第65話 憎しみと、その反対

「何だあれは!」

 ラムセスは手に持っていた盃を取り落しながら、窓に張り付いた。何人もの能力者たちの希望を吞み込み絶望に沈めてきた海が、今は王の凱旋を祝う群衆のように能力者どもの前に道を作っている。

 ありえない。その言葉がラムセスの脳内を占めていた。これほどの能力を有している能力者など今まで存在しない。かつて能力者摘発の発端となった、世界最悪の能力者ですらここまでの力はなかった。では、あそこにいるのは何者だ。自然すら屈服させるその能力とは何だ。

「・・・まさか!」

 考えられるのは、どんな願いでも一つだけ叶える「一つだけの奇跡」の能力。あの娘の能力に違いない。それをこんなくだらないことに使ったというのか。

 驚愕から怒りへと感情が推移していく。その力は自分の願いを叶えるために使われるべきだったのだ。自分のために使われてこそ価値がある。能力者どもは皆すべからく自分のために役に立って死ぬべきなのだ。それが能力者どもの唯一の価値なのだ。なのに、やつらはその役目を忘れて、あろうことかこの島から逃げ出そうとしている。

 許されるはずがない。そんな勝手なことをして良いわけがない。

「ラムセス殿!」

 銃を抱えていた会員の一人が焦ったように呼ぶ。それを見て、ラムセスはハッとなる。そうだ、まだゲームは終わっていない。

「すぐに車両の準備を致します。皆さまはそれに乗り、逃げたやつらを追ってください」

 ラムセスは会員たちに向かって声を張った。ここで動揺を悟られるわけにはいかない。醜態を曝せば、彼らの口を伝ってすぐさま悪評は広がるだろう。それは、ラムセスのビジネスに影響を与えるどころか、彼の院長としての地位も危ういものにする。

「予想外のことが起こりましたが、なに、心配はいりません。少し趣向が変わるだけです。どのみち奴らは徒歩、こちらは車。平野でガゼルを追うのと同じです。走行しながらの射撃になりますので難易度は高めですが、いかがですかな?」

 ラムセスの言葉を聞いて、会員たちの顔に笑顔が戻る。ゲームが中断されるわけではないことに安心したのだ。会員たちの機嫌が戻ったのを見てほっと胸をなでおろしたラムセスは、すぐにサレムに連絡を取る。が、電話は不通。

「肝心な時に役に立たん!」

 憤りながら、島に残っているわずかな部下たちに連絡するが、これもまた不通。

「あいつら、サボっているのか?」

 確かにこのゲームは定例化しており、監視の目を緩めるように指示はしてある。仕事をしなくてもいいのと同義だ。最近では、ゲームの開催日だけは酒を持ち込んでいる者もいるらしいと小耳に挟んだ。そのせいだろうか。

 どいつもこいつも、俺を苛立たせてくれる。あいつらは減給だ。荒々しく廊下を踏みしめながら、ラムセスは管制室のドアを開いた。

「貴様らァ! ・・・・・・え?」

 ラムセスは声を失った。

 彼の目の前に広がるのは、赤。管制室で施設内を監視していたはずの部下たちは、全員血の海に沈んでいた。そこかしこに彼らの血が吹きつけられていて、まるで下手くそなスプレーアートのようだ。

「ど、どういう」

 口元を手で押さえて、ラムセスは後ろによろけた。医者としての意地か、こみ上げる吐き気だけは我慢できた。

 一体何が起きたというのだ。混乱の極みにある頭で必死に考える。現場を見るに、争ったような跡は見当たらない。部下たちは、全員武器を抜いた様子がない。武器を抜く間も与えられず殺されたというのか? もう一度、変わり果てた部下を見る。服に血は染み込んでいるが、刺し傷や銃による傷は見当たらない。外傷が全く無いのだ。

 ならば、考えられるのは毒か、もしくは病原菌などによる感染。

「~~~っ!」

 慌てて口を塞ぎ、管制室のドアを閉める。もし仮にバイオハザードだったとしたら緊急事態だ。ゲームどころではない。会員たちを速やかに脱出させなければならない。彼らに対する補償金を支払ってでも速やかに脱出させなければ、彼ら一人が病気にでもなったら自分の命すら危うい。それだけの大物たちがここに集っているのだ。

