはずだ。攻撃と防御を一度に出来るわけがない。

 結果として、剣は防がれる形となった。驚愕を隠せない僕に、振り切った拳を戻したラグラフが容赦ない追撃を横から加えてくる。今度はこっちが回避不能の状況だ。拳が鳩尾にめり込む。胃液が逆流し、キラキラと汚く飛沫を飛び散らせながら殴られた方向の逆へと吹っ飛ぶ。

 刃は確かにラグラフの体に当たった。だが、斬れなかった。どういうことだ?

 霞む目でラグラフを観察する。見るのは、先ほど当たったはずの箇所。ぴっちりとしたヒーロースーツの脇腹辺りに、微かに切れ目が入っている。その下からは、ラグラフの皮膚の色とは違う銀色の光沢のある皮膚が見えている。

「まだ反撃してくる気力があるか。飛び道具以外で儂に攻撃を当てた者は貴様が初めてだ」

 ラグラフがスーツの切れ目に太い指を入れ、そこから引き千切った。現れたのは人の体ではなかった。

「過去の戦闘で儂は体の六割を失った。それを補うために機械が組み込まれている」

「サイボーグ、ってやつか」

「知っているなら話が早い。その通りだ。生身の体を動かすのと同じで、脳からの信号を受けとりその通りに動いてくれる。そして、生身では耐えられないほどの加速や膂力に加えて、斬撃、銃撃、衝撃もある程度防ぐことが出来る。死に体から放たれた斬撃など通用しない」

 なるほどね。通りで自信満々だったはずだ。生身の人間ではラグラフには到底勝てない。前に戦ったグレンデルを性能そのままに人間の体に押し込めたみたいなものか。

「力は僕以上、何より厄介なのは速さがミハル以上ってことか」

 一気に間合いを詰める移動速度や攻撃の間断がないのが面倒だ。しかも間合いはゼロ距離。剣以上の小回りの良さだ。こちらが一太刀浴びせる間にあちらは二撃以上打ち込めるし、そこは剣の有効打にならず、あちらは最大限の威力を出せる距離だ。

 正直言ってこのままではかなり不利。さてどうするか。

 口いっぱいに広がる苦みを吐き出す。びちゃりと真っ赤に飛び散った。顔を上げる。これだけ優勢に戦いを進めているにもかかわらず、ラグラフは油断なく構えて僕を見据えている。たとえ奴の目の前に立っているのが誰であろうと、一度敵とみなせば同じスタンスで、全力で叩き潰しに行くに違いない。慢心の付け入る隙はなさそうだ。そこから繰り出される攻撃は正確無比で、間違いなく急所を突いてくる。まるで狙った場所にマーカーがついていて、自動追跡装置が働いているようだ。

「恐ろしいな、貴様は」

 ラグラフが立ち上がる僕に声をかけた。それはこっちのセリフだと思うのだが。

「通常の人間では死に至る攻撃を、打点をずらし、スウェーバックで威力を減じさせている。それは、迫りくる攻撃に対して目を瞑らずに冷静に分析していることに他ならない。恐怖は無いのか。痛みとは、その場で発生するものだけではない。記憶にも深く刻まれ、薄れることがない唯一の感覚だ。体の半分が機械となった儂ですら、その時の記憶は忘れられぬ。今の痛みと過去の痛み、そしてこれから訪れるであろう未来に対する、想像力によって生じる痛みで、体が恐怖で固まり、身動きが取れなくなるのだ。普通は。それを、貴様は無視して、縮こまるどころか反撃に転じる。一体貴様は、どのような人生を歩んできたのだ」

