第75話 逃走の果て

「姫様、考え直してはもらえないのですか」

 何度目かわからない問答になる。答えも変わらないだろうし、意志も曲がらないだろう。そんなところは母君にそっくりだと、プラトーは嬉しくも今ここで一番厄介なところが似なくても、という複雑な心境だ。

「何を今更。プラトー、あなたも最後には納得して、私に協力しているではありませんか」

「ええ、そうですね。ご自身のこめかみに銃口を押し付けながら脅されれば、頷かざるを得ないでしょう!?」

 無鉄砲は若き日の父君譲りだ。その隣で支え続けたプラトーは気苦労が絶えなかったあの日を思いだす。

「それに、先ほども説明しましたが私は死ぬつもりはありません。程よく逃げたところでこっそりと脱出艇で逃げ、遠隔操作で船を爆破します。彼らも、私が艦を捨てるとは思わないはずです。レムリアに帰る手段を失うことになるわけですから。私のような世間知らずで箱入り娘は、原始的な生活なんて死んでも嫌だ、しがみついてでも文明は手放さないはず、と思っている事でしょう。そこが狙い目です。爆破した後は、再びあの星に戻ればいい。一度逃げた星に戻ってくることも考えないでしょうし」

 理想としては、ですが。心の中でカグヤは付け足した。最悪の場合、プラトーたちを強制的に脱出させ、自分一人で使命を果たすつもりでいた。そのために、艦の管理権限を自分のアカウントのみにこっそりと変えておいた。これでいつでも二人を脱出ポッドに隔離し、逃がすことが出来る。

 だが、あくまで最終手段だ。彼女は使命感は強いが、同時に何としても生き延びようとする意志も持つ。そう簡単に自分の命を諦めてしまっては、自分を逃がしてくれた両親を始め、守ってくれた兵士たちに申し訳が立たない。最後の最後まで生きるつもりでいる。

「それで、本当によろしいのですか」

「もちろんです。まあ、故郷が懐かしくないと言えば嘘になりますが」

「そうではありません。そんなに簡単に、自らの血を、アトランティカを捨てられるのですか。今アトランティカは、国を守ってきた王家を殺した男が握っているのですぞ。どんな横暴を働くかわからないのです」

 その言葉に、心がぐらつかないわけはなかった。カグヤは瞳を閉じる。瞼の裏には、宇宙でも指折りの美しさを誇るアトランティカの街並みが浮かぶ。その景色を王城の最上階から家族揃って眺めることは、もう二度とできない。

 その誘惑を、彼女は振り切って答える。

「・・・民には、辛い思いをさせることになるやもしれません。けれど、それでもあれは守らなければならないのです」

「破滅の火、ですか」

 カグヤは頷く。

 アトランティカ王国建国以前より存在するとされる秘宝。この宇宙を想像した『神』の力が封じられている、または、『神』自体が封じられていると言い伝えが残っている。正しき者がその力を振るえば宇宙に永久の平和と繁栄をもたらし、邪悪な者が振るえば混沌と破滅をもたらす、と。

 カグヤたちはもちろん言い伝え、『神』の存在を信じている。科学が発達すればするほど、この世の理を解明すればするほど、それでも解明できない、分からないことが何がしら存在する。破滅の火のように解明できないことは解明できるまで神の領域となるのだ。だから、私利私欲で破滅の火を利用しようとするジョージワードに破滅の火を渡すわけにはいかなかった。

「レムリアに住まうアトランティカの民と、全宇宙の民。秤にかけるべきではない、かけられるものではない。しかし、確立として考えれば、アトランティカの民が生き残る確率が高いのは後者を選択した場合です。どれほど苦しくても、種が残っている限り、民はたくましく生きていってくれると信じています。全てを奪われた私に出来る事は、せめて彼らの未来を閉ざさせないために全力を尽くすことぐらいなのです」

 ティマイオスが大気圏を脱出した。同じタイミングで、敵戦闘機から奪っていた宙図と自分たちの宙図のマージ作業が完了し、一つの宙図となった。これで現在地とレムリア星系までが判明する。

