第76話 求め、惹かれあう力

 宇宙に来た。

 一言でいえばたったそれだけのことだが、それだけで事足りる。言葉は特に必要ない。僕の少ないボキャブラリーでは、今の僕の気持ちを表すことはできない。出来るのは、僕が乗っている機体は小型のくせに重力制御が出来るので無重力感がなくて残念だった。それくらいだ。その裏では体の内側で名状し難い何かが振動し湧き上がり背中から頭のてっぺんに向かって這いずり上がってくる。

「凄い・・・」

 クシナダは気づいているのだろうか。さっきから彼女はそればかりを口にして、外に魅入っていた。だが気持ちは分かる。大いにわかる。おそらくこの瞬間、この感情を分かち合えるのは僕と彼女だけだろう。

 青い球が真っ暗な空間に浮かんでいる。たったそれだけの話なのに。

「こちらRX‐004。着艦許可を願います」

 操縦席でアトランティカの兵士が母艦に連絡を取っている。そちらの方に視線を移せば、うすぼんやりと巨大な戦艦が見えた。あまりに巨大で全貌がしれない戦艦の壁がゆっくりと開く。道を示すランディングライトが見えた。あそこに着陸しろという事なのだろう。

 近づくにつれて入り口が近づく。僕が乗っている機体が横に十台位並んでも悠々着陸できるほど広い。機体は滑るように滑走路に入り、ゆっくりと着陸した。同時に、体が少し浮いた。重力制御装置が機体の停止と共に止まったせいだろうか。ただ、ゆっくりと床に足をつけることが出来たので、まったく重力がないと言う訳ではないらしい。

 見計らったように、後ろの入り口が閉まり始めた。腹の底に響くような重低音と同時に、天井のライトが点灯し辺りを照らす。

 操縦席にいた兵士が立ち上がり、僕たちの方に近寄ってきた。縛られている腕を掴んで立たせた。クシナダにも同じようにする。

「行け」

 兵士が促す。大人しく従い、機体の出口を目指す。

 自動で開いたタラップを一段一段降りていく。降りた先には数人の、同じような服装をした兵士が数人ほど待機、整列していた。

「ハワード。こいつらが?」

 列の真ん中にいた兵士が尋ねる。おそらく彼らの中でも上官みたいな立ち位置の人物だろう。僕らの後ろで兵士ハワードは首肯する。

「はい。事前に連絡差し上げました通り、こいつらが破滅の火を持っていることに間違いはありません」

「なら、なぜこいつごと連れてきたのだ? 奪い取ってしまえばよかったではないか」

「それが・・・この男の方なのですが、何を血迷ったか、我々に驚いて破滅の火を飲み込んでしまったのです」

 全員が目を真ん丸にして驚いた。

「の、飲んだぁ?!」

 素っ頓狂な声を上げる上官に対し、ハワードは困ったように「はい」と頷く。

「殺し、腹を割いて持ってくることも考えたのですが、いかんせん傷つけてしまっては怖いので、ラグラフ艦長のご指示を仰ごうかと思い、連れてきた次第です」

「うむ、そう言う事情なら仕方あるまいな。しかし、それならこの男は分かるが、なぜ女の方まで?」

「いや、それがこれまた妙な話なのですが、この者たちの話ですと、あの星のツガイとなった男女には何らかのパスが形成され、エネルギーを循環させるらしいのです。精神力というか、目に見えない、精神上のネットワークが作られると。だから、一人の体調がすぐれないと、もう一人がその不足している栄養やエネルギーを分け与えることで体調などを一定水準以上に保つことが出来るらしいのです」

「? そんな話聞いたこともないが、まあ、広い宇宙だ。そういう性質を持つ生物がいてもおかしくは無いだろう。だが、それとこれがどう関係する?」

「はぁ。自分としてもこいつらから聞いた話をそのまま話しているので要領を得ないのですが、どちらか一方が不慮の事故で死んだりすると、もう一人にも大きな影響を与えるらしく、仮に女の方を殺してしまうと、男の方もタダでは済まず、当然体内にある破滅の火にも影響が及びます。女の方はおいてきてしまった場合も、破滅の火を摘出する前に事故などによって死ぬなどのリスクがあること、男の方の精神面にかなりのストレスをかけることになる。それもこいつの中にある破滅の火にはよろしくない。従って二人ともまとめて連れてきた次第です」

「なるほど、状況は理解した。ではすぐさまラグラフ艦長のもとへ行くと良い。・・・そう言えば、お前と一緒に向かったダレスや、同じ星に降りたはず者たちはどうした? 機体の反応が消えたので、機体はティマイオスとの交戦で撃墜されたのか?」

「はい。ただ撃墜する前に脱出できていたらしく、全員が無事なのをこの目で確認しました。無事だったのが自分が乗っていた機体だけだったので、先にこいつらを運ぶために、連中にはあの星に残ってもらっています。申し訳ないのですが救助艇の派遣をお願い致します」

「分かった。それはこちらでやっておく」

 上官が部下たちに指示を出しながら遠ざかっていく。

「よし。ではお前たちはこっちだ」

 ハワードが僕たちを先導する。

「ねえ、さっきからなんだか体がふわふわするんだけど」

 小声でクシナダが耳打ちしてきた。

「重力がないからだよ」

「重力?」

「ん、僕も辞書で見た程度の知識ではあるんだけど、確か、物には他の物を引っ張る力があるんだ。実は、僕にも、クシナダにもその力はある。けれど、その力は物が大きければ大きい程強くて、僕らくらいの大きさだと全く感じない。で、僕らが暮らしていた大地、惑星にも当然その力はあって、とてつもなく強い。だから僕たちは、あの星にいた頃は大地に足をつけていたわけ」