 どんな人生、と言われても。そんなに褒められる人生は送ってない事だけは事実だ。

「僕がまだ動けるのは、多分『それ以上の痛み』を知っているからだ。ほら、疲れていても、それ以上に疲れた経験があったらまだ動けるって思えるだろう?」

 僕が知っている最大の痛み。ラグラフの言うとおり、忘れられない、忘れることのできない痛みが、ずっと頭と胸の奥にある。

「それに比べれば、僕が今受けている痛みも、今までの戦いで受けてきた痛みも、大したことないんだ。それこそ、死に至る傷であっても」

「・・・そうか。貴様も、かけがえのない誰かを、大切な者を亡くしたか」

 察したラグラフが、その瞬間だけ僕ではなく他の誰かの姿を網膜に映した。

「あんたもそうなんだろう? だから、体の半分を失っても戦い続けられる」

 ラグラフは答えない。だから真偽のほどは分からない。だが、おそらくそうだろうと思う。でなければ、彼が今言ったような言葉は想像すらできないし、僕が答えたことについて共感することなど不可能だ。

「最後通牒だ」

 何かを振り払うように、あるいは何かを決断した様子で、ラグラフが口を開き話を変えた。

「大人しく破滅の火を渡せ。貴様は強い。だが、儂には勝てん。儂の攻撃は貴様に通じ、貴様の攻撃は儂に通じないからだ。無駄な殺生はしたくない」

 無駄ときたか。確かに、このままでは傷一つつけられない。

「貴様の強さは、加減して止められるものではない。殺すつもりでやらねば止まらぬ。それは儂としては避けたい」

 僕は片方の眉根を吊り上げた。意外な言葉だったからだ。彼の性格を考えると、敵対者には容赦無し、徹底的に叩く人種とみていたからだ。

「それはまた、何で?」

 不思議に思いながら尋ねた。

「無くすには惜しいからだ。その力、儂らのもとで振るわんか?」

 まさかの勧誘だ。宇宙の半分をくれるとでも言うのか。

「目的の為であれば未知であるはずの宇宙へ、しかも敵のど真ん中へも飛び出す行動力と胆力、大勢の兵をただの言葉だけで縫い留める話術と頭脳」

 おや、言葉だけ、と言わなかったか? まさか

「空気の爆弾とは、ブラフであろう?」

 ニッ、と意地の悪い笑みを浮かべた。ばれていたのか。なら何で僕と交渉なんて持ち出したんだ?

「理由は二つ、こうして貴様を仲間に引き入れるための場を作れるかと思ったのと、やはり儂も、まだチャンスがあるなら生き延びる方に賭けたかったのでな。仲間に蜂の巣にされるというのは、死に方としてはちと悲しいからな」

 おどけるラグラフに、僕は内心舌を巻いた。さすがは歴戦の猛者。これが経験の差ってやつか。僕の方が作戦に乗せたつもりでいたが、相手の方が一枚上手だったようだ。

「そして何より、サイボーグである儂とここまで渡り合う戦闘能力。ここで捨てるは忍びない」

 構えを解き、すっと右手を差し出した。

「仲間になるのなら、この手を取れ。もちろん、貴様の連れである彼女も一緒に厚遇しよう」

 ラグラフの言葉を聞いて僕は、剣を逆手に持ち、その場に突き立てた。


●------------------------------


「どうやら、降参するようだな」

 二階席で戦いを観戦していたクシナダの耳に、彼女やカグヤたちを取り囲んでいた兵士の声が届いた。彼がそう思うのも無理はない。武器を手元から離すなんて、どう見ても戦闘放棄、降参にしか見えない。

「当然だ。ラグラフ艦長に勝てるわけがない。俺たちが何人がかりでかかっても軽くあしらう様な御方だぞ」

「もった方だよ。生身の人間にしては。むしろ艦長に勝てる人間を見てみたい」

「まったくだ。怪物でも持ってこないと相手にならん。それこそ伝説にある、宇宙に安寧と平和をもたらす正しき者とか」

「むしろ、艦長が正しき者だったりしてな」

「ありうる」

 兵士たちが感想を口にする。勝負がつき、同時に彼らの緊張の糸も切れたのだろう。         

「やはり、無理だったか。だから言ったのだ」

 プラトーが無念そうに項垂れ、首を振った。

 いよいよ最終手段を取らざるをえないな、と内心の決意を固める。こっそりと周囲に目をやれば、兵士たちは全員階下の戦いに集中し、監視などおざなりだ。完全に気が緩んでいる。これならば、自分でも制圧は可能だ。老いたとはいえ、かつてはあのラグラフと共に戦場を駆けていた。この程度の危機も何度も乗り越えてきた。

