第59話 祈り

 サレムが話すことを、百々瀬は全く理解できなかった。

 まずここは、百々瀬がいた世界ではないという。【マステマ】とサレムたちが呼ぶこの世界に、三十年ほど前から超能力を持つ者が現れ始めた。先天的に持って生まれる者もいれば、後天的に発現する者もいた。鉄を自在に操る者の他にも、炎や水など自然現象を操るもの、手をかざすだけで傷を癒せる者、人の思考や記憶を読み解く者など実に様々な超能力者が現れた。法則性は特に見つけられず、能力を封印したり持たないように予防することも、反対に能力に目覚めることも生まれてくる子どもに持たせたりすることもできなかった。

 周囲の反応は様々だ。彼らを崇める者、利用しようとする者。その中で圧倒的に多かったのは、恐れる者たちだ。

「当然と言えば当然の反応だと思います。私も逆の立場なら、能力者たちを恐れたでしょう。人は、自分と異なるものを恐れますから」

 現実には、能力を持ってしまったのはサレムの方だ。

「マステマの政治家たちは最初、全員殺そうとしました。能力を使った犯罪も多発していましたから、能力者に対しての反発は強かった。そこへ、人権派を称する方々の建前と思惑とが絡み合い、紆余曲折を経て、能力者たちを隔離してしまおうという方策が生まれたんです」

 それがこの隔離病院です、とサレムは言った。

「お前らの現状は分かった。いや、理解できない点もあるが、そこは良い。俺が聞きたいのは、どうして俺がその隔離病院にいるのかってことだ。記憶が確かなら、俺は一仕事終えた後、普通に家で寝てたはずだ。それがどうして、違う世界の、こんなところにいる? お前の妹は俺に何をした」

「それは」

 言いかけたところで、ドアが開く。中に飛び込んできたのは小さな女の子だった。他の子ども達と同じく白い服を着た女の子は部屋の中を見渡し、百々瀬を見つけると、それはそれは華やいだ、満面の笑みを浮かべた。

「おーじさま!」

 指を差し、確認するように言う。言われた方の百々瀬としては訳が分からず「はぁ?」と眉根を寄せることになる。構わず、女の子は百々瀬の足に抱きついた。突然のことに、百々瀬は振り払うことも忘れていた。

「こら、エル」

 サレムはエルと呼ばれた女の子の両脇に手を入れ、抱きかかえた。

「モモセさんが困っているじゃないか」

「モーセさん? おーじさまはモーセさんっていうの?」

「いや、俺は百々瀬・・・」

「モーセさん! うん、そうぞうどおり、いいえ、それいじょーの人ね!」

 こりゃ呼び方治りそうにねえな、と百々瀬は早々に諦めた。

「モモセさん、この子が僕の妹、エルです」

 ちゃんとご挨拶しなさい。とサレムが妹を地面に降ろす。ちょこんとお辞儀をして

「はじめまして! エルといいます!」

「お、おう」

 勢いに吞まれて、思わず返事をしてしまう。だがすぐにハッと気づく。目の前のエルが、自分をこんなところに呼んだのだ。

 同時に、どうやって? という疑問が残る。彼らの話を信じるならここは別の世界ということになる。幾ら超能力とやらがあるとはいえ、そんなことが可能なのだろうか。

「サレム、このガキが、俺をここに連れてきたっていうのか?」

「そうです。この子の能力があなたをここに召喚しました」

 愛おしげにエルの頭を撫でて、サレムは言う。撫でられたエルは、嬉しそうに目を細めた。

「この子の能力は【一度きりの奇蹟】。その名の通り、一度だけ、本人が望むものをどんなもの、どんな事象でも呼び寄せます」

 なんだそりゃ、と百々瀬は首をひねった。

「あのね、わたしがね、かみさまにおねがいしたの。おーじさまをくださいって。そしたら来たのがモーセさんだったの! だから、モーセさんはおーじさまなの!」

 兄妹の話を少しずつ噛み砕いて、百々瀬は考えをまとめた。信じる信じないは二の次で、目の前にある情報をまとめる。

 その一、目の前のガキは、どんなことでも一回だけ願いを叶える力がある。

 その二、ガキの願いはおーじさま、おそらく絵本とかに出てくる王子の想像でいいんだろうが、それを欲した。理由は分からんが。

 その三、なぜか俺が呼ばれた。

 二と三がどうしたってつながらねえだろう、と眉間にしわを寄せつつ、こうなったからには戻る方法を考えなければ、と百々瀬の思考は前へ進む。

「おい」

 ぶっきらぼうに、百々瀬はエルに声をかけた。普通の子どもなら怯えて泣き出すだろうに、エルはむしろ憧れのおーじさまに話しかけられて嬉しそうに元気よく返事をした。

「はい! なんですか?」

「俺を元の世界に帰せるか?」

 このような聞き方になったのは、彼女が起こせる奇跡が一度だけ、と言われたからだ。百々瀬としてはここに長居するつもりはない。子どもの夢物語に付き合うほど暇ではなく、そして、なにより彼は悪党なのだ。彼女の言うおーじさまとは対極の位置に存在する人種なのだ。子どもに愛される悪党など悪党ではない。彼のルールがそれを許さなかった。何より彼には対人スキルで致命的な欠陥がある。おーじ、などと呼ばれると気持ち悪くて拒絶反応が出そうだ。

