第63話 夜明け前
四時五十分。消えていた部屋の照明が点灯した。
「全員起きろ」
スイッチを入れた百々瀬が振り返ると、目をこすりながら布団から這い出てくる子どもたちの姿があった。目をこすったりあくびをしたり、まだ眠そうだ。体を起こしたまま二度寝している子どももいる。
「ちょっと、まだ五時前よ・・・」
あらかじめ起きてはいたが、イスラもまだ眠そうだ。
「馬鹿野郎。六時丁度に動き出してどうして交代前に出口付近までたどり着けるんだよ。その前に色々と準備する必要があるだろうが。ここを抜け出してからはノープランだ。ここが山奥かもしれないし砂漠の真ん中かもしれない。色んな想定をして、そのための準備を今しなきゃいけねえんだよ」
「準備って何よ。持ち出す物は昨日のうちに準備したじゃない」
「食料とか水だけの話じゃない。ガキどものコンディションも準備の内なんだよ。熱出した風邪ひいたなどの体調管理はもちろん、出かける前に便所に連れて行っとけ。出発前に便所行きたくなったからって行かせるわけにはいかんだろうが。今のうちに済ませられるもんは全部済ませろ。それかオムツでも履かせとけ」
そういう準備ね、と納得したイスラは素直に従う。一人一人を起こし、半分寝ぼけている子どもたちを洗面所へ誘導する。
「おはようございます」
「おはよう」
サレムとヤスじいが荷物を担ぎながら近寄ってきた。
「いよいよ、ですね」
そう言うサレムは、笑顔が若干固い。さすがに緊張しているのだろう。
「そう固くなるな。お主がそれでは子どもたちまで緊張してしまうぞ」
ヤスじいはさすが年長者というべきか、さほど緊張しておらず、サレムを気遣う余裕があった。
「とは言っても、どうしたって緊張はしますよ」
苦笑を浮かべる。
「モモセさんは、緊張はなさらないのですか?」
「緊張だぁ?」
「ええ」
「するぞ? ・・・・・何だよ。その顔は」
あまりに予想外の答えに、サレムは目を真ん丸にして百々瀬の顔をまじまじと見た。
「俺だって緊張くらいする。むしろ緊張しない日は無い」
「そ、そういうものなのですか?」
「緊張は悪いわけじゃねえ。緊張で体が強張ったり、パニックになるのがまずいだけだ。程よい緊張は感覚を研ぎ澄ませることが出来るし、眠気も飛ぶ」
「それは緊張しているというより、緊張を飼い慣らしている、というような」
「飼い慣らす、ん~、そんな大層なもんじゃねえんだがなぁ」
「何か、コツのようなものはあるんでしょうか?」
コツ、ねぇ。と百々瀬は頭をガリガリ搔く。
「コツ、というほどのものじゃねえが、少しは気が楽になる言葉なら知ってるぞ」
「ぜひ教えてください」
期待に目を輝かせて、サレムは言った。期待に応えるように百々瀬の口から出たその言葉は
「どうせ死ぬ、だ」
「・・・・え? 死ぬ? えっ・・・・」
冗談だと思いたかったサレムの思いをあっさり裏切り、百々瀬は頷いた。
「どうせ死ぬんだよ。脱出に失敗しても死ぬし、諦めて動かなくても死ぬ。ただそれだけだ」
「で、ですから失敗しないように、ということで・・・・」
「違う。人間はいつか死ぬ、って話だ。逃げ切っても病気で死ぬ、また掴まって死ぬ、何十年後かに老衰で死ぬ、事故で死ぬ、何をやろうが遅かれ早かれ人間は死ぬんだ」
いいか? と百々瀬はサレムの額に人差し指を突きつけた。
「お前のせいで全員が死ぬんじゃない。あいつらはあいつらで勝手に死ぬし、俺は俺で勝手に死ぬ。誰かの命を背負ってるなんておこがましいと思え。お前が背負えるのはお前の命だけだ。お前が命を賭けてやろうとしていることに、他の多数が勝手に自分の命を賭けているだけだ。失敗しても失うのは自分の命だけだ。他のことなんぞ考える必要はない。それで例えば俺が死んでも、計算違いを見抜けなかった俺が馬鹿だったというだけだ。わかったか? わかったら、返事は」
「は、はい」
「よし。じゃあお前も便所行っとけ。それだけでだいぶ違う」
納得できているのかいないのか首を捻りながらも、サレムは素直に従い便所に行った。
「どうせ死ぬ、か。なるほどのう」
「何だ爺。文句でもあんのか?」
「いいや。心に沁みる言葉に感激しておったところじゃ。儂のような爺にはいつ死が訪れてもおかしくない。その時まで、必死のパッチで生きねばならんということを、今更ながらに思わされたわ」