 近くにいるのは、四人か。出口は、左。ちら、とネイサンに目くばせする。彼も頷いて、隣にいたハワードに周りに気付かれないように合図を送る。硬い顔で頷いた。これで三人。不可能じゃない戦力差だ。最後に、カグヤに視線を向けた。彼女もすでに腹は決まっているようで、重々しく頷いた。

 プラトーの頭の中に、この場を切り抜けるためのシミュレーションが幾通りも展開される。その中で最も確率の高い策を選び取る。四肢に力を籠め、いざ解放、しようとしたところで

「動かないで」

 左腕を掴まれた。心臓が跳ね上がり、嫌な汗がどっと噴き出る。それはカグヤたちも同じだったらしく、思わず叫びそうになった口を押えている。

 プラトーは反射的に振り払おうとしたが、掴まれた左腕は万力に挟まれたかのようにピクリとも動かない。掴んでいる相手を見やると、それは不審な動きを見破った兵士数人ではなく、クシナダだった。思わずもう一度掴まれている自分の腕を見る。明らかに自分よりも弱そうな女性の細腕から、どうしてこれほどの力が出ているのか不思議でならない。

「今は、余計なことをしないで」

 ゆっくりと、クシナダが腕をひく。傍目には老人介護のように優しく引き寄せているように見えるが、その実、有無を言わさぬ強制力が働いていて、プラトーの腕どころか全身の行動を阻害していた。

「どういうつもりだ」

 小声でプラトーがクシナダに尋ねた。

「ここで暴れたって無意味でしょ。周りの連中を倒してもすぐに制圧されちゃうわよ」

「ふん、余裕だな。自分たちはこのまま行けばめでたくラグラフの仲間入り、命の保証はされているものな。しかし我らに猶予は無い。いかに恩人とはいえ、これ以上我らの邪魔をするなら」

「するなら、どうする?」

 にこりと、誰もがうっとりするような美少女の笑顔を向けられて、プラトーは戦慄した。目の前にいるクシナダに恐怖したのだ。これまで幾度となく戦場を駆けてきた男が、年端もいかぬ少女を恐れた。いや、彼の眼には少女など映っていない。少女の皮をかぶった別の何か、恐ろしい何かが映ったのだ。彼女を前にして、蛇に睨まれた蛙のようにプラトーは固まった。