 彼の言葉を聞き、たちまちエルの顔が曇った。太陽の様な笑顔が雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうになっている。

「モーセさん、かえっちゃうの?」

「当たり前だろうが。お前に都合があるように、俺にだって都合がある。元の世界でやらなきゃいけないことがあるんだよ」

「やらなきゃいけないことって、なに?」

「何って、そりゃお前・・・」

 そこで百々瀬は言葉に詰まった。元の世界に帰ってまでやらなければならないことがあっただろうか。泥棒稼業は、生きるためだ。法で捌けぬ悪を討つなど崇高な思想は持ち合わせていない。改めて考えねばならないほど、すぐに出てこない程度に、百々瀬には元の世界に帰る理由はない。強いて言うなら今まで生きてきた世界だから、くらいのものだ。

「あるんだよ。大人にはいろいろとあるんだ。ガキにゃわかんねえだろうがな」

 と、きちんと答えられず、世の大人が子どもによく使う言い訳を使ってしまった。

「で、どうなんだよ。俺は、帰れるのか?」

 なんとなくエルに聞きづらくて、サレムの方に尋ねる。

「無理です」

 きっぱりとサレムは言った。

「無理、だと?」

「ええ、現状では。先ほどお伝えしましたように、エルの能力は一回こっきり、あなたをここにお呼びしたことでその能力は消えました。そして、彼女以外に、人を別の世界に移動させる能力者は今のところいません。残念ですが・・・」

「ほお」

 百々瀬が口角を吊り上げた。牙を剥いた獣のようだ。

「じゃあ、とりあえずここから出る。出口は?」

 ならば、他の能力者、もしくは道具や方法を探すしかない。そんな都合のいいものがあれば、の話になるが。

「ありません」

「無い?」

「ここは、超能力者たちを隔離するための病院です。超能力者を外に出さないために全てのドアにはカギがかけられています。壁も、ちょっとやそっとの力では壊せないように設計されています。壁ぬけの能力も使えません。外に出れたとしても、現在位置が分かりません。瞬間移動の能力者対策の為か、私たちは眠らされた状態でここに連れてこられました。他の人間も同じでしょう」

 百々瀬の脳に、情報は刻み込まれていく。腹の中は煮えくり返るほど怒りと苛立ちが渦巻いているが、頭は冷え切って冴えわたっていた。感情に流されていては泥棒はできない。

「ここからは出られない。元の世界にも帰れない、ね」

「申し訳、ありません」

 いらだたしげに顔をしかめる百々瀬と、頭を下げるサレムを、不安げな顔でエルが見比べていた。

「教えてほしいんだが、お前らはここに好き好んでいるのか?」

 唐突な百々瀬の問いに、サレムは「えっ?」と聞き返した。

「だから、お前らは好きでここにいるのか? 外では迫害されるから、まだココの方がマシだとか、そういう理由で、だ」

「い、いえ。そういうわけではありません。中にはそういう人もいたでしょうが、私たちは生まれ故郷から強制的にここに収監された口です。可能であれば、故郷に帰り、静かに暮らしたいと願っております」

「じゃあ、なんでそういうことを願わせなかった。超能力が消えるとか、お前らをこんな目に遭わせた連中を消すとか、今の状況を改善するための願いはいくらでもあっただろうが」

「ねがったよ?」

 百々瀬の足元から返事があった。俯くと、エルがまっすぐな目で百々瀬を見ていた。

「ぜんぶおねがいした。みんなをたすけてください。わる者をやっつけてくださいって。いつもおいのりしてた。でも、かみさまはねがいをきいてくれなかった」

「おそらく、妹の一番強い願いに反応して能力は発揮されるのではと思います。ただ、それらすべてを同じくらい強く願っていたため、叶わなかったんだと思います」

 願いは複数、けれど叶えられるのは一つ。ランダムに選ばなかったのは神様とやらの配慮かもしれない。

「あのね、ぐたいせーがないんだって」

 エルが言った。

「『だれか』が何かを、強いシンネンをもってことをなすからけっかというれきしがつくられる、ってヤスじいが言ってた」

「ヤスじいだ?」

「我々全員の健康管理を行っているお医者様です。本人も能力者です」

「だから、おねがいをかえたの。みんなをたすけてくれて、わる者をやっつけてくれる『だれか』がいればいいって。それは、ご本にでてくるおーじさまみたいな人だから、そんな人をくださいって。そしたらまっ白に光って、モーセさんが落ちてきたの」