「老いも若いも関係ねえ。今死んでも後悔しないように生きる。それが悪党のルールだ」
いつ殺されてもおかしくない世界にいるんだからな、と百々瀬は語る。
「悪党にもルールがあるのか? てっきりルール無用が悪党のルールだと思っておったぞ」
「当たり前だろ。悪党だからこそ守らなきゃいけないルールやポリシーがあるんだよ。超一流の悪党ほど自分のルールを遵守する」
「是非とも教えてもらいたいもんじゃ。後学のためにも」
「また今度、気が向いたらな」
百々瀬とヤスじいの視線が時計の方に向けられる。話しているうちに良い時間になっていた。トイレに行っていた子どもたちや、サレム、イスラも戻ってきた。
「時間だ。準備は良いか?」
全員が百々瀬の顔を見返して、一つ、大きく頷いた。
「作戦開始だ」
にぃ、と百々瀬は唇を歪めた。
しゃがみ込み、ウォード錠の穴に針金を二本刺し込む。二度、三度と中をこね回すようにして針金を動かしていると、手応えが返ってきた。そのまま力を込めると、かちゃり、音と共に結果が返ってきた。時間にして、僅か十秒足らず。
「本当に開いた・・・」
感心した様にイスラが言った。当たり前だ、と内心で毒づく。百々瀬としては馬鹿にされている気分だ。この程度のセキュリティはセキュリティではない。
音もなく扉を少し開く。耳を澄ませる。足音は無い。扉のわずかな隙間から、百々瀬は滑り出た。巨体からは想像できないほどの素早さと静かさだった。
廊下は足元の非常灯しかついておらず、大分薄暗い。人の気配がないことに違和感を覚えながらも、百々瀬は合図を出した。隙間から見ていたイスラがまず外に出て先頭を行く。その後を、カルガモの親子よろしく子どもたちが続く。最後に出てきたのがサレムだ。
地図では、収監されていたこの部屋は地下三階。収容施設らしく、出口となる階段は三階から二階へは西側、二階から一階へは東側に設置されている。どうしても施設の端から端までを移動しなければならない。移動する距離があればあるほど、発見されるリスクも上がる。また、途中にある扉の鍵を開けるために、どうしても立ち止まる時間がある。いかにガキどもを誘導するかが鍵だ。あらゆる場面を想定しながら先を急ぐ。
「と、悩んでいたんだけどな」
百々瀬は最後のカギを開けながら内心で呟いていた。鍵は次々と開けていったが、ここに至るまでに彼の頭には疑問がわんさと積み上げられていく。
この施設はおかしい。そう思い出したのは地下二階に上がっても何ら障害が発生しなかったことだ。
まず、監視カメラなどの設備が見当たらない。巧妙に隠してあるのかとも考えたが、どうもそういう訳ではない。ならば、そういう道具が存在しない文明水準なのかというと、そういう訳でもない。サレムやイスラ、ヤスじいと異なる場所で捕まった人間が知っていた。それどころか看守すらいない。こういうところのお約束では、必ず歩いて見回り、異常がないか確認するものだと思い込んでいた。ガキどもを連れたままで、それをどう躱すかで悩んでいたのに。いよいよきな臭い、怪しい空気になってきた。この脱出劇自体が、こちら側ではなく別の人間の意図によって仕組まれている、そんな考えが浮かび始めた。
ガチャ
思考とは関係なく体は動き、カギを開けた。ドアノブを回し、ゆっくりと開く。隙間から空気が流れ込んでくる。密閉されていた中の淀んだ空気を洗い流す、濃密な緑の匂いだ。
慎重に外へ出た。施設の外は、匂いから推測した通り森の中だった。どこかの山中だろうか。まだ薄暗く星空が木々の枝葉の隙間から覗いている。
「出てこい」
特に監視もない―そのことも怪しいのだが―ので、百々瀬は扉の向こう側に声をかけた。ドアの隙間から子どもたちが出て、最後にヤスじいが出てきた。彼は百々瀬に目くばせをする。百々瀬も了解の意味を込めて頷いた。さて、どうやらここまでは上手く行ったようだが、これからが本番だ。一刻も早く、少しでも遠くへ逃げて、追っ手を巻く必要があるが、無暗に逃げても意味がない。まずは現在地を知ることだ。
「爺。ここがどのあたりか見当ついたりするか?」
「さすがの儂も、この景色だけでは皆目見当もつかん。看板なり、何か書いてある物があれば、その文字でどの地域かなど辺りは付けられると思うんじゃが」
「なら、人里付近に行く必要はあるか」