「これはまた、遠くへ来たものね」

 思わず苦笑が漏れた。一億二千万光年。言葉にすればたったそれだけだが、宙図で見ると本当に端から端だ。二度と戻れない母星。

 振り払うようにして宙図をスクロールさせる。これから向かうのはさらに未開の地。追ってこないなら追ってこないで、そのまま逃げるだけだ。

 恒星の横を通り過ぎながら、地図もない暗黒を見据えていると、けたたましいアラート音が鳴り響き、モニターにはエラーが大量に吐き出された。

「何?! ・・・まさか」

 果たして、彼女の危惧通りだった。突如として艦を襲う衝撃。保たれていた重力制御機能が一瞬失われ、体が浮かぶ。それもすぐに復旧し、三人は床に転ぶ。艦は、彼女らが大勢を整える間もなく被害状況のログをバグのように吐き出し続ける。

「右舷後部に着弾を確認! 空気が漏れ出ています!」

 ログから現状を確認したネイサンが読み上げる。

「区画を封鎖、被害を食い止める!」

 プラトーがすぐさま行動に移した。端末に表示される艦の区画状況では、後方にある三つの区画が赤くなっていた。プラトーが操作すると、赤は灰色に塗りつぶされる。防護シャッターが下りたのだ。

「全速力でこの宙域から離脱します!」

 何が起きたかなど調べるまでもない。カグヤは艦のエンジンの出力を全開にした。急激な加速に体に負荷がかかるが、そのことすら気にしている余裕がない。カグヤは端末を操作し、後方映像をモニターに表示させた。そこには、暗闇に白く浮かびあがる無数の戦闘機と、その背後から迫ってくる、ティマイオスすら容易に収納できるほど巨大な母艦が浮かんでいた。なぜ気づかなかったのか。答えはクシナダが戦闘機に警戒されずに接近できた理由と同じだ。センサーに反応しない、エンジンを止めていたからだ。センサーはエンジンが発するある一定値以上の熱源に反応する。それ以下の熱には反応しない。カグヤたちが通る場所にあらかじめ布陣し、息ならぬエンジンを殺して待っていたのだ。

「ネイサン! ワープは?!」

「まだ無理です! 必要なエネルギーがチャージできていません!」

 その会話の間でも、無数の光の筋が艦を掠めていく。

「プラトー、後部シールドの出力は!?」

「まだ持つ、と言ったところです!」

 つまり、長くは持たない。

「振り回します! 掴まっていて!」

 カグヤはそう言って艦を急下降させる。ただ真直ぐに下降させるのではなく、上下左右につけられた補助用のサイドスラスターを噴かし、不規則な軌道を描く。でたらめに動かしているように見えて、予測計算の上に成り立つ操縦術だ。巧みに砲撃の合間を縫うようにして艦は飛ぶ。王族だからといって全くの箱入りのわけではない。むしろ王族だからこそ、万が一に備えて様々な技術を教え込まれる。その中で操艦技術はカグヤの性に合っていたらしく、エースと呼ばれる上位数%の兵士たちに引けを取らない腕前を誇る。巨大な艦を手足の如く自在に振り回し、針の穴を通すかのような繊細な操艦で砲弾の雨の中をくぐりぬける。

 彼女が目指していたのは無数の小惑星が集まって帯のようになっている小惑星群だ。ティマイオスよりも壁の薄い戦闘機がここを通ることは自殺行為に等しい。戦闘機さえ振り切ってしまえば追いつかれることは無い。母艦のスピードではティマイオスには追いつけないからだ。

 そして、そろそろ準備を始める頃合いでもある。この小惑星群はカグヤの作戦を行うに当たってうってつけの場所だ。ここであれば、小惑星に隠れて脱出ポッドを射出することができ、加えてティマイオスの自爆を操作ミスにより小惑星に衝突して大破、という事故に見せかけることが出来る。

「姫様、ポッドの準備はできております!」

 指示するより早く、苛烈なGに耐えながらネイサンが準備を進めていた。さすが、と称賛の声を発する余裕がない。頷きだけを返す。

 カグヤの前に、小惑星群が近づいてきた。小、という言葉がつくが、それこそ惑星と比べて、という意味に違いない。大きさはさまざまで、中には追ってくる母艦と同等クラスの岩石の塊まで存在する。それが、群を成し、幅が九千万キロもある巨大な帯となっている。あの中に逃げ込めば。その一心でカグヤは艦を操縦する。距離にしてもう十キロ。数秒もかからない距離だ。相対距離を示す数値がみるみるうちに減少し、そしてついにゼロとなった。