「き、きさ」

「勝手に私たちの行動を決めつけないで。あなた達がどう思おうと勝手だけど、私は今のところ、カグヤの味方でいるわよ」

 タケルの方はどうか知らないけど、と肩を竦める。

「ならば、なぜ邪魔を」

 息も絶え絶えの状態で尋ねるプラトーに「邪魔はしないわ」とクシナダが言う。

「暴れるなら、もう少しだけ待った方がいいと思うのよ。その時は私も手伝うから。それまで待ってて。そうね、具体的には下の戦いの決着がつくまで、かな?」

「勝負だと?」

 馬鹿な。勝負は今さっき着いたではないか。タケルが武器を捨て降参し、ラグラフの提案を受け入れたのではないか。すると、クシナダは人差し指を立てて横に振った。

「あなた達は、まだタケルって男を分かってないわ。あの男はね、馬鹿なの」

「馬鹿?」

「そう。自他ともに認める戦馬鹿よ。これほどの強敵を前にして、降参なんてありえないわ。逆よ。それこそくたばるまで戦う気よ」

「し、しかし武器を捨てては、戦いを諦めたとしか」

「武器を捨てる事と戦いを捨てることは、必ずしも一致しないのよ?」

 物わかりの悪い子どもに言い聞かせるように、クシナダが言った。

「まあ、見てなさいよ。多分あの顔は、次の手を打つ気だから」

 彼女の話を肯定するように、けたたましい笑い声が上がった。他ならぬ、タケルの口からだった。


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「くはははっははははっあはははははははっ!」

 体をくの字に折り曲げて笑う。

「何がおかしい」

 機嫌を損ねたか、幾分昏い声でラグラフが言った。だから僕は言う。

「なあ、僕と、あんたが失った誰かってのは、似ているかい?」

 さすがにこの問いかけは予想外だったらしく、ラグラフは目を丸くした。

「なぜ・・・」

「なに、こればっかりはヤマ勘だけど、当たってないか? そう思い至った根拠もあるんだ。僕の見たところ、あんたは敵に厳しすぎるほど厳しいはずなんだ。けど、全く情がないってわけでもない。多分女、子どもとかにはそれなりの、今僕に言ったような温情をかけることもあるだろう。けど、殺すには惜しいとお褒め頂き恐悦至極だが、それだけで情けをかけるようなタマかよ。反対に、危険分子だと徹底的に排除する筈だ。なんせ味方になる確率より敵のままでいる確率の方が高いんだからな。となると、僕はあんたがこれまで情けをかけたような相手、つまり昔の戦友だとか部下に僕と似た顔があったか? と思い至ったんだよ」

 推理も何もあったもんじゃない。自分の感覚を頼りにしたあてずっぽうだ。

 けれど、あながち的外れではないと思う。これで違うと首を振られりゃ赤面ものだ。照れ隠しに戦うだけなんだが。

「息子だ」

 ぼそりとラグラフが言った。

「言っておくが、儂の息子は貴様みたいな悪ガキではない。もっと礼儀正しくきちっとしていて、何より若いころの儂に似て男前だった。これだけははっきりと言っておく」

 腰をかがめて、突き立てた剣の表面に映る自分の顔を見た。僕もそう捨てた物じゃないと思うのだが、と顎に手を当てて矯めつ眇めつ。

「ただ、戦いの才能が似ている。単純な戦闘能力だけに留まらず、人を手玉に取る様な戦略を練るところや、その戦略に頼り切らず、ありとあらゆる場面に臨機応変に対応するようなところ、なにより戦いを重ねるごとに成長する様、将来性が息子に似ている。儂の期待に応えることなく、戦争で無茶をして死んだがな」

 無念、と顔に書いてあった。余程期待の逸材だったのだろう。

「で? 若い才能を潰すのは忍びない、と?」

「貴様も、育てる楽しみというのを知ったら、儂の気持ちが分かるだろうさ」

 そして、それを半ばで失う時の気持ちがどれほどのものか。ラグラフは言う。自分の一部を失ったように感じると。それが愛してやまない息子であればなおのことだろう。

 心中お察しする、などとは口が裂けても気軽には言えない。けれど、そいつは失礼な話だ。

「ふざけるな」

 侮ってくれる、とは僕のセリフだ。何のことは無い。あの爺、僕が息子に似てるからって理由で手を抜きやがったのだ。

「言うことをきかせたけりゃ、ひとまずこの戦いで勝てばよかったんだ。戦いの最中に言うこっちゃないぜ。自分で神聖な決闘だとか何とか言っておいて、それを汚してんのはあんたの方だろうが」

 思い切りため息をつく。まあ、それを言わせたのは、敵である僕に歯ごたえがなかったからだろう。僕も謝らなければならない。手心を加えられる程度の実力で申し訳なかったと。ここからは、そんな必要もないようにしてやるよ。

「申し訳ないが情けは無用、容赦も無用。どうぞ僕を殺すつもりでかかってきてくれ。僕は、あんたの息子じゃない。失ったあんたの息子はそいつだけ。ここにいるのは、ただの敵だ」

 手のひらを上に向けて、くい、と指を曲げる。

「そうか」

 ラグラフは下を向いて一息。そして再び顔を上げた。そこにはもう、父親の情など欠片もないキリングマシーンが存在した。

「謝る。戦いを汚してしまって申し訳なかった」

「分かりゃいいんだ。さあ、続けようか」

 僕の言葉が終わらぬうちに、ラグラフはその場から消えた。一足飛びに右に飛んでいる。そして、側壁を蹴り、真横から襲い掛かる。今度こそ一撃必殺、殺意の乗った一撃だ。

 相手は僕が避けるか防ぐか、その二択しかないと思っている。そこが狙いどころだ。

 思い出すのは、元の世界にいた頃だ。あの頃も僕は戦っていて、相手は僕よりも速く力も強い護衛を相手にしていた。自分よりも高い身体能力を持つ相手に、僕はどうやって勝ち、標的を殺してきた? 強い相手には、強い相手の戦い方があるのだ。たとえば