 急いで院長室に戻らなければならないときに、胸ポケットから呼び出し音が鳴り響く。走りながら電話を取り出し耳にあてる。

「院長、申し訳ございません。電話に出ることが出来ませんでした」

 聞こえてきたのは、のんきなサレムの声だった。沈静化していた怒りが、その声によって一気に活性化し、体中を埋め尽くす。

「貴様、この大変な時に何をしていた!」

「申し訳ございません。少々雑用を済ませておりまして」

 悪びれない調子でサレムが言う。その声に再び怒鳴り返そうとしたが、そんな場合ではないと思いとどまる。こいつならいつでも殺せる。それよりも会員たちの身の安全が最優先だ。

「もういい! 今すぐ脱出の用意をするよう、会員たちの部下に伝えてこい。控室にいるはずだ」

「何か、あったんですか?」

「貴様は言われたことだけやってればいい! 口答えせず、さっさとしろ!」

「・・・わかりました。しかし、困りましたね」

 サレムのその言葉に、ラムセスは怪訝な顔をした。

「何が困ったって言うんだ」

「いえ、それが、控室にはもう誰もいらっしゃらないのです」

「どういうことだ。連中が、自分の主を置いて逃げたって言うのか?」

「いえ、そういう訳ではありません」

「じゃあどういう訳だ!」

「誤解を与えるような言い方をして、申し訳ありません。正確には、控室に『生きている方』はいらっしゃいません」

 再び、ラムセスは声を失った。構わず、サレムは続ける。

「分かりやすく申し上げますと、全員死んでいらっしゃいます。口から、鼻から、耳から、毛穴から、全身のありとあらゆる穴から血を垂れ流して倒れています。ぱっと見ですが。ああ、もし全身から血を垂れ流しても生きている人間がいる前例がいたら申し訳ございません。無知な私をお許しください」

「な、な・・・な、ぁ・・・!」

「そうそう、おそらく院長は会員の方々のところに戻ろうとしてらっしゃるのですよね。差し出がましいかもしれませんが、御忠告を。速く戻られた方がよろしいかと」

 会話の途中で、ラムセスは電話を壁に投げつけた。言いようのない恐怖に駆られたが故の反射的な行動だ。ガシャンと音を立てて破片をまき散らしながら、電話は床に落ちた。

 震える足を必死で進めて、院長室まで戻ってきたラムセスを待っていたのは、待たされた怒りで顔を紅潮させた会員たちではなく、自らの血で顔を赤くした会員たちの死に顔だった。足から力が抜けたラムセスはその場に尻もちをついた。抑えてきた物を盛大に吐き出す。胃の中の物をすべて出し切っても、胸の中にある何かが取れず、何度もえずいた。

 どれほどそうしていただろうか。コツ、コツと廊下を誰かが歩いている。この死人しかいない中で歩けているのは。

 ラムセスは足音の方に目を向けた。同時に、足音も止まる。

「どうかなさったんですか。院長」

 別れた時と全く変わらない微笑を浮かべて、サレムが立っていた。先ほどこの笑みを見たときは、薄汚い、汚らわしいものを見るようだった目が、今では恐怖に慄き、限界まで見開いている。

「さ、サレム、き、きさ、貴様が・・・」

「僕が、何でしょう。どのことで尋ねられているのかよくわかりませんが・・・。そうですね。管制室にいたあなたの部下を殺したのは、というなら、答えはイエス。僕です。控室に待機していた会員の部下を殺したのも、ええ。僕ですね。そして、その会員を殺したのも、はい。お察しの通り、僕です」

「ど、ど・・・」

「どうやって、ですか? ああ、知らなかったんですね。僕の能力を。無理もない。世にも珍しい、後天的に能力が変化した例だそうですよ。元は半径三百メートル以内にいる生物の気配を察知するだけの能力だったのですが、この施設に連れてこられてから少し変わりまして、半径三百メートル以内の生物を全て殺す力『降りかける厄災』となったんです。これは、僕が相手に対する憎しみが深ければ深い程、相手は苦しんで死ぬ、というものでして」

