第66話 奇跡を生み出す者
シナイ隔離病院閉鎖。
そのニュースは世界中を震撼させた。
これまでどれだけ強力な能力者であっても、一人の脱出も許さなかった監獄が、脱出者を出した。また別のニュースでは、真っ二つに割れた海の底を、一台のトラックが大手を振って走っていくところを生中継で映し出していた。
人間は能力者に勝てる。それが、能力者が存在するマステマという世界の平穏を維持していた。人間は自分よりも下、弱い立場の存在がいるとわかれば安心できるからだ。だがその事実が覆されようとしていた。
古来より、人間は自然に翻弄されてきた。いかなる技術を持とうとも、自然災害によって大きな被害を受けてきた。
自然を屈服させてしまう能力者に、人間は勝てるのか。映像を見ていた誰もが同じ考えを抱いた。
また、その生中継の音声が途中でジャックされた。おそらく、トラックに乗っていた能力者の能力だと思われている。
『あー、聞こえるか、世界中の自称普通の、善良な一般人諸君。こちら、えー、チャールトン・ベール、今、お前らが見ている光景を創りだしてる者だ。俺たちは今、まさに、攻略不能と言われたシナイ隔離病院を脱出してきた。つまり今日、お前らの安全神話は崩壊した。おそらく今、目の前を走るトラックを爆撃なりなんなりして自分たちの力を見せつけようとか? 安全であることをアピールしたいと思ってる、自称世界の平和を維持している連中がいるかもしれないが、一応善意から止めておけと忠告してやる。金の無駄だ。俺の力が海を割るだけだと思ったら大間違いだぜ。どんなことが出来るかは想像にお任せするが、嘘だと思うなら試しに撃ってみな。そのことごとくをねじ伏せてやる。あ、そうそう。もう一つ。俺は、ここで一体何が行われていたかを全て知っている。詳しく話しても構わねえが、それだとその自称世界の平和を維持している連中の中から社会的に抹殺されちゃう奴がでるなあ。シナイ病院の狩猟クラブ会員様、とでも言えばわかるかな? バラされたくなきゃ、このまま他の連中を押さえとけ。お前らが殊勝な態度でいるのなら、こちらも交渉の席に着く心の準備くらいはしてやる。繰り返すが、妙な真似は止めておけ。こちらには相手の考えを読める能力、電波をジャックする能力、その他もろもろの能力がある。いつでも、お前らを疑心暗鬼の人狼ゲームにご招待することもできるし、問答無用で全滅させることも可能だ。
だいたいさ、お前ら頭悪いんじゃねえの? 能力者は日に日に増えてる。後天的に能力に覚醒する者も少なくない。ってことはだ、いずれ人間は何らかの能力に目覚めるってのが当たり前になる。能力者はマイノリティからマジョリティに変わる。いずれ、必ず。その時、今能力者は危険だと思っているお前らの常識は覆される。ビジネスは勝ち馬を予想して乗るのが常套手段だが、今のお前らは、勝ち馬に乗れていると言えるかな? 汝隣人を愛せよ、なんぞ口が裂けても言えねえが、いずれ自分の身に降りかかるかもしれない火の粉は、今のうちに身の回りから火元を無くしてしまうことをお勧めするね。じゃ、世界中のお偉いさん。良い返事を期待してるぜ? 忘れるなよ。世界中のどこにでも、俺の目と手は伸びているってことをな」
この放送の三日後、マステマの政府は、能力者に対する迫害を止め、普通の人間と等しく扱う法律を制定した。また世間も、今までの反能力者の姿勢を百八十度変え、誰も彼もが能力者も同じ人間、同じ仲間だと声高に叫びだした。
「そして、世界は少し変わった、か」
感慨深げにヤスじいは呟き、窓の外の空を見上げた。
あの脱出劇から一年。彼らのもとには、今まで世間から身を潜めて生きてきた能力者たちが次々と集まり、一つの街を形成するまでになった。世間では迫害や偏見は見た目上は無くなってはいるが、それでも生き辛いのは相変わらずらしい。表面上は仲良くしていても、やはり世の中の人間の心から能力者に対する恐怖と嫌悪は色濃く残っており、それをどうしても能力者側、特に子どもの能力者は鋭く感知してしまう。表面と中身のギャップに参ってしまった能力者たちは、自然とヤスじいたちのもとに集ってしまったのだ。
それはどうしようもない。こればかりは長い時間をかけて少しずつわだかまりを溶かしていくしかなかった。ヤスじいたちは、小さな診療所を開き、心と体のケアをする傍ら、新しく訪れる能力者たちの住まいや職の世話、僅かながらも生まれ始めた偏見のない人間との交渉など、多岐にわたる仕事をこなしていた。
だが、いつか溶ける日が来る。ヤスじいはそう確信している。
「おいこら、爺」
物思いにふけるヤスじいを、ぶっきらぼうな声が呼ぶ。振り返ると、腕組みした百々瀬がいた。
「こんなところで何サボってやがる」
「サボっているのではない。一息入れておるのじゃ」