 ドガンッ


「ガフッ?!」

 悲鳴と共に床がヘコむ。ただ、今回悲鳴を上げたのは僕ではない。



●------------------------------


「「「なっ?!」」」

 その場にいた誰もが我が目を疑った。絶対的な力をもつラグラフが、地に伏している。彼らにとっては想像すらできなかった光景だ。

「ね?」

 ただ一人、クシナダだけが当然と言わんばかりに胸を張った。

「い、一体何が」

 カグヤも驚きを隠せない。彼女の知る限り、ラグラフが戦闘中に両手をついたことなどなかったからだ。

 彼女たちの目には、先ほどまでと同じように攻撃を仕掛けようとしたラグラフが勝手に体勢を崩して床に叩きつけられたように見えた。

「クシナダ。タケルは、一体ラグラフ艦長に何をしたのですか」

「ん~、私もきちっと説明できるわけじゃないんだけど、彼のいた世界には色んな戦い方とか技とかあるらしいの。確か、ブジュツ? そういう名前。その中には、自分より大きい相手、例えば小柄な女性が大柄な男を倒すための技があるんだって。何か、相手の力を利用して倍にして返すことが出来るとか」

 アイキドー? サイキドー? そんな感じの名前だったと思うんだけど。とあやふやな記憶を引っ張り出すクシナダ。彼女の知識は、今のカグヤや、他にも戦いを見守る全員に届かない。

「カウンター、という事ですか・・・」

 カウンターならカグヤも知っている。ラグラフが使っている素手での戦闘術にも、攻撃してきた相手に合わせて拳を当てる技術のことだ。しかし、それは恐ろしく難易度の高い技術であることも理解している。何せ相手の攻撃に合わせるのだ。相手の攻撃の速度や軌道、入射角等、完璧に見切らなければカウンターを合わせることなどできないからだ。そんなことが出来るのは達人、それでもあの速さに合わせることなど容易ではないだろう。

「もしや、これまでの攻撃を受けていたのはワザとか?」

 不意にプラトーが言った。その意味を、カグヤは頭では理解したが、受け入れることなどできなかった。あの一発でも貰えば死ぬような一撃を受け続けたのは、ラグラフの攻撃の癖を見抜くためだとでも言うのか。だが、見抜けばカウンターを合わせることが可能とは彼女の知識が弾きだした彼女の答えだ。

「ま、まぐれだ」

 兵士の一人が、自分に言い聞かせるように言った。

「そう、だよな」

 その声に、呆然としていた兵士たちが我に返る。

「偶々だ。あの速さを人が捉えられるわけがないんだ」

 その言葉を肯定するように、体勢を立て直したラグラフがタケルにラッシュをかける。再びタケルは防戦を強いられ、壁際に追い込まれていく。

「ほら・・・ほらな」

 安心したように兵士たちは顔を合わせ、笑顔を取り戻し


 ズガンッ


 その笑顔を凍らせる。ラグラフの身が壁に叩きつけられていた。


●------------------------------



「どうしたご老体。もうへばったか?」

 壁にめり込んだ半身を、ベキバキと掘り起こしているラグラフに声をかける。

「感謝してもらって良いぜ? さっきまで手を抜いていてもらった分、今は追い打ちしないでおいてやるよ。それとも、僕も言った方がいいのかな? 僕の味方になれって。その力、失うのは惜しいから、ってな」