 にこにこと、この施設内の人間を虐殺させたことを告白するサレム。三百メートル以内にいたら死ぬ力。そんなものを持つこいつと、こんな近くにいる。

 人の声とは思えないような悲鳴を上げて、ラムセスは院長室に飛び込んだ。這いずりながら、倒れ伏した会員たちの屍を越えながら、その先にある執務室に飛び込んだ。

「逃げても無駄ですよ」

 その後を、サレムは追って部屋に入った。

「来るな!」

 同時に、サレムの後ろに合った木目のドアに穴が穿たれる。

 ラムセスが拳銃を両手で構えていた。警告ではなく殺すつもりだったが、震える手のせいで照準が合わなかった。あぶないなあ、と苦笑しながらサレムはそれでも歩みを止めない。

「来るなと言っただろうが!」

 再度発砲。今度の弾はサレムの肩を掠めた。少しよろめくが、致命傷には程遠いかすり傷だ。

「無駄ですよ。僕を殺しても、能力は止まらない。すでに災厄はあなたにも降りかかっています。僕の憎しみがどれほど薄くても、必ず死ぬ、そういう能力です。発動した際にあなたも僕の半径三百メートル以内にいたのですから、手遅れです。証拠に、ほら」

 サレムが指差すのは、ラムサスの右腕。わけもわからず、自分の腕を見ていると


 どろり


 アイスが熱で溶けるように、自分の右腕、ひじから先が溶けた。原型のなくなった腕が銃と共に床に落ちた。骨すら残っていない。

 ラムセスが絶叫を上げた。右腕を押さえようとして、左腕が動かないのに気付く。気づけば、左腕もすでに肩から先がなかった。痛みすら感じず、失った事すら気づかなかった。

「ああああああああああああああああああああああ!」

「大丈夫ですか? まあ、腕が無くなったら、そりゃ大丈夫じゃないですよね?」

 言いながら、サレムは窓の外に目を向けた。その先には、真っ二つに割れた海がある。上手く行って良かった。この凄惨な光景を作りだした男の胸を占めるのは、安堵だ。

 この施設が海に囲まれているのはサレムでさえ教えられてなかった。だから百々瀬たちが岸壁で呆然と立ち尽くしていた時は本当に焦った。自分がラムセス側に潜り込んでいるスパイだと打ち明けられれば良かったのだが、いくらなんでも危険が大きすぎた。脱出の情報だけを漏らし、後は何とかしてくれるはずと百々瀬を信じて、その読みは当たった。流石はエルが見込んだ最強の王子様。まさか海を割るとは思わなかったが。そして、予定通り自分から三百メートル以上離れたところで合図が来た。その瞬間、サレムは生まれて初めて能力を使った。エルら子ども達が一緒にいては絶対に使えない、奇跡とは真逆の力。半径三百メートル以内にいる生物を『見境なく』死に追いやる。それは、当然自分も含まれる、一回こっきりの切り札だった。

 これが、サレムが百々瀬に語った彼の覚悟だった。逃げ出した百々瀬たちをラムセスたちが追わないように、自分はここに留まり奴らを止める計画だ。

「彼らはきっと逃げ切るでしょう。モモセさんなら、きっと彼らを導いてくれる」

 窓から離れ、ラムセスへ向き直る。

「どれほどこの日を待ちわびたか、あなたにはわからないでしょうね。僕がどれだけあなたを殺したかったか」

 いつの間にか両足も失い、床に転がっていたラムセスを見下ろしながら、サレムは言った。死んでもおかしくないような状態で今だ意識があるのは、ひとえにサレムの能力のせいだ。憎しみが深い相手は、一息には殺してやらない。

「俺が、憎い、だと。ふざけるな。俺が貴様らに何をした!」

 もはや観念したか開き直ったか、首を回してラムセスが言った。その物言いに、サレムは苦笑を禁じ得ない。この期に及んで何を言うかと思えば、自分は能力者たちに何もしていないような口ぶりだ。