「よし・・・!」

 声と表情に喜びが滲み出た。後は脱出し、機を見て艦を爆破すれば・・・

「!? 姫様! 罠です!」

 プラトーが声を張り、カグヤが艦を急停止させたのは同時だった。

 突如として周囲に浮かんでいた小惑星群のあちこちから赤い線が伸びた。それらは小惑星群同士をシナプスのように繋ぎ、六角形の面を形成した。ティマイオスは無数の六角形の面の内側に閉じ込められる形となる。ただの線ではない。一本一本が強力なレーザーで形成された檻だ。

『相変わらず見事な腕前です。カグヤ姫』

 突如として艦内に男の声が響いた。画面に、口髭を蓄えた偉丈夫の上半身が映る。強引にティマイオス内のネットワークに入り込み、通信を行う彼こそが、今背後から迫る母艦の艦長であり、アトランティカ王国の将軍ラグラフだった。

『姫の腕前とティマイオスの性能が合わされば、たとえ待ち伏せし、不意を突いたとしても撃墜は至難の業。生け捕りなど不可能だ。だから一計を案じた』

 しまった、と自らのミスを悔いた時にはもう遅い。ラグラフはワザと包囲網に穴をあけたのだ。この小惑星群に追い込むために。おそらく、カグヤの立てた作戦も見抜いているに違いない。だから脱出ポットすら逃げ出せないような檻を作ったのだ。

『もう逃げられません。姫、投降してください』

「お断りします。私を捕らえたければここにおいでください。将軍」

 悔しさと無念さを意地でも表には出さず、威厳を持ってカグヤはかつての操艦の師と相対する。

「共にアトランティカ王家に忠誠を誓った男が、よもやジョージワードなどに与するとは、嘆かわしい話だな。ラグラフ」

『プラトー』

「気安く呼ぶでないわ。売国奴めが。一体いくらで王を売った」

『時勢を読めぬ愚か者に、何を言っても通じまい。大人しく姫を連れて来い。それがお前と、姫の為でもある』

「自分の為だろうラグラフ! ジョージワードに破滅の火を取ってこいと命じられたのであろう! 誇り高き軍人の鑑だった男が飼い犬に成り下がったか!」

『・・・そうだ。それを持ち帰るのが儂の任務だ』

「はいそうですかと、大人しく渡すわけにはいきませんね」

 緊張で汗ばむ手のひらを隠しながら、カグヤは言った。

「悔しい話ですが、見事に将軍の策略にはまった私たちとしては、後は破滅の火こそが最後の切り札です。これを奪われたが最後、私たちに価値は無くなり、殺されてしまうかもしれません。ならば、今ここで捨ててしまうも一興」

『破滅の火を、アトランティカの秘宝を捨てると仰るか。姫』

「ジョージワードの手に渡るくらいならば、消えてしまった方がましです。貴方も分かっているはずです。破滅の火に秘められた力を。それが悪用されれば、どのような災厄が降りかかるかも! 貴方は、貴方の御子息の命を奪った戦争を再び繰り返す気ですか!」

『・・・それは、姫の偏見ではないですかな。もしかしたらジョージワードは、伝説にある正しき者、この世に平穏をもたらす運命を背負った男かもしれませぬぞ』

「本気で言っているのでしたら、将軍の見る目のなさを悲しく思います」

『どう思っていただいても結構です』

 ラグラフが視線を横に向けた。何らかの命令を下したことは明らかだ。

「っ、結局は力尽くですか将軍! ならば最初に乗り込んできた者には一番槍の誉れと私とともに宇宙の塵となる栄誉を授けましょうか!」

『艦を自爆させる気ですか? 正気とは思えませんな』

「そうでしょうか。爆発の影響でどこに破滅の火が飛んでいくか楽しみですね。もしくは、エネルギーが暴走してここら一帯を消滅させるのか」

『無駄なことはおやめなさい』

「無駄かどうか、試してみますか」

『試さなくても、そこに、破滅の火がないことは既に分かっております』

 カグヤの表情が凍りついた。作戦のカギはこちらが破滅の火を持っていると思い込んでることにある。その前提が崩れたら意味を成さない。

「ハッタリです」

 小声でネイサンが告げる。そうか、鎌をかけているのか。ならばまだやりようが

『ハッタリだと思いますか? ならば、今我が艦に向かって戻ってくる戦闘機内の映像を送りましょう。それを見てから、儂の言っていることの真偽を測るとよいでしょう』

 モニターの隅に、新たに映像が映し出された。それを見たカグヤたちは、今度こそ絶句した。

 そこには、後ろ手に縛られたタケルとクシナダの姿が映し出されていたからだ。

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