「惑星、に引っ張られてたから?」

「そう。でも、その力も宇宙までは届かないから、無重力、体が地面に引っ張られなくてふわふわしてる状態なんだと思う」

「へえー」

 感心した様にクシナダが足で弾む。少しの力でふわりと浮かぶ感覚が楽しいらしい。

「楽しいけど、でも、やっぱり重力って大事なのよね」

 一通り楽しんだ後、彼女は何か納得したようにしみじみと呟いた。

「そりゃあ、まあ大事だと思うよ。重力がある場所で生きてきた僕らにとっては。今まであの重力化で生きてきたから不便なことの方が多いと思うし、この無重力状態から惑星に戻ったら、僕らの体は大変なことになる。重力ってのは負荷だから。足や腰は、重力がある状況下では体の重さを支えるための筋肉がある。けど、無重力ではその体を支える必要がない。その必要ない環境に体が慣れようとする。で、また重力が戻ると、その分の力が無くなってるから疲れる」

「あ、いや、そんな小難しいことを言いたいんじゃなくて」

 それも大事なんでしょうけど、とクシナダが言う。

「だって、重力って物が引っ張り合う力なんでしょ? それが誰にでもあるってことは、私たちって誰かを必要としてるから、そういう求める力があるってことよね? 体が必要としてるから力が生まれるんでしょ?」

 彼女のその言葉に、僕は心底驚いた。ハワードすら驚いてクシナダの顔をまじまじと見たくらいだ。

 小学生の教師が子どもの解答で驚くという話を聞いたことがある。

 雪が溶けると何になりますか? という問いに対して、ほとんどの子どもは水になると答える。けれど『春になる』と答える子どもがいるらしい。

 僕は今、まさにそのレア解答、模範解答ではないのだけれど間違いではなくむしろ将来が楽しみな子どもに出会った教師と同じ気分だった。

「え、何? 何かおかしいこと言ったかな?」

 自分の考えが的外れだと思ったクシナダが恥ずかしそうに顔を赤らめた。

「いや」

 そして、おそらく僕は模範解答よりも面白い答えの方に重きを置く人種だ。かぶりをふって、彼女の答えを認める。

「何一つ間違っちゃいないよ。あんたは正しい」

 求めるから惹かれあう。

 そうだね、物事のトリガーはここから始まるんだろう。それはいくつもの顔を持つ。愛という人もいれば、欲望という人もいれば、願いという人もいる。

 音もなく分厚いドアが上下に開いた。学校の教室位の広さの部屋の中に、銃を携えた兵士がずらっと並んでいる。奥に行けばいくほど、兵士の着ている服の色が変わる。手前は白で、黄色、オレンジ、赤、緑、青だ。おそらく階級の違いを色で表しているのだろう。その服を見れば、ついている飾り、階級章みたいなものが増えていく。奥に行けばいくほど偉いさんというわけか。奥には跪かされたカグヤ、プラトー、ネイサンがそれぞれ並び、後頭部に銃を突きつけられている。

 その横に大柄な、明らかにそこら辺にいる兵士とは一線を画す、五十代くらいの威厳と風格とただ一人黒い軍服を纏った男がいた。おそらくこいつが、この艦の中でも最も偉い男、ラグラフ艦長だろう。ハワードに小突かれるようにして僕とクシナダはその男のもとに押し出された。

「ハワード、ご苦労だった」

 ラグラフは体格に似あった野太い声で部下を労わった。ハワードは硬い表情で敬礼を返す。

「さて、報告ではこの男の方が破滅の火を飲み込んでしまったということだが」

 それを聞いて、カグヤたちが「はぁ?!」と揃って声を上げ、立ち上がりそうになって押さえつけられた。

「はい。無理矢理取り出すのも恐ろしかったので、本人ごと連れてきました」

「そうか。確かに扱いは丁寧に、と命じられていたからな」

 どうしたものかな、と顎をさするラグラフ。その横で、プラトーが押さえつけられたまま呻いた。

「何で捕まっておるのじゃ! 姫様の決断や我らの苦労が全て無駄ではないか」

「そう言われてもな。捕まってしまったもんはしょうがない。そうだろ? だいたいあんたらだって捕まってるじゃないか。確か艦を囮にして爆破するとかなんとか言ってなかったっけ?」

「それは・・・それじゃ! 別問題じゃ!」

 それはそれ、これはこれ、か。そう言われては反論のしようがないね。だったら、これから僕がやろうとしていることも別問題ってことで文句は言うなよ?

「タケル、あなた・・・」

 僕の様子を不審に思ったカグヤが呟く。

「あんたたちの間違いを訂正してやろうと思ってさ」

「私たちの間違い?」

「そう。あんたらはもうアトランティカに味方はいないと思ってる。確かに表面上はそう見える。けれど、彼らも迷ってるんだ。人間の感情はそう簡単に敵味方を切り替えられないんだよ」

「そこ、何を喋っている!」

 ナンバー4くらいの立ち位置のおっさんが見咎めた。

「何、と言われても、大したことじゃないよ」

「言え。黙っていると生きたまま腹を掻っ捌いくぞ」

 脅されてしまった僕は、怯えながら答える。

「予行演習だ」

「予行演習?」

「そう、予行演習。リハーサル。意味は伝わっているかな? 本番前に行う練習みたいなもんなんだけど」

「そんなことは分かっている! 一体何の予行演習だというのだ!」

 イライラしながらナンバー4(仮)は先を促した。

「それは」

「それは?」

 たっぷりと焦らすように間を取って、息と共に言葉と敵意を相手にぶつける。

「ジョージワード暗殺の、だ」

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