「貴様らが死ぬのは当然の話だ。これだけ恐ろしい能力を隠し持っているのだから、迫害されてしかるべきだ。管理されてしかるべきだ。俺はこの世界のために貴様らを管理してやっていたのだ。崇められこそすれ、憎まれる覚えはない!」

「そうですか」

 では、とサレムがポケットから寄生木の根を取り出した。

「では、あなたの言う管理とは、僕の妹にこんな毒を飲ませて飼い殺しにするということですか?」

「そ、それは、貴様らがそれだけの力を持っているから、仕方ない処置だ。それに、このゲームが終われば解毒剤を渡す予定だった」

「はて? ヤスじいの話では、この毒は解毒薬がないという話でしたが」

「あ、あんな医療から離れて久しい爺と、世界の医療の最先端を知る俺の言う事の、どちらが正しいかぐらい、簡単に判別がつくだろう!」

「ええ、そうですね。ちなみに知ってました? あなたは嘘を吐くとき、一瞬目を斜め下に向ける癖があるんですが」

 そう言われて、ラムセスはたじろいだ。自分ではわからなかったが、まさか今。

「ええ、見事に」

 心を読んだかのように、ニッコリと、いっそ爽やかな笑みでサレムが肯定した。

「それに、あなたはエルだけではなく、イスラまで傷つけた」

 ビクリ、とラムセスの肩が震えた。

「彼女の優しさにつけこみ、逆らえばエルの薬を止めると脅して、彼女を襲った。それも、あなたの言う管理とやらですか?」

「そ、それは、それは」

「それでも彼女は、僕たちの前では気丈に振る舞っていた。けど、それ以降、触れられるのを極端に恐れるようになった」

 サレムの顔から表情が消える。感情が消える。

「僕は、あなたを許さない。僕の大切な人を二人も傷つけた。殺しても殺しても、殺したりない位だ。さて、僕の予想ではそろそろあなたに痛覚が戻る」

 サレムの言葉が終わるか終らないか辺りで、壮絶な痛みがラムセスを襲った。痛みの信号が多すぎて脳が破裂すると錯覚するほどだ。それでもラムセスは気を失うことすら許されず、苦悶にあえいだ。息をしただけで器官が軋みを上げる。身じろぎひとつで全身が切り刻まれているかのような激痛が走る。

「うるさいな」

 足の先で、サレムがトンとラムセスを押した。それだけで、ラムセスは死にたくなるような痛みに襲われる。

「彼女たちの苦しみ、今まで殺された能力者たちの痛みに比べれば、軽いものだよ」

「ふ、ふざ、ふざけるな!」

 血を吐きながら、ラムセスが叫ぶ。

「イスラを傷つけたのは、貴様も同じ! 貴様は、あの女が俺に抱かれているのを知っていて、苦しんでいるのを知っていて無視していた! 妹の薬欲しさに、イスラを生贄にしたのだ! く、くくく、知っているか! あの女は貴様のことを愛していた! 俺に抱かれながら、貴様の名を呼んでいた! その気持ち、貴様も知っていたんじゃないのか! あの女を傷つけたというなら、貴様だって!」

「そうだね。僕も同罪だ。だから、安心してください。あなたが死んだ後に、僕も死ぬ」

 サレムが最も憎んでいるのは、ほかでもない自分自身だ。だから、彼にとってこの能力は非常に都合がいい。愛する人を傷つけた罪の重さを、痛みとして実感できるから。

 やがて、ラムセスのうめき声が消えて、部屋にはサレム一人が残った。

「ミッション、コンプリート、かな」

 どさ、とサレムは院長の椅子に深く腰かけた。これで、いつ死が訪れても悔いはない。百々瀬やヤスじい、そして、彼女がいれば、子どもたちも安心だ。これから訪れる痛みなど、何一つ恐れることは無い。

 目を閉じて、死を待つ。どうせ死ぬ、百々瀬の言葉がよみがえる。そうだね、モモセさん。だから、生きて何をするかが重要なんだね。ようやく、意味が分かりましたよ。

「モモセさん。僕は、やりましたよ」

 キィ、と扉が開く音がした。

 風か? それとも空耳か? 閉じていた目を薄く開けて、

「えっ!」

 目の前にいる人物を認めて、見開いた。

「イスラ!」

 目の前に彼女がいた。

「何で、ここに・・・」

 彼女は、管制室の電気制御基板を破壊した後、外に逃げ出したはずだ。万が一にも追いかけられないよう、シャッターを開かないようにしてから、確かに百々瀬たちの後を追ったはずだ。自分が見送ったのだから。