「ならば、儂も先ほどの貴様のセリフ、そっくりそのまま返そう。ふざけるな、と!」

 再び突っ込んでくるラグラフ。視覚が何らかのでき事を知覚するまでの時間、反応速度は0.1秒かかると本で読んだことがある。ならば高速で移動し攻撃を繰り出すラグラフに対応することは不可能だ。0.1秒後には僕は殴り飛ばされている。ならどうするか。繰り出されるまでの体の動きを観察して、その後を想像する。こうなるであろう、ということを想定しておけば、対処できるということだ。そして、その想像は、自分に都合よく動くように手を加えることも出来る。例えば、今は、二度の反撃を警戒したラグラフがジャブでチクチクと攻めてきている。これに対してはタイミングを合わせるのが難しい。すぐに腕を引っ込めるからだ。この連打に対してはこれまで通り打点をずらしたり、外しきれないのは腕で弾く。だが、見た目は押されている、へばっている、と見せかける。実際に痛むし疲れているのは事実だから、演技をする必要はない。ただ、神経だけは尖らせておく。

 そんな僕を見たラグラフは好機、と目を光らせ、右ストレートを打ち込む。これが誘いだ。その右腕に合わせて、僕は左半身を引く。このまま腕を絡め取り、投げる。

「それは見たぞ!」

 ラグラフも一度喰らった技にかかる様な馬鹿ではないらしい。腕をカクンと折り曲げ、ひじ打ちに変更した。横に逸れた僕の顔をトレースするように肘先が円軌道を描く。

 対応してくるのも織り込み済みだ。

 迫る肘の下に潜り込みその肩に手をかける。同時に左足を払う。こうすれば、左足で独楽のように回ることになり、後は少し力を加えるだけで独楽は倒れる。

「だらぁっ!」

 ラグラフの顔面を右手で掴み、床に叩きつけた。今度は死に体ではない、自分と相手の勢いを乗せた一撃だ。ラグラフの体から火花が散り、金属が軋み音をあげてたわむ。かふ、とラグラフが空気を吐き出した。そこへ、今度は追い打ちをかける。

「調子に、乗るな!」

 振り降ろした左の拳が、ラグラフの手のひらで防がれた。ぐ、と掴まり

「ふぬ!」

 寝ころんだまま僕を払うように投げ飛ばした。何度かバウンドして、宙に浮いている間にうつ伏せとなり、四つん這いで着地。ずるずると足裏を削る。顔を上げると、ラグラフも立ち上がっているところだった。

「人の反射神経を超える速度を、どうして捕らえられる?」

 ふらつきながら、ラグラフが言う。僕に尋ねた、というよりは、自分の疑問が内心だけに留まらず、口に出たみたいだった。

「僕のいた世界では、こういう技を極めた達人は、相手の殺気を鋭敏に感じ取り、初見でも敵の攻撃を難なく躱すことが出来るらしい。どれほど速くても、攻撃が来ることが事前に分かってれば躱しようはいくらでもあるからね。僕はそこまでの域に到達できてないから、ある程度勘が頼りになる。それも普通の人間なら外すことが多いだろう。けど、あんたが相手なら話は変わる」

「どういうことだ」

「さっきから、どうも気にはなってたんだよ。あれだけの速さで、寸分狂いなく同じ個所を殴れるもんかな、って。同じ個所辺りを殴り続けるのは誰でもできる。けど、ピンポイントで同じ個所は止まってる相手でも無理。必ずわずかにズレが生じる。止まってても生物が絶対に静止するということは無い。呼吸、体重移動、僅かな身じろぎが生じるからね。けどあんたの攻撃は、それすら加味されたように同じ場所を殴れた。あんたが言うように、人間の反応速度を超える速さで、だ」

 半分は機械、だけど、半分は生身のはずだ。特に首から上は。たとえ目を機械化しても、そこから走る電気信号が脳に伝わり、そこから体に伝えるまでの時間でもうずれているはず。ということは、考えられるとしたら。

「マーキングでもしてるんじゃないのか」

 事前にレーザーポインターで命中させたい箇所を照射しておけば、後はミサイルがそこに誘導されるみたいに。奴は攻撃ポイントを殴る前に事前に決めてターゲットをロックしているのではないのか。だからこそあれだけ正確な攻撃が出来るのではないか。