「どう違うんだよ」
「サボるのは、仕事を放棄することじゃ。一息入れるのは、仕事を効率的に行うために、疲れた体を一時休ませるためのものじゃ。お主だって、長く走れば疲れて一度立ち止まるじゃろう? それと似たようなもんじゃ。多くの仕事を行うために、少しの休憩は大事なんじゃよ」
「屁理屈こねてんじゃねえ。てめえそう言ってさっきも茶ァしばいてたじゃねえか」
「バレとったか」
「バレてんだよ。おら、二息も入れたんだからさぞかし効率的に仕事すんだろうな?」
「お主は老人を労わるということを知らんのか。まったく、嘆かわしいことじゃ」
「うっせえ。俺の中では性別によって診断時間を変えるような爺は労わる老人のカテゴリに入らねえんだよ」
「心外じゃな。そんな不公平なことしとらんぞ? 儂が女性の時だけ長く時間を取るようなエロ爺に見えるか?」
「ほう、そうかい。じゃ、今待合室にいるあどけない顔してるくせにバスト九十を超えてそうなナイスバディの十九歳はサレムに任すか。擦り傷だけっぽいし、簡単な消毒くらいならあいつでも大丈夫だろ」
「あいや、待たれよ。小さな傷といっても馬鹿には出来ん。きちんと、儂が慎重に診てしんぜよう」
すたこらとヤスじいは戻っていった。
エロ爺が、と悪態をつきながら、百々瀬は口の端を吊り上げる。嘘はついてない。バスト九十を超えるあどけない顔した十九歳であることに間違いはない。ムッキムキのナイスバディで筋肉キレまくりの男なだけだ。
「モモセさん」
入れ替わりにサレムが現れた。
「ヤスじいはいました?」
「おう。今、十九歳の傷ついた少年の心と体をケアしに行ったぞ」
遠くから「騙したなモモセェ!」と血の涙を流してる様がありありと浮かぶような慟哭が響いたが、百々瀬は無視した。
「で、何か用かよ。ようやく、俺が元の世界に戻る方法が見つかったか?」
「残念ながらそれはまだ。代わりに、政府側の交渉団の方が、間もなく到着するそうです」
「なんだよ、またあのタヌキ爺どもの相手を俺にしろってのかよ」
「お願いします。どうしてもモモセさんにも同席してほしいのです。幾ら理解者が増えつつあるとは言っても、まだ少数。訪れる交渉団も、大多数の能力者に対して否定的な人たち、あるいはその息がかかった者たちです。我々の中で、彼らの思惑を見抜けるのはモモセさんしかいませんから」
「あのな。そろそろお前らだけでそういうの回す事考え始めるべきなんじゃねえか? そりゃ俺も、あの威張りくさって上から目線で話ぶち込んでくる奴らの鼻を明かすのは嫌いじゃない。痛快なのは否定しねえ。けどな、もともと俺は部外者も部外者、別世界の人間だ。お前らが脱出するので依頼は完了。さよならバイバイなんだよ」
「それさあ、そろそろ諦めたら?」
サレムの後ろから、イスラがニヤニヤと意地悪い笑みを浮かべながら現れた。
「あんたそれずっと言ってるけど、全然実行するそぶり無いじゃない。あれでしょ、口ではいやだいやだと言いながら、案外ここでの生活気に入り始めてんでしょ」
「ば、バッカ野郎! んなわけあるかよ!」
「またまた、そんなこと言って。あんたさ、自分の街での評価知ってる?」
「あ? そんなもん、あれだろ。怖い、とか近づきがたい、とか、そういう奴だろ?」
「ブーッ! 大外れ!」
イスラは体の前で手をクロスさせて罰を作り全否定した。
「悪党演じてるとこ悪いんだけど、街の人たちの評価すこぶるいいわよ。例えば『口は悪いけど最終的には何とかしてくれる』『素直じゃないところがカワイイ』『なんだかんだ言って結局助けてくれる最高のヒーロー』とかよ?」
「う、嘘だろ? それどこの統計だよ。どうせ面白意見ばっかり寄りぬいたんだろ?!」
「ざんねーん。大多数の意見ですぅー。私としては正直あんたのことなんかどうでも良いけど、こんなに皆に好かれて必要とされてんだから、ずっとここに居れば? ねえ?」
イスラが話を振った先、そこには満面の笑みでヘッドバンキングしているエルの姿があった。
「ずっといてよ! そしたら、わたしがモーセさんとけっこんしてあげるから!」
「何でてめえも上から目線なんだよ!」
「だって、ぜったいわたし、いい女になるわよ?」
ほらほら、と、どこで覚えたか、エルは右手を後頭部に、腰に左手を当てたセクシーなポーズでウインクした。
「おかいどくよ?」
「うっせえ! 誰だこいつにこんなしょうもないこと教えたの! ますますクソガキになりやがって。一年前のしおらしく「もう死ぬんでしょ」とかぬかしてたガキはどこ行った!」
半年前がエルの寿命のリミット、のはずだった。だが、彼女は今もこうして生きており、どころか、以前よりも元気になっていた。
半年前、全然弱っていく様子のないエルを嬉しく思いながらも首を傾げながら、再びヤスじいが精密検査した結果