「どうせ、こんなこったろうと思ったのよ」

 つかつかとサレムに近寄り、イスラは右手を振った。彼女の平手が、サレムの頬を叩く。

「嘘吐いてたわね。自分『以外』の人間を殺す能力だって。自分も殺す能力なんて、聞いてないわ」

「それは、言ってないからだけど・・・そんなことより、何でここに君がいるんだ! まさか・・・」

「そうね、普通に考えたら、私もあなたの能力圏内にいたわね」

「馬鹿!」

 イスラの両肩を掴む。

「何で残ったんだよ! ここにいたら死んじゃうんだぞ! 分かってるのか!」

「分かってないのは、あなたの方よ!」

 もう一度、イスラはサレムの頬を叩いた。二度目の平手は予想以上の威力で、サレムはたたらを踏んだ。

「私は、あなたと一緒に生きたいの。生きていたいの。最後のその時まで。そんなことも言わなきゃわからないの?」

 イスラがサレムの胸に飛び込んだ。二度と離さないよう、しっかりと彼の体を抱きしめる。

「死ぬときは一緒。これだけは譲れない。たとえあなたの頼みであっても。この我儘だけは通させてもらうわ。神様にだって邪魔させないから」

 ぎゅっと、両腕に力を込める。茫然としていたサレムの体に、彼女の体温がじんわりと染み渡る。ぎこちない動きで、サレムもまた、彼女の体を抱きしめた。

「ごめん」

「何を謝るの?」

「僕は、君を・・・」

「いいの。もう、いいのよ」

 すこしして、イスラが「あ、やっぱダメ。許さない」と言って体を離した。

「イスラ?」

「このままじゃ死ねない。だって、私のファーストキスこのクソ親父に奪われたのよ。何回口ゆすいでも気持ち悪いったらないわ。だから、あなたが上書きして」

「へ?」

「だぁかぁら! この親父に汚された私の記憶を、あなたが上書きしなさいって言ってるの! そこまで女に言わせる普通!?」

「ご、ごめん」

 ようやく、サレムも何をしろと言われているか理解した。今度は優しく、彼女の両肩に触れる。

「お、良い感じね。じゃあ、後はキスの前に、決め台詞」

「き、決め台詞?!」

「当たり前でしょ?」

 突然の無茶ぶりに、サレムは悩み

「好きです」

 いたって普通の、だけど正直な気持ちを伝えた。

「ギリギリ及第点ね」

 顔を赤らめながらイスラは彼の背に手を回し、少しだけ背伸びをした。口ではそう言いながらも、ハートに直撃したのは明白だった。

「次はもっとカッコいいの、期待してるから」

 次など来ない、二人は理解していたが、それでも次を楽しみに出来るほど、二人は今、幸せだった。

「努力するよ」

 影が、重なる。



 どれくらい、二人で寄り添っていただろうか。

「・・・・ねえ」

「うん」

 サレムも、イスラの言いたいことが分かっていた。

「これ、いつ死ぬの?」

 待てど暮らせど、想像していた痛みも死も訪れない。

「おかしいな。そろそろ来ても良いころなんだけど」

 来ないにこしたことはないが、ヤスじいの診断に誤りはない。彼がサレムの能力が無差別に死をもたらすと診断したのなら、間違いなくそうなる。そういう能力だからだ。

『あー、あー。聞こえるか?』

 そんな時、どこからか百々瀬の声が聞こえた。

『サレム、イスラ。聞こえてたら応答しろ。可及的速やかに、だ』

 音源は、一人の会員の死体が持っていた無線機からだった。サレムは慌てて無線機を手に取る。

「き、聞こえます。モモセさんですか?」

『聞こえてたなら早く取らねえか馬鹿たれが!』

 怒声が返ってきて、思わず耳を塞ぐ。

『まあいい。イスラもそこにいるな? じゃあ早く追ってこい』

「ちょ、待って待って!」

 サレムの持っている無線機に口を近づけ、イスラが答える。

『何だよ。まだそこで何かあるってのか?』