「しかしそれはリスクがあるのう。儂らだけならともかく、これだけの子どもを連れてうろうろしておったら怪しまれる」
「それよりも街がどの方向にあるかだな。ガキどもに関しては隠れるなりなんなり工夫次第でどうとでもなる」
そんな時、子どもの一人が百々瀬の服を引っ張った。
「ねえねえ」
「何だよ。今忙しいんだよ」
「あっちに海が見えるよ?」
海? その単語に百々瀬とヤスじいは顔を合わせた。たしかに、言われてみれば微かに潮の香りがする。
「海岸線付近ってことか」
「ふむ、それなら少しは居場所を絞れるかもしれん。それに、海沿いに進めば街や、そこに続く大きな道路に出るかもしれんしの」
逃げ切れる確率が上がった。そう思い、百々瀬たちは海へ向かう。
森を抜け、彼らは海岸線へたどり着く。
辺りが徐々に黒から暗緑色、瑠璃色へと変わる。夜明けが近い。朝という獣に追い立てられるようにして、徐々に星が姿を暗まし始めていた。星明りも失せ、朝日もまだ遠い。最も昏い時間帯だ。
サアッと光の筋が天に通る。その輝きに百々瀬は顔をしかめ、手で直射日光を遮った。指の隙間からも、海面に反射した日光が目を焼かんばかりに乱反射している。そこかしこで子どもたちがまぶしいまぶしいと騒いでいた。隠密行動もへったくれもない。
「おい・・・」
静かにしろ、と怒鳴りつけようとしたところで、耳を劈く機械音が響き渡った。
「警報か?」
逃走が発覚したために誰かが警報を鳴らしたのか、音の鳴る方へと視線を向ける。
『あー、あー。マイクテスマイクテス』
続いて響いたのは男の声だ。嫌な声だ、と百々瀬は思った。相手を押さえつけるのが趣味そうな、性格の悪さを感じ取ったからだ。おそらくこの声の主とは友達にはなれない、どころか、会ってあいさつした瞬間に殴る気がする。百々瀬に嫌われていることなど当然わからない声の主は続ける。
『外に出ている能力者諸君に告ぐ。君たちは脱獄というとてつもない罪を犯している。我々は君たちに対して、断固たる処置を取らなければならない』
「断固たる処置だ?」
あまり愉快な処置にはならなそうな予感がする。
『残念だ。本当に非常に残念だ。我々は、外で迫害されている君たちを保護していた。そりゃ、外には出せはしなかった。しかし、それは仕方のないことだったんだ。君たち能力者を快く思わない人間は多い。君たちが外にいては、悲しいかな、争いのもとになる。だから、我々は涙を呑んで、心を鬼にして君たちを人々から隔離したのだ。いつか人々が、君たちに対して理解を示してくれるその時まで』
「おうおう、好き勝手なことを上から目線で言ってくれるのう」
苦笑しながらヤスじいが言った。
『だが、君たちは我々のその思いを踏みにじった。罪を犯した君たちに対して、我々がしてやれることはただ一つ。君たちが罪を犯す前に殺すことだ』
ひどく悲しそうな声で言った。しかし、その奥に含まれる真意を覆い隠すことはできていない。声には言葉の内容とは真逆、嗜虐心が覗いていた。
『悪く思わないでくれ。法がそう定めているのだ。従順ならざる能力者は殺すべしとなっている。法を遵守する我々善良な一般市民は、これから君たちを止めるために、殺す。多くの人々を守る為に』
「ずいぶんな大義名分を掲げてくれるじゃねえか」
百々瀬はここにきて、施設の連中の思惑をようやく理解した。自分たちは逃げ出せたんじゃない。泳がされているのだ。監視カメラも看守も、見張りすらいなかったのも、全て奴らの予定通りだった。彼らの目的のためだけに、自分たちはワザと逃がされたのだ。
『ただ、我々も、本当は君たちを殺すことなんてしたくない。だから、時間を上げよう。一時間だ。一時間は、我々は施設から出ない。その間に逃げ切ってしまえば、我々は追わない。我々が殺すのは、我々に見つかった能力者だけだ。それ以外は管轄ではない。遠くへ、出来るだけ遠くへ逃げると良い。東西五百メートル、南北百八十メートル、この絶海の孤島、シナイ島からな」
逃がすつもりなどハナっからなかった。彼らの目的は狩りだ。殺してもいい命を、いかに自分たちが楽しく殺せるか、それを突き詰めていった結果、悪趣味な鬼ごっこに行きついたという訳だ。
百々瀬の頬に崖で弾けた波の雫があたり、つつ、と垂れた。
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