 事象ではなく、彼女の願いをすべて叶えてくれる人材を、願いの対象にしたということなのだろう。

「あてが外れたな」

 百々瀬は屈みこみ、エルと視線の高さを合わせる。意地の悪い笑みを浮かべて、言う。

「俺はおーじさまじゃない。お前の願いをひとつも叶えてやることができない」

「そんなことないよ」

 百々瀬の言葉をエルは即座に否定した。

「エルはね、わかったよ。モーセさんを見たときから、この人だってわかったの」

「はあ?」

 百々瀬は顔をしかめた。妹の後ろで微笑んでいるサレムに目を向け、説明を求める。

「モモセさん。信じられないかもしれませんが、この子の言っていることは間違っていません。あなたには、それだけの力がある」

「んなわけあるか。お前らは俺の正体を知らないからそんなことが言えるんだよ」

 そうだ、と百々瀬は口を歪める。

「いいか、よく聞け。俺の正体はおーじさまでも、正義のヒーローでもねえ。俺の正体は泥棒。他人から金を奪い、世間を騒がせる悪党だ。ガッカリした、か・・・?」

 出来る限り悪く見せようとふるまっているのに、なぜか百々瀬に集まるのは憧憬のまなざしだ。エルどころか、サレムですらも憧れの人を見たような目になっている。

「ど、どろぼう・・・、すごい! カッコいい!」

 どうしてこのような反応が返ってくるかわからず戸惑う。

「本物の泥棒を、まさかこの目でお目にかかれるとは思いませんでした」

「お、おい。確かに俺は本物の泥棒だが、お前ら泥棒をなんだと思ってんだ?」

「伝説では、空を自由に舞い、湖の水を吞み干し、悪辣な王とその軍勢を打ち倒し、攫われた姫を助け出したといいますが」

 泥棒にそんなことできるわけないだろう。どこからそんな知識を得たのだろうかと百々瀬は口をあんぐりと開けて絶句した。目を輝かせている兄妹には、何を言っても通じない気がした。

「何を馬鹿なことを言っているの? そいつにそんな力あるわけないじゃない」

 横合いから、そんな言葉が間に入ってきた。三人の視線が向けられる。可愛らしいが気の強そうな少女が、その象徴のような目をより細くして百々瀬に向けている。年齢はサレムと同じか、少し下のように百々瀬には感じられた。

「イスラ姉ちゃん」

 エルが彼女の名を呼ぶ。おいで、とイスラが寄ってきたエルを抱く。

「まったく、エルだけならまだしも、サレムまでそんな馬鹿な話を信じてるの?」

「いや、この世界にいる泥棒ならともかく、エルの力で呼び寄せられた方だよ?」

「だとしても、よ。人間にそんなことできるわけないでしょう? それに、こんな得体のしれないやつ、信用できるわけないじゃない。あなたたち、本気でこいつに賭ける気?」

「賭ける?」

 何のことだ、と百々瀬はサレムとエルを見る。居住まいを正し、サレムが向き直った。

「モモセさん、これは、エルだけではなく、ここにいる全員の願いでもあります」

「何だよ。急に」

「僕たちを、ここから助け出してください」

 百々瀬の頬がひくっと痙攣した。

「何故だ?」

 いろんな意味の含まれた何故だった。何故助けてほしいのか、何故自分に頼むのか、何故、わざわざそんなことをしてやらなければならないのか。

「もうすぐ、僕たちが殺されるからです」

 百々瀬の嫌悪感丸出しの視線に怯むことなく、サレムは言った。百々瀬は驚かなかった。彼のこれまでの話から、その程度の想像はついていたからだ。

「この病院に能力者は僕たちしかいません。でも、世界中から能力者たちは捕らえられ、集められます。一定期間は人権団体向けに『彼らをこうして保護している』と、能力者に敵意を持つ団体には『こうやって捕らえている』というパフォーマンスを行います。そして、一定期間が過ぎると、能力者たちは不慮の事故、病気、あるいは原因不明の心停止で全員が死亡します。その一定期間がどれくらいかというと、次の能力者がここに運び込まれてくるまでです」

 だから、能力者の隔離する施設が全世界でここだけなのだ。ここだけで充分なのだ。外の普通の人が欲しいのは能力者、というカテゴリの人種がそこにいるという認識であって、サレムたち個人ではない。病院に一定数の能力者がいれば誰でもいいのだ。必要なのは能力者本人ではなく収監されているという事実だけ。

「その日はいつだ?」

「明日です」

 明日、僕たちは殺されます、とサレムは言った。

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