「なるほどな。だから、儂の攻撃の軌道が知れているのか。正確にその道を辿るのだから、後はタイミングの問題という訳か」

 どうやら正解だったようだ。よかった、さっきからボコスカ殴られた甲斐があるってものだ。肉を切らせて骨を断つ、多少の傷なら治ってしまう呪い持ちでないと出来ない技だ。

「さて、宴もたけなわだけど、そろそろ終いにしようか」

 偉そうに解説しているが、結構疲れてきた。多分ラグラフもだ。目を凝らせば少しバチバチと漏電している。腕も押さえているし、左の足首が変な方向に曲がっている。お互い限界が近そうだ。

「そうだな」

 ぐ、と拳を見せつけるようにして作り、ラグラフが構えた。強引にねじまがった足を地面につけるさまは痛そうで直視できない。

「どうせばれているだろうから先に言っておく。次の一撃に、儂は全エネルギーを注ぐ」

 ブラフか? 本気か? 迷うところだ。頭は切れるが、戦い方は実直そのものだった。口先の策を弄するような人間には見えないが、そこは最後まで取っておく、ということも考えられる。

 ま、どうせ僕は受けて立つしかないんだけどね。考えるだけ無駄ってもんだ。

「受けて立つよ」

 ぴり、と空気が形を持ったかのように固まった。その中を小さな電流がちりちりと走り回るような緊張感。

 僕たちはそんな中を呼吸するのも忘れて互いを注視する。どんな細かい動きも見逃さないように。一瞬でも相手から集中を切らせたら、その瞬間に相手が自分の命を奪う。

 恐ろしく長い一瞬の間。

 不意に、カシャンと音が鳴った。何の音かはわからないが、おそらく、これまでの戦いで剥がれたか砕けたかした、この部屋の壁だろう。それが落ちたのだ。

 同時に動いた。

 僕は前へ、ラグラフも前へ一歩踏み出した。

 一瞬で間合いはゼロになる。拳を繰り出したのも同時。互いの繰り出された拳が円を描くようにして、互いの相手の顔面へと迫る。ヒットするの同時、かと思われた。

「っ!」

 僕の拳が空を切った。だが、相手の拳が僕に命中した様子はない。想定外に戸惑うも、一瞬。影が視界の端に映った。

 ラグラフは拳をわざと空振りさせ、その反動を使って天井にまで飛び上がっていた。そして、天井を蹴り、加速して落ちて来ていた。

 もらった。上を向いた僕は、相手の口がそう動いたように見えた。もしくは、相手の思考を読み取ったか、自分がそう思い込んだだけなのかもしれない。とにかく、完全に後手だ。こちらは空振りし、相手はこれから打ち込もうとしている。躱そうとしても奴はそのまま逃げた方向へ追いかけてくる。逃げ腰の一撃と攻めの一撃、どちらが強いかは解りきっている。

 このままでは負ける。だから、このままでいるつもりはない。

 ラグラフの一撃は僕が今の状態でいるときに一番威力を発揮するように計算されている。つまり身長百七十五センチの僕の顔面がベストポジション、一番力が増大する場所なのだ。だから、それをずらしてやる。やり方は、今まさにラグラフが示した。

 左足を軸にして回転、空振りした右腕をそのまま下へ、グーからパーへ変えて叩きつける。バン、と体が弾かれて上へ。

「なっ?!」

 ラグラフの目が驚愕に染まる。いかにサイボーグで、機械の処理能力があろうと、この0.1秒の誤差は対応できない。相対距離が瞬時にして変わる。今更拳を突き出しても遅い。僕は奴の中途半端な拳をかいくぐり、お返しに顎に頭突きを叩き込んでやった。ゴリ、と骨伝導が嫌な音を拾う。

 落ちてきたサイボーグの重量を覆すことはできず、そのまま巻き込まれて僕とラグラフは落下。派手な音を立てて一緒に転がる。

 しばらく痛みで悶えた後、僕はクソ重たい巨体を蹴り飛ばして自分からどかしながら立ち上がった。

 ラグラフは白目をむいて動かなかった。

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