「毒が・・・寄生木の毒が・・・・消えておる・・・・」
驚愕に目をひん剥いた。
「どういうこと?」
イスラの問いもヤスじいの耳には入らない。肩を揺さぶられて、ようやく我に返る。
「エルは、どうなったんですか?」
心配そうな声で尋ねるサレムに、ヤスじいは、何度か深呼吸して答える。
「エルの体に蓄積していた、寄生木の毒がすっかり消えておる。寄生木の毒が消えるなど、儂も初めてじゃ」
「そ、それは、つまり」
サレムの胸に広がる期待。それを後押しするように、ヤスじいは深く頷いた。
「うむ、あの子がもう、毒で苦しむことは無い」
その言葉に、サレムは泣いた。彼はようやく、涙を流すことを許された。その涙が暖かいものであるというのは幸せなことだ。サレムの肩を抱きながら、自分も流れてくる涙をぬぐうイスラ。ヤスじいもそんな二人を見て、自分が言った言葉がようやく自分が理解できて、実感が込み上げて来た。
「しかし、何故こんなことが起こったのか、が謎じゃのう」
「そう、ですね。たしか寄生木の毒って、絶対解毒できなかったんですよね?」
泣きやんだ男二人が、真っ赤な目をしながら首を捻っていた。すると、二人の言葉を聞いていたイスラが、ふと何かに気付いたようにポンと手を打った。
「もしかして」
「? どうした、イスラ」
「ヤスじい、もしかして、あいつのせいじゃない?」
「あいつ、もしかして、モモセのことかの?」
「そうよ。確かヤスじい、言ってたわよね。あいつの能力は割れる、って」
「確かに。よもや海まで割れるとは思わなんだが」
「そのほかにも、何か色々言ってたわよね。確か、分解、とか分割とか」
「確かに言ったの。・・・え、嘘じゃろ?」
ヤスじいも言葉からその考えに行きつく。サレムだけが一人、何もわからずに二人の顔を見比べていた。
「二人とも、もったいぶってないで教えてよ」
「え、ああ、ごめん。でも、あまりにご都合主義というか、ねえ?」
「そうじゃな。いや、むしろ必然というべきか。なぜなら、彼はエルの王子様なのじゃから、それくらいできて当たり前、というか」
「それって、モモセさんの力ということですか?」
イスラとヤスじいが頷く。
「あの男の力は割れる、という言葉の類義語に当たることも出来るということかもしれんのじゃ」
「割れる、分解する、分割する・・・まさか、モモセさんが毒を分解したってことですか?!」
「そうかもしれないってこと。嘘みたいな話だけど」
「しかし、そうとしか思えんのじゃ」
以前、モモセが子どもたちに言っていたことを思いだす。今ある常識をぶち壊してやると。そして脱出後、この世界に蔓延する常識は崩壊していった。能力者の地位向上、能力者を守る法の制定、現行人類との共存、一体誰がそんなことを予測できた? そしてそれらは、間違いなく百々瀬が起因となって発生している。彼の言葉と行動が、頭の固い連中の石頭をぱっかーんと叩き割ったからではないのか。
ヤスじいの推測が確信に変わるまで、そう時間はかからなかった。それだけの奇蹟の軌跡を、彼は見てきたからだ。そして、これからも、死ぬまで見続けることになるだろう。
「あと十ねんまって! そしたらわたし、せもこぉーんなにおおきくなって、むねもボンッとなってこしはキュッとしておしりボンッのぐらまらすびじょになるから! シャッチョサンさーびすするからよってって!」
相も変わらず、エルは百々瀬に付きまとっている。百々瀬が言うように、彼女のアタックは日に日に過激の一途を辿っていた。城壁なら穴だらけになって砂塵に帰すレベルだ。
「やかましい! なってから言え! 後サービスの意味をイスラから学んでこい!」
「何でここで私に振るの!?」
「え、だってお前、サレムに毎晩熱烈なサービスしてるんだろ?」
「し・て・な・い・わ・よ!」
「そうなのか? ・・・・本当か?」
顔を真っ赤にして押し黙るイスラ。ちら、ちらとサレムの方を見る。サレムも顔を真っ赤にして、俯いてしまった。嘘の下手くそな奴らだ。百々瀬はニタア、と悪い顔をする。
「よかったなエル。もうすぐ姉ちゃんになれるぞ?」
「あんたねえ!」
「ま、まあまあ。落ち着いて」
サレムがイスラをなだめる。
「そろそろ時間ですんで。モモセさん、お願いします」
「しょうがねえな」
がりがりと頭を搔きながらも、百々瀬は手伝うことにした。元の世界に帰るまでの我慢だ、ちょっと手伝うだけで衣食住がまかなえていると思えば安いものだ、決してこいつらに馴染んでなどいない、馴染んでなどいないと自分に言い聞かせて。
「モーセさん、何しに行くの?」
首を傾げながら、エルが尋ねる。
「決まってんだろ」
百々瀬は応える。
「悪を成しに、だ」
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