「追いかけるなんて無理よ。だって、私たちもうそろそろ死ぬんだもの。私たちのことは構わず逃げて」

『ああ、アレか? サレムの能力のせいか?』

「そうよ。私も効果範囲にいたから、もう助からない。そろそろ死が」

『あ、それ、いくら待っても来ねえから』

 あっさりと百々瀬は言った。彼らがさっきまで抱いた決意や想いなど何の意味もない紙屑だと言わんばかりに、百々瀬は彼らの常識をひっくり返した。

「え、ちょ、どう言う事よ!?」

『詳しくは儂から話そうかの』

 向こうの相手がヤスじいに変わった。

「ヤスじい、一体どう言う事? 僕の能力は自分も含めて殺すものだと思ってたけど」

 サレムが尋ねる。

『おう、お前さんの能力『降りかける災厄』は、確かに自分を含めた者に死をもたらす。そしてその死の苦しみは、お前さんの憎しみによって変わると。これに間違いはない。で、ここからは言うのが面倒、オッホン、説明が難しいので伝えなかったのじゃが、実は逆に、愛する者には効かんのじゃ』

 愛する者には効かない、サレムはイスラの顔を見る。今さっき、正に愛を伝えたところだ。ならその理論で行けば、イスラは死なない。ならサレム自身が死なないのは何故だ?

『そこからは少し推測になるんじゃが、お主が心から愛する者が、お主を心から愛している場合、その無効化がお主にまで行き渡るんじゃないかと思うんじゃ』

「そんな、ことって」

 なんという、奇跡だろうか。互いに顔を見合わせる。まだ信じられない。信じられないが、生きているということが何よりの証拠だ。互いを愛しているという、これ以上ない位の確固たる証明になる。

『だから、あれだ、お前らが若さに任せて○×▽■して&!$%#で☆△●Дした結果、お前らは生きてるってこった』

 青少年たちには少々刺激の強い百々瀬の言葉が無線から流れ、サレムもイスラも顔を真っ赤にして俯いてしまった。返答が返ってこないので

『え、お前らまさか、それ以上の―(以降は過激が過ぎる特殊な四十八プラスαのプレイが立て板に水を流すがごとく垂れ流されるので割愛させていただきます)―とかしちゃったのか?』

 百々瀬の横から『○×▽■ってなに~』『サレム兄ちゃんたちは&!$%#してるの?』と意味が絶対分かっていない子どもたちの無邪気な問いかけが聞こえている。

「あ、あ、あ、あんた! 子どもの前でなんてこと喋ってんの!」

『うっせえな。いずれ知るんだ。別にいいだろうが。で、やったのか?』

 からかう様な百々瀬の問いに「うっさい! まだよ!」と返すイスラ。「クク、清いねえ、プラトニックだねえ」返ってくる百々瀬の笑い声にイラつきながら、イスラは言う。

「子どもたちに悪影響よ! そういうのはね・・・」

『あのな、イスラ』

 うんざりした様な百々瀬の声が、イスラの説教を止めた。

『子どもの教育がしたけりゃ、早く追いつけ。こちとらエル抱えたままの移動だからすげえしんどいんだよ。車の一台くらいかっぱらってきな。話はそれからだ。いいか、隣のサレムもよく訊け。早く来ないと、お前らの大事な大事な子どもたちに、お前らが特殊なプレイも好んでやる、とんだエロエロカップルだと言う。言い触らす。怖いぞ、尊敬のまなざしが、一気に氷点下だ。こいつらが思春期を迎えたら、お前ら口きいてもらえなくなっちゃうんじゃないか?』

「あ、あんたねえ!」

『それが嫌なら早く来い』

 ぶつ、と無線は切れた。何の応答も返さなくなった無線機を投げ捨てる。

「じゃあ、行く?」

 照れくさそうに、イスラが言った。

「そうだね。これ以上時間を与えると、モモセさんが何を子どもたちに教えるかわからないから」

 サレムが手をさし出す。その手をイスラは取った。

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